559 潜行
俺は『貴族ファンド』の事務所を見に行く。どうなっているのか分からずにやきもきするのであれば、直接動いて状態を確認した方が精神衛生上、いいに決まっている。俺は皆に改めて言った。
「『貴族ファンド』がどうなっているか、見に行ってくる!」
「ダメよ!」
「ダメだ!」
「ダメです!」
クリスもトーマスもシャロンも声を上げた。だが、アイリだけが黙って口を横一文字にしている。
「見に行くだけだ。警護の者も一緒だし、危険な事はしない」
「そんな身体で行くこと自体が危険じゃないの!」
「そうです。お嬢様の言われる通りよ、グレン!」
クリスとシャロンが言ってきたので、行かなければいけない理由を説明した。
「しかし、見に行かないと借用書がどうなっているのか分からない。あの証文はなんとしても保全しなきゃいけない」
「でも証文は、グレンのものじゃない。『貴族ファンド』のものだ。もしも書類を守ったとしても、それは『貴族ファンド』を守ってやるだけじゃないか!」
「それでもいいんだ」
「なにぃ!」
「『貴族ファンド』を守ってでも、書類は保全しなきゃいけない。小麦を釣り上げた貴族達を捕らえているものだからな」
そうなのだ。フェレット商会を結果として救うことになろうとも、『貴族ファンド』の借用書は保全しなければならない。もし守られなければ、貴族達はまた同じようなゲームに興じるのは目に見えているではないか。確かにフェレットの悪と、貴族の悪は質は異なる。
しかし、どちらの方が悪いのかと言えば、やはり貴族の悪。確かにフェレットは『貴族ファンド』を立ち上げて、儲け至上主義に突っ走った側面はある。しかしそれは商売の為。身分に従っているのだ。対して貴族の方は違う。所領の統治という本分を放っておいて、ただカネを借り、小麦価を釣り上げる事しか考えていないのだから。
「グレンがそこまでしなくてもいいじゃないの!」
「クリス。俺以外、気付いているヤツがいないんだ。だったら気付いている俺が行くしかないじゃないか」
「でも・・・・・ でも」
「事情が分かるのも俺だけだ。行ってくるよ」
「アイリス! グレンを止めて!」
クリスが俺を止められないと思ったのか、アイリに助勢を頼む。
「行かせてあげて」
「アイリス・・・・・」
「クリスティーナ。グレンは一度言い出したら聞かないわ。だから・・・・・ だから、行かせてあげて」
アイリの言葉にクリスが絶句している。俺もまさかアイリが「行かせてあげて」なんて言ってくれるとは思っても見なかった。
「でも約束して。無事に帰ってくるって」
「アイリ・・・・・」
確約できない約束をしろと言うのか。高いハードルを課してきたアイリにどう答えれば良いのか困っていると、クリスがトーマスに指示を出す。
「同行してグレンを守りなさい」
「お嬢様・・・・・ 分かりました。しっかり守ってグレンを連れて帰ってまいります」
「頼んだぞ、トーマス!」
つかさず俺は便乗した。恐らくクリスは助け舟を出してくれたのだろう。その勢いのまま、アイリに言う。
「アイリ、心配するな。トーマスがいる。二人で一緒に帰ってくる!」
「え、ええ・・・・・」
アイリが返事をしてくれたので安堵した。行かせてあげてと頼んだのもアイリならば、帰ってくると約束してと求めてきたのもアイリ。まるで飴とムチであるかのように使い分けているような気がしたので、内心ビクビクものだったのである。何とかアイリとクリスの了解を得た俺は、トーマスと一緒に群衆溢れる歓楽街に向かう事になった。
――俺の警護を担当しているミノサル・パーラメントは、歓楽街行きを危険だと制止した。群衆が暴れているという歓楽街など、とても行かせられないと当たり前の事を言われたので、こちらも中々モノが言えない。そんな有様だったが俺やアイリ、クリスの説得を受けて渋々承諾してもらい、俺とトーマスと共に同行してくれる事になった。
俺との同行に当たり、トーマスは自分が持っていた魔装具をクリスに預けた。俺達が異変があった際に連絡を取れるようにとの考えで、クリスに渡したのである。魔装具はアイリも持っているのだが、何故か会話が出来ず、魔導回廊を通る鍵としてしか使っていない。よって会話が出来るのは俺とクリスのラインだけである。
ニーナとジルも俺達を見送る為に外へ出てきた。俺は知らせたくなかったのだが、アイリが知らせに行ったのである。アイリのおせっかい、と一瞬思ったのだが、それ以上考えないようにした。何だかアイリを呪詛してしまいそうな気分になるのが嫌だったからだ。顔を合わせたニーナは「止めても行くんでしょ」と諦め顔。それが俺にはキツかった。
パーラメントは俺達を警備する者と屋敷を警備する者とに隊を分かち、トワレンに屋敷を守るように言い含めた。トワレンは俺達が襲撃を受けた際、最後まで戦っていた猛者。パーラメントの信頼も厚いのだろう。同行する隊士はブマーストやペルートら六名。それと俺、トーマス、パーラメントと合わせて九名で、馬車二台に分乗。
