539 説得

 ファーナス商会は王都を代表する老舗商会であり、王都五大商会の一角を占めている。そしてジェドラ、アルフォードと並んで三商会陣営を主導している立場。対してカシーラの実家セルモンティ商会とセバスティアンの実家マルツーン商会は、共に三商会陣営に属している。


 故に両商会に配慮をしなければならない立場である若旦那ファーナスからしてみれば、リシャール達のリッチェル子爵領行きの話は頭の痛い問題なのだろう。しかしリシャール達が姿勢を崩す素振りを見せていない中、行くにせよ行かぬにせよ、しっかりと話し合わなければ両者後悔してしまうだろう。今、俺が出来るのは円満解決を願うのみだった。


 俺は寮に戻らず当面の間、屋敷で暮らす事になった。こんな身体の状態で生徒達に会うというのが、どうにも気が引けたからである。それにニーナの希望もあった。身体が動くまでは目に届くところにいて欲しいという、ニーナの願いを払いのけるなんて、俺には出来なかった。また、その方が俺も安心できたので、屋敷で暮らす事にしたのである。


 屋敷に住むことになった俺がまずやったのは、お礼の手紙。公爵閣下や執事長のベスパータルト子爵、ノルトとクラウディスの両騎士団を従えて上京してきたアウザール伯。それに見舞いに来て下さったボルトン伯やガーベル卿へのお礼を便箋にしたためたのである。親と一緒に来てくれたアーサーやリディアにも書いた。


 二人に手紙を書くのは初めてだったので、何か気恥ずかしい。後、取り組んだのは、専らリハビリ。早く回復させて、鍛錬は無理でもピアノぐらいは何とか弾けるようになりたい。だからとにかく身体が思い通りに動くよう、リハビリに取り組んでいるのだ。有り難いことに、ジルが側についてサポートをしてくれるので、安心してリハビリを行える。


「どうして、そこまで無理をするんだ?」


「無理をしなきゃ、治りが早くならないからさ」


 俺が言うと、ジルが呆れた顔をしてきた。しかし俺がモンセルから出た時より、かなり身長が伸びたよなぁ、ジルは。まぁ、それを置いておいて、このエレノ世界の医術というものは、現実世界のそれとは比べ物にならないぐらいレベルが低い。低いので、今の俺の身体を医者に見てもらっても、どうなっているのかが全く分からないのが実情。


 つまり、俺が松葉杖を借りずに歩くことが出来る方法を聞いても、答えなんか帰ってこない。結局は自力更生、自分でリハビリをして直すしかない訳で、それがエレノ世界の医術なのである。しかし考えたらトーマスなんか、俺がリハビリをしていた事に驚いていたな。そんなの初めて知ったと。もしかするとエレノ世界には、リハビリという概念がないのかもしれない。


 リハビリに疲れたので俺が執務室のソファーで休んでいると、ザルツが明るい表情で部屋へ入ってきた。どんな結論になったのかは分からないが、どうやら親子の話し合いそのものは上手くいったようである。結論から言えば、若旦那ファーナス始めとする三人の親は、息子達のリッチェル子爵領行きを承諾したそうだ。


 当初、子爵領に赴くという子供達と、引き留めようとする親達との話は平行線だったのだが、リサや『常在戦場』の隊士達も同伴するという話が出て、親側の態度が少し軟化したらしい。そこを熱心にリシャールらが赴くべき理由を話したので、カシーラの父セルモンティ商会の当主アフェルナード・セルモンティが了解したというのである。


「我ら商人を代表して行きたいと言われては、行くなとは言いにくい、とな」


 ザルツがセルモンティ商会の当主の言葉を教えてくれた。あいつら、そこまで壮語したのか。俺では出来ない芸当だ。そんな発想、俺には無かったので妙に新鮮な気持ちになる。セルモンティの当主は子供はいずれ大人になると、若旦那ファーナスやセバスティアンの父アトナーゾ・マルツーンを説得し、最終的にはリッチェル子爵領行きを了承した。


 リシャール達は、方法はどうあれニーナの与えた課題をクリアしたのである。もしあの時、ニーナが言っていなければ、親を説得する場自体設けられれなかったかもしれない。人間というもの、楽な方に歩もうとする生き物だから。セバスティアンのように正直に話して捕まってしまうより、言わずしてやり過ごした方が「賢い」と思っている者は多い。


 そうやって障壁を回避し、美味しい所を取るのが賢いやり方であり、処世術だと。しかしその時に回避しても、いずれぶち当たる障壁。ならば体力が無くなってからぶち当たるよりも、体力があるうちに当たった方が乗り越える事ができるもの。リシャール達は逃げることなく、正面から乗り越えられた。これは彼らにとって大きな糧となろう。


「出発は今日の夜だそうだ。ここから出るらしい」


「ここ?」


「屋敷の馬車溜まりからだ」


 人目を避ける為、黒屋根の屋敷の馬車溜まりから出発する手筈となっているらしい。ならば俺は下でミカエル達を見送る事が出来るのだな。リシャールとカシーラ、そして親に捕まっていたセバスティアンの三人は出発の用意をする為、ザルツと一緒に帰ってきたそうである。リサは? 俺が聞くと、ザルツが『常在戦場』の屯所へ向かったと話した。


