502 資金の価値
小麦量から見た時に、小麦価格が倍になれば『貴族ファンド』の資金価値が半減するというピエスリキッドの指摘は、中々斬新なものだった。つまり小麦価を釣り上げれば、『貴族ファンド』の威力が相対的に落ちるのだから。おそらくは『貴族ファンド』、小麦無限回転を考えたであろう、ミルケナージ・フェレットも気付いていない筈。
「しかし小麦価が倍に上がれば、換金して倍のカネを手に入れる事になってしまうのでは・・・・・」
「その点は心配無用です」
ファーナスの疑問について、エッペル親爺が否定した。エッペル親爺が言うには、小麦融資を受けた貴族は買いの一点のみで、これまで売ったことは一度としてないと。俺は即座にその理由を説明した。
「小麦特別融資の契約で、購入して半年以内に小麦を売ったら違約金が発生するんだ。だから売りたくても売れない」
「そんな縛りまでやっているのか!」
これにはさしものエッペル親爺も驚いている。無担保融資融資なら発生しないが、有担保融資を受けたカネで買った小麦を売れば、違約金を払わなければならない。ディール子爵家で見た契約書の内容がそうだった。クラート子爵家の契約も同じだったので、他の貴族家が結んでいる契約も恐らく同じ。エッペル親爺が呆れたように言う。
「儂は売れば小麦価が崩れるので、価値を高める為には売りたくても売れないとばかり思っておったぞ」
「それはあながち間違いでもありますまい。小麦を売れば、当然ながら小麦価が崩れますからな。売れぬ大きな要素であるのは間違いないでしょう」
エッペル親爺の話を聞いたザルツは、親爺の言葉を肯定した。俺もザルツの見立てに賛同する。人間というもの一つの要素だけで縛られている訳ではない。例えばカネが少なくて動けないという場合、単にカネがないからという要素だけで動けないだけではなく、精神的あるいは心理的な圧迫感を受けているという要素も働いている事が多い。
これは人間というものが一つの要素だけではなく、複合的な要素によって縛られている事を示している。なので、違約金既定の縛りと小麦価を高める意識が相互に影響し、融資を受けた貴族は買いの一点となっていると考えた方が良いだろう。だから人というのものは面倒くさい。だから大変であっても、同じ仕事と向き合っていた方が気楽なのだ。
「『貴族ファンド』から見た時、相場値を釣り上げる為には、小麦の買い込みを続けねければならない。だから貴族にカネを貸し、小麦を買い支えさせているとも言えるだろう」
ザルツが指摘はもっともである。『貴族ファンド』は貴族を挟んで、小麦相場へ介入しているのだ。一方、貴族の側は自己資金を動かさずに『貴族ファンド』のカネを使い、小麦を介した資産形成を行っていると考えてもいいだろう。相場が倍になれば、資金価値が半減すると話した後、考え込んでいたピエスリキッドが困惑したといった感じで言う。
「言い出した私が申すのもなんですが・・・・・ 問題はどうやって、小麦価を上げるのか・・・・・」
「それならば、最良の策があるぞ」
「えっ!」
自信ありげに断言したエッペル親爺の言葉に、ピエスリキッドが驚いている。しかしエッペル親爺、どんな手があると言うのだ? いくら『取引請負ギルド』の総責任者であるとはいえ、無闇に相場なんかへ、直接手を突っ込むことはできんだろ。
「稀代の相場師、グレン・アルフォードがいるではありませんか!」
はぁ????? エッペルの言葉で皆の視線が俺に集まる。
「並外れた相場勘で巨額資産を築いたグレンならば、小麦相場を釣り上げる事など造作もないこと」
「おいおい、親爺。言い過ぎだぞ!」
「言い過ぎなもんか。誰が『値切り』で五掛けなんて事ができる? 『ふっかけ』なんか五割増じゃねえか。お前が相場で負ける訳なんかねえよ!」
「待て! 五掛けで買いって本当か!」
「なんだその五割増の『ふっかけ』ってのは!」
エッペル親爺の話に若旦那ファーナスとウィルゴットが驚いている。リサに至っては「グレン。よくも黙っていたわね!」とニコニコ顔で言ってきた。なんだ、その脅迫じみた物言いは。ロバートやリシャールのように固まってくれていたらいいものを。固まっているといえばピエスリキッドも同様で、冷静なピエスリキッドでも驚くことはあるのだと思った。
「グレンの秘密は特殊能力にあったのか」
ジェドラ父が驚きというよりかは、呆れに近いような感じで一人頷いている。ジェドラ父、イルスムーラム・ジェドラの場合、『値切り』が三掛け、『ふっかけ』が二割増し増しだとのこと。さすが王都ギルド二位の座を実力で維持しているだけあって、中々能力が高い。そんな中、シアーズがニヤニヤ楽しそうに言ってくる。
「どうだろう。稀代の相場師、グレン・アルフォードに全てを任せてみては?」
「それが一番でございますな。ザルツ殿」
上様に悪だくみを進言するかのような話っぷりでザルツに振るワロス。いくら転生しようが、その桔梗屋芸に何ら変わりがないという事実に唖然とした。
「まさにそうですな。ここは愚息グレンに
