497 エルザ王女
御苑の別邸で行われた第一王子ウィリアム殿下との会見。この席に同席したウィリアム王子の妹で、正嫡殿下の姉であるエルザ王女と、王女に仕える従者のような立場である、リディアの姉ロザリー。俺を肴にして、掛け合い漫才をするかのようなノリで悪ふざけをしている二人を見るに見かねてか、ウィリアム殿下が割って入った。
「それだけアルフォードの話は魅力的だという事だ。公爵令嬢が聞きたがる心境、よく分かる」
「兄上」
「アルフォードは平民であるにも関わらず、私に対しても忌憚なくモノ言える人物。我の知らぬ話を数多く知り、深い見識を持っておる。私が同じクラスであるならば、その話を聞きたいと思うのは当然」
兄からの話にギョッとしているエルザ王女。明らかに悪ノリしていたロザリーが黙ってしまった。心なしか青ざめているようにも見える。やはり王子という立場は、それだけで人を畏怖させるだけの力があるという事だ。
「エルザ。もしエルザがアルフォードと同じクラスであるならば、喜んで話を聞いているであろう」
「兄上、何をお申しに」
「でなければ、今日。アルフォードと話をすると聞いて、同席したいとは申さぬからな」
実妹に温かい笑みを向けるウィリアム殿下。それまでの毒々しい王女は鳴りを潜め、途端にしおらしくなってしまった。今日の会見にエルザ王女も加わったのは、やはりエルザ王女が殿下に頼んだからだな。最初から決まっていれば、ガーベル卿の封書に書いてある筈。その王女が黙ってしまったのは、実兄であるウィリアム殿下を慕っているからだろう。
「しかし、アルフォードよ。公爵令嬢は
ウィリアム殿下が、御苑の話を聞いてきた。結局は御苑の話になるのか。エルザ王女が聞こうとしたことをウィリアム殿下が代わりに聞く。要は選手交代みたいなものだ。
「実は私も測りかねる部分があるのです」
「ほう。その測りかねる部分とは?」
「はい。話を聞きまして会場準備については助勢する事にはなりましたが、どちら様を招待するのかについては全く・・・・・」
俺の話を聞いてウィリアム殿下とエルザ王女がお互い顔を向け合っている。二人にとっては予想外の返答だったのだろう。
「ですが、全ての貴族を招待するような勢いでございました」
「全てとな!」
エルザ王女が声を上げた。しかしその後、いくら宰相家の公爵令嬢であろうとも、一人では叶うまいと指摘する。全くその通りだ。なのでその辺りの事情について話す。
「公爵令嬢の友人であるリッチェル子爵夫人が直接、属する派閥貴族と面会して誘っていると聞きました。また別の友人の母であるディール子爵夫人も助勢なされているとか」
「他にも協力しておる貴族がおるのか?」
ウィリアム殿下が聞いてきたので、俺は協力している貴族の名を上げる事にした。
「はい。私が聞き及びましたところ、宰相派の方々やアルヒデーゼ伯、ブラント子爵、アンドリュース候やドナート候もお力添えをなされているとか」
「アンドリュース候とな!」
俺の顔を見て、エルザ王女が叫んだ。どうやら予想外の名前だったようである。
「わらわの次にサルジニアへ留学した侯爵令嬢の親ではないか。しかもアウストラリス派の重鎮。
いやいやいやいや。アンタ、長らく留学していた割に、むちゃくちゃ内情に詳しいじゃないか。エルザ王女の耳は地獄耳とでも言うつもりなのかと、俺はビックリした。
「何故と申されても・・・・・ 聞くところに及びますれば、同じ派閥のディール子爵夫人がお頼みされたとか」
「うむむ。そちはそれ以上の事は知らぬと申すのだな」
「はい。貴族ではございませんので」
事実である。ディール子爵夫人がどのように話してアンドリュース候の協力を得られたのかについて、俺は全く知らないし、聞かされてもいないのだから。ただ、ディール子爵夫人に御苑への招待の協力を働きかけたのがリサで、ディール子爵夫人とアンドリュース侯を引き合わせたのが俺であることをわざわざ知らせる必要はあるまい。
「アルフォードは平民。知りたくともできぬ事も多かろう」
「王族と全く同じでござる」
「エルザよ・・・・・」
挑発とも言い難い、エルザ王女の微妙な指摘に困惑するウィリアム殿下。いやはや、エルザ王女はどこに玉をぶっ放すか分からない御仁だ。
「ならば全ての貴族を招待するという話。十分にあり得るという事だな」
「左様にございます」
「しかし小麦問題を話し合う為に貴族会議の開催が建議されたり、小麦問題について考える為に御苑で集いを開いたり、今や右を見ても左を見ても小麦一色であるな」
全くウィリアム殿下の言う通りである。今や五〇〇〇ラントを越えた小麦価。先日のアルフォンス卿も頭の中は小麦一色だった。アウストラリス公は小麦価を名分にして貴族会議の開催を画策し、それに対抗する為に小麦問題を考えるとのお題目で、『御苑の集い』を開こうとしているのだから、どこも小麦の事ばかりだという指摘はごもっとも。