「警護の話の詰め・・をすると言っておった」


 リサから所望されたダダーン率いる第三警護隊の同行。昨日グレックナーにいきなり告げた格好となったのだが、意外なことに「可能かも」という返事を貰っていた。というのも第三警護隊はレジドルナへ派遣される予定で、警備団の後詰として出発準備をしていたところ。既に用意をしているので可能かもしれないと話したのである。


 そこから後はリサに投げたので、詳細は分からない。ただ屯所へ向かったという事は、リサが思った方向。第三警護隊の同行警護が出来るという事なのだろう。しかしリサがやると、俺よりも目まぐるしいし、やり方が激しい。家族の中で激しさの順で並べるならばリサ、ザルツ、俺になるのは確実。もちろんその中にロバートはいない。


 夜になり、ミカエル達が出発する時間が迫ってきたので屋敷を降りると、馬車溜まりにはリサを始めとするリッチェル子爵領へ向かう一行が集まっていた。ミカエルと同行するのがリシャール、カシーラにセバスティアンだけかと思っていたら、他にも三人の者が同行するらしい。しかもその内の一人は女子生徒というのだから驚きである。


「べギーナ=ロッテン伯爵令嬢です」


 俺が気になったのに気付いたのか、セバスティアンがそう耳打ちしてくれた。伯爵令嬢ってあんた。そんな高位な身分の者がどうしてミカエルと同行なんてするんだ? 俺がセバスティアンに聞くと、どうやらミカエルは学園で共に行動してくれる同志を募ったらしい。ところが応援するとは言いつつも、同行する事に誰も手を上げなかったという。


 これはエレノに留まらず、現実世界でもよくあるパターン。声援と行動は全く違うからな。そんな中、誰も動かないのを見て業を煮やした伯爵令嬢が、ならば私が同行しますと名乗りを上げたというのである。いやいや、これは中々の猛者だな。確かに金髪の髪をポニーテールにしているので、貴族の娘にしては行動的なのが、容易に想像できる。


 後の二人はデグモンドという白騎士と、ショトレという色なし騎士。共にミカエルの話を人づてに聞いて、参じてきたそうだ。見るところ共にガタイは良い。デグモンドの方はミカエルの話を耳にして、その心意気に感じるものがあって参加したそうだが、ショトレは歩行訓練が大変だという理由なのが笑った。


 ショトレが言うには歩行訓練をしても得るものはないが、同行すれば間違えなく歩行訓練よりも得るものがあるとミカエルに言ったそうである。よくもそんな事をぬけぬけと言えるなと、セバスティアンは思ったそうだが、ミカエルは苦笑しながらも「一緒に行こう」と声を掛けてショトレの同行に同意したという。中々度量があるな、ミカエルは。


 『常在戦場』の第三警護隊の者も同行する為、馬車に乗ってやってきた。マニングを始めとする九人の女隊士が、二台の高速馬車に分乗してやってきたのである。マニングはダダーンが片腕だと頼りにしている第三警護隊の副隊長。俺の姿を見るなり駆け寄ってきたマニングは、俺の身体の事を気遣ってくれた。


 椅子に座っての応対だったので、すまないなと声を掛けると、ダダーンをはじめ隊員達が皆心配してましたよと教えてくれた。既に先遣隊が夕方に出発したそうで、マニング達は第二陣に当たる。急遽決まった出発の為、用意が出来た者から出立しているようだ。ダダーンは準備をしている残りの隊士らを纏め、第三陣として出発する段取りとの事。


 先遣隊は古参隊士のジャンボが率いているという。ジャンボは既婚者で、以前リサやレティと同行して、マニング達と共にリッチェル城に行った事がある。ダダーンが、私と同じように子供がいると紹介してくれた。あの時ジャンボと共に紹介してもらったスティルマンは、ダダーンと共に出発する予定だとマニングが話す。


 見送りは俺やザルツ、ニーナにロバート、ジルのアルフォード家の面々はもちろん、ファーナス家とセルモンティ家、マルツーン家の人々も駆けつけてきた。学園に駐在している第四警護隊長ファリオさんや隊士達もやってきて、俺の無事を喜んでくれた。そして襲撃事件で俺と共に戦った、第五警護隊副隊長リキッド・シュメールも顔を出したのである。


「おカシラ。よくご無事で」


「シュメールよ。よく戦ってくれたな」


「私は無事なのに、おカシラを守り通せず申し訳ありません」


「何を言うんだ! 俺だって今ここにいるんだから大丈夫だ。それより隊士達はどうなんだ?」


 もっとも気になっていた事を聞いた。殆どの者が大怪我を負ったという襲撃事件。最後まで立っていた隊士はシュメールを含めて三人のみだったと、グレックナーから聞いている。その最後まで立っていた隊士の内、顔を出してくれたのはシュメールの隣にいるトワレンという隊士。もう一人の隊士プマーストは、今日は休みであるそうだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る