523 執念のランドレス伯
ブラント子爵ら派閥総会に出席しなかったランドレス派の貴族達は、高級ホテル『グラバーラス・ノルデン』で会合を開いていた。それを知ったランドレス伯が、血相を変えて押しかけてきたというのである。日が暮れた頃、ホテルに到着したランドレス伯はブラント子爵らが会合を開いていた「鳳凰の間」へ、一目散に向かって押し入ろうとした。
それを前室で待機していた護衛騎士達が阻もうとして、騒然となったのだという。この時、「鳳凰の間」で会合を開いていた貴族達の家付き騎士は皆、「鳳凰の間」の前室に詰めていた。そこへ現れたランドレス伯が「吾輩はランドレス伯爵であるぞ!」と叫び出したので、その護衛騎士達が何事と一斉に飛び出したのである。
「今は会合中、誰をも入れるなとの主君の御命」
家付き騎士達が必死にランドレス伯を押し留めるも、「通せ通せ」と聞かぬ伯爵とランドレス伯に帯同してきた家の者までが加わって、すったもんだの大騒動に発展。「鳳凰の前」の廊下で、通す通さぬの押し問答が繰り広げられた。なんとしても「鳳凰の間」に入ろうとするランドレス伯と、それを必死に止めようとする家付き騎士。
この不毛な茶番が続く中、伯爵の侵入を阻止していた家付き騎士の一人が機転を利かせて「鳳凰の間」に入り、ランドレス伯が来訪されている状況を報告。それを聞いて戸惑う貴族達だったが、ブラピット子爵という人物が「会合が終わったらランドレス伯と会いましょう」と提案。皆が了承したので、家付き騎士の主がその事を伝えるように指示をした。
「現在会合中ですので、会合が終わり次第ご連絡申し上げます」
この言葉を受けて、さしものランドレス伯は引き取らざる得なくなった。ランドレス伯は急遽『グラバーラス・ノルデン』のスイートを取り、そこで待機したのである。ところが、会合はいつまで経っても終わらない。二十時、二十一時、二十二時。時間ばかりが過ぎていく。二十三時を過ぎても伯爵の元に、会合終了の知らせが来なかったのである。
しびれを切らしたランドレス伯は、スイートを出ると再び「鳳凰の間」へ直行。前室にいた家付き騎士達と、再び押し問答となってしまったのだ。「通せ、通すのじゃ!」と迫るランドレス伯に対し、主が会合に出席している家付き騎士達の方は「閣下、まだ会合は終わっておりません」「終わり次第ご報告を申し上げます」と言って引かなかった。
「四時間も五時間も、そんなに長く話すことなどあるのか!」
焦りが昂じたのか、ランドレス伯が叫ぶ。しかしその間にも、刻一刻と時間が過ぎていく。二十三時三十分、二十三時四十分、二十三時五十分。ランドレス伯と家付き騎士達との間で繰り広げられる、果てしない押し問答の中、無為に時間だけが過ぎていった。二十三時五十五分、二十三時五十九分、そして〇時〇分。遂に時計の針は日を跨いだのである。
「一体、いつまで話しておるのだ! そんなに長くなる話なぞ、有る筈がなかろう」
「ですが、主君より話が終わるまで暫く待つようにとの御命・・・・・」
「おかしい、おかしいではないか!」
「・・・・・」
ランドレス伯に詰め寄られ、困惑するも伯爵を押し留める家付き騎士達。そんな中、一人の家付き騎士が「鳳凰の間」から出てきて、のたうち回るランドレス伯に告げた。
「閣下、主君より言付けでございます。「会合が遅くなり、委任状が期限内に渡せなくなりました事、御容赦下さい。未だ会合を開いている最中、会合が終わり次第、御連絡差し上げます」との事でございます」
確かに嘘は言っていない。嘘は言っていないが、誰がどう聞いても、断る為の方便としか聞こえないだろう。事実、家付き騎士からそう告げられたランドレス伯は納得できず、「会合にこんな時間がかかる筈がない!」「このような事は断じて認められぬ!」と当たり散らすのは、ある意味当然の話である。だが、それで事が動く訳でもない。
既に〇時を回り、伯爵自身が設定した委任状の提出期限は過ぎてしまった。ランドレス伯はあれこれ
つまり伯爵は「鳳凰の間」の前室前に、三時間以上いた事になる。それ程にまで、ランドレス伯は悔しかったのだ。だが委任状の期限を昨日までと設定したのは、他ならぬランドレス伯本人。誰をも責めるなんて出来る筈もない。まるで怨霊でも取り憑かれたかのようなランドレス伯の執念に、「鳳凰の間」に籠もっていた貴族達は辟易したに違いない。
彼らが『グラバーラス・ノルデン』に引き籠もったのは、間違いなく正解だろう。何故ならは、誰かの屋敷で会合を開いていたなら、屋敷を提供した貴族に粘着してくるのは、ランドレス伯の行動から見て確実だからである事、疑いない。俺は「それで会合は?」とハンナに聞くと、「今も会合中ですわ」と返ってきた。
