498 王国の実力
小麦の凶作から始まった小麦価の暴騰。エルザ王女が真剣な面持ちで今後収まるのかと尋ねてきた。従者
「すぐに収まることはございません」
「何故断言できるのじゃ。申してみい」
「これまでの間、街に小麦が満ち溢れるぐらいの小麦を輸入し、宰相府や我が商人側が様々な手を打って参りました。ですが先程も申しました通り、小麦は市場から消えて価格は右肩上がり。正直、今の小麦価の暴騰を抑える手立ては、最早ございませぬ」
「しかしアルフォードよ。平民に対する融資支援を行っておるのではないか」
「それはあくまで利子補給。窮余策に過ぎません。今を乗り切るための応急的な方策。根本問題の解決にはなっていないのです」
苛立つウィリアム殿下を初めて見た。殿下からすれば、次々と手が打たれているのに、どうして事態が収拾しないのかといった感じなのだろう。だが現在、小麦価は五〇〇〇ラントを越え、平価の七十倍を越えてしまった。そのような状況ではいくらカネを注ぎ込もうとも、その日暮らしの者にとっては動きが遅く、自分達の所に届いている感覚など皆無。
「殿下。一〇万ラントを一年間無利子で借りることが出来ても、貸金業者に五〇〇〇ラントの手数料を払わなければなりません。しかも利子は払わなくとも元本は支払わなければなりません。つまり一〇万ラントを借りる平民にとっては、しなくても良い借金。心をお心得下さいませ」
俺が説明すると、ウィリアム殿下が沈黙してしまった。人というもの、どうしても策の良い部分に目が行ってしまうが、作用があれば、反作用というものが必ずある。今回の場合、作用が無利子ならば、反作用は平民が借金を背負い込むこと。借金自体が大きな負担なのだ。話を聞いて黙ってしまったウィリアム殿下に代わって、エルザ王女が指摘する。
「それでは王国が一括して小麦を買い上げ、平民に配ればよろしいのでは?」
「それでは王国の財政が破綻いたします」
俺はエルザ王女の案を一蹴した。エルザ王女の脇に座るロザリーがギョッとしている。場合によっては不敬であると言われかねないからだろう。だが国土の二割程度で全土の行政費用を賄わなければならぬという、脆弱な王国の財政基盤について、王族であるならば理解して欲しいところ。
「王女殿下。宰相府が行った緊急融資支援の為、注ぎ込まれた資金はどうやって捻出されたのか、ご存知でしょうか?」
「いえ。それについては・・・・・」
王女は首を横に振る。なので、俺はその費用の捻出方法について話した。
「この施策を実現すべく、王国は五〇〇億ラントの国債を発行致しました。これは五〇〇億ラントの借金をしたのと同じこと。全ての費用を借金で賄ったのです」
「えっ!」
王女は俺の説明に呆気に取られている。どうやら、その辺りの事情について全く知らなかったらしい。小麦を買う為に借りた資金の利子補給を行うだけで、それだけの費用がかかった。それは借金で行われており、王国の財政に負担をかけているのだ。ではその負担は何処に行くのか? 当然ながら、税を払う民衆に行くに決まっている。
「この財政的な穴埋めは、いずれ民に課す税によって行わなければなりますまい」
そう話すとウィリアム王子が、俺が言わんとする事をエルザ王女に説明した。
「アルフォードは、小麦を買って配る費用など、王国には何処にもないと言っておるのだ。それが王国の現状」
「兄上!」
この説明に王女の顔が見る見る変わっていく。全く予想外の事なのだろう。普段暮らしに困る事もなく、カネの心配なぞしたこともないであろう王族にとって、ノルデン王国の何処にもカネがないなんて想像もつかない話か。寧ろ、その実態についてキチンと理解しているウィリアム殿下の方が異常だと言えるのかもしれない。
「では、ノルデン王国の使える財政は・・・・・」
「全体の二、三割程度しかない」
「サルジニア公国と全く違うではありませんか!」
エルザ王女はウィリアム殿下の話に納得できなかったのか、サルジニアの話を始めた。サルジニアでは公主の決定が領内の隅々に至るまで行き渡っている。なのにノルデンでは二、三割とはどういう事なのかと言い出したのだ。俺はサルジニア公国では公主一族以外の貴族が殆どいないのに対し、ノルデン王国が貴族だらけであるとエルザ王女に説明する。
これはサルジニア公主家が元々、ムバラージク朝の時代に公爵に叙せられた家だからである。要はその時代、サルジニア公国はサルジニア公爵領であり、隣接するノルト=クラウディス公爵家と同じ立場だった。それがムバラージク朝の瓦解の中で自立し、アルービオ朝が成立した際に臣従しなかったので、事実上ノルデン王国から独立した形となった。
