528 愕然

 奇跡。医者は俺の傷口が塞がっているのを見て、そう言っていた。しかし回復した理由については何も言ってはいない。もし医者に向かって神聖力についての話なんかしようものなら、聖女扱いされたアイリがあちこちに連れ回されてしまうのは明らか。これは口が裂けても言えるような話じゃない。


「奇跡って・・・・・」


 クリスが呟く。驚いているようだが、反応が薄いのは、突拍子がなさ過ぎて、理解が追いつかないからだろう。


「この奇跡は、アイリの神聖力の為せる業。レティも持っている能力だ」


「私・・・・・ アイリスと違って、そんな力なんてないわよ」


 レティが困ったといった感じで答えた。いやいや、あるって、あるって。俺の目の前で見せたじゃないか。国立ノルデン病院で見せた【邪気一掃クリアランス】だ。オルスワード戦で邪気に冒されたモールス、ブランシャール、ド・ゴーモンの三教官を聖属性魔法で祓ったあれなんか、どう説明する気なんだ、レティは。


 大体、襲撃の時にハッキリと分かったが、いくらインチキなこのエレノ世界であろうと、リング外で強力な魔法を使える人間なんて一握り。その中にアイリとレティが居るんだ。二人は共に聖属性を持つこの世界のヒロイン。使える聖属性魔法は異なれど、神聖力を持っている事に、何ら変わりがない。


「レティ。アイリはどんな魔法を唱えたんだ?」


「・・・・・分からないわ。ベッドで横たわるグレンの姿を見るなり、大声で叫んだのよ。そうしたら一面に光が・・・・・」


 どうやらレティも、アイリがどんな魔法を唱えたのか分からないようだ。いや、話を聞くにレティはおろかアイリ本人でさえ、どんな魔法を唱えたか分かっていないのではないか。半死状態の俺を見たアイリがショックの余り、感情が爆発してしまって神聖力が発露した。要は魔法は魔法なのだが、詠唱さえも不要な魔法が発動したような感じなのだろう。


「無意識で魔法を唱えた格好になったんだろうなぁ」


「・・・・・でしょうね。私には無理よ、そんなの」


「いや、出来るさ。今のこの世界で二人しかいない聖属性を持つ一人なんだから」


 そう言うと、レティは沈黙してしまった。レティはクリスと違って、少し離れたところにいるので表情が見えない。もしかしたら今のレティにとって、俺の言葉は少し重すぎたのかもしれない。何しろ俺もこんな状態なのに、アイリまで倒れてしまったのだから。部屋の中は沈黙が支配してしまい、空気が淀んでしまっている。なので俺は話すことにした。


「皆が無事で良かったな」


「ああ」

「うん」


 俺がそう言うと、トーマスとクリスが返事をしてくれた。しかしレティの声が聞こえない。やはりさっきのやり取りは、レティにとってキツかったのかもしれないな。トーマスが俺に話しかけてくる。


「でも代わりにグレンが大変な事になってしまった・・・・・」


「代わりじゃないよ。いきなり無茶を言って済まなかったな」


「あんなもの無茶でもなんでもないよ。グレンが足止めしてくれたお陰でお嬢様をお守りすることが出来た。感謝しようがない」


 トーマスは俺に頭を下げてきた。いやいや、トーマスがいたから、あの時確認しに行くと言って、飛び出せたんだ。トーマスがいなかったら、間違いなく判断が鈍っていただろう。


「お父様に連絡をしておいた。『常在戦場』の団長にもだ」


「早馬を飛ばしたのか?」


「違う、魔装具だよ」


 トーマスが手に持っていた魔装具をかざした。一体どうしたんだ、それ。トーマス。お前、そんなもの持ってたのか?


「お父様から預かったんだよ。連絡してくれって」


「ザルツからか?」


 俺が聞くと、トーマスが頷いた。話を聞くと、昨日連絡を受けて公爵邸に来訪したものの、俺を動かせる状態ではなかったので、その場を引き取ったというのである。薄情だと思われるかもしれないが、ここはノルト=クラウディス公爵邸。病院なんかとは違う。貴族であるノルト=クラウディス家に、平民のザルツが遠慮した形。


「だから、もうすぐ来られると思うよ」

 

 トーマスからの連絡を受けたザルツは「すぐにお伺いします」と答えたとの事。魔装具は便利だよ、遠くにいる相手の声が聞こえて直接確認できるので、早馬なんかよりも確実だというトーマス。まぁ、スマホと同じようなものだからな、魔装具は。アプリが少ないだけで。俺とトーマスが話していると、部屋に誰かが入ってきた。


「テオドール様!」


 クリスが立ち上がって、ドアの方に身体を向けている。テオドール様とは、ノルト=クラウディス公爵家の一門の長であるクラウディス=ディオール伯だ。クリスから見れば母の兄、つまり叔父に当たる人物で、宰相閣下の義兄でもある。クリスがテオドール様と慕う、クリス最大の庇護者がどうしてこの部屋にやってきたのか。


