552 運命の刻

 ノルト=クラウディス公爵家から学園に戻る直前、宰相閣下によって出発を阻まれた格好となったクリス達。準備をしていたトーマスは監視下に置かれ、軟禁状態となってしまった為に魔装具での連絡が出来なくなってしまった。しかしそんな状態から、どうやって公爵邸を出られたのだ?


「それがよく分からないんだよ。昼前に急遽出発が決まって、お嬢様の元に戻ったから」


 おそらくクリスが宰相閣下と何らかの交渉をしたのだろう。その甲斐あってかトーマスは解放されたようである。執事長のベスパータルト子爵も色々と骨を折ったようだ。しかし宰相閣下とクリスの間で起こった、父娘の対立に巻き込まれた形になってしまったトーマスも大変だったな。トーマスが溜息混じりに言ってきた。


「家の地位が上がると、本当に窮屈になるんだね」


 言うまでもない話だよな。周りからはあれこれ言われるし、ことエレノ世界に関して言うなら、厳しい身分制度のお陰で、動きが余計に制約される。俺としてはクリスの為に出来る限りの事をしたつもりだったが、それでもケアが出来たとは言い難い。トーマスがもう一つ聞きたいことがあると言ってきた。今度は一体何だ? 俺は思わず身構えてしまう。


「ローランさんの事なんだけど・・・・・ 何か隠してないか?」


 あっ! そ、そこか! 何を聞かれるかと身構えてはいたものの、不意打ちを食らった感じになってしまった。いきなりアイリの話を振ってくるにとは・・・・・ それでも俺は建て直し、平静を装って「何をだ?」と聞き返す。隠している事なんて・・・・・ 大アリだからな。


「いや、ミドルネームを持っているし、なんていうか・・・・・・ その気品のようなものを感じる時があって、本当に地主階級なのかって・・・・・」


「・・・・・」


 俺は沈黙してしまった。確かに地主階級だ、ローラン家は。ドシラド村の名士の家柄。ローラン家自体は地主階級で間違いないが、それはあくまでローラン家の話。しかしアイリは違う。


「前に言ってたよな、ローランさんとリッチェルさんがこの世界の中心だって。リッチェルさんは子爵家の御夫人だけれど、ローランさんは平民っておかしくないか? 俺、前から思っていたんだ」


 中々鋭い指摘だ。アイリが平民設定っていうのは、単に「実は姫君だった」というお約束・・・をゲームの中に、エレノ製作者が織り込んだだけの話。それは最初からアナウンスされているものだったので、特別深い意味はなく、単なる設定。しかしリアルエレのではそうはいかない。俺が沈黙していると、それに構わずトーマスが話を続ける。


「この世界の事を一番知っているのはグレンだ。暴動が起こる話も、貴族会議が開かれる話も、婚約破棄が行わる話も、全て本当だった。グレン、ローランさんの本当の話を教えてくれ!」


「・・・・・そんなに聞きたいのか?」


「ああ、聞きたいから聞いているんだよ!」


 俺が尋ねると、トーマスが強く言ってきた。どうするべきか。


「言ってくれよ。ずっと気になっているんだ!」


 トーマスが俺に迫ってくる。これはもう、言うしかなさそうだ。


「全名をアイリス・エレノオーレ・ポーリーン・スチュワート=アルービオという。それが本名・・・・・ 王族に連なる人物だ」


「!!!!!」


 俺の話を聞いたトーマスは茫然としている。何か秘密があると思ったのだろうが、まさか王族であるスチュワート公の縁者だとは思いもしなかったのだろう。家柄だけなら、トーマスが仕えるノルト=クラウディス公爵家よりも上に位置する。俺はトーマスに話した。


「一度、ローラン家へ赴いて、夫妻にスチュワート公に知らせるよう頼んだんだが、聞き入れられなかった」


「・・・・・それじゃ、ローラン夫妻というのは・・・・・」


「養父母だ」


「ローランさんはそれを・・・・・」


「もちろん知っている。が、自分がスチュワート公の孫だという事実は全く知らない」


 俺はトーマスにその経緯を話した。スチュワート公の娘、公爵令嬢セリアが子を宿し家を出て、女従者ラシェルに託した。それがアイリであり、養母であるラシェル・ローランであると。ただ、セリアが自身の従者キース・フェルプスと関係を持った経緯については、一切言わなかった。クリスとトーマスとの関係を投影させるからである。


 トーマスの事を思ってそうしたのはある。しかしそれ以上にクリスとそのような関係になって欲しくない、という俺の我儘な欲求が頭をもたげ、言わないようしたと考えた方がいいだろう。それが嫌だという気持ちが心の底から湧き上がってしまい、口に出さなかったと言うべきか。


 もっとも、トーマスにはシャロンという、信頼できる同僚にして主であるクリスから半ば公認されている相手がいるので、間違いなぞ起こる筈がないのだが・・・・・ それに自分で言うのもなんだが、クリスは俺の事しか見ていない。それは分かってはいるが、何となく警戒してしまうのである。


 佳奈と言う嫁がいるのに、アイリという相手がいるのに、なおもクリスに対してまで独占欲が湧くなんて・・・・・ 人というもの、本当に業が深い生き物だ。一方、俺の話を聞いたトーマスは固まっていた。何か聞いてはいけないものを聞いてしまった、という感じの顔をしている。暫く考え込んだトーマスは、何度か頷くと俺に向かって言ってきた。


