557 マイナス相場

 小麦を五ラントで売る事を義務付ける勅令が出る見通しとなったのを受けて、小麦相場は垂直落下式に下落。勅令で示される予定の五ラントになるかと思えば、さに在らず。その五ラントすら突き破るマイナス相場に突入してしまった。かつて三〇〇〇〇ラントを積んでも手に入らなかった小麦は、カネを貰って手に入れる時代へと突入したのだ。


「では、小麦を手放したい人が多くいると考えてもいいのですか?」


「ああ、その解釈でいいと思う。隠すにもカネがかかるのに、この先持っていても値が上がらない。人に渡してでも、負担を減らしたいと思う者が何人も出てくるだろう」


 クリスが聞いてきたのでそう答えると、それを聞いたトーマスが呆れ返っている。


「そもそも何の為に小麦を買い込んでいたんだ?」


「欲目からだ」


「それで大損してりゃ、世話ないよ。愚かにも程があるだろう」


 トーマスの言う通りだ。わざわざ借金を背負って高値で小麦を買い込み、その上で人にカネを渡して売る。カネを貰って売るんじゃない。カネを渡して売るんだ。こんなもの、商売どころか投機ですらない。行動そのものが破産ゲームじゃないか。「愚か」というトーマスの言葉がピッタリ来る。しかし欲目が、いかに人を愚かにしているのか。


 俺達が小麦相場の話をしていると、今度はウィルゴットが連絡をくれた。ジェドラ父と若旦那ファーナス、そしてザルツの三商会による記者会見が終わったらしい。今は三人で事後策を話し合っているところだという。しかしウィルゴットが連絡をしてくれたのは、その知らせをする為ではなく、繁華街の状況を伝える為だった。


「群衆が「アウストラリス公を倒せ!」「フェレット商会を許すな!」って騒いでいるぞ!」


「なんだと!」


「ウチの者が言うには、皆が小麦暴騰はアウストラリス公とフェレット商会が、宰相閣下を倒す為に仕組んだものだと騒いでいるらしい」


 いや、それは全て事実だが・・・・・ しかし、なんで知っているんだ? 俺は聞いたが、ウィルゴットはその理由までは分からないと話す。貴族会議の開催が決まってから今まで、何がどうなっているのか分からない事が多すぎる。それよりもロバートやノルト=クラウディス公爵家からの封書の内容よりも、より騒がしくなっているようだ。


「ものすごい数の群衆が声を張り上げているんだ」


「破壊や危害は?」


「今は大丈夫だ。しかしこんなの見たことがなくてさ」


 ウィルゴットは心配そうに言ってくる。そりゃそうだ。民衆が街に繰り出し、自然発生的にデモみたいになっているのだから。エレノ来てから、そんな光景なんか一度として見たことがない。知っているのは従順な民衆の姿。ウィルゴットが違和感を訴えるのも当然と言えば当然。俺が商館から出ないように言うと、逆に「お前もな」と言われてしまった。


「さっきよりも街に繰り出す民衆が増えたようだ」


 魔装具が切れた後、トーマスからやり取りの内容について聞かれたので、そう答えると皆の顔色が曇った。アイリが心配そうに言う。


「また・・・・・ 起こるのかしら・・・・・」


「十分にあり得るわ。でも・・・・・ 何も出来ないわ・・・・・」


 アイリの言葉をうけて、クリスがため息混じりに話す。貴族会議を無事に乗り切ってめでたしめでたしと、単純にはいかない辺りがリアルな部分。これがドラマだったら、ハイしゃんしゃんで終わりなのだろうが、そうはならないのが現実である。ウィルゴットの魔装具が切れて暫く後、ジルがはたまたノルト=クラウディス公爵家の使者を連れてきた。


「閣下からの書状でございます」


 閣下。公爵家の使者が「閣下」と言う人物は一人しかいない。ノルト=クラウディス公爵家の主人、宰相閣下だ。使者から封書を受け取ったクリスは、早速便箋に目を通す。暫くすると返書をしたため、それを使者に渡した。これまで受け取った封書とは異なる動き。その使者が部屋から退出した後、俺達に向かってその内容について話した。


「再び貴族会議が開かれる事はないだろうと、お父様は伝えて来られました」


 その上で、今後は貴族会議の開催に反対した貴族が賛成した貴族に対して、色々と仕掛けていく事になるとの認識を示した。よって貴族会議でハイ終わりではなく、暫くの間はゴタゴタが続くというのが、宰相閣下の見通しのようである。どうやら貴族社会の方も、小説や漫画のようにスッキリした展開にはならないみたいだ。


「お父様はすぐにでも私を屋敷に帰らせて詳細を伝えたいようです。ですが今、王都が不穏な状況にあるので、学園に留まるようにと」


「お嬢様、もしやどちら様かが・・・・・」


 今回の貴族会議の結果に不満を持つ貴族、例えばアウストラリス公が良からぬ事でも考えたのか? トーマスがそういぶかしがるのも無理はない。王都の街で繰り出す群衆と連携するような動きをされては厄介。俺もクリスの話を聞いて、トーマスと同様に嫌な予感がした。しかしそれを聞いたクリスは、首を横に振る。


