556 世情
俺達が食事を終えた頃、シアーズから連絡があった。大事になったなと笑いながら言ってくるシアーズの声を聞いて、喜んでいるじゃないかアンタと言いたくなったのだが、それは腹の中で収める。それよりも小麦の小売をしている業者の焦げ付きは起こらないのか、そちらの方が心配だ。俺がそう聞くと、意外な事にシアーズが軽い調子で話してくる。
「なぁに、マトモな業者は殆ど借り入れを起こしてないよ」
「えっ?」
「考えても見ろ。あんな額の小麦、マトモな業者が仕入れられる訳がないだろ。それにだ。そもそも正規のルートで仕入れられる小麦自体が殆どないんだから」
なるほど! シアーズのまさかの回答に俺は唸った。確かにそうだ。べらぼうに高い小麦。モノ不足だと言われている小麦を手に入れようと思ったら、正規ではない方法に依るケースが殆ど。モノ自体がないのだから、仕入れようにも仕入れられない。だから借金をする動機自体がないという、シアーズの説明は十分な説得力を持つ。
「借金して仕入れてやがる連中は、より高値になって仕入れた連中だ。人に小売するつもりなんて更々ないって事よ」
だから心配無用だ。もしも焦げ付いた貸金業者がいたら、ピエスリキッドが債権を引き取ってくれると、嬉しそうに話すシアーズ。いやいや、ここまで来たらハイエナかピラニアみたいなものだ。
「大体、これまで何度警告したというのだ。投機目的の小麦買いには貸すなと。それを聞かずにカネを貸すヤツなんぞ、テメエで責任を負うべきなんだ」
シアーズは手厳しい。だが、自己責任と言って突き放しにかかっているのではないのだ。これまで再三投機にカネを貸すなと、元同業の
「グレン。これから大商いが待っているぞ」
そう言って魔装具を切ったシアーズ。それは確実な予言だと俺は確信した。食事を終えて会議室に戻ると、丁度そこへノルト=クラウディス公爵家から二度目の使者が到着。トーマスが会議室へ戻ってきたところで良かったと、ホッとしている。封書を開いて便箋を見たクリスは、一度目の時と同様、すぐに使者を下がらせた。
「貴族会議が終わった後、会議に出席した貴族達は、王宮からの速やかな退出を求められたそうです」
話を聞くに、封書を出したのはクリスの次兄で宰相補佐官のアルフォンス卿のようだ。しかしわざわざ封書を送ってくる程の内容であるようには思えない。一体どういう事なのだろう。これも何かの事件なのか?
「警備上の問題が生じる恐れがあると、軍監閣下からの申し出あり、そのような求めが行われたと
「それは異例の話なのか?」
「一度王宮に入れば、長話をするのが貴族の嗜みですから」
俺の質問に対し、クリスが無表情にそう答えたのでビックリした。回りくどく話をする貴族話法とか、他の人がいれば直接話さないとかに加え、王宮に入れば長話をするとか、エレノ貴族には無駄なしきたりが多すぎる。しかし同じ貴族であるドーベルウィン伯が職務上とはいえ、そのしきたりを
「恐らくは皆様、「茶の一杯も飲めぬのか」と不満をこぼしてお帰りになりましたでしょう」
「それはドーベルウィン伯の嫌がらせだろうか?」
出席者から文句が出るのを承知の上、皆が楽しみにしているであろうしきたりを敢えて反故にしてまで、王宮から退出させたドーベルウィン伯。今回の一件で宰相側に付いたドーベルウィン伯が、貴族会議の開催に賛成した貴族達への嫌がらせとして、そのような事をやったのではないかと思ったのである。しかし、クリスは首を横に振った。
「いえ。軍監閣下がそのような方だとは思えません」
それは言えている。実直な人物だからな、ドーベルウィン伯は。
「軍監閣下が御申し出をされた通り、警備的な問題ではありませんか? レジドルナに一団を派遣されていますし」
「レアクレーナ卿か・・・・・」
確かにそうだ。レジドルナへ実弟レアクレーナ卿が指揮を執る第四騎士団を派遣した為、人員が少なくなっているのは事実。
「王宮の出入りを止めてしまえば、貴族の警備を供する人員を配さなくても良くなります。話を聞くに街は人々が繰り出して、何やら不穏な空気だとか。そちらの方への備えに重きを置かれたかったのではありませんか」
「先程あった、グレンのお兄さんからの話と一致しますね」
「ええ」
クリスが従者トーマスの指摘に頷いた。ロバートが言っていた、見たことがないくらいの数の民衆が繰り出しているという話。それとアルフォンス卿が出した封書に書かれているドーベルウィン伯の動き。これが一致しているというのである。警戒すべきはやはり民衆の動きという事か。トーマスが厳しい表情で言う。
「これは只事ではありません」
「しかしそうは言っても今、何かが出来る訳じゃないからな・・・・・」
