515 大金星

 翌日の小麦相場も上げ上げ相場だった。午前の終値が一八九二三ラントと前日終値一四八三二ラントから一気に急伸。その勢いは留まることを知らなかった。俺が小麦相場へ本格的に介入するようになってから、学園には昼間、一切戻ってはいない。代わりに昼食は屋敷で食べるようになった。ニーナが用意してくれるのだ。


 俺とニーナ、そしてジルの三人で食べるのがいつの間にか日課となっていたのである。モンセルに居た時にはこんな形で食べたことなんてない。あの時は従業員らと一緒に食堂で食べていたので、ニーナとジルとだけで食べるという事なんてなかったのだ。このエレノ世界の不思議な習慣の一つが「食堂」というもの。


 雇用主と家族らと従業員が同じ食堂で食べるのだ。だいたいどこも朝食と昼食を食べる。これは商売をやっている所だけではなく、教会も同じ。フレディの実家 教会も食堂があった。『常在戦場』でも食堂で隊士らが食べられるようにしている。こちらの世界では、朝食と昼食を責任者が提供することが義務。全く謎の風習である。


 相場の様相は午後も代わりがなかった。取引中に二〇〇〇〇ラントを突破。この日は二二六三三ラントで引けたのである。一本調子の上げ上げ相場なので、途中に売買をしてレンジのような差益さやを取ることはできないのだが、俺が今、成すべき事はザルツの設定した三〇〇〇〇ラントというラインに乗せることなので、そこは割り切りが必要だ。


 相場が終わってやることはと言えば、図書館に行ってアイリに会うこと。ただアイリの話を聞くと、生徒達の学園生活が日に日に圧迫されて行っているのが分かる。なんでも今回は学園の男子生徒全員が、朝から教練に参加する事を義務付けられたらしい。今、学園内は、女子生徒だけが授業に出ている状態だというのである。


「いつからなんだ?」


「今日からなの・・・・・」


 はじめ剣技を専攻していた者が午後から訓練を受けていただけのものが、全日訓練に変わり、やがて教練に変わった。それと共に魔法を専攻していた者も午後から訓練となり、次に全日訓練となり、今日から剣技専攻者と同じカリキュラムで教練が行われるという。そして、教室に男子生徒はいなくなった。最早これは戦時体制みたいなものではないか。


「皆、不安そうなの・・・・・」


 不安だよな、それ。俺は別に教練がイヤで授業に出ていない訳ではないが、結果として回避した格好となった。だが不思議と罪悪感がないのは、暴動抑止の為の教練以上の事をやっているという意識があるから。アイリは、明後日に控えた『御苑の集い』に出る準備をするので、図書館に来られないという。俺は合唱の方を見届けるよう、改めて頼んだ。


 相場は翌日も様相が変わらなかった。上げ上げ相場で進行し、二五八三四ラントまで伸びたのである。伸び率は鈍化したものの、一本調子の単純相場であることには変わりがない。ところがその相場が次の日、様相が一変した。相場の値動きそのものが止まってしまったのだ。出来高も昨日の一割もいっていない、単なるヨコヨコ相場になったのである。


「様子見だぞ、これ」


 あまりに相場の雰囲気が変わったので、エッペル親爺に魔装具で連絡を取ると、今日開催されるクリス主催の『明日の小麦問題を考える御苑の集い』の様子を見ているからではないかというのである。ここで新しい小麦対策が出てくるのではないか。そうすれば相場が下落する事もあり得るのではと警戒し、二の足を踏んでいるのではとの事だった。


「だから今日は買いも売りも少ない。こういう時には取引も成立しにくいから動かない」


「なるほどな」


 俺はそう返事をすると魔装具を切った。確かにエッペル親爺の言う通りだな。プレイヤーが少ない日には、相場が動きにくいのは当たり前と言ったら当たり前。基本的に売り手と買い手がいて、初めて取引が成立するのだから。この日、相場にこれといった変動もなく、俺は手持ち無沙汰のまま、静かに取引が終わってしまったのである。


 相場の方は最近にしては珍しく静かだったが、メディアの方は逆に騒がしかった。週明けに『無限トランク』がスッパ抜いた『貴族ファンド』の小麦特別融資。これを受けて『翻訳蒟蒻こんにゃく』と『小箱の放置ホイポイカプセル』がそれぞれ号外を出したのである。しかし、それに迎え撃つ形の『週刊トラニアス』の方が一枚上手だった。


「小麦で小麦を買う! 小麦を小麦で払う! 摩訶不思議な小麦特別融資」

「買えば買うほど小麦が増える! 『貴族ファンド』の小麦無限回転」


 もうタイトル自体が意味不明なのだが、人々の関心を引き起こすには十分なもの。記事の内容は、以前ディール子爵家で調べたものと同じ。いや、同じと言うより、俺が話したことがそのまま書かれている。これはリサだ! 俺はすぐにピンと来た。だからリサは朝からいそいそと出かけていたのか。欠けたピースが埋まるように、全てが繋がっていく。


