555 一議裁可

 ノルト=クラウディス公爵家からの使者がジルの案内で会議室に入ってきた。王宮から直接馬を飛ばしてきたようである。ジルは朝から両階段のあるホールで、一人ずっと早馬を待ってくれていたという。姿を見ないと思ったら、そんな所で頑張ってくれていたんだな。使者から受け取った封書をトーマスが主人であるクリスに渡した。


 泣きに泣いた後、落ち着いたところでニーナが食事の用意をすると言うと、アイリとシャロンが手伝うと申し出て、三人で厨房に向かっていった。なので会議室には俺とクリスとトーマスしかいなかった。そこへ使者とジルがやって来たのである。クリスは早速封書を開いて便箋を読んだ。表情を見るに内容的には問題が無さそうだ。


「小麦を一月の間、五ラントで販売する事を義務付ける勅令を陛下が裁可なされて、貴族会議は終了したそうです」


「一議裁可で間違いないんだな」


「ええ」


 早馬の封書によって、貴族会議の結果がクリスの見立て通りだった事が確認できた。理由はどうあれ、宰相閣下の解任動議が出される機会が無くなったのは確実。一議裁可の原則に基づいて貴族会議は閉会したのだから。もしアウストラリス公が解任動議を出そうと思えば、もう一度貴族会議の招集を行うべく建議を行い、委任状を集めなければならない。


 要は一からやり直しという形になるのだが、しかしそれは現実的には難しい。というのも今回の貴族会議は小麦問題を議論する為に建議されたものであり、曲折はあれど陛下が勅令を裁可して公布される見通しとなった今、同じ名分で建議を行うことはまず不可能。仮にもしそれを行ったとなれば、国王の裁可に不服ありと言ったに等しくなるからだ。


 そんな事をすれば王国に弓引く行為とのそしりは免れない。ただでさえ派閥貴族の三分の一が造反した形になっているアウストラリス派から、更なる造反者が出るのは確実。そこまでくれば、もう派閥そのものが瓦解してしまう。つまり派閥領袖の地位そのものが危うくなるのは明らかな訳で、無謀な挑戦は出来ない筈である。


 では、全く違う名分で貴族会議の招集を建議するのか? これも現実には難しいだろう。というのも百年以上開かれなかった貴族会議を立て続けに開催できるのかという、基本的な問題に直面するからで、こちらの方を考えても不可能と言っても差し支えはない。だから貴族会議が招集されるのは限りなくゼロだと言って良いだろう。


「では解任動議は・・・・・」


「ありません」


 トーマスからの質問に対して、クリスはキッパリと言うと、使者を下がらせた。どうやらクリスから返書する必要は、今のところないようである。


「現段階で、私の方から聞くことができるような話はありませんから・・・・・」


 ちょっと寂しそうに言うクリス。自分が関与できる素地がないと言いたいのだろう。クリスはお座りなさいと、ジルに着座を勧めた。ジルは驚きつつも、進んで椅子に座る。ジルからすればクリスは雲の上のお嬢様な訳で、その人物から直接声を掛けられたのが嬉しいようだ。だから下で使者を待ち続けていたのかと、納得がいく。


「グレン。本当に五ラントで小麦が売られるのでしょうか?」


「ああ。論理上はできる。そうするように勅令で義務付けられるのだから。ただ・・・・・」


「ただ?」


「小麦を売る業者が持つのかどうかが分からない」


「!!!!!」

「!!!!!」


 俺の言葉にクリスもトーマスも驚いている。小麦を扱う業者だって千差万別。大きな差益を得んとして小麦を大量に買い込む業者もいれば、都度都度仕入れて小麦を売っている業者もいるだろうから。共通しているのは高値で仕入れた小麦を二束三文で売らなければならなくなった事。現ナマを使っての仕入れならまだしも、借りて仕入れていたら大事おおごとだ。


「カネを借りて小麦を仕入れている業者は、間違いなく資金がショートする。五ラントで売ったら借金を返済できないからな」


「ショートしたらどうなるんだ?」


「潰れるしかないな。それにカネを貸した業者もカネが返ってこないから、潰れる所が出てくる」


 トーマスから聞かれたので、俺は答えた。この影響は『金融ギルド』にまで波及する筈。どれ程の額が焦げ付くのか見当も付かない。ウチを含めた三商会は『金融ギルド』の大口出資者であり、自分達にも及ぶのを承知の上でウィリアム殿下の後ろに控えたのか? この件についてはザルツや若旦那ファーナス、それにジェドラ父に質してみる必要がある。


「では、小麦を売る業者が・・・・・」


「いなくなる可能性だってある。俺は小売に詳しくないから分からないが・・・・・」


「小売?」


「一般客に売る業者だ。小分けして売るから小売。対して業者に売るのをおろしという」


 クリスにそう説明をする。三商会は何れも卸業者であり、一般客に売る小売に手を出してはいない。ジェドラは運送に強みがあり、ファーナスは倉庫管理に長けている。アルフォードの方は都市間交易。卸す稼ぎ方が大きく異なるのと同様、小売業界でも利の上げ方が異なる訳で、勅令の影響がどう出るのかが分からない。その時魔装具が光った。


