551 男親というもの
最高値三四〇〇〇ラントを越えていた小麦相場も、俺が仕掛けた売り浴びせによって急落し、今は一二〇〇〇ラント前後。『貴族ファンド』からカネを借り入れ、小麦相場へ入れ込んでいた多くの貴族が「高値掴み」をする羽目となり、目下『鳥籠』に入っている状態となっている。
そこで浮上してくるのが追証という問題。『貴族ファンド』は貴族が買っている小麦を担保として融資をしているのだが、担保としている小麦が急落してしまって、融資額に比べ担保能力が毀損していしまっているのだ。小麦特別融資の契約によればその場合、追証を払うことになっているのだが、トーマスはそれに懐疑的であった。
「月末に、その追証というやつを払えなかった貴族は、踏み倒しになるよな」
「そうだ」
「でも払えなかったとしても、差し押さえはされないし・・・・・」
「罰則もない」
「・・・・・だよな」
『踏み倒し防止政令』には、踏み倒しを禁ずる事が明記されているが、契約期限までに借金の支払いの履行をしなかった場合の罰則規定がない。これはその規定を入れると、貴族達からの反発を受けるのが間違いなかったからで、始めから分かっている
「だったら踏み倒されて終わりじゃ・・・・・」
「いや、『貴族ファンド』から借りた記録は残る。踏み倒したら借金は消えてしまうが、借金そのものは消えないから踏み倒しにはならない」
「しかし、居直って払わなければ、何も変わらないのではないか?」
なるほどな。これまで長年に亘ってカネを踏み倒してきたエレノ貴族。言ってはなんだが慣れている訳で、トーマスの指摘通りになる可能性は十分に考えられる。しかしそれをやると『貴族ファンド』に膨大な負債を積み上げている事実が明らかになってしまうので、今度は他所から借金出来なってしまう。
つまり何らかの形で借金を減らさないと、今後カネが借りる事ができなくなる。それが信用というもの。一度カネが借りられなくなると、以前のボルトン伯爵家のように、文字通り首が回らなくなってしまう。皮肉なことに、カネを踏み倒せば逆に自身の首を絞めるというオチが待っているのだ。
「そんな流れになってくるんだね」
「ああ。『貴族ファンド』からの借金だろうと、『金融ギルド』を経由しての借金だろうと、借金には変わりがないからな。確かに『貴族ファンド』とは対立関係かもしれないが、借金となると『金融ギルド』と『貴族ファンド』は同業者。カネの払わない相手に対しての利害は、完全に一致する」
そうなのだ。小麦相場で高値掴みをして自ら『鳥籠』に入っていった貴族達。この鳥籠の出入り口を縛っているのが、『貴族ファンド』が融資した小麦特別融資。この小麦特別融資がある限り、貴族達は『鳥籠』から出る事は出来ない。皮肉なことに貴族達を『鳥籠』に押し込め続けるには、『貴族ファンド』の存在なしには不可能なのである。
この一点のみを考えた時、『貴族ファンド』は強力な援軍、心の友だと言えよう。面白い事に、小麦相場で暴れまわってきた貴族達を絡め取っているのは、暴れまわる為の資金を貸してきた『貴族ファンド』。これまで積極的に小麦特別融資を利用した貴族にとっては、まさに諸刃の剣であり、貴族側にその刃が向いた結果が『鳥籠』であると言えよう。
「最後には、多額の借金をした貴族は王宮へ縋り付きに行くのじゃないか?」
「何の為にだ?」
「借金の為だよ。国の命令で棒引きしてくれとか、減免してくれとか言って・・・・・」
「そんなもの、宰相閣下がお受けされる筈がないじゃないか!」
俺は自分で言った言葉にハッとした。もしや・・・・・ 借金の棒引きや減免なんて要望、宰相閣下は受けないのは間違いない。これまでの期間、幾つかのやり取りの中で、それはハッキリと分かる。国の大きさの割には少ない税収をやりくりしつつ、貴族の
そんな人物が貴族の借金に対して、棒引きや減免に応じる筈がない。ところが、その宰相位に違う人物。例えばアウストラリス公が座ればどうなるのか・・・・・ 借金を負った貴族達の要望を躊躇なく聞くのではないか? となると、現在『鳥籠』に押し込められている貴族達は、文字通り全力でアウストラリス公を推してくるのは確実な話。
そもそも『貴族ファンド』の主要呼びかけ人自体がアウストラリス公。だから『貴族ファンド』で多額の借金をしている貴族達は、元々アウストラリス公を支持していると考えても差し支えはない。そして、これはあくまで俺の憶測でしかないのだが、貴族の支持を得るカードの一つとして、『鳥籠』を有効活用しているのではないかとすら思ってしまう。
いやはや。何がどう動こうともアウストラリス公の側へ話が優位に動いている、という想像をしてしまうようだ。あれだけ巨額の資金を注入しておいて、「全ては想定内」「こういう事もあろうかと」みたいな、都合のいい話なんてのはある筈がない。しかし相手優位の想像をしてしまう辺り、今の俺がそれだけ追い詰められて、弱気になっているようだ。
