544 賊軍
宰相府、内大臣府、統帥府。ノルデン王国の根幹を成す三府の長が枢密院で一堂に会し、国王陛下御臨席の下、レジドルナへの近衛騎士団の派遣が決定。これによってレジドルナの冒険者ギルドは「朝敵」となった。これに今、貴族界で話題になっている人物が、異議を唱えたのだという。
「アウストラリス公が首を突っ込んできたが、にべもなく振り払われたらしい」
話によるとアウストラリス公が内大臣府へやってきて、重要事は貴族会議が終わってから行うべきであると内大臣トーレンス侯に訴えるも、「
もしかすると追討がレジドルナの冒険者ギルドに留まらず、その背後にいるトゥーリッド商会や、トラニアス祭の暴動を主導した『バビル三世』の元経営者ダファーライの実家であるダファーライ金融。おそらくはそれらとつるんでいると思われる、レジドルナ行政府守護職ドファール子爵にまで、その追討の手が及ぶのではないかと危惧したのであろう。
ドファール子爵はアウストラリス公が守護職に捩じ込んだアウストラリス派の貴族だと聞いた。ここに手が伸びてくると、自身にまで火の粉が降りかかりかねない事、誰しもが容易に想像がつく。だから慌てて内大臣府へ飛び込んだといったところではないか。しかしアウストラリス公。ただトーレンス侯から袖にされただけでは、引き下がらなかった。
「アウストラリス公が第一義として、レジドルナの事はレジドルナ行政府が負うものである筈だと食い下がったらしい。そこへたまたま顔を出された宰相閣下が事情を聞かれ、その後アウストラリス公は引いたそうだ」
「引いた? 引いたのですが?」
にわかには信じられない話だった。首を突っ込んできた上に内大臣から諭されても引かなかったアウストラリス公が、どうして宰相閣下が話を聞いた
「宰相閣下が貴族会議の開催を来週になされると表明されたそうなのだ」
「えっ!」
そんな事が出来るのか? 確か委任状が間違いないかを確認して、その上で全貴族の三分の一に達して初めて貴族会議が開催される筈。委任状の確認期間は十五日。確認が取れた上で建議が成立したならば、確認後十五日以内に貴族会議が開催される段取りだと聞いていたので、まだ先の話だと思っていたが来週に前倒しされるという話に驚いた。
「その場において、委任状の確認は不要であると宰相閣下が表明なされたらしい。故に逆算して来週末までが開催期限となった。そのような話だと聞いた」
なんと! 委任状を確認しないとは。確認をしない、即ち確認期間自体が存在しない故に、委任状の提出期限日が確認最終日という扱いとなるという。結果、提出期限日から起算して十五日以内に貴族会議を開催しなければならず、結果来週中の開催となるとの事。となると貴族会議の開催まで、もう一週間程度しか時間がない話になる。
「これを聞いたアウストラリス公は慌てて引き下がったそうだ。準備をしなければならぬと、抗議どころではなくなったのだろう」
そりゃそうだ。一ヶ月後だと思っていた貴族会議の開催が一週間後になってしまったのだから、慌てるのも無理はない。しかし、宰相閣下。公爵邸で会った時に何かをやるつもりだとは思っていたが、まさか貴族会議の開催日程そのものを動かしてくるとは! 貴族会議の建議が成立したとはいえ、まだ主導権は宰相側が握っている証左なのか。
「そのような事情で、いよいよ来週が正念場となった」
まさに正念場だ。まだ先だと思っていた貴族会議が前倒しで開かれる事によって、ノルト=クラウディス公爵家の浮沈が、この一週間後に決まるのだ。その影響は今や貴族界に留まらず、商人界にも及ぶ。そう思うと、急に気が引き締まった気持ちになった。その話を聞いていたカインが父に尋ねる。
「街中もこれで収まるのでしょう?」
「・・・・・それは何とも言えぬな」
息子からの質問を受け、スピアリット子爵が急に渋い顔となった。ドーベルウィンとスクロードが顔を見合わせて溜息を付いている。恐らくは街中の歩行訓練がまだ続くのかといった感じなのだろう。子爵は「貴族会議で解決出来ているのであれば、既に解決出来ている筈」と呟いたが、まさにその通りである。そこへディフェルナルが話し始めた。
「あまりの小麦価格に、民の我慢も最早限界を超えております。この不満、いつ火の手が上がるのか、私めには皆目分かりません」
まぁ、あれだけ小麦相場を弄くってしまえば当然の話だ。それをやったのはディフェルナルの目の前にいる俺なのだが・・・・・ 罪悪感が頭をもたげる。ディフェルナルは一番高かった頃に比べれば下がりはしたが、それでも普通の民には手に届くような額ではありませんという。そんな事を言われたら、罪悪感が増すばかりだ。
