500 個室バー『ルビーナ』
ディルスデニア王国とラスカルト王国。この二つの王国からの独占的な小麦輸入を担保してきた薬草。これまで薬草と小麦を交換する形で輸入してきたのだが、薬草の在庫に限りが見えてきたと、薬草の管理を担っている若旦那ファーナスが指摘した。それを受けてザルツが聞く。
「ファーナスさん。後、どれぐらいの薬草がありますか?」
「ノルト=クラウディス公爵領から、どのくらいの量が入ってくるのかは分かりませんが、一ヶ月程度ではと」
「一ヶ月で小麦の輸入も止まるか・・・・・」
腕組みをしたザルツが、目を瞑って呟いた。ファーナスとザルツとのやり取りを聞くに、在庫の薬草を全て輸出すると、両王国との取引が終わるということなのか?
「もう小麦が入らないのですかな?」
「いえ、アルフォード商会の独占取引が終わるのです」
エッペル親爺からの問いかけにそう答えるザルツ。ディルスデニア王国とラスカルト王国両国で蔓延する疫病対策の為に、ノルデンにある薬草を買い占め、両国との間で小麦と薬草を交換取引する契約をアルフォード商会は結んだ。これによって、他の商人は両国からの小麦取引に一切関わることができなくなったのである。
「つまりは我々以外の商人も輸入できるという事だな」
「いよいよその時が来た。という訳です」
「まぁ、いずれはそうなるということ」
覚悟を決めたかのように話すジェドラ父と若旦那ファーナスに同意するザルツ。アルフォード商会はジェドラ商会とファーナス商会と組み、ノルデンにある薬草という薬草を買い占めた。そしてファーナス商会が倉庫の管理、ジェドラ商会が薬草の搬出と小麦の搬入を受け持ち、両国への窓口をアルフォード商会が担った。
両商会と組む中で交易の窓口を担い、アルフォード商会は小麦輸入の一社独占体制を築いたのである。しかしその優位性を保障してきた薬草がなくなる訳で、その独占体制も終焉を迎えるという訳だ。小麦を独占取引する事によって、アルフォード商会は元より、ジェドラ商会もファーナス商会も莫大な収益を得ることが出来たが、それも終わるという事。
「我々が輸入小麦を独占して扱う事で市場側への影響力を持ち、宰相府側との繋がりを持つことが出来たが、それが無くなるのですか?」
「失われはしないが、弱まることは間違いないだろう」
ウィルゴットが聞いてきたのをファーナスが答えた。ジェドラ父が息子に話す。
「宰相府との関係が弱まれば、商人界における我らの優位性そのものが危うくなりかねぬ。現状フェレットやトゥーリッドと互角に渡り合えているのは、宰相府との繋がりによるところが大きいからな」
「ジェドラ、ファーナス、アルフォードの三商会に、我ら『金融ギルド』とエッペル殿の『取引請負ギルド』を
ジェドラ父の言葉にシアーズが続く。皆、一様に危機感を持っているようだ。何しろ相手はノルデン国内の商いの半分を抑えるというガリバー・フェレット。そのフェレットと対抗出来ているのは宰相府との繋がり。宰相府が至らぬ部分を三商会連合が担い、三商会の力量不足を宰相府の存在感が補う。その関係性が変わるという可能性を恐れているのだ。
「だからこそ、次の一手について考えなければならぬのだが・・・・・」
ザルツの言葉に皆が沈黙する。アルフォンス卿から課された課題。緊急融資支援の次の一手というのは、やはり難しかった。しかし妙案なぞ浮かぶはずがないのが最初から明らかなのに、どうして次なる小麦対策案を考えるというアルフォンス卿からの依頼なんてものを受けてしまったのだろうか? こうした部分、本当にザルツらしくない。
「しかし収穫して市場に出回るまで、まだ半年近くある。あまりにも期間が長い」
「これまで小麦を輸入してありとあらゆる方策を使ってきた。その上で次の手と言っても・・・・・」
ジェドラ父も若旦那ファーナスも、ザルツから次の手立てと言われて困惑しているようだ。一方のザルツの方はといえば、目を瞑って沈黙している。ピエスリキッドが腕組みをしながら言う。
「先程から考えてはおりますが、残念ながら打てる手を思いつきませんな」
「強制的に平価で売るようにすれば解決するのではないかと・・・・・」
あまりに策がないと皆が言うので、昨日エルザ王女が真顔で考えた案をポロリと話すと、皆が俺を見てきた。エッペル親爺が、お前正気かといった感じで、突っ掛かってくる。
「おい、グレン。本気で言っているのか? そんな事をしたら、買い込んだ連中が必死になって小麦を隠すぞ!」
「いやいや。これは地位のある御令嬢が、案として話していたものだ」
「御令嬢? 公爵令嬢ではなくてか?」
クリスがそんな無茶な事を言う訳がないじゃないか。権力全開で振り回せみたいな、無茶な発想はクリスにはないぞ。俺はウィルゴットの指摘を即座に否定した。
