533 リディア来訪

 このエレノ世界という所、現実世界と大きく違う部分がある。それは人々の興味という部分にまで、カーストが根付いている点だろう。特に貴族子弟が多数を占める学園においては、それが顕著。内容が如何にセンセーショナルなものであろうとも、関わった者が身分が低ければ、それよりも地味な内容であっても、身分の高い者の話題が大きくなるのだ。


 例えば俺とコルレッツがいくら激しくやりあっていても、実際に話題になるのはミカエルの襲爵式の方。アイリが俺に加勢しても話題にすらならないのに、クリスが加勢してくると皆が一斉に食いつく。高い身分というのなら、クリスと同じ扱い。それじゃ困るよなと、アーサーは言いたいのである。


「今の学園はクリスの話題一色なのか」


「『週刊トラニアス』と『小箱の放置ホイポイカプセル』が号外を出したんだ」


 『週刊トラニアス』が「ノルト=クラウディス公爵令嬢、襲撃さる!」、『小箱の放置』が「公爵令嬢、レジドルナの冒険者ギルドに襲撃される!」との見出しを打って報道しているというのである。ああ、リサだなこれは。俺は直感した。記事は共に、クリスが乗る車列をレジドルナの冒険者ギルド登録者が襲ったという内容。


 その襲撃犯に対し、ノルト=クラウディス公爵家の衛士と『常在戦場』の隊士達、そして俺が身を張って戦い、多数の怪我人を出しながら公爵令嬢を守ったと伝えているらしい。おいおい、そんな話になっていたのか! 記事を見たアーサーは、それで俺が怪我を負ったのを知ったという。では、ボルトン伯も二誌から俺の事を知ったのだろうか?


「いや、それは違うと思う。だってお前がいる場所を知ってたんだから」


 そうか。アーサーの説明に合点がいった。記事には怪我人が何処に運ばれたのかについては書かれていなかったら、俺がいる場所なんて全く分からない。にも拘わらずボルトン伯は知っていたので、違うルートからの情報だろうというアーサーの読みには説得力がある。いずれにせよ、襲撃の話が誰しも知っているのは間違いない。

 

「今日、歩行訓練で街を巡回した時も、この話一色だ。通りがかりの民衆から「レジドルナをやっつけないのか?」と言われて困ったよ」


「なんだそれは!」


「公爵令嬢が襲われたのが許せないって。だからレジドルナを倒せと」


 そんな事が今日、何回あったか。アーサーがウンザリといった感じでそう話す。アーサーは剣技を専攻していた為、街に繰り出して大盾を持ちながら行進するという歩行訓練を連日行っていた。これは学生差配役である剣聖スピアリット子爵が主導して行われているものだったが、そこへ民衆が声を掛けてきたというのである。


 公爵令嬢が通うサルンアフィア学園の生徒が、この襲撃を黙って見ていていいのかと。スピアリット子爵からの指示に従って街を巡回しているだけなのに、民衆からそのように迫られる。しかもその理由が無茶苦茶過ぎて、こじつけにすらなっていない。そんな理由にもならぬ理由で迫られたって、生徒達が困るじゃないか。


「小麦価格の無茶加減で、民衆の我慢ももう限界だ」


 街を回れば、ひしひしと感じると、アーサーが言う。毎日、歩行訓練と称して街を巡回している生徒達にも、疲労の色が日に日に濃くなっているという話は、事態の深刻度が増している事を示している。今や民衆も生徒の方も、一刻の猶予もない状況にあるようだ。そんな話をしていると、執事がアーサーを呼んだ。ボルトン伯が帰るとの事である。


「グレン、早く回復しろよ。学園で待っている」


 分かったよと返事をすると、この話は俺が学園に帰ってきたら、じっくりと聞かせてもらうぞ。笑いながらそう話したアーサーは、部屋から立ち去っていった。俺は一人、部屋に取り残されたような感じとなったが、ずっと誰かが居るような状況から、ようやく開放された気もする。ふと後ろを振り向くと、頭の横に商人刀『隼』があったのでホッとした。


 昨日のように寝たままで動けなかった状態とは違い、今日は身体を起こせるようにはなったものの、あまり回復していないからか少し動かすだけでも鈍痛が走る。それでもベッドから立ち上がろうと何回か挑戦したのだが、結局の所それは叶わなかった。なので身体が動くようになるには、もう少しかかるだろう。


 ――俺がベッドから立ち上がる事が出来るようになったのは、三日目の昼の事だった。トーマスの手助けを受けて、ようやく立ち上がられたのである。助けを借りてとはいえ、立つ事が出来たので、正直ホッとした。というのも、介助を受けてベッド上でトイレをするのが耐えられなかったからで、何としても自力でやらねばと思ったのである。


 トーマスの話によれば、クリスの方はまだ回復していないらしい。それほど衝撃が大きかったのだろう。クリスを励ましてやりたいが、俺もこんな状態だし、ここは公爵邸なのでおいそれとは動けない。今の俺が出来る事はといえば、クリスの回復を祈念して、トーマスとシャロンに言付けを頼むくらいなもの。人間というもの、実に非力なものだ。