「しかしグレンと話をしていると、ずっと頭が回りっぱなしだよ。俺ももっと考えられるようにならないとな」
その上で今の学園の授業には、こんな科目が必要だよとトーマスが言う。こんなのは「政経」とか「経営」とかいうジャンルなのだろうか? 今までそんな分野勉強して来なかったので、こちらの世界に来て、その重要さが初めて分かった。二人で話している内にいつの間にか昼になっている。俺達は昼食を食べる為、屋敷の食堂へ向かった。
「なぁ、グレン。お嬢様についてどう思っているんだ?」
昼を食べた後、執務室に戻って来た際に、トーマスが唐突に聞いてきた。食堂でニーナやジルと一緒に食事をした直後の話で、何か不意打ちをされたような感じだ。咄嗟の出来事には対処できないのが、俺の最大の欠点。当然ながら、トーマスの質問に何も答えられなかったのである。
「実は・・・・・ 公爵邸から中々出られなかったのは・・・・・」
「宰相閣下だろ」
「えっ! どうして、それを」
言うまでもないじゃないか。娘が身分低い男に入れ込むなんて全力阻止だろ。それでなくとも娘が男を追い回す姿なんか、普通の男親は見たくない筈。愛羅もあんなのだが、そんな事をしていたら流石に引く。だから俺が宰相の立場であっても、同じ事をするぞ。よく言い当てたなと驚いているトーマスが、俺に分かった理由を聞いてきた。
「トーマス。こう見えても、俺、五十前のおっさんだぞ」
「ああ!」
俺から言われて漸く気付いたようだ。俺がおっさんであるという事実を。自分と同じ年のように見えても、中身は五十前のおっさん。宰相閣下と同じ年頃なのだ。いや、こちらの世界へやってきた年数を考えれば、余裕で五十オーバーだな。
「君等より年上の娘もいるのに、宰相閣下の気持ちが分からない筈がないだろ」
「確かに・・・・・ そうだ」
トーマスはそうだったと納得した。俺は更に言う。
「だから公爵邸から一刻も早く立ち去らなきゃいけなかったんだよ。そうしないと、宰相閣下が困るんだ」
「どうして!」
「俺がいると、クリスがずっと付きっきりになってしまう。それを見た周りはどう思う? 責められるのは閣下だぞ! 俺が公爵邸から居なくなれば、クリスが付きっきりにならなくて済む。だから無理をしても出なければならなかったんだ」
確かに、とトーマスが頷く。人というもの、こういう場合クリスに直接言わず、宰相閣下に「ご注進」するもの。そうする事で、自身を宰相閣下にアピールするからである。そこにはクリスの気持ちとか、クリスの思いとかいったものへの配慮は欠片もない。だからクリスを守る為には、俺が早く立ち去らなければならなかったのだ。
「宰相閣下から言われたのか?」
「いいや」
俺は首を横に振った。そんな野暮な事を言われるような閣下ではないと指摘したので、ハッとなったトーマスが恐縮している。トーマスはクリスの従者、即ちノルト=クラウディス公爵家に仕える家来の身。自身の主に向かって失礼な言葉を言ってしまったと思ったのだろう。
「閣下は俺に対して、どうこうは思っていない。他人だからな。しかしクリスは違う。身内だからだ」
「・・・・・そんなに違うのか?」
「ああ、違うな。おかしな野郎でない限り、娘の方を抑えようとするに決まってる。さっさと俺が退いたから、クリスを動かぬようにしたのだろう」
「その通りだ。体調が戻られるまで、御部屋から出ないように申し渡されたお嬢様は、あれから御部屋の外に出られなかった」
俺の意識が回復した後にクリスが体調を崩し、それっきり会えなかったのは、やはり宰相閣下の指示によるものだったのだな。なんとなく分かってはいたが、トーマスの話でそれが証明された形だ。これは宰相閣下が俺を妬んでの仕打ちではなく、ある種の熱病にうなされているクリスを落ち着かせる為の処置。でなきゃ、俺とサシで会って話はしない。
「お嬢様はグレンが公爵邸を出たと知って参られたのだ」
俺が屋敷へ帰った事をトーマスが告げると、顔を両手で覆って泣き始めたというのである。そんなクリスを見たのは初めてだったらしく、ショックだったとトーマスが言った。クリスはこうだと思ったら、それしか見ないところがあるからな。そこから数日、また伏せたというのを聞くと、やはり疲れを相当溜め込んでいたようである。
「学園に来るのが一日遅れたのは、宰相閣下がお知りになって・・・・・」
「監視下に置かれたのだな」
うん、とトーマスが首を縦に振った。だから魔装具で連絡が取れなかったのだな。学園へ行く段取りをクリスから任されたのは、おそらくトーマス。なのでトーマスが軟禁状態にされてしまった。だから動く事が出来たシャロンが、急遽封書を
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