「ああ、そうだ。公爵令嬢じゃない。考えたのは、いきなり突拍子もない事を言う御令嬢だ」
「しかし、強制的に平価で売らせる事が出来ていたならば、宰相閣下も実行されている筈。だが、全く行われていない時点で察するべきであろうに」
シアーズの言う通りだ。だが、あの御仁は察するなんて感性は皆無。恐らくエルザ王女に会えば、シアーズはドン引きするだろうなぁ、これは。
「結局、一方的に平価で売るように強制しても、秘匿されて闇小麦が
「市場は生き物。買う者と売る者。それぞれの思惑の落とし所が相場値だからな」
ジェドラ父とシアーズのやり取りを聞いても分かるように、そうなることは日の目を見るより明らか。だからエルザ王女の案が採用できる素地はないのだ。いくら上から価格を強制しても、実現できるだけの手立てを打てなければ、それは絵に描いた餅にすらならないだろう。ザルツが目を閉じていた目を開いて言った。
「もし、平価で売ることをノルデンの隅々にまで行き届かせるようにすれば、その御令嬢の案は実現できるのかもな」
えっ! 何を言い出すのだ、ザルツは! 第一、ノルデン王国に全領土に通知するような能力はないんだぞ。それぐらいの事ぐらい、ザルツも知っているだろうに。
「しかし貴族領にまで通知が徹底できるなんて、とても出来るとは・・・・・」
「商人も貴族も誰も従いませんぞ、それでは」
「掛け声頼りで終わってしまうのではないだろうか?」
ピエスリキッドもワロスも、そしてエッペル親爺もザルツの戯言には懐疑的である。この場にエルザ王女がいなくて幸いだ。もしも居たならば顔を真っ赤にして、従者
「いやいや、これはグレンの話を聞いていて思った仮定の話。真に受けないで欲しい」
ザルツがそう言ったので、場の空気は安堵に包まれた。ザルツが「強制的に平価で売る案」なんて無茶なものを次の策として提示するのではないかと、皆が思ったのだろう。若旦那ファーナスが大きく溜息をついた。
「しかし、小麦対策の次なる案というもの。やはり全く思い浮かびませんな」
腕を組みながら、深刻な表情で話すファーナスに合わせるように、場の空気は沈み込んだ。結局あれこれ話をしていても、若旦那ファーナスの指摘通り、何の案も出てきてないのだから無理もない。ただ時間だけが無為に過ぎていく。案が何も出ずに顔を突き合わせているだけというのは、なんとも嫌な感覚である。重苦しい雰囲気の中、ワロスが聞いてきた。
「失礼ですが、宰相補佐官殿は他に何か仰っておられませんでしたか?」
「他に?」
ワロスからのいきなりの質問に、ザルツが戸惑っている。あの時、アルフォンス卿が言っていた事。アウストラリス派の貴族が貴族会議招集支持の見返りとして、『貴族ファンド』の特別融資を斡旋しているという話。この調査もザルツは請け負ってしまっていたよな。何でも安請け合いをしている感じだ。ワロスが話を続ける。
「はい。要望に応えられなかった場合、他の要望に応える形で次に繋げられはしないかと・・・・・」
「モノが無かった場合、代わりのモノで客を繋ぎ止めるのと同じ話だな」
話を聞いたジェドラ父の言葉に、ワロスは笑って頷いた。まさに商売人の基本的な手法だな。しかし『貴族ファンド』への小麦特別融資の斡旋話の調査では、商人が出せるものなどないのではないか。ワロスからの話を受けて、ザルツはその話を話し始める。皆がその内容に眉をひそめる中、俺とリサに調査状況について聞いてきたのだ。
「現在分かっているのは『貴族ファンド』の本部が歓楽街の中にあることと、責任者がフェレット商会の勘定方として働いていた人物だということです」
「歓楽街の何処にあるのだ?」
「『ルビーナ』の上だそうです」
「『ルビーナ』か! そんなところにコソコソと」
俺に聞いてきたシアーズが声を上げた。ザルツやジェドラ父らがどうしたんだという顔をしているのを見ると、『ルビーナ』がどんな店なのかを知らないのだろう。シアーズの横にいるワロスが言った。
「個室バーの上に事務所とは・・・・・ どうりで場所が分からない筈で」
「やましい事をやっておる自覚があると言うことだな、フェレットは」
シアーズによると『貴族ファンド』の事務所が何処にあるのか分からなかったらしい。なのでカジノの近くにあるフェレット商会の商館内にあるのだろうと、勝手に推測していたというのである。
「流石に商館の中へは置けなかったようだな」
「フェレットのプライドが許さなかったのでしょうなぁ」
シアーズとワロスが、何かを悟ったように話している。二人の態度を見るに、どうやら『貴族ファンド』の事務所を個室バーの上に置いた、フェレットの姿勢が気に入らないようだ。
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