536 構図の深層

 普通なら外戚になって権勢を拡大させる事が重要であるような気がするのだが、エレノ貴族達にとってそうではないようである。彼らにとっては宰相派と国王派が結束しない事の方が大切。しかしその概念を理解して飲み込んだとしても、宰相派と国王派の結束を貴族派の貴族達がそこまで嫌がるのかが理解できない。


「それは貴族派貴族の数と、国王派と宰相派を合わせた貴族の数を比べれば分かる話」


 そ、そうか! 貴族派総数が四十五、国王派二十五、宰相派二十。国王派と宰相派の和が四十五。四十五と四十五。完全拮抗を貴族派貴族が嫌がっていたのか。だから正嫡殿下とクリスとの婚約話が流れた瞬間、二派の結束を警戒する必要がなくなった。結束の名分自体が消えてしまった結果、貴族派各派の結束が緩むのは自明の理という事か。


「その証とは正嫡殿下と公爵令嬢との婚約・・・・・」


 俺が聞くと、宰相閣下は頷いた。


「そうだ。もしクリスティーナの婚約が決まっておったならば、間違いなく貴族派は結束していたであろう」


 そうだったのか・・・・・ 正嫡殿下とクリスの婚約は宰相閣下の権威拡大ではなく、国王派と宰相派の結束を示すシンボルだったのか。乙女ゲーム『エレノオーレ!』の設定の裏に、このような内情が隠されていようとは想像だにしなかった。恐らくエレノ製作者が考えた事ではないだろう。これは悪ふざけしかやらぬ連中が思いつくような話じゃない。


 連中にそんな能があるなら、エレノ世界がこんな滅茶苦茶なインチキ世界にはならず、整然とした世界になっている筈。ところが適当に奴等が作った設定のせいで、人々がそのように振る舞い、そのように動かなくてはならなくなっているのである。言ってしまえば、その馬鹿げた設定に合わせるべく、ぐちゃぐちゃになっているだけだ。全く以て罪深い。


「そうなってくると貴族会議の開催に必要な、全貴族の三分の一の賛成なぞ、即座に集まり貴族会議の建議は成立しただろう」


「では御婚約が白紙になった事で・・・・・」


「貴族派各派の足並みが乱れ、貴族会議の建議が容易為らざる状況と相成ったのだ」


 宰相閣下の話は、俺が考えていた事を根底から突き崩すものだった。貴族派各派の足並みが乱れたのは、俺やクリス、レティがあれこれ動いたそのと思っていたのだが、そうではないというのだから。まさか、正嫡殿下とクリスの婚約が白紙になった事に端を発するなど、誰が想像できるというのだろうか。


 元々、貴族派各派の足並みが乱れる徴候があったのだが、そこに俺達が動いた事によって、結果としてそのヒビにくさびが打ち込まれる形となった。もし宰相閣下が申されているのが事実ならば、話は全く変わってしまう。今まで俺達が「主」だと思って動いていた、あるいは動かしていたと思っていた事が、実は「従」であったとなるのだから。


 結論的なものを言うならば、宰相閣下は全て承知の上で動かなかった事になる訳で、言い方が悪いのかも知れないが、俺達は宰相閣下の掌で踊っていたに過ぎないと。いやはや、政治というものは恐ろしい。宰相閣下の視点と俺の視点のズレが激しすぎて、理解するのも大変だ。こんな世界、俺にはまず無理な世界。ザルツじゃないと手に負えない。


「じゃが、まさかアウストラリス派とランドレス派の両派内があそこまで崩れるとは思わなかった。あれは明らかにそち等の力によるもの。が、それ故にウェストウィック公が入り込む余地が広がったとも言えるのだ」


「ウェストウィック公が良からぬ事を考えた因が、そこにあると申されるのですか」


「そうじゃ。アウストラリス公等が、自力で建議出来なくなったその時、ウェストウィック派の存在感を見せつける事が出来たからの」


 宰相閣下が言うには、アウストラリス公に大きな貸しを作り、ウェストウィック公とウェストウィック派の存在を最大限示す事ができた。その存在感を背後として、宰相閣下にも圧力をかけているのだという。今やアウストラリス公の野心を叶えるのも、宰相閣下の命脈もウェストウィック公が握った。そう表現してもおかしくない状況が生まれていると。


「有り体に申せば国王派と我が派が結び、貴族派が纏まったところを中間派がいずれの側に付くのかというのが、本来の話であった」


 ゲームのシナリオと一致する話を宰相閣下が始めたので驚いた。先日ボルトン伯も同じ認識を示していたので、エレノ貴族のプレイヤーにとっては、ある意味共通認識なのかもしれない。しかし現状はゲームシナリオとは大きく異なる。中間派が我が方と結び、貴族派の結束が乱れた事でその構図が崩れたと、宰相閣下は話す。


 その機に乗じ、ウェストウィック派が本来中間派が取るべきポジションだった天秤を手に持つ地位に立ったのである。ウェストウィック公は、二つの勢力を手に持つやじろべえ・・・・・となったとも言えよう。貴族会議の場において、自身が宰相支持を打ち出すか、アウストラリス公と共同戦線を張るかの選択で状況が一変する。


