516 錦旗を掲げて

 エルベール派の領袖エルベール公や派閥実力者でナンバー二のホルン=ブシャール候が、クリス主催の『明日の小麦問題を考える御苑の集い』宰相支持を表明したという話は、大きなインパクトがあった。エルベール派貴族の多数が貴族会議の開催を支持しない事が確定したからで、この流れを作ったレティの切り崩し工作は値千金である。


「それだけではありません。学園長代行閣下が「国家危急の時、小異を捨てて宰相閣下を支えるべき時だと申され、支持を訴えられました」


 ボルトン伯はここで支持を表明してきたか。ミカエルの話によればボルトン伯は、中間派貴族に対して「今は国の為、民の為に一丸となって行動すべきとき」と結束を呼びかけ、その場にいた中間派貴族達が挙ってボルトン伯の支持表明を行ったそうである。これで中間派も一気に宰相支持で固まったな。流石はタヌキ親父だ。全くソツがないよな。


「ドナート候も宰相閣下の支持を表明なされました。今の小麦政策を強力に推し進める事こそが、王国の繁栄と民を救うことに繋がると」


 貴族派第五派閥ドナート候も支持を明確に打ち出してきたのか。これでエルベール派、ドナート派、そして中間派が宰相支持に傾いた。全部で十派ある貴族勢力のうち七派が貴族会議開催に慎重へと傾いたのである。俺が当初思い描いていた通りの展開。しかし、これだけでは、貴族会議の開催阻止とまでは言えない。もう一手が必要なのである。


「バーデット侯は何か言っていたか?」


「小麦問題について、しっかりと考えたいと仰っていました」


 しっかりと考えたいか・・・・・ なんとも微妙な表現だな。バーデット侯率いる貴族派第三派閥バーデット派が貴族会議開催に反対すれば、アウストラリス公が建議した貴族会議開催が完全に頓挫する。貴族会議開催を支持しているアウストラリス派とランドレス派の二派だけでは全貴族の二割程度にしかすぎないからだ。


「他には?」


「ウェストウィック公、アンドリュース候、ステッセン伯、シェアドーラ伯、アルヒデーゼ伯、トミタラット伯、リュクサンブール伯が挨拶をなされました」


 いずれも高位家。ウェストウィック公は言うまでもなくウェストウィック派の領袖、アンドリュース侯はアウストラリス派の副領袖、ステッセン伯は国王派第三派閥スチュアート派の代表幹事、シェアドーラ伯は宰相派の代表幹事、アルヒデーゼ伯はエルベール派、トミタラット伯はドナート派、リュクサンブール伯はウェストウィック派。


 多くの高位家が挨拶に立ったが、この中で貴族会議の行く末に鍵を握りそうなのは、貴族派第一派閥アウストラリス派の副領袖であるアンドリュース候だろう。他の高位家は貴族会議の開催に慎重、あるいは宰相閣下の支持を打ち出すなど、その立場が明確となっている。ウェストウィック公やステッセン伯、アルヒデーゼ伯がそうだ。


 また直接態度表明こそしてこなかったが、派閥や領袖の方針が既に出ており、その立ち位置が確定しているシェアドーラ伯、トミタラット伯、リュクサンブール伯も、意見としては同じと考えても良いだろう。唯一、領袖が貴族会議開催の建議を行ったアウストラリス派に属しているアンドリュース侯だけが、状況が異なるのである。


「アンドリュース侯はどう仰っていた?」


「小麦を取り巻く状況の中で、良からぬ話が漏れ聴こえるまでとなっている。これについてキチンと精査を行い判断をする必要があると、お話しなさいました」


 良からぬ話とは例の『貴族ファンド』の話か。それをキチンと精査して判断とは、一体どのような意味合いを持つのか。バーデット侯の言葉より掴みどころがなくて、どう解釈すれば良いのか分からない。しかし両者とも、どちらかといえばアウストラリス公に近い立ち位置。過度の期待は禁物だが、この二人の動向如何でこの戦いの決着が付く。


「姉がアルフォード様と一度お話がしたいと申しておりました」


「おおそうか!」


 ちょうどいい。こちらの方も天才魔道士ブラッドの件について聞きたかったのだ。しかし、改まって俺と話なんて、一体どんな話なのか?


「『御苑の集い』開催に助力をいただいた、エルダース伯爵夫人に改めて挨拶を行うにあたって、私の襲爵式にお世話頂きましたアルフォード様の同行をお願いしたいと・・・・・」


 なんだその回りくどい表現は。イマイチしっくりとこない。まず『御苑の集い』で役割らしい役割を果たして来なかった俺が、どうしてエルダース伯爵夫人に御挨拶をしなければならないのか。大体、ミカエルに言付けをしなければいけない程、レティと俺との関係は遠くないのに、どうして人を介して言ってくるのだろう。その辺りが疑問である。


「俺がか?」


「はい。どうもエルダース伯爵夫人の方からのお話のようで」


 ああ。レティの発案ではなく、エルダース伯爵夫人からの提案だったのか。それなら合点がいった。レティが考えたのなら、どうして俺? って事になるもんな。おそらくレティは俺に直接頼みづらかったのだろう。しかしエルダース伯爵夫人の方からということは、俺に何かの話があると考えても差し支えがあるまい。その中身までは想像が付かないが。


