538 リッチェル子爵ミカエル三世

 若旦那ファーナスの息子リシャールと、弟分のカシーラ。二人のリッチェル子爵領行きを阻止すべく、あれこれ言説を駆使して追い込んだザルツだったが、そこへ割り込んできたリッチェル子爵家の当主ミカエルによって形勢は逆転。守勢に立たされてしまった形となってしまったザルツだったが、もちろんそんな程度で引き下がる筈はない。


「閣下の申される事、十二分に心得ております。ならば尚更、二人には閣下をお護りするすべについて質さなければなりますまい」


 ザルツが力技で商人子弟に話を振った。意地でもミカエルとは対峙しない方針であるようだ。しかし、そこはミカエルも織り込み済み。リシャールやカシーラではなく、ミカエルが前面に出てきた。


「当主殿。その問い、いささか違うのではないか思います」


「どのように違うのですかな」


「私の身は私自身が守ります。ですからファーナス君にもセルモンティ君にも、我が身を守る事が出来るかどうかをお尋ねなさるべきかと」


 これにはザルツも呆気に取られている。こんなザルツは初めて見た。リシャールとカシーラが憧憬どうけいの眼差しをミカエルに向けている。そりゃ、二人が子爵領へ同行すると言い出すのも無理はない。ザルツはミカエルが投げてきた質問をリシャールとカシーラに問うた。二人は共に今日までしっかりと鍛錬してきましたと返している。


「鍛錬だけでは、実戦で戦えぬぞ!」


「しかし日頃より鍛錬を行っていなければ、戦うどころの話ではございませぬ」


 ザルツからの言葉に、カシーラが反論する。カシーラの言が通り過ぎていて、ザルツが二の矢を放てない。


「我々は日々鍛錬を積み、事有りし時は行動を起こす事ができるよう、稽古を重ね精進してまいりました。実戦に立たざる得ない前準備は相応に行っておったつもりです」


「先ずは立たねば、戦えるのか戦えぬのか、明らかにはなりません」


 リシャールとカシーラの言葉に、ザルツは完全に押されている。こんな事があるのか。このいくさ、ザルツの負けだ。


「さぁ、皆さん。お茶にしましょう」


 そう言いながら、ニーナがジルと一緒に入ってきた。二人が皆に茶を差し出す。ジルはいつの間にか茶を配る役回りを覚えたようである。大変なお話ですねぇ、とにこやかに言いながら茶を配ったニーナが、リシャールとカシーラに顔を向ける。いきなり話し始める。


「大きな事をするのも大切だけど、目の前の事をするのも大切よ」


 いきなり話しだしたニーナに、俺とリサは呆気に取られた。商売の話をしている最中に、ニーナが割り込んでくるなんて、これまで一度もなかったからである。いつも控え目だったニーナの豹変ぶりに、俺とリサは何が起こったのかと、思わず目を合わせてしまったのだ。


「家族の人を説得できないのに、大きな事なんてできないでしょ。逃げちゃいけないわ」


 ニーナの言葉にリシャールとカシーラが凍ってしまった。要は子爵領へ行くなら家族を説得しろと言っているのである。それをやろうとしたセバスティアンは家族に捕らえられてしまった訳で、リシャールとカシーラにとって、ニーナが出してきたハードルはかなり高い筈。そしてニーナはミカエルにも矛先を向ける。


「閣下もお姉様に納得して頂いてからでなければいけませんよ」


 これにはミカエルもギョッとしている。ザルツを相手としても全く引かず、むしろ押しているくらいだったミカエルが、ニーナの言葉で固まってしまった。おそらくニーナが指摘しているように、ミカエルはレティを説得できてはいないのだろう。それはレティのやつれぶり・・・・・から見ても明らか。


「では、ごゆっくり」


 物腰柔らかく挨拶をするニーナ。しかしミカエルの弱点を蜂の一刺しが如く、容赦なく突いたニーナは中々の猛者ではないのか。そのニーナは会議室が沈黙する中、ジルを連れて部屋から出ていったのである。暫くして「確かに一理はあるな」と呟いたザルツは、リシャールとカシーラに顔を向けると、一つの提案を投げた。


「キチンと家族と向き合って説得したらどうだ。そうすれば子爵領に赴く障壁はなくなる」

 

 ザルツも策に窮していたのだろう。ニーナの話をそのまま自分の案として話したのだ。


「私としても、そうして頂かなければ親御様に顔が向けられません」


 今日、一度も話していなかったレティが、ザルツに同調した。これにはミカエルが眉間に皺を寄せている。おそらくは一番言ってもらいたくない人からの、一番言ってもらいたくない言葉だったからだろう。ザルツの話、いやニーナの話には説得力があったので、リシャールもカシーラも、最終的にはザルツの提案を受け入れたのである。


 リシャールとカシーラはザルツ立ち会いの下、明日に親と話し合うことが決まり、これにて一件落着。かと思いきや、突然リサがとんでもない事を言い始めた。なんとリサもミカエルと同行し、リッチェル子爵領へ行くと言い出したのである。これにはザルツがビックリしてしまい、リサに向かって怒鳴り上げた。


「いきなり何を言い出すか! 雑誌対策は誰がやると言うのだ!」


「貴族会議の開催が決まったのに、雑誌で戦っても仕方がありません。焦点はレジドルナに移りました」


 雑誌対策? もしや、これまでの雑誌記事。特にこちら側が影響力を行使できる『小箱の放置ホイポイカプセル』や『週刊トラニアス』を使って、あれこれ書かせていたのか? というか、リサ単独ではなく、ザルツの指示のように聞こえたな。二人で一体、どんな策動をしていたのだ?