 全てはウェストウィック公の胸先三寸。それは分かる。分かるが、それだけではウェストウィック派が主導権を握ったとは言い難いのではないか。というのも国王派宰相派連合と貴族派がそれぞれ四十五のところ、中間派が貴族派付いて事が決したというゲームシナリオの中間派の立場と、ウェストウィック派の置かれた状況が余りにも違うからだ。


 現在、貴族会議開催の建議成立後の状態を見ると、アウストラリス陣営は三十にも満たない。対して宰相側が六割以上を抑えており、圧倒的に宰相側有利の状況である。今の状況下でウェストウィック派がアウストラリス陣営に付いても四割弱の勢力でしかなく、それでは貴族会議の過半数を制する事など夢のまた夢だろう。


「いや、ウェストウィック公には切り札がある」


「き、切り札・・・・・ ですか」


 何だその切り札というヤツは。この上にまだ何かあるのか・・・・・ 俺は宰相閣下から出てきた言葉に唖然とした。


「アルフレッド殿下の婚約話だよ。婚約話を振れば、心動かす有力諸侯、高位家もおるだろうて」


 あ! そうか・・・・・ クリスとの婚約が立ち消えになった事で、正嫡殿下との婚約話そのものがウェストウィック公が使えるカードになってしまったと言うのである。婚約話が流れたお陰で貴族派の結束が乱れ宰相有利の情勢となったのに、それがウェストウィック公の武器になろうとは何たる皮肉。


 ウェストウィック公の武器はそれだけではない。ウェストウィック公爵家はマティルダ王妃の実家であり、ウェストウィック公は実の弟という立場である。正嫡殿下の婚約話と王妃の実弟。この二つの武器を最大限活用して、宰相側に付いた貴族を切り崩しにかかるという訳だ。実に自然で無理のない、合理的な見立てである。


「建議の時とは違って、貴族会議に出席できるのは直臣のみ。家の規模ではなく、家の数が大きな意味を持つ」


「では陪臣の方々は・・・・・」


「出席する事も叶わぬ。当然ながら議決権もない」


 なんと! 貴族会議開催の建議には委任状を出して一票を行使できるのに、貴族会議には参加できないとは! 宰相閣下の予想外の話に当惑した。王国と直接よしみを結んだ者の意見を聞く場として、貴族会議が存在しているのだと宰相閣下は言う。その趣旨から、王国と直接主従関係を結んでいない陪臣は含まれぬのだと。


「我がノルト=クラウディス家も一家という扱い。我が家が抱える者達の数は意味を為さない」


「家の規模とは関係なくと・・・・・」


「そうだ。規模に関係なく一家。派閥の力も直臣の数で決まってくる」


 知らなかった・・・・・ 陪臣というもの選挙では一票を行使できるが、国会で一票を行使できない国民みたいなものだとは。とはいえ、一票を行使できるだけマシと言えるかもしれない。そもそもノルデン王国の民衆には、その一票を行使する事すら出来ないのだから。日本国民はエレノ貴族の陪臣と同格というのが、この世界の厳しさを現している。


「これまでは各方面に配慮しなければならなかった。それが王国の政務を預かる宰相の務めであったからな。しかし貴族会議に下駄を預ける事になった以上、最早配慮をする必要はない」


 ノルデンに下駄があったのか! 俺はその方が気になってしまった。そんな俺の疑問をよそにして、閣下は宰相としてではなく宰相派であるノルト=クラウディス派の領袖として振る舞うのだと力説している。なるほど、宰相派ではなくノルト=クラウディス派か。よく考えたら全貴族の二割を占めるノルデン貴族最大派閥だ。


「アルフォードよ。そち等の動きに負ける訳には行かぬ。勝負をする覚悟が出来たぞ!」


 宰相閣下が意気込みを語る。いやいや、俺達と競争をする話じゃないと思うぞ。しかしどのような勝負をするというのか? それを聞こうと思ったが、宰相閣下の闘志がそれを阻む。一人気合が入っている宰相閣下。どこで閣下のスイッチが入ったのかは分からないが、アウストラリス公やウェストウィック公らを相手に、戦う気満々のようである。


「このチャールズ・アーチボルド・ジョージ・ノルト=クラウディス。存分にやらせてもらおう」


 高揚感に包まれた宰相閣下は、俺に自宅でしっかりと静養するようにと言った。そして如何なる結果になろうとも貴族会議が終わったら顔を合わせようと約束すると、そのまま部屋を退出された。もしかすると宰相閣下は、俺との話で踏ん切りがついたのかもしれない。どの辺りがポイントだったのか、俺にはサッパリ分からないのだが。


 久々に宰相閣下と顔を合わせた上、サシで話す事が出来た。クリスと共にノルト=クラウディス公爵領へ向かう直前の時、以来じゃないかと思う。せっているクリスと言葉を交わせなかったのは残念だが、何か区切りがついたような気がする。俺はこの日、ノルト=クラウディス公爵邸を後にして、黒屋根の屋敷へ戻った。

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