508 華龍進軍

 『明日の小麦問題を考える御苑の集い』で使用する曲の打ち合わせを行う為、黒屋根の屋敷に初めて来訪した『常在戦場』鼓笛隊長ニュース・ライン。到着するなりフルコンが見たいというのでピアノ部屋へ案内したのだが、部屋に入ったニュース・ラインは宝物を手に入れた子供のように、一人はしゃいでいた。


「おお、実に素晴らしいピアノだ。ジニアで見たとき以来ですな」


 のニュース・ラインはフルコンを見るなり大興奮してしまい、話どころではなくなったのである。おかげで俺は、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」行進曲、グリンカの「ルスランとリュドミラ」序曲、シューベルトの「セレナーデ」など十曲ほど弾かさせられる羽目になってしまった。その中に「闇は広がる」が入ったのはご愛嬌である。


 俺が曲を弾いている合間に、ニュース・ラインは自身が体験したピアノにまつわる話を始めた。話によれば、ニュース・ラインがサルジニア公国の首府ジニアで音楽の勉強をしていた頃、これと同じフルコンを見た事があるらしい。そのフルコンを見た場所は「サルジニア公立芸術院」というところ。俺はそこに通っていたのかと聞いた。


「いえいえ、私なぞ通えるようなところではございません」


 残念ながらニュース・ラインが通っていたのはジニア器楽学院というところ。曰く、芸術院に通える者など幼少期から専門教育を施された子弟のみだと話していた。日本の音楽教育のそれと変わらないな。しかしジニア器楽学院の話を聞くとこちらも相当なもので、各演奏科や作曲科だけではなく、なんと楽器製造を学ぶ製作科まであったのだという。


「そんな所で学べたんだ。凄いじゃないか!」


「拝み倒して入れて頂けたのですよ」


 ニュース・ラインは学びたいという一心で、学院長に頼み込んで入学が許されたらしい。しかしその後が大変で、他の生徒達に追いつくために必死だったそうである。俺は音大コースから遠く離れたところにいたので、その大変さというものはイマイチ分からない。分からないのだが、非常に大変なのは理解できる。そして卒業した後の話も・・・・・


「何とか卒業はさせて頂きましたが、ノルデンに帰ってきても・・・・・ 仕事がなかったのですよ」


 やっぱりな。これは日本もノルデンも基本同じだ。日本の場合、音楽だけではなく、芸術科全般に亘ってそう。とにかく職がないのだ。しかしノルデンの場合、音楽そのものがないのだから、仕事が無いどころの話ではない。ニュース・ラインもさぞ大変だっただろう。そんなこんなで話をしていると、アイリが困ったような顔をしている。


(あっ、いつになったら打ち合わせが始まるんだと思ってるんだな)


 出だしから話が脱線してしまって、ニュース・ラインがここまで来て話さなければならない事。行進する際の曲の選定と、アイリと歌詞合わせをした「華龍進軍」の話が出てくる素振りが全く無いので、どうしようかと思っているのだろう。なので俺は話を切り上げ、代わりにニュース・ラインに行進曲の話を振った。


「それについてですが、こちらの曲はいかがでしょうか?」


 ニュース・ラインが出してきた曲に、思わず吹き出してしまった。なんと以前、俺が渡した「ヤマダ電機の歌」だったからである。ジョークで渡したつもりだったのだが、まさかこの曲で勝負をしてくるとは・・・・・ 楽譜を見ると行進曲風にキチンとアレンジされている。ニュース・ラインのあまりの猛者ぶりに、絶句してしまった。


「いや。これはちょっと・・・・・」


「おカシラ。何か問題でも?」


 大アリだ! 御苑はヤマダ電機の店内じゃないんだぞ。確かにコマーシャルソングというものは耳に残りやすい。それがクライアントの望みだし、作曲者の狙いなのだから。だからニュース・ラインが気に入ったのだろうが、しかしいくらなんでも、その選曲はあり得ない。しかし、まさか渡した楽譜をアレンジまでしてくるなんて、本当に想定外である。


「ああ、それよりもこちらの方がいいんじゃないか」


 俺はニュース・ラインが持ってきた楽譜をヒョイと無作為に取り出した。見るとタイケの行進曲「旧友」である。学校の運動会やらでよく使われている曲だ。以前ニュース・ラインに頼まれて幾つか渡した、行進曲の内の一曲である。俺が渡した楽譜とは変わっているので、これもニュース・ラインが編曲したのだろう。


「どうだ、「旧友」で行くのは?」


「「旧友」ですか・・・・・ ベタですけど、いいんですか?」


 ベタ・・・・・ こちらでもそう言うのかと思わず笑ってしまったが、話の本題から逸れるので、敢えて触れないようにした。俺は改めて事情を聞くと、この「旧友」を普段、行進の練習の際に演奏しているのだという。ということは、『常在戦場』の隊士達は、「旧友」のリズムに慣れているという事だな。


「だったら、尚更いいじゃないか。『御苑の集い』まで、あまり時間がないんだ。それに今回は場所が場所、御苑だ。間違いが許されない。短時間の間にビシッと合わせられる曲の方が良いぞ!」