しかし自立したサルジニア公爵家は、王に即位をせず公爵家に留まった。これは新王朝であるアルービオ朝との衝突を避けたのである。もしサルジニア公爵家が王に即位をしようものなら、新たに成立したアルービオ朝とノルデン王国の正当性を争わなければならなくなるのから。だから最善手として、サルジニア公国という選択となったと言っていい。
成立したサルジニア公国では、新たに授爵される者はいなかった。これは王ではない為に授爵できなかったのである。だから貴族は公爵家改め公主家と、ムバラージク朝時代に授爵したサルジニア公爵家の陪臣家に限られる事になった。その代わり、自立した国となったサルジニアでは人材確保の為に、分厚い非世襲の騎士層が生まれたという訳だ。
これは全てロバートから聞いた話だ。サルジニア公国への出張が多かったロバートは、商いに食い込むため、公国の成り立ちについて詳しく調べたのである。それがジニア・アルフォード商会の設立へと繋がった。ロバートは公国の成り立ちを知ることで、どうしてサルジニア公国には出来て、ノルデン王国にはできないのかについて解説出来たのである。
「しかしノルデン王国はサルジニア公国よりも遥かに大きい。にも拘わらず出来ぬとは、これ如何なることで
「失礼ながらサルジニア公国は、先程お話させて頂きました通り、貴族の所領が少なく、国土の多くは公主様のものであるからにございます。対してノルデンは王国の
「じゃが、直領のみであってもサルジニア公国よりも大きいのではないのか?」
直領とは王国の直轄領の事。ノルデン王国の国土の約二割がこの直領だ。ノルデン王国とサルジニア公国では領土にして十対一ぐらいの差がある為、エルザ王女の指摘通り、ノルデンの直領だけでサルジニア公国全体の領土を上回る広さがある。しかしエルザ王女はノルデン王国の直領に関して、ある重要な部分を見落としている。
「たとえ大きかろうと直領は全国に点在しております。対して公国は纏まった土地。たとえ倍の直領があろうとも各地に分散された土地と、一つに纏まった土地。どちらの方が効率が良く、能率が上がるのかは言うまでもございません」
これには勝ち気なエルザ王女もぐぅの字も出なかった。自分が思っている以上に、王国の状況が厳しい事を認識したようである。肩を落とす妹に対し、ウィリアム王子が話しかけた。
「私もアルフォードに聞くまでは、そこまでとは思っていなかったのだ。しかし今なら分かる。今の我が国は、民を救うには余りにも貧弱なのだ」
「兄上・・・・・」
「その中で宰相府はアルフォードら商人達の助勢を受けて、精一杯やっていると思う。だが、それでも事ならぬのが歯がゆい」
ウィリアム殿下の切々たる言葉は、エルザ王女を完黙させるには十分だった。沈痛な表情を浮かべるウィリアム殿下を見て、何かいたたまれなくなる。本当に民の事を真剣に考えようとしているのが分かるからだ。ならばと思い、俺は今後の見通しについて話す。
「今年の作付状況は去年よりも多いとのこと。このまま作付けした小麦が育ち、順調に収穫できますれば小麦不足は解消される筈。それまでの辛抱であります」
「それはいつ頃の話となる」
「収穫を終え、出荷されますのを考えれば、最短で半年後のこと」
「半年か・・・・・ これが半年も続くのか・・・・・」
農作物を収穫するには年単位の作業が必要。土壌や灌漑といった土地改良から事を始めなければならない訳で、とてもではないが、一年程度でどうこう出来る話じゃない。そうした過去からの営々とした積み重ねによって、初めて収穫が成されるのだ。その事から考えれば半年というのは農業的には、非常に短いスパン。
「民は半年どころか明日も待てぬ筈。どうすればいいのか」
ウィリアム殿下が嘆いた。しかし、他に策がない以上、収穫まで待つしかないのが現状。収穫がなされれば一気に小麦価が下がり、平価に近い価格へ落ち着くだろう。今、小麦価が暴騰しているのは、意図的な釣り上げと、小麦が不足しているという心理から来るものなのだから。俺がその事を説明しようとすると、エルザ王女が口を開いた。
「ならば、小麦を平価で売ればよろしかろう」
は? 平価で売る? あまりに突拍子もないエルザ王女の言葉に目が点となった。それはウィリアム殿下も同じ。ガーベル卿も固まってしまっている。いやいや、平価で売れるのであれば、売っているという話。相場が暴騰しているから、仮にその価格で売り出した出したところで、高値で取引されてしまうだけの事なのだ。
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