524 アルヒデーゼ伯

 俺達がエルダース伯爵邸へ到着すると、エルダース伯爵夫人がわざわざ屋敷の玄関まで出迎えてくれた。夫人と顔を合わせたのはミカエルの襲爵式以来の事。久々の再会である。俺、シャロン、トーマス、レティ、クリスの順で馬車を降り、レティ、クリス、俺の順で挨拶を行う。俺もこの世界のしきたりというものにすっかり身についてしまった。


 エルダース伯爵夫人の案内で応接間に入ると、そこには若い貴族がいた。壮年というよりかは青年と言ったほうがいいだろう。それがアルヒデーゼ伯であるというので驚いた。これまで、レティから色んな話を聞く中で、俺が勝手に初老の貴族というイメージを描いていたので、その落差に驚いたのである。


 アルヒデーゼ伯爵家はボルトン伯と同じ、王国に八家しかない高位伯爵家ルボターナの一つ。実質的にエルベール派の序列三番目に位置している名門であると、以前レティが教えてくれた。その若き当主の名はマッテオ・ファルージャ・アルヒデーゼ。アルヒデーゼ伯マッテオ六世だそうだ。


 アルヒデーゼ伯からの説明を聞いて、そういえばミカエルもリッチェル子爵ミカエル三世だったと思い出す。その名を聞いたのも、ここエルダース伯爵邸の応接室で、エルダース伯爵夫人の口からだったと思う。そのミカエルの襲爵式の時、アルヒデーゼ伯は所領へ帰っていたので襲爵式に出席できず、それが悔やまれると嘆いていた。


 そのアルヒデーゼ伯に、クリスは自身が主催した『明日の小麦問題を考える御苑の集い』への参加のお礼を述べる。普段見るクリスと違い、優雅に挨拶をしているので、流石は公爵令嬢だと思わず感心してしまった。一方アルヒデーゼ伯は、こちらの方こそあのような集まりに御招待を頂き光栄ですと返した後、集いの感想ついて述べる。


「『御苑の集い』で、ケルメス大聖堂での襲爵式の際に行われたという隊士達の行進を見ることができたのは大変良かった」


 アルヒデーゼ伯は『常在戦場』の行進が見られた事を満足気に話した。ミカエルの襲爵式の際には見る事が叶わなかったが、代わりに『御苑の集い』で見ることが出来たので、大変結構な話だと喜んでいる。やはり、一人一人が旗を持って行進するのは、相当なインパクトがあるようだ。


錦旗きんきがあれだけ並んで入ってきたのは壮観でしたわ」


 エルダース伯爵夫人が感想を述べる。聞けば王国旗自体を見かける事すら稀との事なのだが、それを今回参加した『常在戦場』の隊士達一人一人が持っているというのは、それだけでも衝撃的な出来事なのだろう。エルダース伯爵夫人が話しているのを聞いていたアルヒデーゼ伯が、夫人に続く。


旗々はたばたが輝いているあのような光景、おそらく見ることはありませんな」


 五百人もの隊士が儀仗服を身に纏い、手に手に本絹の王国旗を持って行進を行っている姿について、アルヒデーゼ伯は感心している。五百もの王国旗が日に照らされ、輝いて見えたのは、さぞや神々しかったであろう。アルヒデーゼ伯が興奮しているのか、拳を握りしめながら話す。


「しかし、なんと言っても圧巻だったのは、ケルメス大聖堂の聖歌隊による合唱。教会の外であのようなものが見られるとは・・・・・」


「歌に合わせて演奏がなされるなんて・・・・・」


 いやいや、演奏に合わせて合唱が行われたのだ。真顔で話すエルダース伯爵夫人に思わずツッコミを入れたくなってしまったのだが、ここは我慢すべきところだと、俺は踏みとどまる。しかしアイリが詩をつけた『華龍進軍』のインパクトは、思っていた以上にデカかったようだ。


「耳にした話では、あの合唱を考えたのはアルフォードだというが、それは真ですか?」


 えっ! そんな話になってるの? エルダース伯爵夫人の言葉に唖然とした。しかし俺の発案じゃないので、どう説明すればよいのだろうか。この場ではアイリの事について、話さない方が良さそうに感じるのだが・・・・・ 考えあぐねていると、クリスが口を開いた。


「アルフォードさま、お考えになったそうです」


「まぁ」


 クリスが答えにエルダース伯爵夫人がそうなの? といった感じで頷いている。流石はクリス、的確な言葉選びだ。嘘は言わずして会話の方向性を誘導し、ある方向性に収斂させていくのは難しいのだが、クリスはそれをやってのけた。クリスのアシストのお陰で、俺から焦りが引いていく。お陰で想定問答を考える余裕が出来たのは大きい。


「他にも考えた者がいると・・・・・」


「あの演奏を行っていた『常在戦場』の鼓笛隊長のアドバイスをいただきました」


 俺は咄嗟に鼓笛隊長ニュース・ラインを出した。事実だから問題はない筈。それを聞いたアルヒデーゼ伯が感心している。


「演奏と合唱の融合を考えるなどとは、斬新な発想だ」


「その者はサルジニア公国で音楽を独習したとかで・・・・・」


「おお、サルジニアか! サルジニアには様々な音楽が存在しているからな」


 アルヒデーゼ伯がサルジニアという言葉に目を輝かせた。曰くアルヒデーゼ伯は学園時代、サルジニア公国へ留学なされた事があるとの事。留学してピアノを習ったアンドリュース侯爵夫人と同じか。ただ侯爵夫人と違って、音楽を学びはしなかったそうだ。しかし留学中、ジニア公立劇場でよく観劇したと、アルヒデーゼ伯は話す。


