535 標的は俺

 襲撃犯の狙いは俺。ノルト=クラウディス公爵令嬢のクリスでもなく、リッチェル子爵夫人のレティでもなく、俺。宰相閣下から伝えられた事実は、ある程度は覚悟していた事だとはいえ、限りなく重いものだった。この現実から逃れられない今、出来るのはお詫び。俺の眼の前にいるクリスの父、ノルト=クラウディス公に詫びる事しか無かった。


「閣下。申し訳ございません。私の不始末の為、御令嬢を危険に晒すような事態を招き、お詫びのしようもございません」


「アルフォードよ、何を言うか。仮に彼奴らの狙いがアルフォードであろうと、最後の狙いは余であることに変わりはない。狙いが余である以上、娘も同様」


 理屈の上では宰相閣下の言う通りだ。俺を狙ったというレジドルナの冒険者ギルドの登録者。その背後にはトゥーリッド商会がおり、更にその後ろにはレジドルナ行政府の守護職ドファール子爵が控えている。そしてドファール子爵の後ろには・・・・・ 貴族会議を建議した貴族派第一派閥アウストラリス派の領袖、アウストラリス公がいるのだ。


 しかし相手側は宰相閣下に仕掛ける前に、俺を倒すことが必要だと認識した。だから襲撃してきたのだ。もちろん相手側と一口に言っても、誰が決意したのかは分からない。レジドルナの冒険者ギルドなのか、トゥーリッド商会なのか、はたまたフェレット商会なのか。誰の指示なのかは不明だが、俺を狙って襲いかかってきたのは紛れもない話。


 もし俺があの時、リンドの言葉を重く汲んでいれば、クリスやレティらと行動を共にせず、二人を災厄から守る事が出来た筈である。ところが俺はそれをしなかった。もちろんリンドが遠巻きに言ってきたのは事実。しかし遠巻きに言わせるように仕向けたのは他ならぬ俺であり、その点において俺の責任は免れないだろう。


あの時、参謀のルタードエや調査本部長のトマールと共に黒屋根の屋敷へやってきたリンドは、万が一に備えて俺に警備を付けると言った。リンドは王都に潜んでいるレジドルナの冒険者ギルドが、俺を狙ってくる事を危惧していたのだ。ところが俺の反応が悪かったので「万が一」という言葉を使ってぼやかしたのだろう。


 ぼやかしたのは確かにリンドだが、それを強いたのは他ならぬ俺。俺がリンドの言葉をしっかりと聞く姿勢を見せていれば、おそらくリンドは直言してくれただろう。俺は人に、あれこれ構われたくなかったのである。自由気ままで居たかったから、容易に警備の話題をさせないように仕向けた。その振る舞いがこのような事態を引き起こしたのだ。


 俺の振る舞いが原因なのは明白であり、全ては俺の責任。俺はつくづく組織の責任者に向いていないと思う。人に直言させないというのは、聞き入れるだけの度量そのものが無いのだ。その原因は自己都合を最優先にするからで、その点を考えれば俺は明らかにリーダーには不向き。十分に分かっていた事ではあるが、今回の件でそれを改めて実感した。


 宰相閣下は、襲撃者が俺をターゲットにしている事を知った後も、俺を責める事はなかった。一人娘であるクリスが乗る馬車が俺のせいで襲撃されたのだから、なじられたとしても文句は言えない。何しろ俺が原因なのだから。もし愛羅がクリスの立場であったならば、黙っている自信がない。食って掛かってしまう可能性だってある。


 しかし宰相閣下はクリスの事には一切触れず、相手側の最終的な目標は自分であると言い切った。相手側が俺をターゲットにしたのは、宰相閣下を狙う為の通過点だと考えたのである。宰相閣下は自身の置かれた状況を極めて冷静に分析されていた。もし俺がそのような視点を持てていたら防げていただろうと思うと、本当に悔しい。


「そちやクリスティーナ。リッチェル子爵夫人らの懸命の努力。礼を申すぞ」


「閣下!」


「しかしながら、お主等に報いる術が無いのは慙愧の念に堪えぬ」


「閣下。残念ながら貴族会議の開催を阻止する事叶いませんできた。阻止できなかった以上、その礼、受け取る訳には参りませぬ」


 宰相閣下の言葉に、思わず本音が出てしまった。いくら貴族会議の開催阻止の為に粉骨砕身。必死に動き回ろうとも、開催が決まってしまえば無駄な努力。価値のない勝ちがないように、価値のある負けというのは存在しないのである。だから勝ちにするべく、皆が全力で動いたのだが、しかし結果は敗北に終わった。


「まさかウェストウィック公があのような奸計を仕掛けてこようとは・・・・・ 恥ずかしながら、全く予想だにしておりませんできた。私の不明、お許し下され」


「何を言うか、アルフォードよ」


 頭を垂れた俺は、ただただ悔しかった。悔しさが一度口に出れば止まらない。


「そもそもの因は、正嫡閣下と公爵令嬢との婚約話が流れた事でございます」


 そうなのだ。このボタンの掛け違いの始まりは、正嫡殿下アルフレッド王子とノルト=クラウディス公爵家の令嬢であるクリスとの婚約話が事前に漏れてしまい、婚約そのものが流れた事から始まっている。そこからこの世界の歯車が狂い始めてしまった。そして今は、ゲームシナリオとは全く別物の話に変わってしまったのである。


