514 窓が開く

 黒屋根の屋敷へけたたましくやって来たものの、意気消沈して帰っていったアルフォンス卿。有能だが情熱的である故に、ザルツにひねられてしまった。まぁ、それだけザルツが百戦錬磨という事もあろうが、アルフォンス卿には少し効き過ぎたような気もする。俺と一緒に馬車を見送ったザルツが話しかけて来た。


「グレン。アルフォンス卿は賢いが若い。若さ故、読み切れてはおらぬ」


 どうやらザルツも俺と同じような事を思っていたようである。ただ、俺はアルフォンス卿よりももっと若いので、その俺にそんな事を言うのはどうかと思うが。もちろん、俺の方が若いというのは、このエレノ世界での限定された話なのは言うまで無い。


「アウストラリス陣営が積極的に会合を開いているのは、攻勢をかける為じゃない。逆だ」


 それは俺も思った。もし攻勢をかけているならば、相場が動いただけで蜂の巣をつついたように動き回る必要はないだろう。むしろ追い詰められているからこそ、集まって対策を話し合っているのだ。順調ならばその必要はない筈である。


「アウストラリス陣営と『貴族ファンド』は相当焦っている。明日の相場から容赦なくカネをつぎ込んでくるだろう。札と札で殴り合うどころか、札と札で斬り合う展開になりうるぞ!」


「それは覚悟の上だ」


「グレン。ここで一気に決めるんだ。徹底的に攻めて、奴等のカネを干上がらせるのだ!」


 命令口調で力強く指示を出すザルツ。見ると、何故か勝利を確信したような目をしている。相場以外で何か仕掛けようとしているのだろうか? ザルツに聞こうと思ったが、その前にスタスタと屋敷の中に入ったので、結果として玄関に一人取り残されたのである。俺は夕焼けを見ながら、明日の相場の戦略を考え直さなくてはならないと感じた。

 

 ――週明け。小麦相場は先週の終値である二四五六ラントより七〇〇〇ラント以上高い、九四七九ラントでスタートした。先週の窓を遥かに超える大きさの、どデカすぎる窓が開いたのである。プレイヤー全員が一斉に買いに走ったが為に、一気に値が駆け上がったのである。これはもう昇龍拳どころの話ではない。


 始値でこの状態なのだから、こんなもので相場が収まる筈がない。買いが買いを呼んで、一〇〇〇〇ラントを悠々と突破。猛烈な優勢買いの中、午前の取引は一二三二一ラントの値を付ける。もちろん午後になっても買いの熱が収まらず、最終的に週末始値の一三八四三ラントを越える一四八三二ラントで引けた。相場が二日で全モ・・したのである。


 俺は初日、一三〇〇〇ラントまで戻すつもりでいたのだが、旺盛過ぎる買い圧力によってそれを越えるところまで到達するとは思わなかった。昨日ザルツが言っていたように、アウストラリス陣営と『貴族ファンド』は、容赦なく小麦相場へカネをつぎ込んできたのだ。先週には存在していた、一四〇〇〇ラントの分厚い壁はどこにも無かった。


 白熱する小麦相場と同じように、各誌の報道合戦もヒートアップしていた。『翻訳蒟蒻こんにゃく』はもちろん『蝦蟇がま口財布』も号外を出してきたのである。しかし、これを受けて立ったのが『無限トランク』。今日が定期刊だった『無限トランク』は、なんと『貴族ファンド』の「小麦特別融資」の一件をスッパ抜いたのだ。


「小麦を買い占め? 『貴族ファンド』が小麦特別融資」


 貴族向け融資を専業としている『貴族ファンド』が、小麦購入に限定した融資「小麦特別融資」を貴族に行っており、この融資を使って大量の小麦が買われていると記事は伝えている。また『貴族ファンド』が有力貴族の賛同と、王都の有力商会が中心となって立ち上がったもので、三〇〇〇億ラント規模の出資金を保持している事が書かれていた。


 有力貴族やら有力商会という、ぼかした表現で書かれているのは、アウストラリス公やフェレット商会を恐れての事だと思う。彼らと比べれば、雑誌社など吹けば飛ぶような存在に過ぎず、いつでも潰しにかかられる。おそらく『無限トランク』を出版している王国伝信舎がそのように考え、このような形で記事を出したのは容易に容易に想像がつく。


 しかし、そのような固有名詞は配慮するものの、その内容については全く容赦がなかった。記事では「小麦特別融資」に関して、利子も手数料も小麦払いであることを指摘。何から何まで小麦尽くしだと揶揄しているのには、思わず笑ってしまった。この記事を書いた『無限トランク』の記者は相当センスがある。


 だが、せっかくアウストラリス公やフェレット商会の名をぼかしたのに、『貴族ファンド』の内情について、ここまで書いて大丈夫なのだろうか? これでは「顔を隠して尻隠さず」みたいなもので、誰と誰が結託して、良からぬ事をやっていますよと書いているようなものだ。それを考えると『無限トランク』の事が心配になってきた。