「おい、グレン! 聞いたか?」


 相手はロバートだった。その口ぶりから、俺達と同じくザルツから発信された貴族会議の中継を聞いていたようである。ロバートはずっと王都商館に詰めており、モンセルにいる番頭のトーレン、セシメルギルドの会頭ジェラルド、ムファスタギルドの会頭ホイスナーへ早馬を飛ばし、小麦が五ラントで売ることを義務付ける勅令の公布を伝えたとの事。


「ザルツは?」


「ジェドラ商会でファーナスさんと一緒に会見を開く予定だ」


「会見?」


 聞き慣れぬ動きに当惑した。各誌の記者をジェドラ商会に集め、ジェドラ父と若旦那ファーナス、そしてザルツが会見を開くというのである。現実世界でいう記者会見というやつか。貴族会議でウィリアム殿下の後ろに控えていた三人は王宮を出た後、一緒にジェドラ商会へ入り、そのまま記者会見を行う手筈であるという。


「一体、何を話すつもりなんだ?」


「さぁ・・・・・ 俺もそこまで話は聞いてないからな」


 俺が聞くと、ロバートはそう答えた。ザルツ達の記者会見について、どうやら詳しい話を聞いていないようである。その代わり、外がやたら騒がしくなっていると教えてくれた。どうしてだ? と聞いたら、民衆が街に繰り出して「ノルデン王国万歳!」とか「ウィリアム王子万歳!」。「宰相閣下万歳!」などと叫んでいるらしい。


「窓から見ていたら、どんどん人が増えていっている」


「そんなに出ているのか?」


「ああ、見たこともない数だ。どこからこんなに・・・・・」


 話している間にもどんどん人が増えているようなのが、ロバートの声から分かる。焦っているのが出ているからだ。ロバートは危ないから外に出るなと俺に言う。俺だって怪我は完治していない。そんな状態で、群衆にもみくちゃにされるような所に行ったら、治りかけたものまでが全部悪くなってしまうだろう。


 俺は屋敷に籠もって静養するよと言って、魔装具を切った。そのタイミングでアイリが食事の用意が出来たと俺達を呼びに来た。会議室にいた俺とクリス、トーマスとジルは、アイリと一階にある食堂へ移動して、食事を作ってくれて待っていたニーナとシャロンと共に皆で遅い昼食を皆で食べた。


 元々、厨房の横に食堂は無かったのだが、ニーナの要望で急遽リサが手配し、倉庫を一部使って造成したのである。現実世界ならキッチンとダイニングはセットなので、一般的なレイアウトなのだが、こちらの世界は違う。厨房と食堂は全く別の所にあるのが一般的。


 なので、初めてこの食堂を見たクリスとトーマスは目が点となっていた。そんな二人に「ここに座れば、作る所が隣だから、温かいものがそのまま食べられるわ」とニーナが笑顔で説明する。すると先程まで戸惑っていたクリスが「はい、分かりました」と笑顔で返した。クリスは本当にニーナの事を慕っているようである。


「こんなものしかないけど許してね」


 そう言いながら出してきたのは、チーズと卵とポークのホットサンドに、コンソメスープ。そしてサラダという三品。これにヨーグルトを付けた、質素な料理。クリスとトーマスがホットサンドを不思議そうに見ている。よくよく考えたら、王都でサンドイッチのような食べ方は無かったな。なので皆に見せつけるように、ホットサンドを食べた。


「あっ、美味しい」


「本当ですね」


 俺が食べたのを見たのか、クリスとトーマスがホットサンドを食べた感想を話す。パンが暖かい方が美味しいなんてと、トーマスが言う。こちらの世界ではパンは冷めている食べ物。それを温めて食べるというのは、中々斬新な発想なのだろう。俺からすれば当たり前過ぎて、何とも思ってなかったのだが。


「作った時から美味しそうでした」


「ええ」


 ニーナの手伝いをしていたアイリとシャロンが言っている。パンを鉄板で焼くなんて思っても見なかったと、シャロンが話しているのが印象的だ。確かにこちらに来て、ホットサンドのようにパンを焼いて再調理する料理を見た事がない。俺はニーナが良妻賢母で保守的だとずっと思っていたが、もしかすると先鋭的で革新的なのかもしれない。


 皆朝から緊張していたからか、全員ホットサンドをおかわりした。ここで何を思ったのか、クリスも厨房に入ってニーナを手伝うという挙に出たのである。聞くと生まれて初めて厨房に入ったのだという、衝撃的な話を聞いた。いやぁ、クリスは真性のお嬢様だったのだな。しかし、慣れないだろうに一生懸命ニーナを手伝っている。


 この光景にトーマスが唖然としていた。横から俺に小さな声で「これは誰にも言えません」と言ってくるぐらいなのだから、事件であるのは間違いないだろう。クリスはアイリとシャロンとあれこれ話ながら、厨房仕事を手伝っている。三人とも凄く楽しそうにしているので、俺達が入り込む隙なぞ何処にもなかった。

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