494 ミカエルの苛立ち
ノルデン北西部の中心都市レジドルナ。その西方に広がるアウストラリス公爵領。その位置関係から見ても明らかなようにレジドルナ、特に川を挟んで北側の街レジとアウストラリス公は繋がりが深い。そのレジから見て東の外れにあるのがリッチェル子爵領。所領のこの微妙な位置が、リッチェル子爵家にそのものに影響を及ぼしている。
要はアウストラリス公の力が強いからこそ、今回のようにドルナへ通じる道を勝手に封鎖し、代わりに自分達が行き交いする道としてリッチェル子爵領を闊歩している状況が生まれていると言える。リッチェル子爵家にとっては、この上もなく迷惑な話でしかないが、所領の微妙な位置故に回避しようがない。
まして相手はノルデン屈指の貴族家であり、そのままでは歯が立たないのは言うまでもない話。だからアウストラリス公が建議している貴族会議開催を挫く事は、公爵の力を削ぐことであり、それはリッチェル子爵家にとって大きな益がある。そう判断したから、どちらかといえば
「アルフォードさん。私が浅はかでした。姉の真意が見抜けぬとは・・・・・」
「ミカエル、気にすることはない。それよりもミカエル」
「はい」
「レティの方へ先に連絡が入った事に不満はないか?」
「えっ!」
俺の質問にミカエルが驚いている。その顔を見るに、どうやらそんな事は眼中にもなかったようだ。
「どうして、そのような事を・・・・・」
「ミカエルが当主だからだ。領地の事に関して、真っ先に知らなければならぬ立場。それを差し置いて、レティの方へ先に連絡が入ってしまったようだからな」
「アルフォードさん」
ミカエルが真剣な眼差しをこちらに向けて来る。一体何を言うつもりなのだろうか?
「私が当主になっておりますのは、姉の力によるもの。私の力ではございませぬ。もし姉が男ならば、文句なしに襲爵なされていた事でしょう。私の方へ先に連絡が入らなかったのは、ひとえに私の力量不足。どうして不満を抱きましょうか」
これはこれは。ミカエルの表情を見るに口先などではなく、本気でそう思っているようだ。俺の考えている事など次元の低い話に見えてくる。本当に自分のテリトリーしか考えていないんだよなぁ、俺は。レティとミカエル、リッチェル家の姉弟の信頼関係は鋼よりも固い。二人の関係を俺なぞが不安を抱く必要など、微塵もなかったのである。
「事態はまだまだ動く。その時に然るべき動きを取る気構えを持っていればいい」
「分かりました」
ミカエルは納得したという感じで、首を大きく縦に振った。人の話を素直に聞けるという点でも品行方正なんだよな、ミカエルは。ミカエルと同じクラスになっているリシャールの話では、ミカエルは学年羨望の的であるらしい。どこから見ても、完全な貴公子だもんな。ミカエルは俺に一礼すると、自分の鍛錬を再開した。
昼休みのロタスティ。アーサーが俺の向かい合わせに座り、トレイに載せている厚切りステーキをキレイに切りながら、パクパクと食べている。俺の方はビーフドリア。アーサーの実家ボルトン伯爵家の所領で収穫された米を使ったドリアである。小麦の値段が爆上げ過ぎるので、皮肉な事に米食への切り替えに繋がっていると言ってもいいだろう。
「おい。『週刊トラニアス』を見たか?」
「ああ。御苑の話か?」
「俺、全然聞いてなかったよ」
アーサーは父であるボルトン伯から、何も聞かされてないとボヤく。まぁ、そう言うのも無理はない。何しろクリスが御苑で開く『明日の小麦問題を考える御苑の集い』に、ボルトン伯が参加を表明したと『週刊トラニアス』が伝えたからだ。ウチの親父は相変わらずだよなと、ボルトン伯得意のボケながらの隠密行動を嘆いている。
「ノルト=クラウディス公爵令嬢、御苑で大規模集会を主催」
『週刊トラニアス』は、クリスが貴族達を招待して『明日の小麦問題を考える御苑の集い』を開催することをトップで伝えた。記事ではクリスが『ラトアンの
「しかし公爵令嬢は凄いよな。陛下から御苑を借りるだなんて。俺、今まで行ったことなんてないぞ」
アーサーは御苑についてあれこれ話してくれた。貴族でも入ることは稀だというトラニアスの巨大庭園である御苑。ここを借り受け、貴族達を集めてパーティーを開くなんて前代未聞。実家であるノルト=クラウディス公爵家の威光があったとしても、それを実現するクリスの実力は、並の貴族を遥かに上回るというのである。
「少し大げさじゃないのか?」
俺が言うと、アーサーは首を横に振った。
「グレン、考えても見ろ。派閥領袖でも開けないんだぞ。まして宰相閣下だって開いた事がない。それを俺達の同級生がやってのけたんだ。これは
