529 建議成立

 貴族会議が招集される。全く予想外の事態に、クリスは茫然として、レティはその場にへたり込んでしまった。あまりの話に、俺も言葉が出ない。ただ、そのまま時間だけが静かに過ぎていく。


「レティシア! どうしたの!」


 部屋のドアの方からソプラノの声が聞こえてきた。どうやらアイリが帰ってきたようだ。


「お嬢様! 一体どうなされたのですか?」


 アイリに付き添っていたシャロンも一緒に帰ってきたようで、クリスに事情を聞いている。


「・・・・・貴族会議が開催される事になったの」


「えっ!」


「貴族会議が開催される事になっていまったの・・・・・」


「お、お嬢様・・・・・」


 クリスの言葉に、いつも冷静なシャロンが狼狽うろたえている。暫くすると、シャロンの啜り泣く声が聞こえてきた。


「お嬢様、お嬢様・・・・・」


「ご、ごめんなさいね、シャロン・・・・・」


 主人が従者を慰めている。シャロンもあまりに突然の話で、どう受け止めたら良いのか分からないのだろう。


「シャロン。一番衝撃を受けられているのはお嬢様だ」


 トーマスがクリスとシャロンの間に立ったようだ。確かにトーマスの言う通り。これはノルト=クラウディス公爵家の話なのだから、究極クリス一人の問題。しかしトーマスもシャロンもこの家に仕える身。それに三人は、ある意味一体なのだから、クリスの衝撃はそのままシャロンの衝撃であり、トーマスの衝撃なのだ。


「どうして・・・・・ どうしてなの・・・・・」


 アイリが力なく呟く。どうしてそうなったのか? それは、ウェストウィック公がいきなり方針を転換し、貴族会議開催の建議に賛同してしまったからだ。しかしどうして賛同したのかについて、俺にはサッパリ分からない。しかし貴族会議の開催が決まった事は確実。


 乙女ゲーム『エレノオーレ!』で展開された通りに物事が進んでしまったのである。即ち貴族会議が招集されて、宰相閣下がその地位を追われ、ノルト=クラウディス家が没落するというシナリオ。これがゲームの流れなのだが、その入口に立ってしまうなど、本当に想定外だった。


 何故ならゲーム上において宰相閣下の解任動議に賛成する貴族派の足並みが、リアルでは大きく乱れているからである。エルベール派を切り崩し、貴族会議開催に賛成する貴族派三派の中で造反者が出て、貴族会議開催に必要な全貴族中三分の一の賛成を得る事が絶望的になったのにも関わらず、貴族会議は開催される事になってしまったのだ。


 俺はこの世界を司る『世のことわり』の力を改めて思い知った。最早不可能な所まで追い込んだ筈なのに、それでもひっくり返されてしまったのだから。そんなバカな話があるのかと思っても、それが現実に起こってしまったのだから、受け止めるしかなかった。貴族会議の開催が決まった以上、貴族でない俺がやれる事など何も残ってはいない。


(クリスと約束したのになぁ)


 クリスと約束したのだ、「ノルト=クラウディス家を守る」と。その約束を果たす為、俺はこれまで全力で取り組んできたつもりだった。しかしその結果がこれというのは、あまりにも打撃が大きすぎる。いくらゲーム知識を駆使しようと、いくらチート能力を操ろうとも、リアルエレノを司る『世の理』の前には無力だったのだ。


「アルフォード殿をお連れしました」


 ベスパータルト子爵の声が聞こえる。ザルツが来たのか。どうやらベスパータルト子爵がザルツをここへ案内してくれたようだ。クリスがどうぞとザルツを案内してきたので、視界にザルツが入ってきた。心配そうな顔をこちらに向けてきたが、痛くて起き上がれないので、寝たままの対面となってしまったのが申し訳ない。


「よくぞ生きて帰ってきてくれたな」


「こんな事になってしまって済まない」


「何を言っている。襲ってきた連中が悪いだけだ。お前は何も悪くない」


 ザルツが俺を擁護してくれた。何かザルツにそう言ってもらうと心強い。


「公爵令嬢をお守りしたな。よくやった」


「ああ・・・・・」


 だが、貴族会議の開催を阻止する事が出来なかった。絶対に阻止しなければならないのに、それが出来なかったのが辛い。貴族会議の開催を阻止しなければ、クリスを守った事にはならないのだ。


「貴族会議の開催が決まったそうだ」


「ああっ。今、ベスパータルト子爵様からお聞きしたよ」


 そうか・・・・・ ザルツは知っていたのか。ならば俺から言えることは何もないな。


「貴族会議が開催される事になったのは残念だが、戦いはこれからだ」


「えっ」


「開催が決まっただけではないか。戦いは貴族会議という場に移っただけの話だろう。違うか、グレン?」


「それはそうだが・・・・・ どう戦うのだ?」


「どう戦うも何も、宰相閣下を支持する貴族が圧倒的に多いのだぞ! 対抗する相手は三分の一に過ぎぬ」


 ザルツの言葉に衝撃を受けた。俺は貴族会議が招集されて、宰相閣下が失脚するというゲームのシナリオの事しか頭になかったが、ザルツは全く違う視点でモノを言っている。相手は三分の一を抑えるのがやっとという情勢。ウェストウィック公の加勢によって、かろうじて貴族会議を開くことが出来たのだと、ザルツは力説する。


