510 垂直落下

 『翻訳蒟蒻こんにゃく』が報道という域を突き抜けて、貴族会議開催への賛成を呼びかけるという号外を出してきた。いや、これは呼びかけるなんて甘いものではなく、支持を強要するに近いものを感じる。対して、これを迎え撃つ形となった『週刊トラニアス』の方だが、はたまた大ネタで勝負をしてきた。


「アンドリュース侯、『明日の小麦問題を考える御苑の集い』に参加!」


 アウストラリス派の副領袖と言われるアンドリュース侯が、御苑で開かれるノルト=クラウディス公爵令嬢主催の『明日の小麦問題を考える御苑の集い』に出席する意向を固めたと報じたのである。記事によると、これを受けて複数のアウストラリス派の貴族が『御苑の集い』に参加する見通しだと書かれている。


 このアンドリュース候らの『御苑の集い』への出席という動き。これに伴い少なからぬアウストラリス派貴族が『御苑の集い』に参加するものと思われ、これがアウストラリス公が建議している貴族会議開催の成否に大きく影響を及ぼすのではないかと、記事は締めくくられていた。


 おそらくは、この記事に書かれているネタ。つまりアンドリュース侯らの『御苑の集い』への参加という話が伝えられる事を察知したアウストラリス陣営が目くらましの為、『翻訳蒟蒻』に無理矢理号外を出させたものと思われる。逆に言えば、アンドリュース侯らアウストラリス派貴族らの参加は、陣営にとってそれだけ不都合な情報だと言えよう。


 俺が『週刊トラニアス』と『翻訳蒟蒻』に目を通していると、魔装具が光った。エッペル親爺からの連絡で、小麦相場が開始早々、一気に九五〇〇ラント台まで急降下したとの事。一三〇〇〇ラント辺りで買いを入れていたプレーヤーが、一瞬で三〇〇〇ラント以上の損失を抱えた計算だ。だが、こんなもので終わらせるつもりは毛頭ない。


「おい、朝一で四〇〇億ラント以上が動いた。見たこともねぇ、大商いだぞ!」


 エッペル親爺の声が上ずっている。動いたカネが桁外れだったからだろう。分厚い買い注文が全て成約し、そのカネは売り主の元に渡ったはず。そのカネを手にしたのは言うまでもなく、ジェドラ商会とファーナス商会である。俺に向かってエッペル親爺が震え声で聞いてきた。


「グレン。本当に売るのか?」


「もちろんだ。親爺、一気に売るぞ!」


「お、おうっ」


 この急落に、さしものエッペル親爺も狼狽しているようだ。だが、小麦相場の暴落など既に俺は織り込み済み。「開いた窓は閉じられる」というのが相場の格言。週明け開いたどデカい窓がしっかりと閉じられたのだと考えればいいのだ。現実世界だろうと、エレノ世界だろうと、どんな世の中であろうとも、整合性を取ろうとするもの。


 という訳で、俺はこれまで買い入れてきた小麦を放出し、容赦なく売り浴びせた。その結果、小麦相場は見る見るどころか、直滑降レベルで下落していく。その挙げ句、小麦価が墜落しすぎてしまい、値そのものが飛んでしまったのである。七八二九ラントから、なんと五〇〇〇ラントを切る四七五〇ラントへと値がワープしてしまったのだ。


 これを見た一部のプレーヤーは恐慌をきたしたのだろう。狼狽的な投げ売りが行われ、なんと三〇〇〇ラントを切ってしまった。あまりのインチキ相場ぶりに、流石の俺も引いてしまう。ドン引きレベルの垂直落下ぶりから、いつもなら起こる買い戻しさえ起こらず、この日の終値は一〇〇〇〇ラント以上も値が下がった二四五六ラントで引けたのである。


 一日で一〇〇〇〇ラント以上も値を下げてしまった小麦相場。一三〇〇〇ラントで高値掴みをした多くのプレーヤーは何が起こったのか分からず、今頃顔面蒼白になっているのではないか。実は取引終盤に買い上げようかとも思ったのだが、プレイヤー諸氏には不安な休日を送ってもらいたかったので、今回は買い上げるのを止めておく。


 取引が終わってから、若旦那ファーナスやウィルゴットから相次いで連絡が入った。ファーナス商会が一九〇億ラント、ジェドラ商会が二三〇億ラントの売却益が出たとの事で、二人共空前の利益だと大興奮で俺に報告してきたのである。若旦那ファーナスは「これが相場か!」といい、ウィルゴットは「爆益過ぎるぜ!」と歓喜した。


 二人には「これだけ儲けさせてもらって、本当にいいのか?」と聞かれたのだが、俺は「いいよ、いいよ」とだけ返答しておいた。というのも今日の俺の収益は七八四億ラントと、二つの商会の合計額四一〇億ラントより多くの額を稼いでしまっているので、何も言えなかったのだ。実は一番儲けていたのは俺というのが、なんとも後ろめたい話。


 この一週間、アイリと歌詞合わせをしていた一日を除き相場に専念する中、売り買いに傾注したので一二〇〇億ラント以上の収益が上がっていた。所持している総資産額も六〇〇〇億ラントを突破し、相場を釣り上げて出費している筈が逆に増えてしまっている訳で、こういう状態の事をおそらくは焼け太りと言うのだろう。