熱っぽく語るアーサー。言われてみれば確かにそうかもしれない。クリスが御苑で集会を開くというこの記事を貴族子弟達が見たいからか、朝に置かれていた『週刊トラニアス』が一瞬で消えてしまった。今、学園はクリスが御苑で集会を開く話題一色となっているのは事実だもんな。学園生徒、特に貴族子弟にとっては、それぐらい大きな話のようだ。
「親父が行くなら、俺も行く資格があるかな。一度は行ってみたかったんだよ、御苑に」
これは俺が御苑に足を踏み入れた事なんて言えないよな。嬉しそうなアーサーの顔を見て、そんな事を思っていると、アーサーの表情が少しシリアスなものに変わった。『週刊トラニアス』記事に書かれているボルトン伯の記述。その部分で引っかかる所があるらしい。アーサーは顔を
「親父は記者に「皆で小麦問題を考えるきっかけとしたい」なんて答えているんだけど、これって敵対行為にはならないのか?ってな」
そう言って考え込むアーサー。記事にはこう書かれていた。「『明日の小麦問題を考える御苑の集い』に参加すること明らかにした、王室付属サルンアフィア学園学園長代行のボルトン伯は「公爵令嬢からの招待は、皆で小麦問題を考える大きな好機。この集いで貴族が知恵を絞る大きなきっかけとしたい」と話した」と。
アーサーが気になっているのは、クリスが開く御苑の集いで「皆で小麦問題を考える」という部分。何故なら今、アウストラリス公が建議している貴族会議を開く名分「貴族皆で小麦問題を考える為に貴族会議を開催したい」とモロかぶりだからである。しかも貴族会議開催の建議中に開催される集いで考えようというのだから、貴族会議で考える意味があるのかとなってしまう。
「アウストラリス公のお怒りに触れはしないかって思うんだよ」
いやいや、完全に触れるだろ、これ。それに俺はその部分よりも、ボルトン伯の参加動機の方が気になる。「ボルトン伯はノルト=クラウディス公爵令嬢が主催する御苑の集いに参加を決めた事について、「学園長代行である私が学園生徒の催しに招待を受けて、断る理由はない」と話した」という部分の方が、ずっと問題だろう。
要は中間派の取り纏め役として御苑の集いに参加するのではなく、クリスが学園生徒だから学園長代行として参加するのだと言っているのである。クリスを理由付けにして、御苑の集いに出席するのだと強弁する、ボルトン伯の無茶っぷりの方が普通にヤバい。あくまで派閥とは無関係でございますと、いけしゃあしゃあと振る舞えるな、と感心する。
「親父はいつも危なっかしいんだよ」
アーサーが嘆くのはよく分かる。あのボケボケ芸とまともに向き合ってたら、こちらの方が持たない。というか、それがボルトン伯の狙いなのだろう。しかし記事に書かれているように「中間派の取り纏め役である
クリスが主催する『明日の小麦問題を考える御苑の集い』と、その集いにボルトン伯が参加をする事を表明する記事が出たことで、一番割りを食ってしまったのは『翻訳
貴族派第四派閥ランドレス派を率いるランドレス伯は、ランドレス派の派閥会合の席で「空前の小麦不足の非常時に、貴族の役割がかつてなく求められる」と話し、「故に貴族会議は開かなければならない」と、貴族会議の開催へ強い意欲を示した。これを受けて幹部会合では、貴族会議の開催に向けて、派閥内の意見集約を行う事で一致。
その上で貴族会議の開催を建議したアウストラリス公と、公爵が率いる第一派閥アウストラリス派との連携を進めていく方針を固めた。今後ランドレス派では貴族会議開催に向けて支持拡大を行うべく、各派貴族への働きかけを強めていく模様であると記事は伝えている。しかし学園内で号外を手にする者は少なく、山積みされたままの状態だった。
しかし貴族会議招集を伝える『翻訳蒟蒻』の熱量は侮れない。本誌と号外を合わせて、貴族会議の事を伝えるのはこれで三度目。今回のランドレス派の動きだって、『翻訳蒟蒻』であるからこそ掴めたスクープ記事だ。おそらく『週刊トラニアス』の記事を書かせたのはリサなのだろうが、それがなければ『翻訳蒟蒻』の号外の方が目立っていただろう。
というのも、もし『週刊トラニアス』が御苑の集いの記事が載せられなければ、トップに来たのは「トーレンス派、派閥幹部会合でトーレンス候に一任」だったからである。国王派第二派閥であるトーレンス派が、派閥幹部会合を開いて派閥領袖である内大臣のトーレンス候へ貴族会議開催への是非について、判断を一任したという記事だった。
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