 対して、号外を出して仕掛けた形の『蝦蟇口財布』は「緊迫する王都、暴動への警戒態勢強まる」との表題を付け、暴動の発生を未然に防止する為、近衛騎士団や王都警備隊、そして『常在戦場』が市内を巡回していると伝えていた。また学園や学院の生徒達も巡回に加わっている事も書かれており、相当数の人員が動員されていると締めくくられている。


 しかし号外とはいえ、ここまでハッキリと書かれると、暴動を起こそうとする側は困るだろう。何しろ記事を読んでいると「暴動いつでもこい!」みたいな感じで、統帥府が万全の体制を敷いていると思えるからである。実際の話、現段階で全て合わせて二千人以上の動員が可能なのだから、おいそれと暴動なんて起こせない筈。


 考えてもみれば、『蝦蟇口財布』のこの号外自体、暴動に対して大きな抑止力を持っている。というのも、広く情報を提供する事によって民衆が大いに警戒して軽挙を慎み、暴動を起こす側も踏ん切りがつかずに腰が引けてしまうのではなかろうか。一文を以て暴動を止められるのであれば、その方が遥かに効率が良いだろう。


 もう一つの号外である『翻訳蒟蒻』だが、今回も論説記事だった。これは先週も思ったことなのだが、本当にネタ切れのようである。アウストラリス陣営も出せるネタがないのだろう。ただ前回は女編集長セント・ローズのものだったが、今回は社主であるイゼーナ伯爵家の夫人。あの車椅子ババア、イゼーナ伯爵夫人が執筆したものを掲載したのだ。


「国の為、民の為には貴族会議を開催しなければならない」


 平凡過ぎるタイトルとは裏腹に、その書かれている内容たるや、目も当てられないものだった。車椅子ババア曰く、長年慈善活動を行い民の為に終始一貫奉仕してきた我が身から考えた時、民を救うためには貴族会議の開催して、その窮状を知らしめるしかないと訴えた。よくもまぁ、心にも無いことをここまで書けると感心する。


 しかし誰がこんな文章を信じるんだ? いくらエレノ世界の住民が能天気な部分があろうとも、こんなヤツの文言をそのまま鵜呑みにするようなお人好しではないだろう。大体で駄文を論説といい、号外で出してまで配るような価値はない。ただ、アウストラリス陣営自体がタマ不足で、ネタ切れな上に焦っている事態は手に取るように分かった。


 しかし一週間以上授業に出ず、相場に没頭する暮らしというのには、なんとも言えない違和感がある。俺が学園で出入りする場所は、鍛錬場と浴場とロタスティと図書館のみ。アイリとは顔を合わせているが、クリスともレティとは全く会っていない。アイリの話によると、クリスは『御苑の集い』の準備の為、実家である公爵邸に帰っているという。


 先週、ルタードエら『常在戦場』の幹部達との会合の後に屋敷へ戻ったそうで、それから後は音沙汰がないらしい。ただアイリは『御苑の集い』にクリスの行儀見習いとして出席する約束になっているとの事。俺はどうなるのかとアイリに聞かれたので、商人の息子だから御苑の中に入るなんてまず無理だよと話すと、申し訳なさそうな顔をしている。


「ごめんなさい・・・・・」


「いやいや、最初からそのつもりだったから。俺の代わりに聖歌隊の合唱、しっかりと見てくれ」


「う、うん」


 戸惑いながらも笑顔で頷くアイリ。平民である俺、まして身分低き商人の俺が『御苑の集い』に参加しても、クリスの役に立ちそうもないので、最初から参加するなんて考えてもなかった。アウストラリス公が貴族会議の開催を建議してから感じるのだが、俺が出来ることなど本当に限られているのだと痛感させられた。


 これがドラマやアニメ、漫画や小説なら「異世界転生でチートな力を持って、あらゆる問題をササッと解決、ざまぁ!」なのだろう。が、実際問題。いくら異世界転生だろうと、チートな力を持っていようと、問題なんかササッと解決なんかする訳がない。異世界だろうと、現実世界だろうと、リアルである事には変わりがないのだ。


 大体、相手方の状況を知ること一つできず、又聞きの情報や雑誌の行間を読んで、あたり・・・をつけているような有様。アウストラリス派がネタ切れだとか感じても、それは俺の主観に過ぎず、実態がどうかなんてサッパリ分からないのが実情。文字通り暗中模索の状態なのである。


 そもそも「神の視点」なんて、現実には存在しないのだから、当然といえば当然。そんな中、俺の役割をようやく見出みいだす事が出来たのが、小麦相場。ここならば、これまでの経験が生きてくる。俺はようやく、自分のチート技能を使って戦える場に立つことが出来た。


 現実世界では積立NISAの範囲内みたいな取引しかしてこなかった俺だが、エレノ世界のインチキ相場とゲーム知識、そして商人属性というチート技能によって、かなりやりたい放題やっていると思う。貴族を直接切り崩しにかかっているレティには及ばないが、小麦相場を引っ掛き回して、クリスを少しでも支援をしたい。それが今の俺の願いである。

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