「・・・・・しかし、これで腑に落ちたよ・・・・・ 俺の違和感は間違いなかったんだね」


「ああ。でもな、アイリはいい子だ。これは変わりがない」


「ええ。お嬢様にとってかけがえのない友人です」


 トーマスにとって、アイリはクリスの友人という位置付けなのだ。少なくともアイリの身分が明らかとなれば、アイリが王族でクリスが公爵令嬢と、身分的に立場が逆になってしまう。しかし今の二人を見た時、その関係性は揺るがないと思う。何故なら片や高位貴族、片や平民であるのに、友人関係を築いているからだ。


 しかもヒロインと悪役令嬢というゲームの配役がなされているのに、それを乗り越えて友人となっているのだから、崩れる訳がない。もしアイリの身分が明らかになったとしても、クリスはアイリの地位が高くなる事によって生じる諸問題。例えば身分的な振る舞い方などといったものなどを、確実に処理し、サポートしてくれるだろう。


 だから俺は、心置きなくこの世界を去る事が出来る。出来る筈だ。トーマスもいるのだから、安心して立ち去れる。俺は自分にそう言い聞かせるようにした。そうでなければ平常心が保てないような気がしたからである。その時、ガチャと執務室のドアが開いた。クリスとアイリ、そしてシャロンだ。放課後になったので、こちらへやってきたのである。


「グレン。ピアノを弾いて!」


 入ってくるなり、いきなり頼んできたアイリ。チラリと見ると、クリスも期待しているようだ。おそらくここに来るまでの道で、俺にピアノを弾いてもらおうという話になったのだろう。勿論、提案したのはアイリで、頷いたのがクリスなのは言うまでもない。俺も朝からトーマスと話ばかりをしていたので、丁度いいと、その話に乗った。


 ピアノを弾くとはいっても、指の動きが回復している訳ではないので、『アメイジング・グレイス』やベートーヴェンの『エリーゼのために』、チャイコフスキーの『白鳥の湖』といった無難な曲を選んで弾く。少し指が温まってきたので『聖者の行進』や、バッハの『G線上のアリア』にまで手を伸ばして演奏する。今日は久々に調子がいい。


「ねぇ。この前の曲をお願い」


 アイリが頼んできた。『さくらさくら』か。クリスが目を輝かせているので、アイリはこの話をクリスにしたのだろう。俺は『さくらさくら』をゆっくりと弾いた後、桜繋がりで滝廉太郎の『花』を弾く。こんな曲がいいなと、最近になって思い始めた。俺が年を取ったからなのか、現実世界から長く離れている事への望郷がそれをさせているのか?


 俺はいつも以上に丁寧な演奏を心がけた。どんな曲でもそうなのだが、たとえ無難に弾くことは出来ても、簡単な曲なんてものはない。すぐに演奏のアラが目立つからだ。どんな曲であろうとも、やはり演奏は丁寧にしなければ。そんな事を思いながら、俺はたっぷりと三時間、話をしながら演奏を続けたのである。


「あんなにいっぱい曲が聞けるなんて思わなかったわ」


「グレンがあそこまで弾いてくれるなんて」


 ニーナが用意してくれた食事を囲んでいると、クリスとアイリが喜んでくれた。二人共、今日は何かテンションが高い。最近、俺達を覆うかのように被さってくる、無形のプレッシャーのようなものを俺の演奏で振り払えたのかもしれない。一方シャロンの方は小声で「大丈夫ですか?」と心配してくれたので、「今日は調子が良かったんだよ」と返した。


「明日はいよいよ貴族会議です」


 皆が食事を食べ終わった頃、クリスが突然そう言った。今まで誰もその話題には触れないようにしていたところ、クリスが貴族会議について話し出したのである。皆が黙ってしまう中、クリスが無表情に話を続けた。


「明日は貴族会議ですが、私が出席する事は出来ません。ですので、結果を待ちたいと思います。しかし、授業を受けながら待つのは耐えられません」


 それもそうだ。明日、家の命運が決まるというのに、授業どころではないというクリスの言葉はよく分かる。ならばクリスは、明日の授業を受けず、とりあえず寮の部屋でシャロンが側につくという形で待機となりそうだな。俺は屋敷で知らせを待つか。そう思っていると、クリスが予期せぬ事を言い始めた。


「ですので皆さんと一緒に、こちらの屋敷で待たせて頂きたいと思うのですが、いかがでしょうか?」


「はい、私もご一緒します!」


 えっ? 俺が一瞬何だ? と思ったタイミングでアイリが声を上げた。間髪入れずとはこの事だ。トーマスとシャロンは、言うまでもないといった感じで返事をしている。俺が驚いている間に、まるで話が決まってしまったような空気になってしまった。


「グレン。明日は私達と一緒に待ちましょう」


「お、おう・・・・・」


 クリスの言葉に、俺はそう返事をするのがやっとだった。それを見たニーナが「良かったわね、一人で待たなくても」と言ったので、皆が一斉に笑いだす。俺は「トーマスも一緒だぞ!」と抵抗するも、同じ待つのなら二人よりも五人の方がいいでしょうと、クリスに丸め込まれてしまった。まぁいいか。明日の貴族会議の結果、皆で待とう。

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