499 矛盾

 小麦を平価で売る。エルザ王女の突拍子もない案を聞いて、俺は思わず仰け反ってしまった。今、そんな事をやったとしても、民衆の手許には恐らく小麦が届かないだろう。第一、平価で売るように促しても、小麦を持っている者が秘匿しにかかってくるのは目に見えているではないか。


「エルザよ。そちの思い、よく分かる。しかし、それが出来ぬから、こうなっておるのだ」


 ウィリアム殿下は、教え諭すように妹に話している。全くその通りなのだが、エルザ王女は引き下がらない。


「出来ぬものを成すのがまつりごとではござらぬか?」


「そうは申しても、通るものと通らぬものがある。仮にアルフォードが平価で売ったとしても、力のある者が全て買い取って、相場値で売ってしまうだけのこと」


「兄上、通らぬものを通るように考えるのがまつりごとを執り仕切る者の務めではござらぬか? のう、ガーベル」


 エルザ王女からいきなり振られたガーベル卿は目を丸くしてしまった。どう答えればよいのか分からず、言葉に窮しているのが良く分かる。大体でガーベル卿もウィリアム殿下も政治に関わっていないじゃないか。そんな事を知らないエルザ王女ではあるまいに、邪悪さを感じてしまう。


「真に民の事を思うのであらば、通る手立てを考えるべきではござらぬか」


 そう兄に話すエルザ王女。ウィリアム殿下は口を横一文字にしたまま、一点を凝視している。一体エルザ王女は、兄に何をせよと言いたいのだろうか。俺にはその辺り、全く分からない。


「何事も出来ぬ通らぬでは、そこで終わってしまいまする。出来ぬものを成す、通らぬものを通す事をお考えになる時も必要ではござらぬか?」


「エルザよ。一理はあるな。諦めればそこで終わりだ」


 ウィリアム殿下はエルザ王女の言葉を肯定した。確かに諦めれば終わりというエルザ王女の言はもっともだ。しかしながら小麦を平価で売るという「言うは易し行うは難し」みたいな方法を考えろと言われたって、俺には全く思いつかない。エルザ王女の言葉は今日の宿題としようではないかと殿下は話し、今日の会見を締めくくったのである。


 ――正嫡殿下の姉でウィリアム殿下の実妹であるエルザ王女。両殿下が常識人であるのとは対照的に、かなりぶっ飛んだ性格のようだ。それに加え、半ば従者のように寄り添っているリディアの姉ロザリーも中々の曲者。あれではリディアが苦手なのも頷ける。安易に触っちゃダメな人だ。昨日の御苑での会見は、精神的にかなりハードなものだった。


 そして今日は三商会や『金融ギルド』のシアーズらが集まる商人会合。先日アルフォンス卿との会見の中で持ち上がった課題、小麦対策の次の一手を皆で考えるべく、会合を持つことになったのである。しかし今日の会合、これまでと違う部分があった。いつもなら『グラバーラス・ノルデン』で集まるのだが、今回はなんと黒屋根の屋敷だったのである。


 これまで三商会を中心とした会合は、いつも高級ホテル『グラバーラス・ノルデン』の中にある、ノルデン料理店『レスティア・ザドレ』だった。ところが、今回はここ、黒屋根の屋敷。どうして黒屋根の屋敷になったのかは分からない。分からないがここでやるとザルツから今告げられたところなので、俺も驚いているところなのだ。


「どうしてここなんだ?」


「それは、ここがいいという話になったからだ」


 理由にもならない理由をザルツが言った上で、「どこでやろうと会合の中身は変わらぬ」と訳の分からぬ理論を振りかざして、それを押し通してしまった。俺だけではなく、リサもロバートも話を事前に聞かされていなかったので、急遽決まったのかもしれない。ニーナが黙々と会合の準備を始めたので、俺達も手伝わざる得なかった。


 黒屋根の屋敷の馬車溜まりには、ジェドラ親子やファーナスらが乗った馬車が次々と入ってくる。その誘導をしているのはナスラ達、王都商館に詰めている者達だったので、いつの間に来ていたのだとビックリした。これには普段商館にいるロバートも驚いていたので、俺達が知らぬ間に、ザルツは黒屋根の屋敷で会合を開く準備を進めていたのであろう。


 俺とリサの執務室の間にある、屋敷の会議室で始まった会合には俺とザルツ、ロバートとリサのアルフォードの者とジェドラ親子、ファーナスの三商会陣営。『金融ギルド』のジェドラと参事のピエスリキッド、『投資ギルド』のワロス、『取引請負ギルド』のエッペル親爺といった各ギルドの責任者。そして何故かリシャールが加わっていた。


「どうしているんだ?」


 思わずリシャールに聞くと、リシャールの代わりに父親である若旦那ファーナスが言ってきた。


「後学の為、リシャールの出席を頼んだのだよ」


 話によるとファーナスが、ザルツとジェドラ父に息子リシャールの参加を求めたらしい。ザルツやジェドラも自分達の息子を出席させている手前、リシャールの参加を了解したようだ。しかし、リシャールはこんな会合に参加して楽しいのだろうか?


