525 天命を待つ

 エルダース伯爵邸で行われたエルベール派の重鎮、アルヒデーゼ伯との会談はエルダース伯爵夫人と合わせ、終始二人のペースで進んだ。まぁ、エルダース伯爵夫人はレティの後見人であり、従祖伯母 いとこおおおば。クリスにとっては作法の先生。トーマスとシャロンはクリスの従者で出る幕なし。俺に至っては一介の平民。


 そりゃ、年長者であるエルダース伯爵夫人と、エルベール派の新進気鋭の幹部貴族アルヒデーゼ伯が主導権を握るのは当然の話だ。それにレティもクリスもこの一ヶ月、貴族会議の開催を阻止するべく奔走したので、疲れてしまっているというのもあるだろう。現に俺だって、自分でも気付かぬ内にかなり消耗しているのだと、今気が付いた所である。


 しかし派閥貴族の「委任状剥がし」の話と、アウストラリス公との協調路線を取っているシュミット伯の「雲隠れ」の話は強烈だった。流れがシュミット伯にあると思って委任状を渡したのに、その流れが変わったと見るや「返せ」と委任状を取り返しに行く貴族。それに対し、身を潜めて委任状を渡さない戦法に出たシュミット伯。どっちもどっちだろう。


「本当に皆様は、貴族としての矜持がございますのですか?」


「無いから、このような事態になっておるのです。是非も考えず委任状を渡すなぞ無責任の極みではございませんか」


 呆れ返るエルダース伯爵夫人に、アルヒデーゼ伯がそう答えた。レティとクリスがお互い目を見合わせている。おそらく、アルヒデーゼ伯の発言が中々際どいものだったからだろう。委任状を握っているシュミット伯が行方不明となってしまった事で、これ以上の委任状確保が不可能となってしまった。実質的に切り崩せところは全て行われたのである。


「それに人から預かったモノを握りしめて、行方をくらますとは・・・・・ 預かった責任が欠片もない」


 名指しこそしなかったが、シュミット伯の事を指しているのは、誰が聞いても明らか。このシュミット伯も高位伯爵家ルボターナ。エルベール派においては、アルヒデーゼ伯と並ぶ地位にいるとされる。故に自身と同じエルベール派に属し、高位伯爵家ルボターナであるアルヒデーゼ伯への対抗心が強くなるのも、ある意味当然かもしれない。


「委任状を取り返しに来る貴族の方々に説明一つ出来ないとは情けなや。後進に見せるようなものではございませぬ」


 エルダース伯爵夫人は手厳しい。結局、滞在時間の多くがアルヒデーゼ伯とエルダース伯爵夫人の二人による、貴族への指弾に費やされる事になってしまった。おそらくエルダース伯爵夫人もアルヒデーゼ伯もこのような体質であったからこぞ、エルベール派の派内政局で圧勝したのだろう。結局、二人の話は夕暮れが見えるまで続いた。


「すっかり、夜になってしまったわ。遅くなってゴメンね」


 レティが乗り込んだ車上で謝ってきた。俺達が伯爵邸を後にした時には既に陽が落ちた後。なので辺りはもう真っ暗だ。これはエルダース伯爵邸を訪問した時間が遅くなってしまった事もあるのだが、終始エルダース伯爵夫人とアルヒデーゼ伯のペースで話が進んだのが大きい。俺達の車列は夜陰の中、学園への帰途についた。俺はレティに声を掛ける。


「気にする事はないよ」


 遅くなった事よりも、どうして演奏会の話を知っているのかという部分の説明をして欲しいというのが正直なところだ。どうやって聞こうかと思うのだが、レティに聞く時には、イチイチ考えなければいけないというのが面倒くさい。現に今、レティに聞くタイミングを計りかねているのだから・・・・・ 俺が思案していたら、クリスが口を開いた。


「今日の御挨拶は、大変有意義なものでした」


 無理を頼んでエルダース伯爵邸に来た甲斐があったというクリス。アルヒデーゼ伯にお礼を伝えた上にエルベール派の状況について、詳細な説明を聞くことが出来た。伯爵との話を取り持ってくれたレティに感謝していると話したのである。その言葉に俺の隣に座っているレティは頭を振って、感謝しなければいけないのはこちらの方だと言った。


「だって、あの場でどうやって話を繋げれば良いのか分からなかったもの・・・・・」


 確かにそうだ。俺とレティだけだったら、本当にエルダース伯爵夫人とアルヒデーゼ伯に押さえるだけで、タジタジになっていた可能性が高い。クリスが二人との話を引き受けてくれたお陰で場が持ったのは紛れもない事実。レティなんか沈黙したままだし、俺なんか半ば一方的に鼓笛隊の演奏会の約束をさせられたような有様だからな。


 しかしそれにしても『常在戦場』の鼓笛隊が、ロタスティで演奏会を開いたのをレティがどうして知っていたのか? 先程から気になっているが、人から聞いたにせよイマイチ解せない。あの時レティは襲爵式を終えてリッチェル子爵領へ帰っていた。所領に帰るとは言っても、遊びや休暇の為に帰ったのではない。


 実父であるエアリスと対決するべく、子爵領へ帰ったのだ。子爵領へ帰ったレティは、当主となったミカエルよりリッチェル子爵夫人の称号が贈られ、リッチェル城で留守番をしていたリサと協力してエアリスを糾弾。母アマンダやエアリスに内通していた家の者を含め、城から一斉に放逐した。