全てとはなんだ、全てとは! 大体でエッペル親爺がけしかけるなんて、取引所の人間が人に相場を弄れと言ってるのと同じ。インサイダーも甚だしいではないか。ジェドラ父が話す。
「小麦価を釣り上げて『貴族ファンド』の資金を小麦相場に吸い上げる。そうすることで、アウストラリス公が行っている貴族の切り崩しを阻むという手か」
「しかし相場が倍になったからといって、『貴族ファンド』の資金が全て吸えるのかどうかは・・・・・」
ピエスリキッドが疑問を呈した。相場が倍になった場合、融資額を同じにしても買える小麦の額は半分になるが、そこから更に倍になれば少量の小麦であっても収益額に変わりがないのではないかというのである。つまり二五〇〇ラントの小麦を買うのと、五〇〇〇ラントの小麦を買うのであれば、同じ融資額では半分しか買えない。
が、仮に五〇〇〇ラントで仕入れた小麦が一万ラントになった場合、少ない融資であっても十分な利益が出る。ならば『貴族ファンド』が融資額そのものを変える必要がないのではないか。これがピエスリキッドの意見。なるほど、ピエスリキッドの言には一理ある。これに対して、シアーズが心配は無用だと言った。
「小麦価を釣り上げきったら、それ以上の価格には上がりにくくなる。何故なら相場とはモノと資金量、そして人の思惑で動くものだからだ。その相場から利益を上げるとなると数量で勝負をしなければならなくなる」
シアーズによれば今の小麦相場は現状、新たに流入するモノは三商会側が販売する輸入小麦に限られ、資金の大勢は『貴族ファンド』が出す小麦融資。現実世界から見れば非常に閉じられた相場であり、モノもカネもプレーヤーも限られている為、ある一定の価格に達したところで相場の上昇が鈍化するというのである。
「確かにその通りです。しかしその状況を作る値がどのラインなのか・・・・・」
「だから、そこはグレンに任せればいい」
そこで俺の名前かよ。戸惑うピエスリキッドにシアーズがそう話す。
「そもそもこの会合は、誰かさんがビート相場を荒らした事から始まったものだからな。なぁ、ワロス」
「へ、へい・・・・・」
シアーズにいきなり振られて苦笑いをするワロス。これには俺も思わず苦笑してしまった。俺がビート相場に手を出してやりたい放題にしていたところ、ワロスの客が大損をこいたから、グレックナーを雇って俺を仕留めようとしたことが始まりだったのだからな。
「だから相場の事はグレンに任せればいいんだ。我々はそのサポートに徹すればいい。どうですかな、アルフォード殿」
「シアーズ殿の意見に異論はありません。グレン、それでいいな」
「ああ、分かった」
俺にはそう返事をする選択しかなかった。場の空気がそれを求めていたからである。ただ、これまで渦中にいながら、傍観者的な立ち位置にあった状況が大きく変わりそうだなとは思った。
(よろしい。それが俺に求められる事であるならば、手段は厭わない。値を釣り上げる事に何の躊躇があろうか)
これまでクリスやレティが貴族派の切り崩しの為に頑張っているのに、俺がただ突っ立っているだけでは申し訳ない気がしていた。もちろん俺が貴族ではないからやることがないというのはある。だが、何もしないというのには罪悪感があった。幸いな事にエレノ相場は俺のフィールド。俺は、自身の役割をようやく見つける事が出来たのである。
「これで方針は決まったな。小麦相場を釣り上げて『貴族ファンド』とそれに群がる貴族達にひと泡吹かせようじゃないか!」
ジェドラ父が野太い声でそう言うと、皆が頷いた。今回の方針は、これまでの小麦価を下げて戦う戦術から、小麦価を釣り上げて戦う戦術への転換を意味していた。異論がない中、詳細は後日決める話となり、小麦相場へ仕手戦を仕掛ける事が決定する。「これからが本番だな」というザルツの言葉に、俺は妙な高揚感に包まれた。
――黒屋根の屋敷にある俺の執務室で、エッペル親爺の連絡を待っていた。本来ならば一限目の時間。しかし今日は相場の方が気になって、授業どころではなかったのである。昨日の商人会合で小麦相場への仕手戦を行うことが決定され、俺が小麦価の釣り上げの実行役を担う事になったのだ。そして今、相場が開くのを
小麦相場に手を突っ込んで、小麦価を釣り上げる。一つは『貴族ファンド』の資金を吸い上げて小麦相場にキープさせ、新規融資を起こせないようにする為。もう一つはこれまで輸入小麦を独占的に扱ってこられたものが、薬草在庫の枯渇によって、これまでの優位性が保てなくなるので、三商会陣営が今の内にしっかり稼ごうという目的からだった。
この小麦相場の仕手戦に投入される軍資金は、俺のカネ以外に『投資ギルド』を介して一〇〇〇億ラントが投入される話となった。具体的は『金融ギルド』が『投資ギルド』に貸し付け、そのカネを俺に貸すという形である。これで俺が動かせるカネと投資ギルドからの貸付金を合わせ、約五〇〇〇億ラントが軍資金となった。これで勝負するのである。
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