「私達と同様、今日の貴族会議をどのようにするかで精一杯だった筈です。良からぬ企みを考える余裕など、今は誰もありませんわ」


 そう言って、クリスは俺達の見通しを否定した。さしものアウストラリス公も、負けた瞬間に仕掛けを行うなんて考えられないだろう。過大評価ではないかと指摘されると、頷かざる得なかった。やはり俺達が勘繰りすぎなのか。ウェストウィック公の裏切りで、少し疑心暗鬼になり過ぎているのか。クリスが封書の中身について説明した。


「民衆が街に出て、騒いでいるそうです。ですので学園外からは一切出ないようにと」


 お父様の言いつけ通り、学園から動きませんと返したと話すクリス。その言葉を聞く限り、言いつけられたのが嫌そうではないのは見て取れる。娘を心配する宰相の、親らしい封書を受け、クリスはキチンと返事をした。以前の父娘関係に比べると、ずっと改善したと言えよう。ウチも愛羅とこれぐらいの関係になればいいのだが・・・・・


「・・・・・グレン。団長さんに連絡を取れないかしら?」


 グレックナーにかと聞くと、アイリがコクリと頷いた。今、街はどうなっているのかを聞いたほうがいいと、アイリが言う。その口ぶりから、今まで言おうとしていたが、俺に気を使って言えなかったのが分かる。実は俺も連絡を取ろうかと何回か思ったのだが、向こうも忙しいのではと躊躇していたのだ。なので俺はアイリに乗って連絡を取った。


「おカシラ。今、動いちゃいけませんぜ」


 俺が連絡すると、すぐにグレックナーが出た。忙しくて出られないかと思っていたら、それは杞憂だったようである。ロバートやウィルゴットらが言うように、街は群衆で溢れかえっているらしい。その口ぶりから、かなり危ない状況になりつつある事が伝わってくる。そのグレックナーから驚くべき報告が為された。


「軍監閣下から、アウストラリス公爵邸の警備を求められました」


「なにぃ!」


 アウストラリス公爵邸の警備だと! 俺は思わず声を上げてしまった。どうして『常在戦場』がアウストラリス公の屋敷を警備しなければならないんだ? いくらドーベルウィン伯からの要望とはいえ、貴族会議を巡って俺達と激しく争った、貴族派の盟主の屋敷。その屋敷の警備『常在戦場』にやらせるという判断には納得がいかない。


「どうしてもやらなければいけないのか?」 


「は、はぁ。近衛騎士団と王都警備隊、学徒団もアウストラリス公爵邸の警備に集結しているとの事。我が団も全精力を傾けて欲しいと、閣下からの要望です」


「他の警備は?」


「全て放棄して、アウストラリス公爵邸に集中させる方針を打ち出されたようです」


 なんと! 俺は驚愕した。他を捨てて、全てをアウストラリス公爵邸の警備に注ぎ込むというのか。そりゃ分散させるより、集中させた方が効果は高いが、いくらなんでも一点集中過ぎる。他の放棄された場所はどうなってしまうのだ? 俺がその件について問いかけると、グレックナーも同じ事を思ったらしい。


「私も最初は聞き間違えなのかと、確認を致しました。しかし閣下が「群衆の狙いはアウストラリス公に定まったようだ。そこで全勢力をつぎ込んで、群衆の勢いを食い止める」と熱心に仰ったので、従う決意をしました」


 群衆の狙いがアウストラリス公なのは分かる。小麦暴騰の元凶だからな。『貴族ファンド』、いやフェレット商会と手を組み、多くの貴族に金を貸し、小麦を買い込ませて釣り上げさせた張本人。しかしこれまで、遠巻きにしかその情報は流布されていなかった。それがいつの間にか知れ渡り、今や民衆の標的ターゲットとなっていた。


「しかしアウストラリス公爵邸一本に絞って群衆と対峙する動機としては弱くないか?」


「実は・・・・・ 二つある公爵邸の内、一つの公爵邸から引き払って頂いたようなのです」


「引き払って頂いた?」


 グレックナーが言うには、王都に近い公爵邸にいたアウストラリス公に、ドーベルウィン伯が王宮警備の問題を理由として、もう一つの公爵邸に移って貰ったらしい。アウストラリス公は複数の屋敷を保有しているのか。そう言えばこの屋敷も、元はレグニアーレ侯が所有していた屋敷の一つ。高い身分の貴族は複数の屋敷を所有するケースがあるようだ。


「それが故に、アウストラリス公をお守りしなければならないものと推測しております。我が方も十個警備隊全てをアウストラリス公爵邸前に展開し、軍監閣下の指揮下で群衆を食い止めるべく、全ての力を振り絞る所存」


 屯所の三個警備隊、営舎の四個警備隊、編成直後の一個警備隊、そしてセシメルからの二個警備隊。今王都にある『常在戦場』の戦力、十個警備隊全てをつぎ込んで、事に当たるとグレックナーが決意を示した。そこまで言われては、俺から言える事は何もない。「しっかりやってくれ」とありきたりな言葉を掛けて、魔装具を切った。

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