「しかし小麦小麦と口では言うが、小麦がないとはアルフォードよ、これ如何なる理由か?」
エルザ王女が前触れもなく、いきなり聞いてきた。何か直球を投げ込まれた気分である。なので俺の方も打ち返さなければならなかった。
「不足分の小麦を輸入しているのですが、仕入れた側から買われてしまうので、結果として市場に出回らなくなってしまうのです」
「そちが言うには、小麦はあるのに小麦がないと聞こえるが、それはどうしてじゃ」
「小麦を買い込んでおるものがいるのです」
「満ち溢れる程の小麦をか?」
「はい」
「高くなっておる小麦を多く買い入れるには、相当なる資金が必要の筈。それを買い込める者は貴族か商人しか居らぬではないか!」
どストレートすぎる答えに俺は内心仰け反った。まさか毒々しいとはいえ王女様がいきなり、そのものズバリを言ってくるなんて、想定すらしていなかったからである。
「殿下。少しお慎み下され」
ガーベル卿がエルザ王女を諌めた。いやはや、このエルザ王女、中々の地雷だな。ウィリアム殿下が、妹に言う。
「エルザよ。この場であるから申しておくが、その指摘の通りだ。しかし今、それを阻むことは出来ぬ」
「何故ですか?」
「領民の為に小麦を確保するとの話だ」
「たわけた事を」
エルザ王女は貴族の名分を一笑に付した。これにはガーベル卿が困っている。正しいが、大っぴらに言える事ではない。もし、この場に貴族が居ようものなら卒倒モノだ。しかしエルザ王女は気にする素振りを見せない。
「大体で我が事しか考えぬ者が、領民を慈しむなどという戯言。誰が信じまするのか!」
「エルザ!」
ウィリアム殿下が叫んだ。ガーベル卿が目を伏して、額に手をやっている。いやいや、これは歩く地雷や歩くハンドキャノンどころの話じゃない。歩く核弾頭みたいなもの。ガーベル卿の悩みのタネは、眼前にいるエルザ王女といった感じだ。
「事実ではございませぬか。兄上もサルジニアでご覧になった筈。我が国の貴族が、如何に働いておらぬかを」
「慎むのだ、エルザ」
「サルジニアであのような仕事ぶりであるならば、間違いなく刑に処せられます。そのような輩を民が許さぬのはご存知でしょうに」
「それでも慎め」
エルザ王女の暴走を抑えようとするウィリアム殿下。しかし抑える力が弱すぎる。しかしサルジニアの話、確かロバートが言っていたな。ノルデンと違って実力主義の世界だと。貴族への授爵がなされず、姓名の間に『ヴァル』という称号を入れる地主騎士が、そのまま『ヴァル』と呼ばれ、サルジニアの支配階層を形成している。
この『ヴァル』は貴族と違って非世襲であり、階級を問わず誰しもが『ヴァル』になれる資格がある。それ故に平民の発言力がノルデンに比べて格段に高いのだ。先程のエルザ王女の話は、ロバートから聞いた職務怠慢の代官が告発を受けて処罰されたという話と合致する。サルジニアはノルデンとは明らかに違う体質を持つ国だ。
「サルジニアはサルジニア。ノルデンはノルデンだ。その国にはその国の成り立ちから来るしきたりがある」
「ですが悪弊は取り除くべきではござらぬか?」
「エルザの言わんとする事は理解できる。だが、しきたりの中で動かさねば、動く者ですら動かぬだろう。それでは悪弊を取り除くどころの話ではない」
悪弊を取り除く事だけを行えば、悪弊を取り除く機構すら機能しなくなる。水清ければ魚棲まずという、まさにそれ。世の中の事を真剣に考えれば考えるほど陥ってしまう思考である。この点から考えれば、ウィリアム殿下の指摘は正しい。
「エルザよ。モノを言う以上、それを証明せねばならなくなる。その事、とくと心得ねばならぬ」
ウィリアム殿下から言われたエルザ王女は頷かざる得なかった。ウィリアム殿下もエルザ王女も側室の子。それが王族であるにも関わらず、弱い立場に立たされている因である。その弱い立場から身を守るためには慎まなければならぬと、兄から指摘されたエルザ王女は同意するしか無かったのだろう。二人の置かれた立ち位置を垣間見た気がした。
「我が王国が小麦の問題で揺れ動いておるのは事実。その中で様々な事が言われるであろう」
ウィリアム殿下は話題を変えようとしているのだろう。改めて小麦の話を始める。
「しかし今、宰相府も様々な手を打っておる。トラニアス祭で起こった暴動も収まったと聞く。これで少しは小麦の問題も収まれば良いのだが・・・・・」
「アルフォードよ。そちはこの小麦の話。これから収まると思うか?」
ウィリアム殿下の言葉を受けて、エルザ王女が聞いてきた。これまでよりも真剣な表情をしているので、おそらくは俺の本音を聞きたいのだろう。そうこられると、こちらの方もキチンと答えなければならない。俺はエルザ王女に向かって、ありのままに答える事にした。
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