554 王子の秘策

 黒屋根の屋敷の会議室で貴族会議の結果を待っていた俺に、ザルツから魔装具で連絡があった。ところが聞こえてきたのは宰相閣下と第一王子ウィリアム殿下とが、意見を述べる述べぬで、激しいやり取りをしている声。どうやら貴族会議の模様だというので耳を傾けていると、国王フリッツ三世がウィリアム殿下に発言を許可した。


「現在我が国を覆う小麦不足と小麦の暴騰に係る問題につきまして、これを根本より解決すべくご提案を申し上げます」


 ウィリアム殿下の堂々とした声が聞こえる。相当自信があるようだが、どのような案なのだろうか?


「謹んで陛下にお願い申し上げます。民にあまねく小麦が行き届くよう、勅令をお出し頂きたく存じます」


「して、それは如何なる勅令か?」


 ウィリアム殿下が陛下と言っているのだから、この声が国王フリッツ三世か。言葉とは裏腹に、イマイチ気力に欠けるようなトーンだ。少なくとも威厳とか、そういったものは感じられない。


「ハッ。小麦を一袋五ラントで販売せよとの勅令にございます」


 なんだと! ウィリアム殿下の言葉に議場が一気にざわついた。そんな事が出来るのか? 小麦を持っている奴が一気に隠してしまうぞ。このウィリアム殿下の突飛な案に、クリスも驚いている。アイリの方を見ると・・・・・ こちらの方はどうやら発言内容が飲み込めていないようで平常運転だった。


「一月の間、王国全土で小麦を五ラントで販売する事を義務付けるのです。さすれば困窮する全ての民に小麦が行き渡るでしょう」


「そのような事、可能なのか?」


 フリッツ三世が長子であるウィリアム王子に下問する。


「我が後ろに控える者。小麦を取り扱うジェドラ商会の当主が可能であると申しております。ジェドラよ、可能であるな」


「恐れながら申し上げます。先日宰相閣下より、平価での販売の御要望にお応えさせて頂いた身。この際、王国の為、民の為、我が在庫を全て五ラントにて販売する心づもりでございます」


 ジェドラ父じゃないか! ジェドラ商会の当主イルスムーラム・ジェドラがそう表明すると、議場は大きくどよめいた。


「殿下。私にも発言をお許し下さいませ」


 この声は若旦那ファーナスだ。という事は、ウィリアム殿下の後ろに控えていたのはジェドラ父、ファーナス、そしてザルツという三商会の当主だったのか! 殿下は「申してみよ」と答えたので、ファーナスが話を始める。


「謹んで申し上げます。これまでラスカルト、ディルスデニア両王国からの輸入小麦はノルデン全土の年間消費量に迫る量でございます。それが如何なる理由かは存じ上げませぬが、市場しじょうに全く出回らなくなっております。五ラントでの販売を義務付けなされれば、必ずや市井に小麦が出回る事でしょう」


「うむ。して、確実に小麦を市中に出回らせる為にはどのようにすれば良いのだ?」


「王子殿下。恐れながら、その点に関して一案がございます」


「アルフォードか? 申してみよ」


 ここでザルツにバトンタッチか。いつも柔和なニーナの顔が硬直している。ザルツよ、何を言うつもりか?


「何処に小麦があるのかをもっとも良く知るのは、他ならぬ民草。ですので、小麦の出し惜しみを行う者の通報を行うように通知下さいますれば、自ずと民から王国へ自発的に報告が上がります」


「そして王国はその者を罰すれば良いのだな」


「ハッ。民は皆、諸手を挙げて王国の万歳を叫ぶ事でございましょう」


 密告奨励! 民衆の目を使って取り締まるというのか。それならば、秘匿されている小麦が片っ端から暴かれていくぞ。在庫を五ラントで売ることを義務付けられた上に、秘匿すれば通報されて罰せられる。これでは逃れる術がないではないか。故に大人しく売るしかないが、売る側は売れば売るほど大損を抱えるのは間違いない。なんて罰ゲームなんだ。


「今こそ民の窮状を救うべく、民を信じ、一月の間、小麦を五ラントで販売する事を義務付けする勅令を出すべきであると存じます」


「民を救わんとなされる王子殿下の案、臣は感服致しました! 反対する理由が何処にございましょうか!」


 ウィリアム殿下の発言直後、間髪入れずにドナート侯が発した。議場がざわつく中あっても、その声がハッキリと聞こえる。


「民と王国の行く末を案じられる殿下のお心。我等臣下に何の異議がありましょうや。今こそ殿下の案、大いに用いるべきでございます!」


 この声は・・・・・ アンドリュース侯だ! クリスの目が大きく見開いている。恐らくはドナート侯とアンドリュース侯の相次ぐ発言に驚いているのだろう。 


「殿下の彗眼、誠に以て御立派! 陛下! 恐れながら申し上げます。今が決断のとき。陛下! 民の為、御聖断を!」


 ボ、ボルトン伯だ! 貴族会議の鍵を握る漢がここで動いた。陛下という言葉が出たからなのか、議場は一気に静まり返る。


「宰相よ。けいは如何なる考えか?」


「恐れながら申し上げます。小麦暴騰に苦しむ民を救うには、王子殿下の案を以て他になしと考えまする」


 フリッツ三世から問われた宰相閣下はそう答えた。しかしボルトン伯から決断を迫られたのに、自ら断を下せず、宰相閣下に問うとは・・・・・ 俺は国王の振る舞いに懐疑を持った。これではあまりにも主体性がない。国王たるもの、もっと責任を負うべきではないか。素直にそう思ったのである。しかし今は、そんな事に構う余裕なぞ、何処にもない。


「そうか・・・・・ ならばウィリアムの申す通り、小麦を五ラントで販売する勅令を公布せよ」


 国王に返事をする宰相閣下の声が聞こえる。本当に小麦を五ラントで販売する勅令が出されるというのか? にわかには信じ難い話となってきた。これにはアイリだけではなく、クリスも呆気にとられている。これはクリスにとっても予想外の事態なのだろう。それは議場の方も同じようで、先程までのざわめきが嘘のように静かなままだ。


「これでよいな」


 その声と共に椅子が動く音が聞こえた。えっ? 何だ、これは? 


