548 レジドルナ追討

 『貴族ファンド』の資金を枯渇させれば、貴族会議の開催を阻止できる。その一心で小麦相場を舞台とした仕手戦を繰り広げたのに、ウェストウィック公の裏切りで貴族会議が開かれる事が決まるばかりか、仕手戦を仕掛けたが故に俺が狙われてクリスとレティが巻き込む羽目になってしまったのだ。


「民衆は振り回された挙げ句に苦しみ、貴族会議が開かれる事も決まり、一体何の為に小麦相場を弄ったのか・・・・・」


 話している間に、何か虚しくなってきた。クリスとのささやかな約束。家を守って欲しいという、ありきたりな約束から始まったのだが、話がここまで大きくなってしまったのだから。まぁ、クリスが守って欲しいという家がノルデン王国最大の貴族家であった事や、百年以上宰相位にある宰相家だったという部分が特殊と言えば特殊だったが・・・・・


「でも・・・・・ グレンは手を尽くしたのでしょ。クリスティーナの為に」


「ああ。やれる事はやった」


 それが言えるぐらいの事はやった。これまでの人生の中で一番やったと言ってもいい。これまで会社でも家でもここまで頑張った記憶はないし、そういう自覚もないのだから。それを思ってハッとなった。


(ああっ。佳奈にそこまでやってあげた事は無かったな・・・・・)


 俺がこれまで佳奈にやってきた事はと言えば、働いて給料を家に入れることぐらいなもの。結婚してすぐに子供が出来たから、本当にそれだけだもんな。佳奈の為、ここまでやったという記憶がないのは、俺にとっては中々衝撃的なものだった。しかし、どうして俺はクリスの為にここまで一生懸命やれるのだろうか? その辺りの理由が分からない。


「クリスティーナが羨ましいなぁ」


「えっ」


 アイリの口から出てきた意外過ぎる言葉に、思わず凝視してしまった。


「だって、グレンがそこまで思ってやってくれているのだもの・・・・・」


 い、いや。それは・・・・・ 何か勘違いしているのではないか! それはクリスとの約束を果たすためだぞ。普段から自分に言い聞かせている言葉が頭脳裏をよぎる。クリスは公爵令嬢、俺は商人。何があっても間違いがあってはいけない。でも・・・・・ 俺はクリスの事だけしか考えていない訳じゃないぞ。


「アイリの事でも一生懸命だ!」


「あっ!」


 俺の言葉に驚いた表情をするアイリ。


「ご、ごめんなさい・・・・・ そんなつもりで・・・・・」


 アイリがシュンとしてしまった。アイリが悪い訳でもないのに、何だか申し訳ない。


「グレンがクリスティーナやレティシアの為に一生懸命やっているところを見ると、ものすごく羨ましく思う時があるの・・・・・」


「アイリ・・・・・」


「いけない事だって分かっているけど、我慢できなくなっちゃう」


 困ったといった感じでアイリが話す。鈍感な俺でも分かる。これは明らかな嫉妬。アイリがクリスやレティに嫉妬しているのだ。レティは別にいいとしても、クリスの方はもっと気をつけなければいけないな。そうでなければ、感受性が強いアイリにはすぐ悟られてしまう。ただ、アイリがそれほど俺の事を思ってくれているのが伝わってくる。


「気にするな!」


「グレン・・・・・」


「誰だって、我慢ができない事の二つや三つある」


 そうなのだ。アイリだけが嫉妬という、自分の中にある負の感情で気を悩ませる事はない。むしろアイリは一生懸命それを押し止めようとしているじゃないか。努力をしているのに、それを否定的に捉える必要はないだろう。


「アイリだけが我慢しなきゃいけない理由なんて、何もないんだから」


「グレン・・・・・」


「だから我慢しなくてもいいんだ」


 アイリが「うん」と頷いた。俺の言葉で少しは楽になったようだ。しかし俺の事で人に嫉妬するというのはそれぐらい俺に思い入れがあるからで、もし俺がこの世界に居なくなったら、アイリはどうなってしまうのだろうか・・・・・ 今、先の事を思っていても仕方がないではないか。俺は敢えて、この世界から去った後の事を考えないようにした。


――『常在戦場』団長のダグラス・グレックナーが俺の見舞いの為に、わざわざ黒屋根の屋敷へやってきてくれた。グレックナーと同行してきたのは事務総長のタロン・ディーキンに参謀のアルフェン・ディムロス・ルタードエ、そして第五警護隊長のナイジェル・リンドの三人。部屋にいたアイリは気を使って出ようとしたが、皆に引き止められた。


「おカシラと御一緒にお聞きしていただきたく」


 アイリはこれまで、俺と一緒に『常在戦場』の会議に出席していたので、その存在は周知されている。加えてアイリのヒロインパワーもあってであろう、いつの間にやら隊士らから畏敬の念を持って見られるようになっていた。そのような事情で、アイリと共に執務室横の会議室でグレックナー達の話を聞く。最初にリンドがいきなり頭を下げてきた。