既に日が沈もうとする夕方。俺達はアイリやクリス、シャロンやニーナとジル、トワレン以下屋敷に残る隊士らの見送りを受けて、歓楽街へと向かった。屋敷を出た頃にはいつもと変わらぬ光景だったのだが、街の中心部に近づくにつれ、道を行き交う人がいつもより多くなっているのが分かる。やがて、馬車も進めなくなってしまった。
歓楽街はまだ先なのだが、既に道は人でごった返している。端から端まで人がびっしりで、ひしめき合っているような感じだ。王都にはこんなに人がいたのか! こんな人数初めて見たぞ。これでは人をかき分けて進もうにも、容易には進めない。馬車を降りた俺達が困っていると、隊士のペルートが建物と建物の間、路地の方を指さす。
「道で行くのは無理です。ここは路地を通って入りましょう」
「ペルート。お前、道を知っているのか?」
「へい。以前、ちょいと歓楽街で働いていた事がありますんで」
ペルートはパーラメントにそう答えた。なんでも飲み屋でボーイをやっていたらしい。その時に路地道を憶えたのだと。パーラメントがどうするかを聞いてきたので、俺はここはペルートに頼もうと話した。トーマスが「俺、路地なんて入った事がないよ」と小声で言ってきたので、俺もだと返す。トーマスは驚いていたが、俺も路地に入った事がない。
パーラメントはレナケインを呼んで、馬車と共に待機するように言い含めた。ペルートもレナケインも襲撃事件の際には俺と一緒に戦って、名誉の負傷を負った隊士。二人共、怪我が治るとすぐに戦列復帰してきたのをパーラメントが教えてくれたので、顔と名前が頭に入っている。俺達はペルートを先頭に路地裏に入った。
路地裏は人が交わせる程度の広さしか無いが、街頭と違って本当に人がいない。道の喧騒が遠巻きに声は聞こえるが、驚くほど静かだ。時々、交差する相手が訝しがる視線を送ってくるが、今はそんな事に気を留めておく余裕なんて俺には無かった。皆のスピードに合わせようと、杖を突いて必死に歩く事で精一杯。
「グレン、大丈夫か」
トーマスが心配そうに声を掛けてくる。俺は隠しているつもりなのだが、どうやらモロバレだったようである。とにかく皆についていくのが精一杯で、偽装にまで神経が行き届かない。本当に五体満足というものが、如何に大切なものであるかを痛感する。先導してくれたペルートが、俺を励ますように声を掛けてくれた。
「おカシラ、もう少しですぜ」
もしペルートがいなければこんな道を通って、個室バー『ルビーナ』なんかに向かえないだろう。俺の急な思いつきに付き合ってくれて、感謝しかない。しかし、王都はこんなに建物がひしめき合っていたのだな。路地裏を移動しながら、そう思った。道に近づいて来たのか、徐々に騒がしい声が聞こえてくる。
「こ、これは・・・・・」
先頭を歩いていたペルートの足が止まった。人々の絶叫が聞こえてくる。なんだ? とパーラメントがペルートの横で道を覗き込むと、そのまま絶句してしまった。道の方で大変な事になっているのか。
「お、おカシラ・・・・・ これは大変ですぜ」
「どうした!」
「群衆がやりたいように暴れてますぜ」
なにぃ! 俺は杖をついて前に出てペルートとパーラメントの間から首を突っ込んだ。
「ああっ!」
火の手が上がっている。あれはフェレットが経営する高級ホテル『エウロパ』だ。群衆が興奮して「フェレットを倒せ!」「フェレットに鉄槌を!」「フェレットに死を!」と叫びながら、角材を振り回している。これは完全な暴動だ!
「お、おカシラ・・・・・ これは無理ですぜ」
「道には出ないほうがいい!」
ペルートとパーラメントが俺に言う。だが、目の前に目的地の『貴族ファンド』が見えるじゃないか! 確かに道は暴徒と化した群衆で溢れ、『エウロパ』には火が付いているが、今ならまだ『貴族ファンド』の中の状態ぐらいは確認できる。後ろにいたトーマスが「グレン、皆が言うように止めよう」と言ってきた。
「何を言っているんだ! 目の前に『貴族ファンド』があるんだぞ! 今確認しないと後悔する!」
自分が今、興奮しているのが分かる。群衆の叫びを聞いて感応したからかもしれない。が、半年以上かけた暴動対策の果てを俺は今、この目で目撃している。その帰結がこれだと言うのなら、まさに『世の
「いくぞ! 今しかない」
「お、おカシラ・・・・・」
「グレン!」
パーラメントやトーマスには悪いが、この線は譲れない。『貴族ファンド』の中に入って、書類の有無を確認しなければ、俺の腹の中が収まらない。ここで引き上げて何もやらず、後で「もしもあの時」なんて後悔をするぐらいだったら、やって後悔した方がまだマシだ!
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