「立派な商人になる為、静かに拝聴させて頂きたいと思います。宜しくお願いします」


 立ち上がって頭を下げるリシャール。その目は何故かキラキラしている。リシャールの挨拶に皆が温かい拍手を送った。ジェドラ父が言う。


「大変結構な心構えだ。商人になろうと思ったら、行動するのが一番の近道。経験を積んでから商人なるよりもずっと早い」


「習うより慣れろですな」


まさしくそうだ」


 ワロスの言葉にシアーズが答えた。そのやり取りに皆が笑っている。三人の言葉は、経験者が語る真理なのだろう。ジェドラ父が話を続ける。


「やる気のない者がいくらやったって、身に付くなんて事はないんだ。永遠にだ。ただ単に働きさえすれば身に付くなんて事を言ってる人間は、全く意味が分かってはおらん!」


「意識が無い者は、外でやろうが内でやろうが変わらぬという事ですな」


「そうそう。やろうという意識が何よりも大切。やる気は人の能力を何倍にも高めることができる」


「結局やる気がなければ、何も見えないのだから、身につくこともない。全てが無駄ということ」


「やる気があるならそれで十分。わざわざ外で働いて回り道をする時間そのものも無駄なのだ」


 ザルツとジェドラ父のやり取りは新鮮だった。俺はサラリーマンだったので、家業を継ぐという発想がなく、他所で働くのが当たり前。他所で働いて経験を活かして起業とか、そんなイメージだったのだが、二人の話を聞くと、それがガラリと変わってしまう。ジェドラ父は外で奉公した経験があるらしく、それは無駄な時間だったと思うらしい。


「他人の釜の飯を食えとか人は言うが、あんなの大間違いだ。人を都合よく働かせる為の詭弁に過ぎん」


「そもそも商うことを考えておれば、最初から無理をして食う必要もないからな」


「食わざる得なくとも、それは最小限に止めなければ」


 ジェドラ父の話は痛烈だった。これを現実世界なんかで言われたら、起業コンサルなんか一発でノックアウトだろう。何しろエレノ世界でとはいえ、ガチの商売人が言っているのだから。その話に続いたシアーズとワロスの言葉も中々のもので、本当に起業している人間の気構えが、俺なんかと全く違う事を改めて思い知らされた。


 若旦那ファーナスの長男、リシャールの会合の参加によって、思わぬ形で話が盛り上がってしまった。皆が口々に「頑張れよ」と声を掛けたのでリシャールも嬉しそうだ。和やかな出だしで始まった会合だったが、今日の議題。アルフォンス卿から依頼された、小麦対策の次の一手について、ザルツが話を始めると一変。場の空気は厳しいものとなった。


「次の一手と言われても・・・・・ ないぞ」


 シアーズが重苦しそうに言う。全くその通りだ。ジェドラ父がそれに続く。


「既に小麦を卸しまくった上に、緊急融資支援策まで出している。その上で、次なる有効な手立てなど・・・・・」


「小麦価の上昇を覚悟して行った策。ある意味、禁じ手まで使ってしまいました以上、他に方策は・・・・・」


 緊急融資支援に慎重姿勢であったピエスリキッドが、遠巻きにアルフォンス卿の矛盾を突いた。小麦価が上がるような策を実行したのに、小麦価の上昇を防ぐ策を考えろと言われても、といった感じだ。どんな盾でも貫ける矛とどんな矛でも防ぐ盾。この矛でその盾を突いたらどうなるのか。正しく矛盾である。


「ここは原点に立ち返り、ただひたすら小麦を輸入して売り続けるしかないのでは?」


 ワロスはオーソドックスな意見を出した。ありきたりだと言われるのかもしれないが、基本中の基本だからこれほど正しいものはない。理由がどうあれ小麦が高値なのは、出回る商品量より買われる商品量が多いからなので、出回る小麦を買われる小麦量を越えるまで増やし続けるのが一番。若旦那ファーナスが発言を求めた。


「薬草ですが、現在モンセルの薬草を全て出して、残るはサルジニア公国産とノルト=クラウディス公爵領産のものだけ。これを売ってしまうともう、輸出する薬草自体がなくなってしまいます」


「薬草が無くなれば、何か支障があるのですか?」


「現在、ディルスデニアとラスカルトの両王国とは薬草と小麦を交換する形で売買を行っているのです」


 エッペル親爺からの質問に、薬草の在庫管理をしているファーナス商会の当主はそう答えた。よく考えれば、エッペル親爺が商人会合に参加したのはつい最近のこと。小麦貿易の話については知らなかったのだな。


「交換レートを変えましたが、それでもモンセルの薬草まで出し尽くしたのですか・・・・・」


 話を聞いたロバートが驚いている。ロバートはモンセルやサルジニア公国の薬草を一手に管理していた。一方で両王国とのレート交換の下交渉にも立ち会っており、薬草と小麦の取引量がどれくらいのものなのかを想像できるのだろう。ロバートの反応を見るに、思った以上に輸入量、即ち小麦の搬入量が多いと考えても差し支えがなさそうだ。

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