「国王陛下、御退席!」


 はぁぁぁぁぁぁぁ????? おいおい、ここで議場から出ていくのか? 先程から見える主体性のなさといい、この国王は一体何なんだよ。まさか過ぎるこの展開に、俺は思わずクリスの方を見た。するとクリスも唖然としている。やはり国王が途中で議場から出ていくのは異常事態なのだろう。俺の視線を察知したのか、クリスが口を開く。


「一議裁可・・・・・」


「一議裁可?」


 なんだそれは? クリスの言葉を思わず復唱してしまった。 

 

「一度の会議で御裁可が下ろされるのは一度だけ・・・・・」


「それって、貴族会議で陛下の御裁可が下りるのは一回だけという事なのか?」


「ええ」


 明らかに戸惑っているクリス。


「じゃあ、もしかして、これで貴族会議は終わり?」


「そ、そ、そうなります・・・・・」


 クリスが半ば震えた声でそう言った。と言うことは、まさか・・・・・


「これを以て貴族会議は終了とする!」


 魔装具から宰相閣下の声が聞こえる。どうやら本当に貴族会議が終わってしまったようだ。議場では散発的な拍手が起こっていた。あまりに突然の終わり方だったからか、ざわめく声も聞こえない。


「貴族会議は終了しました。これより王宮を封鎖致しますので、皆々様におかれましては速やかな御退出をお願い申し上げます」


 誰なのか、声を張り上げて出席している貴族に退席を促している。


「ク、ク、クリス。終わったのか・・・・・」


「お、終わったようです・・・・・」


 貴族会議が終わった。宰相閣下の解任動議が出される事もなく、そのまま会議が終わったのである。それが実感出来たからか、歓声と共に皆が一斉に立ち上がった! クリスとシャロンは手に手を取り合い、アイリとニーナが抱き合っている。俺も立ち上がったが、すぐによろめいてしまい、隣にいたトーマスが何とか支えてくれた。


「グレン! やったな!」


「ああ。ああ」


 トーマスからの問いかけに、そう答えるのが精一杯だった。そうして終わる事が出来たのがよく分からない状態なのだが、とにかく感無量で言葉が出ない。


「お母様・・・・・」


「良かったわ。良かったわ。よくここまで頑張ったわ!」


 クリスが泣きながらニーナに抱きついている。二人の肩を持ってアイリも泣いていた。シャロンは両手で顔を覆っている。俺も涙が止まらない。なんだこの感覚は。とにかく泣けてくる。どうして俺はこんなに涙腺が弱くなってしまったのだろうか。しかしそれは俺とガッチリ握手しているトーマスも同じようで、目を真っ赤にして泣いている。


「これで我が家は大丈夫なんだな!」


「ああ、ああ。そうだ! その通りだ!」


 どうしてそうなったのかは分からないが、貴族会議で宰相は解任されなかった。代わりに決まったのは小麦を五ラントで売ることを義務付ける勅令の公布。一度の貴族会議に決められる事は一つのみという謎ルールによって、宰相の解任がはかられる事すら無かったのである。俺はトーマスに支えられながら、クリスの前に立った。


「グレン! 家は守られたわ!」


「ああ、ああ」


 泣きながら言ってくるクリスに、うわ言のような言葉しか返せないのがもどかしいが、胸の奥からこみ上げてくるもので言葉が出てこない。


「ありがとう・・・・・ ありがとう・・・・・」


「良かった・・・・・ 良かったな・・・・・」


 俺はクリスを思いっきり抱きしめた。クリスも力を入れて抱きしめてくる。俺もクリスも涙が止まらない。


「グレン・・・・ 約束を果たしてくれて・・・・・ ありがとう・・・・・」


「何処までやれたかは分からないが・・・・・ 良かった・・・・・ 良かったな!」


 俺とクリスは抱き合いながら、ただひたすら涙した。


「グレン・・・・・ 良かったね・・・・・」


「ああ、ああ」


 俺とクリスを抱いて、優しく声を掛けてくれたアイリにも、うわ言のような返事しか出来なかった。シャロンともニーナとも抱き合って喜んだのだが、お互い言葉にならない。それぞれの感情が感応し過ぎて皆、声にならないくらい泣いたのである。俺達は泣いて泣いて大泣きした。


「お、終わった。これで終わった・・・・・」


 俺の口からようやく出てきた言葉はそれだった。長い長い不毛で本当によく分からない戦いの中、よく乗り切る事が出来たと思う。ある意味奇跡だ。最早手に届かない所にまで行った貴族会議。それがこんな結末になるとは予想だにしなかったが、宰相ノルト=クラウディス公とノルト=クラウディス公爵家が、最大の山場を乗り切ったのは間違いない。

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