 これによって名実共にリッチェル子爵家はレティとミカエルのものとなったのである。この時、鼓笛隊の演奏会を開いていたので、子爵領に居たレティは知らない筈。なので人から聞いて知っていたという事になる。しかし知っていたとして、どうしてエルダース伯爵夫人にそれを話すなんて事をするのか・・・・・ その辺りが、どうも解せない。


「レティシア、グレン。ここまでやれたのは皆のお陰よ。私一人だったら・・・・・ 


 俺がレティに話そうとした時、クリスがボソリ、ボソリと話し始めた。声のトーンが一段低い。夜なので表情は見えないが、クリスが弱気になっているのは間違いないと俺は確信した。クリスの場合、感情が声質にハッキリと出てくるので、すぐに掴める。しかしクリスの感情が掴めても、それをフォローできる技量が俺にはない。


「私一人だったら、本当に心が折れていたかも・・・・・」


 消え入りそうな声でそう話すクリスに、俺は掛ける言葉が思い浮かばなかった。それは皆も同様にようだ。何を言ったらいいのか、分からなかったのである。出来るヤツ・・・・・ おそらくは拓弥なら気の利いた一言が言えたのだろうが、俺はそういった部分が本当にダメだ。クリスに何も言ってやれなくて、心底申し訳ない気持ちになる。


「私が茫然としていた時、何も言わず手を差し伸べてくれたのはクリスティーナとグレンよ」


「レティシア・・・・・」


「だからクリスティーナが困っている時、私がやるのは当然なのよ。私は一人じゃないから!」


「・・・・・」


 夜だから表情がハッキリとは見えないが、クリスが肩を震わせいるのを見ると、どうやら泣いているようだ。しかし今は何もできない。レティだけでなく、トーマスとシャロンもいなければ抱きしめてやる事も出来るのだが、車中のこの状態じゃ無理だ。だから今、俺に出来る事は黙って見ているしかないのである。


「クリスティーナ、明日で決まるわ。アルヒデーゼ伯が仰ったように、落ち着いて結果を待ちましょう」


「ええ・・・・・ ええ・・・・・」


 別れ際、アルヒデーゼ伯が「人知を尽くして天命を待つ」と声を掛けてくれた。すべき事、やれる事を全てやったのだから、後は結果を待つのみだと。クリスはアルヒデーゼ伯の言葉に何度も頷いていた。しかしそれでも不安がよぎったのだろう。クリスは大きなプレッシャーの前に、何か押し潰されるような感覚となっているのかもしれない。


 クリスの両脇に座っている二人の従者トーマスとシャロンは一言も発さなかった。自分達が今話せば、クリスの心理的な負担が更に増すと思って何も言わないのだろう。押し黙って辛抱しているのを見ると、本当に居た堪れない気持ちになる。一体、どう言えばいいのか。そんな事を考えていたら、突然馬のけたたましい鳴き声と共に馬車が止まった。


「えっ?」

「なに?」

「おっ」


 急な停車に、皆が声を出す。馬車が路上で止まるなんて初めてだ。一体何があったんだ?


「どうした?」


 俺はすぐに小窓を開いて御者に尋ねた。すると御者が「前が止まったので・・・・・」と言ったところで、前方から怒声が聞こえてくる。なんだ? 


「前で一体何かあったの?」


「どうしたのかしら?」


 突然の事にクリスもレティも戸惑っている。小窓から聞こえてきた怒声は最初一人のものだったが、今は複数の怒声が聞こえてくる。俺達の前には『常在戦場』の第五警護隊の隊士とノルト=クラウディス家の衛士が乗り込んだ三台の馬車がいるが、降りているのか?


「ちょっと確認してくる」


「えっ。行くのか?」


 俺が降りようとすると、トーマスが聞いてきた。誰もこちらに言ってこないのだから、様子を見に行くしかないだろう。しかしクリスもレティもそんな身分じゃないし、トーマスとシャロンはクリスのお付き。フリーで動けるのはこの俺だけだ。だったら俺が行くしかないじゃないか。


「大丈夫なの?」


「護衛がこれだけいるんだ。すぐに戻ってくる」


 レティにそう話すと、トーマスに後事を頼んで、馬車を降りた。すると、後ろから『常在戦場』の隊士とノルト=クラウディス家の衛士が駆け寄ってくる。皆、俺達が乗っていた馬車の後ろを警護していた者達だ。彼らもまた俺と同じく何事かと、馬車を降りてこちらへ来たのである。すると前から聞こえてくる怒声がまた大きくなっていた。


「そこをどけ!」

「何者だ!」

「名を名乗れ!」


 おそらく警護の人間の声だ。これは只事ではない。ノルト=クラウディス家の衛士達にクリスの馬車の警護を頼むと、『常在戦場』の隊士らと共に前へ駆け寄った。すると、馬に乗っている衛士が叫びながら向かってくる。


「曲者! 曲者だ!」


 く、曲者だと。馬に騎乗していたのは、ノルト=クラウディス公爵家のダイラール衛士長。俺の横で止まったダイラールは、馬上から叫ぶ。


「前で武装した曲者が立ち塞がっています!」


「なにぃ!」


「襲撃です!」


 ダイラールの発した言葉に、俺の背中に冷たいものが流れた。

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