会合は貴族会議の建議に係る、委任状の提出期限である明日まで続くという。誰もが警戒心を解いていないのである。これは明らかな「缶詰」。要はアリバイ作りに走っているのだ。クスクスと笑いながらハンナが話しているので、ランドレス伯に対する方便なのは確実である。
しかし派閥総会に出席せず、エンドレスな会合を名分にして委任状を断ってしまったブラント子爵達の手法は驚きである。ランドレス派では、直臣陪臣合わせ五十四家が委任状を提出しなかった。派閥を取り纏められなかったランドレス伯が派内派外からどう見られるのか。もちろんその実力を疑われる事になるのは確実だろう。
――俺は予ての約束であるエルダース伯爵邸へ訪問する為、レティ達と六人乗りの馬車に乗っていた。どうしてレティだけではないのかというと、なんとクリスと二人の従者シャロンとトーマスも同乗する事になったからである。俺がクリス達と一緒に行くことを知ったのは、出発直前の話。学園の馬車溜まりで馬車を待っている時だった。
「レティシアからお話を聞きまして、今回の集いでエルダース伯爵夫人やアルヒデーゼ伯にお世話になりましたので、私も挨拶を行いたいと申しました」
クリスがそう言うのでレティの方を見ると、何かバツが悪そうな顔をしている。おそらくはクリスが熱心に説いて、慎重なレティを押し切ったのだろう。何かレティが疲れている感じがした。まぁクリスの気持ちはよく分かるので、一緒に行くのは構わなかったのだが、このクリスの同行によって別の問題が発生したのである。
それは俺を警護する『常在戦場』の第五警護隊と、クリスを警護するノルト=クラウディス公爵家の衛士達の間で、どちらが我々の警護をするのかという事で対立が起こってしまったのだ。第五警護隊は馬車三台で十四名、ノルト=クラウディス家の衛士達は馬車二台と馬二頭で十一名。合計二十五人が睨み合う、異様な展開となってしまった。
この事態に第五警護隊の副隊長ミノサル・パーラメントとクリスを警護する責任者ダイラール衛士長との間で協議が行われ、俺達の乗った馬車を両方の護衛が警護する内容で話が決まり、結局六台の車列を連ねてエルダース伯爵邸へと赴く羽目になった。俺はどうしてクリスが護衛を嫌がっているのかを身を以て体験したのである。
車上、レティもクリスも心なしか元気がなさそうだった。『御苑の集い』に傾注した事と貴族会議開催の是非を巡る激しい攻防で、二人共疲れているのだろう。よく考えたら大人でも大変な事をまだ十六歳の女の子がやっているのだから、無理もない話。そんな状態でも急遽、六人乗り馬車を用意したのは、流石だと言っていい。
俺がリサから聞いた、アンドリュース侯が確保した委任状をアウストラリス公に渡さなかった件を話すと、レティとクリスは知っていた。この手の情報は回るのが早い。アンドリュース侯の造反は、瞬く間に貴族界全体へ伝わったようだ。続いてハンナから聞いたランドレス派の一件について伝えると、こちらの方は知らなかったようで二人が驚いている。
「ランドレス派も割れたのね」
クリスがポツンと話す。朗報である筈なのだが、何処か寂しげだ。もしかすると、人と人とが相争う貴族会議の建議を巡る攻防を見ていて、虚無感に襲われたのかもしれない。今はあまりクリスと話をするのを控えた方が良いのではないかと思う。
「これで決まったわ」
レティは感慨深げにそう言った。確かに大勢は決したと言っても過言ではない。バーデット派が加わった事で貴族会議開催に必要な「全貴族の三分の一の支持」というボーダーに乗せた形の貴族会議賛成派であったが、貴族会議の開催を提唱したアウストラリス派貴族の三割、賛同したランドレス派貴族の二割強が離脱してしまったのである。
いわば足元から崩れた形となった賛成派は、貴族会議に必要な三分の一以上どころか、今や四分の一を確保できるのかさえ危うい状況。他派閥の貴族からの支持といってもエルベール派以外からは散発的なものに留まる情勢。纏まった賛成派がいるというエルベール派でさえ、猛烈な「委任状剥がし」によって、派内の一割程度の支持に過ぎない。
意気揚々と貴族会議開催の建議を行ったアウストラリス公だが、その建議も今や風前の灯火どころか、灯火さえ消え去ってしまったような情勢。しかも貴族達を切り崩す為に活用した『貴族ファンド』の資金は枯渇してしまい、融資した資金は小麦相場で
莫大な資金が塩漬けにされた事で、『貴族ファンド』に多額の出資をしているフェレット商会もトゥーリッド商会も身動きができないだろう。それはアウストラリス公に味方して多額の融資を受け、小麦相場で大量の小麦を買い漁ってきた貴族達も同様である。アウストラリス公は、己を支える貴族と商人という両輪を失ってしまったのだ。
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