「先般の襲撃事件で、お守りできなかった事、お詫び申し上げます」


「何を言っている。襲撃してきた連中のところに突っ込んでいったのは他ならぬ俺だ。リンド、お前は何も悪くない」


「しかし、警護の者を付けていたにも関わらず、この事態。なんとお詫び申し上げればよいのか・・・・・」


「顔を上げてくれ。むしろ詫びなきゃいけないのは俺の方だ。お前やルタードエから遠巻きに警告を受けていたのに、率直に聞こうとしなかった。もっと踏み込んで話を聞いていれば、今回の事態、避けられたかもしれない。すまなかった」


「おカシラ・・・・・」


 顔を上げたリンドが申し訳無さそうな表情をしている。参謀のルタードエも同じだ。しかし二人よりも悪いのは他ならぬ俺。詫びなきゃいけないのは俺の方なのである。俺とリンドとのやり取りを黙って見ていたグレックナーが口を開く。


「事が起こってしまった以上、あれこれ言っても始まらぬ。それに悪いのは公爵令嬢の車列を襲撃してきた、レジドルナの冒険者ギルドの連中ではないか」


「襲った者だけではなく、襲われた方も悪いというような、馬鹿げた論理。通してはなりませぬなぁ」


 ディーキンがグレックナーに続いた。全くその通りだ。悪いのはこちらではなくて、一方的に襲ってきた相手。こちら側の備えの不備は、こちら側の問題であって、襲ってきた連中の話と相対化するのは間違っている。


「パーラメント達、俺達を警護していた隊士が懸命に戦ってくれたおかげで、俺も話が出来ている。リンド、警護してくれた隊士達に礼を言ってくれ」


「おカシラ・・・・・」


「リンド。おカシラがこう言われているんだ。皆に伝えてやれ」


「は、はい」


 リンドは戸惑いながらも返事をした。グレックナーは話の流れを断つかのようにフレミング率いる第一警備団がレジドルナに発った事について話し始める。フレミングは『常在戦場』結成時からの幹部であり、グレックナーが股肱ここうと頼むの右腕的存在。そして第一警備団は『常在戦場』は主力であり、精鋭と言ってもいいだろう。


 第一警備団を構成する、四つの警備隊のうちミマス、テティス、レアの三隊は初期からある警備隊。特にテティスを率いるニジェール・カラスイマと、レアを率いるヤローカ・マキャリングは宰相府への『臣従儀礼』を行った五個警備隊体制の頃からの幹部である。これにイアペトゥスを加えた四個警備隊を以て、第一警備団を成している。


 この第一警備団に加え、営舎で編成が終わっていたタルボスの愛称を与えられた、二十番警備隊もフレミングの指揮下に組み入れられて出発したという。五個警備隊およそ四百六十人という大人数。あくまでこちらの規模で言えば大規模なのだが、この部隊をレジドルナに向けて派遣した。


「第一警備団が第四近衛騎士団と共にレジドルナに向かいました」


「第四近衛騎士団・・・・・」


 軍監ドーベルウィン伯は、実弟レアクレーナ卿を派遣したのか。こちらの方はおよそ百二十人規模。第一警備団と合わせて五百八十人。フレミングはレアクレーナ卿と連絡を密にして行軍しているとの事。一方、王都側とは別にムファスタ駐在組のタイタン、フェーベ、テレスト、ユミルの四個警備隊が北上中だという。


 王都とムファスタ。合わせて九個警備隊を動員した形。これは『常在戦場』の警備隊二十個の半数近くの規模。これは単にレジドルナの冒険者ギルドを討つ為だけではないのは明らか。おそらくはレジドルナの冒険者ギルドの背後にいるトゥーリッド商会、その更に後ろにいるレジドルナ行政府守護職のドファール子爵まで射程に入っているのかもしれない。


「代わりにセシメルのエピメテウスとパンドラを王都に動かします」


 レジドルナ討伐の為に抜けた穴をセシメルの二隊で補うというのか。しかし五つの警備隊が抜けて、二つの警備隊が入ってくる。それだけでは穴埋めにならないような気がするが・・・・・ 俺が主力が抜けた後、セシメル隊の補充だけで大丈夫なのかと聞くと、グレックナーは自信あり気に頷いた。何か策でもあるのか?


「その点は御心配なく。奥の手がございます」


「奥の手?」


「はい、奥の手でございます」


 グレックナーは「奥の手」というが、それ以上の話をしないので、どうやら内容の方は秘密のようである。どういった理由なのかは不明だが、秘密である以上、知りようがない。それはそうと、確かモンセルにも警備隊があったな。一隊だけだったが。あれはどうなっているのだ? 俺はグレックナーにモンセルの一隊について聞いてみた。


「ヤヌスはレジドルナに向かいました」


「単独でか?」


「は、はい」


 グレックナーの歯切れが悪い。モンセルの唯一の警備隊、ヤヌスという警備隊が『常在戦場』最弱なぐらいは俺でも分かる。モンセルをナメてはいけない。モンセル出身設定である俺が言うのだから間違いない。大体、隊士を募集しても集まらないのはまさにモンセル気質の為せる業。全くやる気がないのがモンセルなのは、言われるまでもない話である。

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