現在小麦相場は若干上がって、一二〇〇〇ラント台で推移している。最高値三四〇〇〇ラントに比べれば大きく下がったが、平価である七〇ラントとは比べようもない。民が困っていると、平民であるディフェルナルから直接話を聞いた事で、皆深刻そうな表情をしている。スピアリット子爵はよく言ってくれたと、ディフェルナルに感謝した。
「これまで、暴動を抑える事ばかりを考えておったが、我々は暴動の因を軽んじておったやも知れぬ。レジドルナの冒険者ギルドの連中なぞ単なる種火に過ぎず、問題なのは乾ききった
藁か。不満が溜まった民衆、種火だけでブワッと燃え広がる藁と、スピアリット子爵は例えたのである。しかし同時に小麦暴騰で干からびそうになっている民衆を「乾ききった藁」という言葉で指しているともいえ、この辺りの感覚はやはり貴族的な感性なのだろう。スピアリット子爵に悪意はないのだろうが、やはり貴人の血の為せる業なのか。
「では閣下。藁が湿っていれは燃えないのではありませんか?」
「言うは易く行うは難し、だな。どう湿らせれば良いのか・・・・・」
スクロードの疑問に対し、それは難しいなといった感じでスピアリット子爵が答えた。確かに藁も湿っていれば燃えない。しかし王都という大平原の藁をどう湿らせれば良いのか? 既に特別融資支援という形で民衆にカネも配っている。しかし、俺と『貴族ファンド』とのカネの殴り合いのお陰で、それは焼け石に水だと言える状態。
よく考えれば、小麦価を下げるつもりでディルスデニア王国やラスカルト王国から大量の小麦を輸入しているにも関わらず値が上がり続け、小麦が買えなくなった民衆の為に小麦を購入する為の融資支援を行っているのに、『貴族ファンド』からカネを借りた貴族達と小麦相場でやり合って値を釣り上げる。やっている事がもう滅茶苦茶だ。
しかし成り行き上、そうなってしまったのだから、どうしようもない。今から考えたってどうなるものでもないのだ。よく過去に戻って人生やり直しという話があるが、人間というものいくら経験を積もうとも、その時の体験で得た経験を越えることはできない。だから何度も同じ失敗を繰り返してしまうのである。
「父上、また暴動が起こるのでしょうか?」
「断言はできないが、十分にあり得る。レジドルナの冒険者ギルドの人間がいなくてもだ」
「では閣下は、貴族会議が終わった後でも暴動が起こりうるとお考えなのでしょうか?」
「もちろんだ! 貴族会議で如何なる話が行われるのかは分からぬが、良きにつけ悪しきにつけ、何かが決まった事で民衆に火が付く可能性だって大いにあるのだ」
貴族会議が終わった後! ドーベルウィンからの質問に答えた子爵の言葉は、全く想定外のもの。俺はその話を聞いて愕然としたのである。俺はこれまで、一貫してゲームシナリオだけを前提として動いてきた。つまり貴族会議が始まる前の暴動さえ防げば良い、とだけを考えていたのである。しかし子爵の指摘は、それを真っ向から覆すものだった。
「現にラトアン広場の件は、露天商と客との些細な口喧嘩から始まっておる。いかに小さな火種であろうとも、すぐに燃え広がる証左。ディフェルナルの言うように、一つのきっかけでいつ燃え広がるのか分からぬのだから・・・・・」
確かにその通りだ。『ラトアンの
どうやら俺はゲームシナリオにばかり固執してしまい、すっかり視野が狭くなっていたようだ。王都で暴動が発生して流血沙汰となり、多数の犠牲者が出る。宰相閣下は貴族会議でその責任を追及され、ボルトン伯が貴族派に付いたことで失脚し、ノルト=クラウディス公爵家は没落するというシナリオ。これまで、それだけを念頭に置いて対策してきた。
このシナリオのポイントは、貴族会議が開催される前に暴動が発生するという部分。だから貴族会議が開催されるより前に起こる、暴動を未然に防ぐ事が重要だと考えたのである。その為に自警団組織である『常在戦場』を創設し、ファリオさんに盾術の指導を頼んで機動隊のような集団盾術を導入した。
また今いるディフェルナルから、軽量かつ強度のある『オリハルコンの大盾』を大量に仕入れたのもその一環。全ては暴動を未然に防ぐのが目的だったのだが、その暴動自体、既に二回も起こってしまった。しかし幸いな事に流血沙汰までには至っていない。その為、暴動の責を宰相に問う声は、現在のところ皆無。
それどころか、ラトアン広場から締め出された露天商を支援したクリスのお陰もあって、民衆からは好印象を持たれているようである。なので貴族会議の場において、暴動の件で宰相閣下が糾弾される可能性は低いと言っても差し支えがない。この点、俺の努力が功を奏していると言ってもいいだろう。
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