 執事が松葉杖を持ってきてくれたので、それを使って歩行練習を続けた。人生で初めて使う松葉杖だが、これが中々難しい。慣れない上に身体のあちこちが痛いので、思うように歩けない。途中トーマスに代わったシャロンが見ても危なっかしいらしい。少し休んだらとシャロンは言ってくれたが、いつまでも公爵邸の世話になる訳にはいかない。


「おお、グレン。もうそこまで回復したのか」


 部屋に入ってきたザルツが驚いている。先程、俺の様子を見に来た医者も、リハビリをやっている姿を見て、驚異的な回復だとビックリしていたな。だが、凄いのは俺じゃない。これというのも全てはアイリの神聖力のおかげ。しかし、それは誰にも言えない話である。ザルツは俺に着替えを持ってきてくれた。ニーナからの言付けらしい。


 実は『収納』で下着一切に至るまで持っているのだが、それをザルツには言えなかった。しかし、何よりもニーナの心遣いが本当に嬉しい。ウチの母親じゃ、こんな事など、まずしてくれないだろう。ニーナの方がずっと母親らしい母親だ。ザルツは、俺が少しはマシになったかと思って、様子を見に来たようである。


「この調子なら、早く屋敷へ戻れそうだな」


「ああ。そのつもりでやっているんだ。出来る限り早く戻ろうと思う」


「グレン、無理は禁物よ」


 シャロンが心配そうに言ってきた。気遣いは嬉しいのだが、公爵邸に身を寄せるというのは、やはり肩身が狭い。ここは多少は無理をしても屋敷に戻らないといけない。そうでなければ貸しが増えてしまう。俺が何よりも欲しいのは自由。しかし自由というものが、これ程大切なものなのかと、最近になって強く意識するようになった。


「グレン、本当に大丈夫か?」


「大丈夫だと思う。寮には戻らず、屋敷で静養するからな」


 俺が答えると、ベスパータルト子爵が部屋にやってきて、客人の訪問を告げてきた。宮廷騎士のガーベル卿が見舞いに来られたというのである。ガーベル卿が部屋に入ってくると、リディアと姉のロザリーまでがいるので、思わず二度見してしまった。それは俺だけではなくシャロンも同様で、いつも冷静なのに目をパチクリとさせている。


「グレン! 本当に大丈夫なの!」


 俺を見るなり近づいて抱きついてきたリディア。イタイ、イタイ、痛いから。そんなの関係なくギュッと抱きしめてくる。俺が大丈夫だと言うと、嗚咽が聞こえた。リディアが泣いている。


「ど、どうして、こんな事に・・・・・」


「分からない。分からないけど、大丈夫だから・・・・・」


 そう言うしかなかった。それでも俺から離れないリディア。見かねて姉のロザリーが引き離してくれたので、俺はようやく開放されたのである。リディアが「心配したんだよ」と言ってきたので、「心配をかけて済まない」というのが精一杯だった。ガーベル卿が「見舞いの相手を心配させてどうする」と言って、リディアをなだめている。


 それでもリディアは感情が高ぶっているようで、『週刊トラニアス』を見て俺が重傷なのを知り、頭が真っ白になったと必死になって言ってきた。自分だけでなく、フレディもすごく心配しているのよと、心の丈をぶちまけるように話す。その思いが伝わってくるので、聞けば聞く程申し訳ない気持ちになる。


 そんなリディアを見たからだろう。シャロンとベスパータルト子爵が気を利かせて席を外した。リディアがあれこれ言っているのを皆が黙って聞いている。リディアが俺の事を心配して言い続けている訳で、俺は何も言えなかった。娘が落ち着いたのを見計らったガーベル卿が、ザルツに向かって挨拶する。


「この度の件、改めてお見舞い申し上げます」


 ガーベル卿からの挨拶に頭を下げるザルツ。俺がザルツを紹介し、ガーベル卿はリディアとロザリーを紹介する。俺からすれば実に不思議な光景。よく分からないが妙な気分だ。ガーベル卿は俺が襲撃を受け、身動きが出来ない怪我を負ったと聞いたが、見た所回復しているようでビックリしたと話す。


「殿下も大変御心配なされており、何故このような事態になったのかと憂慮なされております」


 やはりそうか。ガーベル卿は自身が仕える第一王子ウィリアム殿下の命を受け、俺の見舞いに来たのだな。ザルツが俺とガーベル卿を交互に見ている。一体どんな関係なのかと聞きたいのだろう。ガーベル卿が言うには、俺や『常在戦場』の隊士らが身を挺して公爵令嬢を守ったと、王宮内でもこの襲撃事件の話一色らしい。


「王女殿下もアルフォードの容体はどうなのじゃと、お聞きになっておりました」


 エルザ殿下が? 一瞬笑ってしまいそうになったが、神妙な表情で話す、リディアの姉ロザリーの顔を見て、それを抑え込む。どうやらウィリアム殿下もエルザ殿下も俺の事を心配してくれているようだ。しかし、あまりに身分が違う人物からの心配をどう受け止めれば良いのか分からない。身分制という概念が現実世界ではないので、こういう時に困る。


「我が愚息が為、格別の御配慮。恐縮に存じます」


 ザルツが言った言葉に合わせて、頭を下げる選択肢しか俺にはなかった。

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