 どうして俺がジェドラ、ファーナス商会よりも安値で売っているのに、俺の方が収益が上がっているのには理由があって、商人特殊技能である『ふっかけ』と『値切り』の力によるものである。今の俺は『ふっかけ』で相場値の五割増で売り、『値切り』で相場値の五割引で買う事ができるので、得られる収益が格段に多い。


 今日のケースであれば、九五〇〇ラントで小麦を売ったのだが、『ふっかけ』を使うことで相手に一四五〇〇ラントで売ることができた。その差四七五〇ラントを余分に利益を上げる事ができている訳で、ここが高収益の秘密。もっと言えば七〇〇〇ラントで買った小麦は、実際には三五〇〇ラントで購入しているので、その差は一一〇〇〇ラント。


 あまりにもインチキ過ぎるスキルの為、嫌でも収益が上がりまくってしまうのだ。因みに『ふっかけ』や『値切り』で生じる差額分は、全て相手方の負担となる。つまり俺が相場に参画する限り、多くのプレイヤーは損をするしかないという訳だ。その損を被っているのは、『貴族ファンド』の小麦融資を受け、小麦を買った貴族達なのは間違いない。


 この一週間で気付いた事なのだが、俺が小麦相場にのめり込めばのめり込む程に、小麦相場へ入れ込んだ貴族達の被害が増していく形になる。何故なら売り買いを増やせば増やす程に、俺の商人特殊技能の被害を受けていく事になるからだ。これが商人ならば、相手も商人特殊技能を行使して、特殊技能のダメージが薄まるからである。


 例えば俺が『ふっかけ』で五割増で売ったとしても、相手の商人が『値切り』を使い二割引とした場合、俺は実質的に三割増で売った形。しかしこれが貴族ならばそんな技能はないので、俺の技能をモロに受けてしまう。いわば俺の存在自体がジョーカーみたいなもの。さて、次はどう小麦相場を展開させるか。俺は、来週の相場戦略に思いを馳せていた。


 ――俺はアイリと『常在戦場』の鼓笛隊長ニュース・ラインと同じ馬車に乗って、ケルメス大聖堂へ向かっていた。いつもであれば俺とアイリだけで馬車を乗るのだが、今日は勝手が少し違う。一昨日のニュース・ラインとの会合でケルメス宗派の聖歌隊に合唱を頼む事を決めたので、ニュース・ラインと一緒に向かう事になったのである。


 だから車上、アイリが微妙な表情を浮かべているのではない。微妙な顔をしているのはアイリだけではなく、同乗しているニュース・ラインも同じである。何故なら俺達が乗る馬車の前後には、護衛の為の馬車がそれぞれ配されていたからだ。俺達は第五警護隊副隊長のリキッド・シュメールが指揮する護衛に守られて、ケルメス大聖堂に向かっていた。


「・・・・・このような大仰な形となってしまいまして、申し訳ございません」


 恐縮して詫びてくるニュース・ライン。自分が大聖堂の聖歌隊にお願いしようという発案をしてしまったが為に、このような形になってしまったと嘆いている。


「私も軽はずみに『御苑の集い』で歌を入れたら、なんて言ってしまったから・・・・・」


 ニュース・ラインの言葉を受けてか、アイリも肩を落とした。二人共、こんなケルメス大聖堂へ行くのにこんな大袈裟な状況になるなんて思いもしなかったのだろう。しかしこれは、俺を警備する為のものであって、二人は何も悪くない。


「そうじゃない。俺が悪いんだ。自分がいつの間にか、警備される対象になってしまったから、こんな事になってしまったんだ。詫びなきゃいけないのは俺の方だ」


「おカシラ・・・・・」


「グレン・・・・・」


 ニュース・ラインとアイリが申し訳無さそうな顔をしている。今朝、学園の馬車溜まりでアイリと一緒に馬車を待っていると、ニュース・ラインが乗ってきた馬車の後に二台の馬車が入ってきた。それが共に第五警護隊に属する学園駐在隊の隊士達を乗せた馬車だったのである。


 馬車が停車すると、その隊士達を率いていたリキッド・シュメールが馬車から降りてきて、俺を警護する為に同行する旨を告げてきた。その際、シュメールの物言いがキツかったので、アイリやニュース・ラインが乗り込んだ馬車の車上で微妙な顔になってしまったという次第。


 シュメールが二人に向かって「おカシラがお出かけになる際には警護が付くこと、把握なされよ」といった感じのニュアンスで話したのが、どうも二人には引っかかったようである。まぁ、シュメールの方からしたら、責任感から言ったのだろうが、アイリやニュース・ラインにはどうでもいい話。


 それを「お前ら、それぐらい知っておけ」みたいな物言いをされては、気分が良い筈がない。しかしこういう状況になったのも、宰相ノルト=クラウディス公と貴族派の巨頭アウストラリス公との貴族間抗争や、フェレット=トゥーリッド枢軸と三商会連合との商人間抗争に俺が深く関与した結果。だから、俺が二人に詫びるしかなかった。

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