507 アイリの提案

 アイリが自分で歌う事だけに飽き足らず、クリスやシャロンにまで歌わせようという野望を披露した。話を聞いていて何か魔の手を伸ばそうとしているような気がしたので、俺はさり気なく話題を転換することにした。


「明日、鼓笛隊長が屋敷に来て、行進する時に使う曲を決める事になった」


「昨日の話の?」


「ああ。行進する曲の選定を頼まれたからな」


 クリスが曲を気にしていたという事は、新曲を考えて欲しいという意味だろう。俺はそう取った。なので、それに相応しい曲を選定しなければいけないのだが、一方で鼓笛隊が全く弾いていない曲を選ぶ事はできない。何故なら新曲を十日程度で仕上げるなんて無理な話だからだ。その場で言えばすぐ演奏できるなんて甘いものじゃない。


「あのぅ・・・・・ いいかなぁ」


 どうしたんだ? アイリが珍しくモジモジしている。俺はアイリに話すように促すと、しばらくしてアイリが俺に言った。


「一曲、歌を演奏したらいいと思うの」


「う、歌!」


 何を言い出すと思ったら、歌! いきなりの提案にビックリした。歌かぁ。確かに式典をやる際に歌うことは多いな。国歌や校歌、大会歌なんかはその部類。アーチストのライブなんかでも、定番は必ずある。しかし歌かぁ。確かに悪くはないが、歌が溢れている現実世界と違って、こちらの世界では歌なんてものは殆ど無い。


 なの歌そのものを選びようがない。一応はケルメス宗派に賛美歌らしきものがあるが、いくらなんでも「祇園精舎の鐘の声」じゃダメだろう。式典なのだから、きらびやかにしなきゃいけないのに、滅びの始まりみたいな歌を歌う訳にはいかない。それに歌を決めたとして、誰が歌うのかという問題もある。考えれば考える程、ハードルが上がっていく。


「これ・・・・・ どうかな」


 アイリが恐る恐るといった感じで、俺に紙を差し出してきた。見ると綺麗なノルデン文字が書かれている。アイリの字は、丁寧に書くから一目瞭然。書いたのがアイリだとすぐに見分けられる。文章には「光る太陽」とか「美しい大地」とか「輝く川」といった単語が散りばめられていた。これは詩だ。アイリ、これは一体・・・・・


「グレンがよく弾いてくれる「華龍進軍」に歌を付けてみたの」


「あっ!」


 俺は思わず声を上げた。アイリが聞きたい聞きたいとせがんでくる曲の一つ「華龍進軍」。光栄のゲーム、三国志Ⅴの曲だ。よくテレビ番組で使われていたので、曲を調べたら作曲しているのが服部隆之というのでビックリした。因みにこのゲームの中で一番良いなと思った曲は「竜戦」という曲なのだが、こちらはあまり流れてこない。


古人いにしえびとより受け継ぎし この美しきノルデンを 未来の人へと引き継いで)


 詩の中身がなかなか良い。ノルデン語の歌詞と脳内に流れる曲とが、しっかりとシンクロしているのだ。「マルニ湖に降り立つ一角獣ユニコーンに守られた」とか、「新たな教えで導きし聖杖せいじょう」といった、ノルデンにゆかりの深い宗教的なフレーズまで入っているのが驚きである。俺はアイリの詩に没頭してしまった。


「どうなの?」


 俺が黙って詩を見ているからだろう、アイリが不安そうな感じで聞いてくる。


「いいじゃないか!」


「ええっ!」


「素晴らしいよ、アイリ。こんなセンスがあったなんて!」


 俺はアイリに賛辞を送った。俺が知らぬ間によく、こんな詩を書き上げたものだ。


「この詩、まだ出来ていなくて・・・・・」


 控え目に言うアイリ。アイリが気にするように、確かに完成はしていない。が、この神に祝福されたこのノルデンの地を先祖から引き継いで、子孫に渡そうという大きなテーマが描かれているので、詩の骨格はキチンと出来ているのだ。完成している云々より、そちらの方が遥かに重要。むしろ、ここまで出来ている事自体が凄い。


「御苑の集いはこれで行けばいい。クリスも望むものになる」


 俺は立ち上がると、ピアノ部屋へ行こうと誘った。一刻も早くピアノと詩を合わせたかったのである。


「でも、まだ完成していないのに・・・・・」


「いいから、いいから」


 戸惑うアイリをせっついた。これからピアノに合わせるんだから、そこで完成させてしまえばいいんだ。俺の中ではアイリの詩は採用が決まっていたので、何も迷う必要はない。俺はアイリを連れて黒屋根の屋敷のピアノ部屋に飛び込むと、後は二人でひたすら歌詞合わせに打ち込んだ。そしてこの日は結局、二十時過ぎまで部屋に籠もったのである。

 

 ――アイリは次の日、朝から屋敷のピアノ部屋に来ていた。昨日行っていた「華龍進軍」とアイリの詩の歌詞合わせ。その作業の続きを行う為である。小麦相場の方は昨日終値が一二九四六ラントと、特別大きな動きがなかったので、一四〇〇〇ラントの指値だけを入れて放置し、歌詞合わせの作業に全集中をする事にした。


