558 護り難きを守ること
『常在戦場』の団長グレックナーから、アウストラリス公爵邸の警備を軍監ドーベルウィン伯から要請されたされたと聞いて、俺は唖然としてしまった。どうして俺達と激しく対立したアウストラリス公を守らなきゃいけないのかと言いたかったが、一度任せると言った手前、俺から何も言える事はなかった。
「そのような事情で、アウストラリス公の屋敷を警備する事になったそうだ」
「王宮西に位置するアウストラリス公爵邸を引き払われたのですね」
俺がグレックナーとのやり取りを説明すると、クリスがそう話した。普段貴族が王宮に出入りする際に使う
「軍監閣下は不測の事態に備え、アウストラリス公へ御申し出になったのでしょう」
そう話すクリスだが、何か引っかかっているようだ。俺が聞くと、コクリと頷く。
「アウストラリス公が持たれておられるもう一つの公爵邸は、王宮より少し離れた場所ですので・・・・・」
クリスが言うには王宮西の公爵邸は「御前」、王宮から離れた北西に位置する屋敷は「御門」と呼び習わされているらしい。屋敷の規模は当然ながら「御門」の方が大きいとそうである。とは言っても王宮西の「御前」に身を置いて、場合によっては王宮内に逃げ込むという手もあった筈。なのに、それを自ら放棄したのは一体何故か?
「しかしアウストラリス公が退去に同意をなされたのは、余程の理由があったからではありませんか?」
トーマスが言うのはもっともだ。何か特別な理由がない限り、素直に引き下がる筈がない。ましてやアウストラリス公は大貴族。貴族会議もゴリ押ししまくって開催させたくらいなのだから、素直に引き下がるというのは、普通に考えて起こり得ない。しかし余程の理由とは、一体何なのだろうか。
「これは私の勝手な推測ですが・・・・・・」
クリスが自分の見立てを開陳した。それは
「ですから軍監閣下は「御門」を全力でお護りしなければならなくなったのではと」
「どうして?」
「それを交換条件として「御前」から引き払われたのでしょうから」
そうか! クリスの見立てに指摘に納得した。だからドーベルウィン伯は持てる戦力全てを使ってアウストラリス公を守らねばならず、アウストラリス公は王宮側にある公爵邸「御前」から退去しなければならなかった。これならば筋が通る。流石は公爵令嬢だ。俺なんかと違って、ズバリと見抜くよな、クリスは。
「これは「見立て」です。事実どうかは分かりません」
あくまで状況からの分析であって事実かどうかは不明だとクリスは謙遜するが、話の辻褄が全て合うので、当たらずとも遠からずといった所ではないだろうか。今現在の確実なのは「御門」と呼ばれるアウストラリス公爵邸に、統帥府軍監のドーベルウィン伯が持てる戦力の全てを注ぎ込んで、アウストラリス公の警備を行うという話。これは間違いない。
クリスによれば、アウストラリス公の「御門」は貴族の屋敷が集中するトラニアス北西部の奥にあり、山を背にして南に玄関が向いているそうだ。少なくとも北から群衆は現れず、南側に戦力を集中できる地勢。ドーベルウィン伯はここを決戦に場に選んだというのか。俺が感心していると、はたまた魔装具が光った。見るとワロスからだ。
「歓楽街が大変な事になってますよ!」
歓楽街だと! ワロスからの一声に思わず叫んだ。歓楽街で群衆の一部が暴れて、騒動になっているのだという。誰もが危ぶんでいた民衆の「暴発」が遂に起こってしまったのだ。ワロスが現場に居たのかと聞けばそうではなく、「信用のワロス」を引き継いだ娘のマーチ・ワロスからの知らせだと話した。確かに「信用のワロス」は歓楽街から程近い。
「すぐに店を閉めて、こちらへ来いと言ってます」
「まだ店にいたのか?」
「今は店の者と一緒にこちらへ向かってます」
マーチからの連絡を受けたワロスは、すぐに店から出るように言ったそうだ。「信用のワロス」が荒らされるのではないかとマーチが躊躇したらしいが、ワロスはそんな娘を一喝。マーチに店を閉めさせて、ワロスのいる『投資ギルド』のオフィスへ、店員達と共に向かわせたとの事。こちらにはギルド警護団がいるから安全だとワロスが言う。
「こんな時は逃げるのが一番ですからね。どうなるか分からずに様子なんか見ていたら、すぐに巻き込まれてしまいます」
しみじみと言うワロスの言葉は、心が籠もっていた。恐らくはこれまでの転生経験がそれを言わせているのだろう。なんせこれまでの人生の中で「我が艦隊は全滅・・・・・ギャァァァァ」なんて言わせられたりしていたら、そりゃ警戒するのも当然だろう。俺はそんなワロスに歓楽街の今の状態について聞いた。