 もし、あの時に婚約が成立していれば、正嫡殿下の叔父であるウェストウィック公が、妙な動きを取る事なぞ出来なかった筈。ゲームに直接出て来ないキャラクターであるウェストウィック公が、こんな形でウェイトを持つなんて・・・・・ 今までは思わないようにしてきたが、ウェストウィック公の裏切りを考えると悔しくて仕方がない。


「そちは知っておったのか!」


 宰相閣下は俺が婚約話を知っていたのに驚いている。そもそもシナリオでそうなっているのだから、ゲームをやり込んでいる俺が知らない筈がないではないか。ただゲームのクリスが正嫡殿下にご執心だったのに、リアルのクリスが全くその気がないという方が、驚きとしてはずっと大きい。それにリアルのクリスは、ゲームと違って可愛いじゃないか。


「本来ならば御二人の御婚約がつつがなく執り行われる筈でした。それを誰かが情報を流したせいで・・・・・」


「白紙となったのだ」


 やはりそれで白紙になったのだな。宰相閣下は事実を肯定した。


「あの件がなければ、今回のような動きなど、起こることすら無かったでしょう」


「何を申しておる」


「そうすれば、貴族会議の招集なぞ、最初から俎上に上がらなかったに相違ございませぬ!」


 話している内に悔しさで涙が出てきた。エレノ世界こちらに来てから、これまでに一度たりとも泣いた事なんて無かったが、この件は本当に悔しい。この胸の奥底から湧き上がってくる悔しさは一体何なのだろう。これまで体験したことがない悔しさだ。よくよく考えれば今までの人生、何かを賭けてやってきた事など、一度として無かったな。


「アルフォード。それは違うぞ」


 違う! 宰相閣下の言葉にハッとした。何が違うと言うのだ?


「仮にそちが申すように婚約が成立しておったならば、エルベール公やドナート侯らが、アウストラリス公から離れる事なぞ無かったであろう」


「そ、それは・・・・・」


「そもそもアルフレッド殿下とクリスティーナの婚約は、国王派と宰相派との更なる結束を陛下がお望みになったところに端を発する話。ところが何処からか露見したが為、陛下が貴族派の諸侯の動きを憂慮なされ、見合わせになられたもの」


「動きを憂慮とは、一体?」


 俺は思わず聞いてしまった。宰相閣下が言われるにはクリスが殿下のお相手として最有力であったものの、アウストラリス公の令嬢やエルベール公の実弟リッカード伯の令嬢、それにバーデット侯爵令嬢も妃候補に挙がっていたというのである。王宮からの発表であれば皆が収まるが、事前に漏れ伝わってしまえば、愚弄しておるのかとなると言うのだ。


 最初、俺にはその理屈が分からなかった。事前に漏れるのが、どうして愚弄されたと捉えられるのかというロジックについて、全く理解できなかったのである。当初これがエレノの感覚よ、といった程度にしか感じなかったのであるが、宰相閣下の話を聞くうちに、徐々に話の概要が見えてきた。


 各家に妃候補がいるのにクリスが相手と事前に情報を流して、最初からお呼びでない言いたかったのかと、有力諸侯が怒るのを国王陛下が憂慮したというのである。要はウチの娘は当て馬なのかと抗議されるのを恐れた訳だ。現に婚約発表前に露見した際には、宰相閣下がこれ見よがしに流したのだと言われてしまったのだという。


 それは単なる勘違いに過ぎないのだが、口で説明するだけでは誰も信用しない。しかも当て馬が如き扱いというのは、貴族にとってこの上もない屈辱であるという。国王フリッツ三世は当初婚約話を推し進めるつもりであったらしいが、貴族達の怒りを恐れて、最終的には正嫡殿下とクリスの婚約話を白紙にしたという次第である。


「誰しも痛くもない腹を探られたくはあるまい」


 宰相閣下はそう言った。自分が流す筈がないと言いたかったのだろう。それはフリッツ三世も同じ。だから発表前に白紙にし、正嫡殿下とクリスとの婚約そのものを最初から無かった事にしたのである。大人の事情であったものを無かったものにされた二人は、一体どう思ったのだろうか? 当事者に聞くのも気が引ける話だ。


「あの話が白紙になった事で、諸侯らが結束して動くことは無くなった。結束する必要が無くなったからだ」


「それはクリ、いや公爵令嬢が正嫡殿下の婚約者では無くなり、他の候補の方が候補者になり得るからですか?」


「もちろんそれは否定できない。だが、それ以上に国王派と宰相派が不可分の結束を行うあかしがない事で、貴族派の側も結束すべき名分が無くなってしまったのだ」


 普通なら妃候補を巡って各貴族が外戚の地位を確保すべく、仁義なき戦いを展開するパターンなのだろうが、実際にはそうではないという。宰相閣下の言はにわかに信じ難いものであったが、貴族派の有力貴族達にとっては、外戚の地位よりも国王派と宰相派の結束の可否が重要だというのである。

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