「確かに・・・・・ 言われてみればそうですな」


 そう言いながら、ニュース・ラインをその気にさせる為、俺は「旧友」を弾いて気持ちを盛り上げさせた。するとニュース・ラインも俺の演奏に合わせて、首を振り始める。俺が「どうだ」と聞くと、「やはりリズムが取りやすいのですよね」と返してきた。その話しぶりからすると、ニュース・ラインはこの「旧友」を気に入ってはいるようである。


「分かりました。行進曲は「旧友」で行きましょう」


「おお。それで頼む」


 何とか「ヤマダ電機の歌」を行進曲にする事は回避できたようで、内心ホッとした。今回ニュース・ラインが候補に上げた「ヤマダ電機の歌」は、別の機会に演奏できる機会を設けて、供養をしなければいけないだろう。俺の仕事がまた一つ増えてしまったが、そのタネは自分自身で蒔いてしまっているのだから自業自得。こればかりは仕方がない。


 俺は今日の本題、『華龍進軍』にアイリの付けた詩を乗せて歌詞合わせした楽譜をニュース・ラインに見せた。そして俺はピアノで演奏しながら、歌い流す。アイリが黙って見ていたのは、事前に俺が言っておいたからである。今日はニュース・ラインに歌わせよう、と。アイリの歌でイメージができるのを避ける為の選択だった。


 俺が演奏をしながら軽く歌っていると、楽譜を見ていたニュース・ラインが小声で歌い始めた。流石はニュース・ライン、初見でもしっかり音程は取れている。演奏が終わると、ニュース・ラインがよくこんな曲をと感心している。演奏に合わせて歌ったのも初めてだと。俺はこの曲の経緯、アイリが詩を付けて、歌詞合わせをした事を話す。


「この曲を『御苑の集い』で演奏したらどうかと思ってな。だからわざわざ来てもらったのだ」


「なるほど! しかしこの曲を演奏しようと思えば、合奏だけではなく、歌い手も必要となりますな。どちら様が歌われるご予定で?」


「未定だ。だから相談しようと思ったのだ」


「!!!」


 俺の言葉にニュース・ラインが固まってしまっている。歌い手についてはニュース・ラインに考えてもらおうと思ったが、それは難しかったか。最悪、歌が歌える人間を一人見つけてきて、『音量増幅(ボリュームブースター)』で声を増幅させれば何とかなる筈。しかし、俺の考えは甘かった。そもそも歌える者がいないというのである。


「歌ですか・・・・・ ううん、難しい・・・・・ 曲は素晴らしいのに・・・・・」


 頭を抱え込むニュース・ライン。まさか歌い手がいないという、入口段階でコケるなんて、思っても見なかった。しかし、よく考えたらこのノルデン、音楽不毛の地なんだよな。もしかして歌い手一人を見つけるのも至難の業なのか? だとしたら「華龍進軍」の披露どころの話じゃない。俺がその事実を知って肩を落としていると、アイリが聞いてきた。


「教会の聖歌隊はどうなのですか?」


 聖歌隊・・・・・ あのザビエル軍団か! 賛美歌を歌う聖歌隊は、確かに歌い手。俺にその発想はなかった。音楽のないノルデンにも居たんだな、歌い手が。アイリの言葉を聞いたニュース・ラインは目を見開いている。


「それですよ、それ! 聖歌隊なら確実に歌えます。しかし・・・・・」


 しかし喜んでいたニュース・ラインのトーンが、再び下がった。


「聖歌隊が歌って頂けるか・・・・・」


 ニュース・ラインが考え込んでいる。確かにそうだよな。アイリもニュース・ラインの言葉に溜息をついている。この楽譜をいきなり持っていって、聖歌隊が歌えるのかどうか。それ以前に、『御苑の集い』で歌うことを引き受けてくれるかどうかという問題もあるだろう。しかし、それだったら交渉の余地はあるんじゃないのか。


「だったら、一度交渉してみよう」


「えっ!」


「ケルメス大聖堂へ行って、聖歌隊に歌ってもらうよう説得してみよう」


「そんな事ができるのですか!」


 驚くニュース・ラインに、ケルメス宗派の長老格であるニベルーテル枢機卿と一度掛け合ってみようと話すと、ニュース・ラインだけではなくアイリまでもが仰け反っている。ニュース・ラインがニベルーテル枢機卿と直接話ができるのですか! と前のめりになって聞いてきたので、「そうだ」と答えると、アイリが俺に言ってきた。


「枢機卿猊下げいかと直接お会いして、お願いをするのですか?」


「もちろんだ。封書を送って事情を伝えてから、ケルメス大聖堂を訪ねよう」


 例のトラニアス祭を起こした暴動の容疑者を裁いた後、体調を崩されたというニベルーテル枢機卿。あれから時間も経っているから、もう回復されているだろう。大聖堂の図書館にある魔導書の整理に目処が付いた話もしたい。聖歌隊の話が出てきたのも、丁度いい巡り合わせ。ニベルーテル枢機卿と会える絶好の好機である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る