「私達には何も知らされずに小麦を購入させられていました。融資を受けると融資を受けただけ。小麦が上がると、価値が上がった小麦分だけ購入させられたのです」


 貴族の証言として、とある夫人が登場している。某貴族夫人と書かれているが、これはどう考えてもディール子爵夫人だ。俺はその文章を読んで、思わず吹き出してしまった。「私は知らない! 私は分からない! 私は被害者!」をひたすら連呼しつつ、小麦特別融資のカラクリを暴露しているからである。極めつけは最後の一文。


「『貴族ファンド』及び、ファンドの有力出資者であるフェレット商会に事実を確認しましたところ、発行日までの返事はありませんでした」


 最初から返事なんて来ないのが分かっている筈なのに、わざわざ「(注)」まで入れて、ご丁寧に説明する『週刊トラニアス』の記者。なんてこった。これじゃ、考案者がフェレット商会でございますと言っているようなものではないか。どう考えても、薪を焚べに行っているようにしか見えない。このネタは誰もが食いつきそうだ。


 一方、『小箱の放置ホイポイカプセル』の号外は、「『明日の小麦問題を考える御苑の集い』開催される」というシンプルな内容。御苑において宰相家ノルト=クラウディス公爵家の御令嬢、クリスティーナ・セイラ・メルシーヌ・ノルト=クラウディス公爵令嬢が主催する集いが、多くの貴族を招いて開催される。


 この集いでは今問題となっている小麦価の高騰について、何らかの見解が示されるのではないかとして、各方面から注目されている。記事にはそう書かれていた。一見何の変哲もないような記事に見えるが、伯爵位以上の貴族、九十八家の名前の一覧が、参加者として掲げられているのは圧巻である。恐らくこれで勝負をしようと思ったのだろう。


 対する『翻訳蒟蒻』の号外の方はといえば前回に続き、またもや車椅子ババア。ノルデン報知結社のオーナー家、イゼーナ伯爵夫人の論説で勝負をしてきた。女編集長セント・ローズが頼んだのか、車椅子ババアがしゃしゃり出てきたのかは知らない。知らないが、しゃしゃり出てきた方に全額賭けても、十分に勝算があるのではないか。


「『貴族ファンド』の融資は適正です」


 タイトルの時点でダメダメなのだが、事実をお知らせします、という文面から始まる論説という時点で、どう考えてもアウトだろう。どうせ書くのなら「事実は知らないのが一番」だろうに。記事によると『貴族ファンド』の小麦特別融資は、領民に配る為の小麦を購入するために行われているもので、やましい事など皆無であると書かれている。


 やましい事があるから、誤魔化す為に書いている。誰が見たって明らかな話。車椅子ババアの考える事なぞ、俺が見ても分かるレベルだ。大体でこんな駄文を読んで、誰が喜ぶというのか。ハッキリ言って、号外を出すエネルギー自体が無駄である。俺は速読で読み切ったのが、読むこと自体が馬鹿げた事のように思えてきて、後悔するばかりだった。


 ――俺がクリス主催の『明日の小麦問題を考える御苑の集い』の詳細を初めて知ったのは、『常在戦場』の鼓笛隊長ニュース・ラインからの一報だった。ケルメス大聖堂の聖歌隊と鼓笛隊とのコラボレーションが上手くいったとの報告で、とにかく高位貴族が多数参列されている席での演奏に、自分を含め皆が緊張して大変だったと話したのである。


 そういう事情で、ニュース・ラインから『御苑の集い』の話を聞くことができなかった。代わりに詳しく教えてくれたのはミカエルで、翌日の朝、鍛錬に顔を出したミカエルが声を掛けてくれたのである。ミカエルは子爵として、昨日に行われた『御苑の集い』に出席していた。なので、集いの模様をしっかりと見ている。俺はその一次情報が聞けたのだ。


「エルベール公が宰相閣下の支持を明確になされました」


「本当か?」


「ええ。ホルン=ブシャール候爵も支持を表明なされました」


 貴族派第二派閥エルベール派の領袖であるエルベール公が、宰相閣下の支持を明確にした。これは予想以上の動きである。まさか軽そうに見えるエルベール公が勝負を掛けてくるとは、全く想定していなかった。同時にエルベール派ナンバー二であるホルン=ブシャール候爵も支持を表明したとの事で、相当数のエルベール派貴族が宰相側に靡くだろう。


「姉が言うには「勝負あった」と」


 勝負あった。つまりエルベール派の多数は貴族会議の開催に与しない。その流れが出来たということか。即ちエルベール派は宰相閣下を支持し、アウストラリス公とは提携せず、貴族会議開催に反対の立場を取るという話。これは貴族派の第二派閥ごと宰相側への引き込んだ事を意味する。


「大金星じゃないか」


 レティめ、やりやがったな! レティがエルベール派内をひたすら切り崩し続けたお陰で、エルベール派を反アウストラリス路線へ傾かせ、貴族会議の開催に反対する派論を醸成させるところにまで持っていったのだ。流石は若きリッチェル子爵夫人。やる事が違うぜ!

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