こちらノルデンには劇らしい劇がないが、サルジニアでは毎日上演されていたのだ」


 悲劇もあれば喜劇もある。活劇もあれば正劇というジャンルの劇もあるらしい。話を聞くだけでもサルジニアの演劇文化が、大変バラエティに富んでいるのが分かる。ニュース・ラインやアンドリュース侯爵夫人から聞いた音楽の話といい、サルジニアには芸術的なものが盛んなのに、どうしてノルデンは皆無なのか? 理解に苦しむ。


「劇の途中に演奏が行われていてな。芝居を盛り上げていたのだ。先日の集いで、それを久々に見たような気がした」


 芝居の中で演奏か・・・・・ 一瞬、歌劇オペラだと思ったが、演奏に合わせて歌う劇ではないとの事で、どうやらジニアの劇場で公演されている演目は歌劇ではないようだ。アルヒデーゼ伯のサルジニア話が聞き慣れないものだからだろう、レティとクリスが不思議そうに顔を向き合わせている。まぁ、ノルデンには無いのだから仕方がない。


「マッテオ様は、一度演奏をお聞きになりたいと仰っております」


 ええっ! 何の脈絡もなく振ってきたエルダース伯爵夫人の言葉に、俺は固まってしまった。いきなり演奏と言われても・・・・・ アルヒデーゼ伯は『御苑の集い』を見て、是非とも合奏を聞きたいと思ったそうだ。それでエルダース伯爵夫人に相談したようである。その気持ちは分かるのだが、合奏なんて言われてしまっては俺の方が困るではないか。


「合唱は聖歌隊ですので、難しいですが・・・・・」


 そう言うのがやっとだった。事実、ケルメス大聖堂の聖歌隊が出張して合唱なんて、先ず無理な話。そもそも聖歌隊はケルメス大聖堂で神を称える歌を歌うのが仕事なのだから。先日行われたクリス主催の『御苑の集い』への出張だって、ケルメス宗派の長老格であるニベルーテル枢機卿の御助力があったからこそ実現できたもの。


「確かに合唱は難しいだろう。聖歌隊はケルメス大聖堂で賛美歌を歌うのが務め。そのような事、私も承知しておる」


 アルヒデーゼ伯が常識人で良かった。ホッとしていると、アルヒデーゼ伯が言葉を続ける。


「しかし鼓笛隊なら出来るのではないか」


「ま、まぁ・・・・・」


 そう言うしか無かった。合唱は出来ないが、合唱なら出来るだろうと言われては「はい」と答えるしか無いではないか。鼓笛隊が過去に学園で演奏会を開いた事があるという話をレティから聞いたと、エルダース伯爵夫人が話す。おい、どうしてそんな話を言ったのだ! それもあって最終的には、鼓笛隊の演奏会を請け負わざる得なくなってしまった。


「アルフォード殿、楽しみにしておるぞ」


 アルヒデーゼ伯が嬉しそうに言ってきた。エルダース伯爵夫人も「私も拝聴させて頂きます」と続いたので、「お任せ下さい」と胸を張って答える以外に、俺の選択肢が無くなってしまったのである。しかしレティ、学園での演奏会の時は子爵領へ帰っていて居なかった筈なのに、何故知っているのだろうか? その辺り、どうも引っかかる。


「これで後は、貴族会議の建議成立の可否だけだな」


 アルヒデーゼ伯は今日の本題であろう、貴族会議の建議について話し始めた。貴族話法の前フリが少し長い気もするが、気にしていても仕方がない。エルベール派では派閥領袖のエルベール公やナンバー二のホルン=ブシャール候爵が、アウストラリス公が提唱した貴族会議の開催に否定的な立場を取った事から、所属貴族の多くがそれに同調した。


 派閥領袖ら派閥の幹部クラスの殆どが、貴族派第一派閥のアウストラリスとの対決姿勢を打ち出した為、アウストラリス公と歩調を合わせようと主張していたシュミット伯から少なからぬ貴族が離脱してしまい「委任状剥がし」という修羅場が現出。今やシュミット伯の勢力は派内の一割にも満たない状況にあるという。


「しかし残念ながら、これ以上は減らないだろう」


「閣下。それはいかなる事由で?」


 レティが聞くと、アルヒデーゼ伯から予想外の答えが返ってきた。


「シュミット伯が行方をくらませた」


 えっ? そんな事があるのか? 実は昨日から、シュミット伯の消息が掴めないとの事。王都の屋敷にも帰っていないそうで、家の者も何処にいるのか見当がつかないと言っているらしい。その為、渡した委任状を返して欲しい貴族達は、返してもらおうにも委任状を持っているシュミット伯自身がいないので、途方に暮れているそうだ。


「おそらく、委任状を内大臣府に提出するまで、雲隠れをするのではないか」


 そのように予想するアルヒデーゼ伯。明日に迫った委任状の提出日。その時、その瞬間まで行方をくらませ、これ以上の「委任状剥がし」を受けないようにしているのだろうとの事であった。委任状を出した貴族は剥がしにかかり、受け取ったシュミット伯は隠れて委任状を握りしめる。しかしここまでくれば、仁義もへったくれもあったものではない。

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