「アルフォードの状態はいかがなっておるか?」


「はい。身体の方はまだですが、意識は取り戻しました」


「それは良かったな」


「はい」


「御心配いただきまして、感謝致します」


 俺はクラウディス=ディオール伯に礼を述べた。少し離れた所に立っているのか、俺の視界にはクラウディス=ディオール伯が入っていないのだが、俺の症状について聞いているので、礼だけはしておかなければならないと思ったのだ。そのクラウディス=ディオール伯、姪であるクリスに話があると誘っている。どうやらそちらが訪問理由だったようだ。


「テオドール様。今この場でお話し頂いて構いません。ここにいる者は皆、同志でございます」


「クリスティーナ・・・・・」


 クラウディス=ディオール伯の声で判断するに、かなり驚いているようである。そりゃそうだ。貴族。それも貴族中の貴族であるノルト=クラウディス公爵家の令嬢の口から「同志」などという文言が出てくる事自体、あり得ない話。俺もまさか、クリスの口からそのような言葉が出てくるなんて思ってもみなかった。


「テオドール様。いかなる話であろうとも外に洩れる事はありませんわ。信頼して下さいませ」


 クリスは叔父に向かってキッパリと言った。なんだか凄く誇らしい。毅然としたクリスの姿を見ることができないのが残念だ。それを受けたクラウディス=ディオール伯は「分かった」と返事をすると、貴族会議の建議状況について話し始める。よく考えれば今日が内大臣府への委任状の提出日。予測通り建議が成立しない事が確定したのか?


「残念ながら、貴族会議の建議は成った」


(はっ?)


 一瞬、クラウディス=ディオール伯が何を言っているのか分からなかった。


(「貴族会議の建議が成った」)


 何だそれは、貴族会議が成ったって! 俺は我が耳を疑った。「えっ!」とクリスが絶句している。大体、アンドリュース侯やブラント子爵らが委任状を提出しない状況じゃ、貴族会議の建議なんか成立する筈ないじゃないか。それなのに成立したって何だよ、それ。クラウディス=ディオール伯が何を言っているのか、全く理解が出来ない。


「先程、ウェストウィック派が内大臣府へ委任状を提出したのだ」


(そんなバカな!) 


 全身から力が抜けていくのが分かる。何だこれは。こんな事、今まで体験したことがない。なんて事だ。ウェストウィック派が貴族会議の建議に賛成するって・・・・・ クラウディス=ディオール伯によれば、アウストラリス派とバーデット派、ランドレス派の三派を中心に委任状を提出するものの、成立条件である全貴族の三分の一を満たさなかった。


 バーデット派は取りこぼしなく派閥が纏まって委任状を提出したものの、アウストラリス派が三分の二、ランドレス派が七割程度しか提出できず、他派閥の貴族らの委任状を含めても全貴族の四分の一程度にしかならなかったのである。故に貴族会議の開催は絶望だと誰しもが思った。その状況が一変したのは午後になってからの話。


 内大臣府に突如ウェストウィック公が訪れ、委任状を提出したのだという。委任状を提出するということは、貴族会議開催に賛成するという事。これによってアウストラリス派やランドレス派の両派で取りこぼした委任状を穴埋めした形となり、委任状の数を精査した結果、全貴族の三分の一を越えた事が確認されて建議が成立したというのである。


「許せ、クリスティーナ。お前の懸命の努力に報いる事ができなんだ」


 クラウディス=ディオール伯の声が震えていた。泣いているのが分かる。「テオドール様」というクリスの声が茫然としている。バタッとした音がしたので、視線を動かすとレティがヘタり込んでしまっていた。恐らく俺と同じで力が抜けてしまったのだろう。俺もそうだが、悔しいとかいうよりも、何が起こったのか分からないのだ。


「一ヶ月後には貴族会議が開催される。そこに賭けるしかあるまい」


 クラウディス=ディオール伯がそう述べると、静かに部屋を立ち去っていった。ドアが閉じられた後、部屋から静かな嗚咽が洩れる。床に崩れ落ちたレティから出ている声だ。エルダース伯爵夫人やアルヒデーゼ伯らと一緒になって、エルベール派内にいる貴族達を精力的に切り崩しまくったのに、この結果。レティが愕然とするのは当たり前だ。


 しかし今、身体が動かせない状態の中、レティの元に駆け寄って慰める事すらできない。クリスの後ろ姿から肩が震えているのが見える。このあまりの結末に声すらも出ないのだろう。悔しさとか怒りを越えると、ただただ力が抜けてしまうのだという事実を俺は身を以て体験した。しかし、まさかウェストウィック公が動くなんて・・・・・ 


(これは委任状返しだ・・・・・)


 王妃の実家だから中立なんざ、真っ赤な嘘じゃねえか! 恐らくは最初からこうするつもりだったのだろう。王妃とは体の良いカムフラージュだったのだ。潜水艦サブマリンが如く潜り、事が決した後に浮上してくる。やる方は気分が良いかもしれないが、やり方としては最悪だ。こんな手口を称賛する輩の気が知れぬ!

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