「娘に聞いたところでは飲み屋街じゃなくて、カジノの方へ向かってるようですな」
「カジノ!」
「群衆の狙いはフェレットなんでしょう。そんなものに巻き込まれるのはゴメンですがね」
そうか! カジノがある周辺には『カリスト』や『エウロパ』といったフェレットが経営する高級ホテルや、フェレットが出資していると娼館などが集まっている。見たことはないがフェレット商会の商館もここにあるという。
「民衆の怒りは相当なものですからな。フェレットが滅茶苦茶にされるのは、娘の話を聞いただけでも分かります」
「今後どうなる」
「恐らくは・・・・・」
火を付けられて灰燼に帰すのではと、ワロスが言う。それは何処でもお決まりのパターンだと言う辺り、流石はアニメ界を渡り歩く転生者という風格があった。カジノもホテルも商館も・・・・・ 皆焼け落ちて終わるのかぁ。ワロスの話を聞いて、何か感慨にふけってしまった俺。おい、待てよ。それじゃあ・・・・・
「『貴族ファンド』はどうなっている!」
「えっ、『貴族ファンド』・・・・・ ですか?」
いきなり振られたので、ワロスが驚くのも無理はない。カジノから程なくのところにある個室バー『ルビーナ』の上に、ひっそりと事務所があるという『貴族ファンド』。あれも一緒に燃えてしまうのか・・・・・ それはマズイ。書類も一緒に燃えてしまえば、借金が棒引きされたと、カネを借りた貴族達が大喜びするだけだ!
「いやぁ、私には・・・・・」
「分からんか?」
「分かりませんね」
その場にいる訳でもないワロスが知っている筈もないか。しかし『貴族ファンド』の事が気になる。正確に言うと、気になるのは『貴族ファンド』ではなく、『貴族ファンド』が持っている証文。それが無事かどうかが無性に気になった。一度気になり始めると気になって仕方がない。それはワロスとのやり取りが切れた後も変わらなかった。
「それ程、『貴族ファンド』の事が気になるのか?」
「ああ。だって、あそこが持っている証文が無くなれば、「鳥籠」に入れておいた貴族らが飛び立つからな」
「と、鳥籠!」
「ああ、「鳥籠」だ」
『貴族ファンド』からカネを借りて小麦相場へ入れ込んだ貴族と俺が、激しくカネをぶつけ合った小麦相場。襲撃される前に、俺が持つ小麦を全て売っぱらった事で、多くの貴族が高値掴みをして身動きを取れない状態に陥った。これによって連中は、売りたくても売れず、借りたカネも返せないというアホルダーと化したのである。
「証文って大切なものなんでしょ。そんなものを無くすの?」
「無くす気は無くても、巻き込まれて無くす事だってあるよ」
「そうだけど・・・・・」
アイリが黙ってしまった。確かにアイリが言うように『貴族ファンド』にとって借用書は生命線だから、そんなものを無くすなんて考えられないのだが、暴れだしたという群衆にとってそんなものはどうでもいい筈。ワロスが言うように火でも付けられるものならば、あっという間に燃え広がって、証文も灰燼に帰すだろう。
「大切なものだから、もう別の所に持ち出したかもしれないわ」
「ワロスの娘が店を閉めるのを躊躇していたくらいなのに、書類を別の所に移すなんて余裕が連中にあるのか?」
「それは・・・・・ 私には分からないわ」
俺が答えると、クリスは目を瞑る。ワロスの話を聞くと、「信用のワロス」は先程まで普通に店を開けていたようだった。娘のマーチは不安から父リヘエに連絡を取るも、店が襲われるかもしれないと避難をするのを躊躇していたと話していたので、同じような心理が『貴族ファンド』の責任者に働いている可能性が高いと踏んだのである。
しかしワロスの話を聞いて、マーチの心理が相矛盾していると思った。暴れだした群衆を見て不安に思い、店が襲われるかもしれないと感じながら、店を閉めるのを
「小麦を買い漁った貴族達を捕らえているのは、買い漁る為に『貴族ファンド』から借金をした「証文」。この「証文」が無くなったら、貴族達は「鳥籠」から解き放たれてしまう!」
ザルツが例えた「鳥籠」。貴族を鳥と見立て、鳥籠というカネの監獄に捕らえたと表現したのだ。今、小麦価は暴落し、五ラントどころかマイナスに達している。借金をして高値で買った小麦がタダ以下になった。ところが小麦を買うための借金が無かった事になってしまえば、貴族が捕らえられている「鳥籠」は無くなってしまう。俺は決断を下した。
「『貴族ファンド』を見に行ってくる」
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