「公爵令嬢。いくさはこれからですぞ。お気を強く持たれませ」


「わ、分かりました」


 ザルツの言葉に圧されながらといった感じで、クリスは返事をした。しかしザルツの自信というか、闘志というものは一体何処から湧き上がってくるのだろうか。俺には全く無い能力だから、それが不思議で仕方がない。ベスパータルト子爵がクリスにお疲れのようですので一度お休みをと、間を取ってきた。流石は執事長。空気が読める。


「分かりましたわ」


「では、皆様にも別室をご用意致します」


 クリスが同意すると、ベスパータルト子爵はレティとアイリにもそう言って、別室に移るように促した。結局、クリスとシャロン、レティとアイリは、ベスパータルト子爵と共に退室していく。去り際に皆が俺の事を心配して、声を掛けてくれたのが嬉しかった。誰も残らない訳にはいかないとトーマス一人だけが残ったので、部屋は野郎三人だけとなった。


「策はあるのか?」


 クリスがいなくなったので俺が聞くと、ザルツが首を横に振る。えっ、あるから言ったんじゃないのか?


「私は貴族じゃない。貴族でない私が打てる手など何もない」


 俺と同じか! いくらなんでもそれはないだろ! 思わずザルツに噛みついた。


「じゃあ、なんであんな事を言ったんだ!」


「公爵令嬢にあのような表情をさせてもいいのか、お前は」


 返す言葉がなかった。全くその通りだ。異論を差し挟む余地など皆無である。


「貴族会議の開催を阻止する為、公爵令嬢がどれだけの事を為されたのかを考えれば、あのように申さなければならぬだろう」


 ザルツは非常に男らしい。俺のようにリスクの方が先に頭をもたげてくる人間とは違う。俺の家とザルツの家。結局、男としての差が、家庭の状況にそのまま現れてしまっている。強いリーダーシップとは強い言葉を言うのではなく、今何を為すべきなのかを適切に考え、それを即座に実践して指し示す事なのだと、否応なく実感させられた。


「それに貴族会議の開催までには時間がある。まだ考える余地は残っている筈だ」


 俺と違ってザルツは闘志満々。一歩も引く素振りを見せない。そんなザルツの言葉を聞くと、まだやれると思うのだから実に不思議である。トーマスが遠慮がちにザルツに聞く。


「あの、預からせて頂きました魔装具を・・・・・」


「持っていて下さい」


「えっ」


 ザルツからの返答に、トーマスが困惑している。おそらくザルツは、当面の間トーマスに魔装具を預けるつもりだったのだろう。


「今は危急の時。これから頻繁に連絡を取ることになるやもしれません。貴族会議が終わるまで、持っていてください」


「分かりました」


 貴族会議が終わるまで。ザルツが設定した期限に納得したトーマスは、すぐに引き下がった。トーマスからしてみれば、俺達とすぐに連絡が取れる訳で、有り難いのは間違いない。


「グレン。ニーナが凄く心配している。早く治して家に帰ろう」


 ニーナか。脳裏に顔が浮かんだ。自分の母親よりも母親らしい母親。そんなニーナを心配させてしまって、凄く後ろめたい気分になる。帰ったら詫びよう。その為には、早い回復が必要だ。そんな事を考えていたら、ザルツはまた顔を出すと言って部屋を出たのである。トーマスと二人っきりになってから、俺は自分が早く回復する方法を思いついた。


「トーマス。済まないが飲ませてくれないか?」


 『収納』で出したハイパーエリクサーを飲ませてくれるよう頼んだ。さっきクリスに渡した時、気付けば良かったんだよな、ハイパーエリクサーを飲むことを。体力と魔力を全回復させる薬、ハイパーエリクサー。襲撃された時もこれを飲みながら、必死に回復させて戦った。結果はこんな有様になってしまったのだが。


 能力的には素晴らしいが高額なのが玉に瑕と言われている。他国では戦いの際に用いられる事が多く、昨年サルジニアで戦いがあったとかで需要が急増。これを買い占めまくって高額で売り払い、多額の収益を得た。現実世界ではあり得ないこの万能薬を飲めば、一気に回復するんじゃないか。そんな期待を込めてトーマスに頼んだ。


「ああ、分かったよ」


 トーマスが俺の気道を開けながら、ハイパーエリクサーを飲ませてくれる。痛さで起き上がれないので、後頭部をゆっくりと持ち上げながらハイパーエリクサーを飲ませてくれた。何だか介護を受けているような気分になって、申し訳なくなってしまう。細長い瓶に入っていたハイパーエリクサーを全て飲むと、何やら身体が熱い。


「どうだ?」


「おおっ、何か身体が元気になった感じがするぞ。魔力も戻っていっているような感覚だ」


 飲んですぐに効果が現れた。倒れていたアイリだって、ハイパーエリクサーを飲んだ後、普通に歩いてこっちの部屋へ戻ってきたようだからな。ハイパーエリクサーの力は本物だということ。ただ、起き上がろうとすると、先程と同じく激痛が走る。どうやら体力と魔力は回復するが、怪我の回復はすぐにとはいかないようだ。

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