「確かに・・・・・」
俺がそう言うとトーマスはうなだれた。大挙して街に繰り出す民衆に向かって「いいから家に帰れ!」なんて言おうものなら、日に油を注ぐ結果になるのは目に見えている。しかし民衆が増えれば増える程、大きなリスク。つまり暴動が起こる可能性が高まっていく。どうすればいいのかと思案していると、また魔装具が光った。今度はエッペル親爺からだ。
「おい! 小麦が五ラントになったぞ!」
「は? もうなったのか!」
なるとは思っていたが、明日以降かと思っていた。皆、本当に情報が早いな。
「一瞬だ! 一瞬でなったんだ!」
即落ちだったらしい。エッペル親爺が興奮気味に言う。
「一三〇〇〇ラントが、一瞬で五ラントになりやがった!」
一三二四二ラントだった小麦価が、貴族会議で決まった「五ラントで小麦を売ることを義務化する勅令」が出るとの報を受けた瞬間、垂直落下してしまったというのだ。いずれなると思っていたが、流石はエレノ相場! ジェットコースターどころか、相場値の
「こりゃ、皆殺し相場だ。手を出してた連中、立ち直れねえぞ!」
呆れを通り越したといった感じのエッペル親爺の声が、何故か「世情」とよく合う。しかし「皆殺し相場」とは、物騒だが言い得て妙だ。相場値が一瞬で二千六百分の一に激減したのだから。一万円が一瞬にして三円になったら、誰しもぐうの字も出ないのではないか。小麦相場に手を出したプレイヤーは文字通り瞬殺されたのだ。
故に中島みゆきの「世情」が欲望のままに小麦相場へカネをつぎ込み、小麦価を釣り上げ続け、そして刈られていったプレーヤー達の「
エレノ相場はストップなんて値幅制限や、ロスカットなどという強制決済等の「安全装置」の全くないガチ相場。現実世界では真性
「お、おい! こんな事ってあるのか?」
「どうした! エッペル親爺」
「い、いや・・・・・ 小麦が・・・・・ マイナスになった・・・・・」
「はぁ?」
「だから小麦価が、マイナス一六ラントになっちまったんだよ!」
「はぁ?????」
マイナス! なんじゃ、そりゃ。一体どうすれば、取引がマイナスになるんだ? 俺の脳裏に流れる「世情」のボリュームが更に上がっていく。
「おいおい。それって、小麦を買えば買うほどカネが貰えるのか?」
「そ、そ、そうだろうなぁ・・・・・ ワシもマイナスなんて初めて見たから、分からんが・・・・・」
エッペル親爺もこんな経験、一度もないらしい。取引ギルドの責任者が見た事がないと言うくらいなのだから、おそらく誰も知らないんじゃないか? しかし相変わらずやってくれるなぁ、エレノ相場は。この世界のインチキ相場は、いつも笑いを越えた笑いを狙ってくる。誰がマイナス相場なんて予想できるってんだ。
「・・・・・グレン。さっきの話・・・・・」
魔装具が切れたところを見計らって、アイリが聞いてきた。俺とエッペル親爺との会話が気になって仕方がないようだ。それは皆も変わりがないようである。俺は小麦価格が五ラントどころか、〇ラントすらぶち抜いて、マイナス一六ラントになった事を告げた。すると全員が呆然としている。おそらく俺が何を言っているのか分からないからだろう。
「要は、小麦を買ったら一六ラント貰えるんだよ」
「な、なんでそんな事になるんだ?」
トーマスがそんなバカなと言った感じで聞いてくる。なので、カネを渡しても引き取って欲しい奴がいると話した。
「倉庫代の負担を減らしたいから、カネをあげるから引き取ってくれと言ってるんだよ。どれだけ買い込んでいるんだって話」
「そうなの?」
明後日過ぎる方向の話からだろう、皆が呆れ返っている。この中で一番理解力がある筈のクリスでさえ、俺が何を言っているのか、どうしてそんな事になってしまったのか理解できないようだ。アイリが俺に聞いてくる。
「一六ラント渡した方が倉庫代より安いって事なの?」
「ああ。勅令が公布されるから小麦価格が五ラントなのは確定してしまったからな。大損がこれ以上膨らまないように、取引相手にカネを渡してでも、持っている小麦を全て処分したいのだろう。少なくとも倉庫代は浮く。手放せば出費が止まるからな」
「意味が・・・・・ 分からないわ」
アイリが首をかしげている。しかしこれは理解できないアイリが悪いんじゃない。小麦相場で無茶をやりまくったプレイヤーと、インチキ過ぎるエレノ相場のコラボレーションによって引き起こされたもの。しかし、いくら手放したとしても、借金で小麦を買い込んでいたとしたら、地獄行きは変わらないのではないか? 俺はそう思った。
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