 俺が鍛錬を早めに切り上げ、ロタスティでアイリと合流して黒屋根の屋敷に入ったのだが、学園は今日も平常通り授業が行われている。しかしアイリは授業に出ず、こちらへ来る選択をしたのだ。昨日の別れ際、アイリの提案で朝から一緒に歌詞合わせをする段取りとなったのである。結果として、真面目なアイリが授業をサボった形になってしまった。


 ヒロインに授業をサボらせる。俺がゲームのプレイ中、アイリをサボらせて以来の出来事。ゲームでは攻略対象者にアイテムを貢ぐ為、そのアイテムを買うカネが必要だった。だからそのカネを稼ぐ為、ビート相場に手を出したという訳だ。ところがこのビート相場、取引が始まるのは授業中。だから授業をサボらなければ、取引ができなかったのである。


 ビート相場でカネそのものは稼げるのだが、学校をフケて取引するので不良になってしまい、攻略対象者の好感度が下がってしまうという悪循環に陥る。これが乙女ゲーム『エレノオーレ!』で起こる無課金地獄。課金すればアイテムを買って渡せばいいだけの話なので、好感度を気にする必要はない。むしろ上げる事だけ考えればいいのだ。


 ところが無課金であれば、それどころじゃない。アイテムを買うカネが必要なので、ビート相場やカジノで稼がなくてはならなくなる。しかしリアルアイリと接する中で、アイリが取引ギルドやカジノなんかに出入りするなんて、想像すら出来ない。ゲーム上の事とはいえ、それをさせていた俺は凄く罪深い事をしていたなと、罪悪感に駆られてしまう。


 一方でリアルレティはといえば、自ら進んでカジノに赴き、積極的にカネを稼いでいるので、何だかなぁとは思った。子爵家のカネを使わず、カジノで稼いだカネで暮らすヒロインというのを目の当たりにすると、偉いなぁと感心する一方で、普通に引いてしまう。ワイン片手に博打を打つヒロインなんて、まず考えられないからな。


 ゲームでは取引ギルドやカジノに出入りすれば、攻略対象者からの好感度が下がるようになっていたが、それは当然だろう。学校をサボって相場に入れ込んだり、博打に精を出したりしたら、恋愛も興醒める。大体、ヒロインが社会規範から逸脱し、学校をサボるなんて事自体があり得ない。


 しかし今回、アイリが授業をサボってまで、ピアノ部屋に来てくれたのは正直嬉しかった。アイリは鼓笛隊長のニュース・ラインが来るまでに歌詞を仕上げようと、その一心で来てくれたのだから。実は昨日、歌詞合わせの作業が二十時過ぎてなおも仕上がらず、時間も遅くなってしまったので、これからどうするのかという話になったのである。


 しかしアイリは寮に戻るという選択をした。そこで俺とアイリは学園に戻り、ロタスティで一緒に食べて別れたのだ。もしこれがクリスならば、屋敷の部屋で寝ると言って聞かなかっただろう。真面目で固いアイリにホッとする一方で、少し寂しい気もする。だが一緒の布団で寝るような事になってしまったら、自制が効かなくなりそうで怖いのは事実。


 クリスの場合には公爵令嬢という限りなく分厚い殻があったので、何とか理性を保つことができた。またクリスの方もその殻が故に、俺に迫ってくるのが精一杯だったのは間違いない。だからあそこで止まったのだが、アイリの場合にはそういったものがない。だから阻むものは何もないので、最後まで行ってしまいそうな気がする。


 それはそうと、俺とアイリは時間を忘れ、歌詞合わせに没頭した。俺がピアノを弾いて、アイリが歌う。いつもなら気になってしょうがない、アイリの音痴も全く気にならなかった。それぐらい二人で行う歌詞合わせは楽しい。おかげで昼食も食べることなく、ニュース・ラインがやってくる時間まで、俺達はピアノ部屋に籠もり続けた。


 歌詞合わせに目処がつき、俺達がピアノ部屋から出ようとしたタイミングでニュース・ラインがやってきた。まるで測ったかのような間合いだったので、俺とアイリは顔を見合わせて笑ってしまったのだが、ニュース・ラインの方も負けず劣らずニコニコしている。俺が執務室に案内しようとすると、ニュース・ラインは顔色を変えて首を横に振った。


「おカシラ、ピアノ部屋にフルコンがあると仰っていたではありませんか!」


 少し怒ったような顔で言ってくるニュース・ライン。話が終わった後で見せようかと思ったのだが、ニュース・ラインにとってはこちらの方がメインだったようだ。これが好事家根性なんだよなぁ。武器談義に花を咲かせるスピアリット子爵や武器商人のディフェルナルなんかと同じ。まぁ、俺も人のことは言えないのだが・・・・・


「おお、ピアノ部屋からでいいのか?」


「もちろんですよ。ピアノ部屋の中だけ・・で十分」


 満面の笑みで答えるニュース・ライン。どうやらニュース・ライン、今日は最初からピアノ部屋で話をするつもりだったらしい。という訳で俺とアイリは、一旦出た筈のピアノ部屋に引き返す形となり、引き続きピアノ部屋で籠もる羽目になってしまったのである。

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