「では姉には伝えておきます」


 ミカエルは姉より封書で案内を差し上げますと丁寧に言うと、鍛錬に戻っていった。わざわざレティの方から誘ってくれるなんて都合がいい。こちらの方から、どう声を掛けようかと思案していたのだから。以前にあった『プロポーズ大作戦』の轍を踏んではいけない。肩の荷が一つ降りたので、鍛錬で握るイスの木も軽くなった気がした。


 ――昨日は『明日の小麦問題を考える御苑の集い』の様子見でヨコヨコだった小麦相場。月が変わった今日は、昨日とは一転、上げ上げ相場となったのである。相場が開く前にエッペル親爺と話をしていたのだが、昨日の終値である二五三六九ラントよりも上での買いが多数という事で、完全な上目線だと聞いていた。なので特に驚きはない。


 どうして昨日は様子見だったのに、今日は買い一辺倒になったのか。おそらく『御苑の集い』で、小麦対策の決定打はなかったという事に尽きるのではないかと思う。『小麦問題を考える』と銘打ちながら、集いの中で「宰相閣下を断固支持」と怪気炎を上げるといった感じでは、宰相府の方針は何も変わらないと取られるのは仕方がないだろう。


 方針が変わらないということは、状況に変化がないということなのだから、相場のトレンドはこれまでと変わらない。結果として上目線。恐らくはそういうことなのだろうと思う。そういったプレイヤーの心理は別として、こちらの方は小麦価を三〇〇〇〇ラントにするという「設定」をザルツに指令されている以上、粛々と実行するのみ。


 この日、午前の終値は二八三二五ラントまで急伸するも、午後からは息切れしたのか勢いは鈍化。一時二六〇〇〇ラント台まで下落してしまったので、俺が急いで買い支え、相場を持たせた。その結果、最終的には二八一四四ラントで引けて今週の取引が終わったのである。しかし、どうして午後からの買いが鈍化してしまったのか?


 取引が終わった後、エッペル親爺に連絡を取ると、貴族からの買いがピタリと止まったというのである。それまで旺盛な買いがあったのに、突然止まったので困惑していると話していた。一体何があったのだろうか? 俺達には確認するすべはない。答えは来週の相場の中にあるのだろうなという、エッペル親爺の言葉が妙に響いた。


 相場が一段落したので図書館に行くと、いつもの机、いつもの位置にアイリが座っていた。設定とはいえ、なんて律儀なのかと改めて思う。ただ、いつもと違って俺を見るなり立ち上がって、手招きしてきた。多分、昨日の話が早くしたいのだろう。俺は急いでいつもの席、アイリの迎え合わせの席に座ると、アイリは早速話を始めた。


「合唱が本当に素晴らしかったの!」


 開口一番、聖歌隊の合唱の話が出てきたのには、あまりにアイリらしくて笑ってしまった。そこかよ、とも思うが、そこがアイリじゃないか。それに合唱をしっかり見届けて欲しいと頼んだのは、他ならぬ俺。そういう意味ではアイリは約束を守ってくれたとも言える。アイリは目を輝かせながらその時の状況を説明してくれる。


「曲に合わせてクリスティーナが入場したわ」


 御苑に設けられた会場に『明日の小麦問題を考える御苑の集い』主催したクリスが、『常在戦場』の鼓笛隊の演奏をバックに入場したというのである。その曲をアイリが鼻歌で教えてくれる。それを聞いて、ヴェルディの「凱旋と勝利の大行進曲」の一節だということがすぐに分かった。有名な歌劇「アイーダ」で使われている曲だ。


 アイリは確かに音痴なのだが、音程はキチンと取れているので、どの曲か一発で分かったのである。以前、鼓笛隊を率いるニュース・ラインに「凱旋と勝利の大行進曲」の一節を渡した事があった。俺だったら安易にドラクエのオープニングを持ってきてしまうだろう。しかし、こういった選曲をする辺り、ニュース・ラインのセンスが光る。


「次に『常在戦場』の行進があったの」


 主催者が入場した後に『常在戦場』が行進したのか。アイリによるとミカエルの襲爵式の時の旗とは違う旗を掲げて入ってきたので、会場は大きなどよめきに包まれたのだという。ミカエルの時はリッチェル子爵家の紋章旗。今回は使われないのは当然の話だが、会場がどよめきに包まれるなんて、どんな旗を掲げていたんだ?


「クリスティーナが「錦旗・・」だと言っていたわ。あれが話が出ていた錦旗なのねと思ったの」


 錦旗か! 黒屋根の屋敷でルタードエがクリスに献策した「錦旗」。クリスが手に入るかどうかと、困った表情をしていた錦旗だが、手に入れる事が出来たのか!


「錦旗ってどんなものだった?」


「絹で作られていた青い旗よ。黄色の丸の中に三本足の黒い鳥が描かれた旗」


 三本足の黒い鳥? サッカーのあのカラスか? アイリの話では王国の紋章だとのこと。そうか! 錦旗とはノルデン王国旗の事を指すのか! だからクリスが難しそうな表情をしていたのだな。しかしルタードエも無茶な策を立てて来やがるぜ。俺は錦旗の意味をようやく知る事が出来た。

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