「レジドルナに焦点が移ったからといって、お前が出る幕ではないだろう」


「私は一度リッチェル子爵領へ赴き、レジドルナへも訪問しております。幹線と支線も全て通っていますし、地域の状況は把握しています」


「だからお前が行く理由にはならんだろうが!」


 ザルツは烈火の如く怒っているが、リサは動じることもなく、ニコニコ顔を通したままだ。いきなりの展開に、ミカエルもリシャールもカシーラもキョロキョロして、どうすれば良いのか困っているようだ。怒るザルツに対し、今やレジドルナはノルデン注視の的であり、連中の動きを掣肘すれば自ずと貴族会議にも影響を及ぼしてくるとリサは力説する。


「だとして、お前が行く理由はなんだ?」


「アルフォード商会のプライドです」


「なにぃ!」


 リサの言葉にザルツが仰け反った。なんだそのプライドというヤツは。俺が疑問に思っていると、リサがザルツに詰め寄った。


「お父さん! グレンが襲われているのに、お父さんは黙って見ているだけですか!」


「・・・・・」


「他人にケジメを取ってもらうようなやり方なんて、私はイヤです!」


 流石のザルツも言葉が出ない。リサの放った言葉は痛烈だった。しかし「ケジメ」なんて言葉、どこで憶えたのだ、リサは。


「ですから、動けないお父さんに代わって私が行ってきます!」


「リサ!」


「ではお父さんが行かれますか? お兄ちゃんが行くのですか?」


「そんな事を言っているのではない」


「ファーナスさんや、セルモンティさんの子弟が一身を投げうってリッチェル子爵領へ行こうと言っておられるのに、グレンが被害者になっている我がアルフォードが誰も行かないなんて、笑い者になるだけです!」


「リサ・・・・・」


 リサの言にザルツは困り果てているようである。なんというか、難癖に近いような論法だもんな、リサの言っている事は。「ザルツもロバートも行く根性がないから、私が行ってあげる」と言っているようなものだからな。挑発しているとしか思えない。そのリサが、俺に聞いてきた。ダダーンことアスティンに同行してもらえないかと言うのである。


 ミカエルの襲爵式に際しては、陪臣のダンチェアード男爵を始め主だった者が王都に向かったので、リッチェル城の番をリサがやった。その時に同行したのがダダーンと配下の第三警護隊。その時と同じように付けてくれと言うのである。しかし今、警備団を派遣する為に忙しい『常在戦場』にそんな事を頼めるのだろうか。


「顔繋ぎをしてくれるだけでもいいから」


 リサがそう言ったので、俺は了解した。顔繋ぎだけなら約束できる。するとリサは「私を守るために『常在戦場』も付けるから、安心して!」とザルツにアピールしたのだ。確定なんか全然してないのに、あたかも決まったかのように話すリサのペテンに唖然とした。しかしリサのこの粘り腰に根負けしたのか、ザルツはリサの子爵領行きを認めたのである。


「分かった。その代わり『常在戦場』の警護が受けられないのであれば、認められんぞ。それでもいいのか?」


「ありがとう、お父さん!」


 リサがザルツにニッコリと微笑んだ。『常在戦場』の警備を受けるという、決まっていないどころか、相手に話すらしていないものを担保として了解したザルツ。これはリサの弁が勝ったというより、単にリサという娘に負けたのではないかと思う。俺も愛羅とやりあったら、こうやって丸め込まれるのかな。そんな事をぼんやりと考えていた。


 ――ザルツとリサは、リシャールとカシーラに同行して、一緒に街へ向かった。昨日の話、ミカエルに従いリッチェル子爵領へ赴く件について話し合う為である。話し合いはファーナス商会で行われ、親に捕らわれてしまったセバスティアンも、親と一緒に同席する事になったとリサが言う。何れにせよ、この話はもう、俺の手からは離れている。


 ただ、リシャールを説得しきれなかったという連絡を若旦那ファーナスに伝えた際は、後ろめたい気分になってしまった。魔装具越しにも肩を落としてるのが、ひしひしと伝わってきたからである。ただ話を聞いていると、息子リシャールを心配している以上に、セルモンティ商会とマルツーン商会に対する負い目の方が大きいようだった。


 というのも、これまでリシャールが強いリーダーシップを発揮して、セルモンティ商会の息子カシーラと、マルツーン商会の息子セバスティアンを引っ張ってきた。息子が巻き込んだという部分が、若旦那ファーナスには引っかかっているのだろう。要はファーナスの息子のせいで、ウチの息子がこんな事に巻き込まれてしまったという、アレである。

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