491 ヒロインの切り崩し
リッチェル子爵夫人であるレティは家が属する派閥、貴族派第二派閥のエルベール派において、クリスが主催する『明日の小麦問題を考える御苑の集い』をダシにして猛烈な勧誘工作を行っているのだという。しかし『御苑の集い』に参加するというだけでは、敵味方が分からないのではないのか?
「どうして「こちら側に付いた」なんて分かるんだ?」
「委任状よ、委任状。委任状を受け取るのよ」
「レティが受け取るのか?」
「違うわよ! 何をボケてるの!」
レティに怒られてしまった。いやぁ、ボケたつもりじゃないんだが。俺はてっきりレティが中心になって、派閥内での切り崩し工作が行われていると思ったからなんだよな。
「じゃあ、誰に委任状を・・・・・」
「アルヒデーゼ伯に決まっているじゃない! 派閥重鎮なのよ」
なるほど! 反アウストラリス派のアルヒデーゼ伯に委任状を渡すということは、貴族位会議の招集に反対した事になるのか。いやぁ、すっかり抜け落ちていたよ、委任状なんて。しかしアルヒデーゼ伯に委任状を渡せ言いながら、皆行きたい御苑に誘うなんてかなり悪質だよな。レティは本質的に政治が好きなのかもしれない。
だから女性の地位が低いエレノ世界にあって、幼少であるにも関わらず父エアリスに権力闘争を仕掛けてそれに打ち勝ち、采配権を受領してリッチェル子爵家の実権を掌握できたのだろう。政治的なセンスといえばクリスなのだが、レティのそれも引けを取らないと言っていい。ただ、ガツガツと肉弾戦で攻めていくという部分がクリスと違う。
クリスの場合であるならば、見極める線というか眼力を使い、もっと静かに事を進める。今回の御苑の話だって、誰も知らぬところで国王と話し、サラリと決めてしまった。知識とセンスでスッと決するのがクリスの持ち味。いわば文化系的なノリだと考えればいいだろう。対してレティの方は明らかな体育会系である。
「それよりもグレン。こちらの方が重要なの」
レティが封書を差し出してきた。その封書は封が開けられている。見るとリッチェル子爵家唯一の陪臣、ダンチェアード男爵からレティに向けて宛てた封書。レティの話によると、一昨日の夕方に届いたそうだ。しかしその封書を何故、俺に差し出してくるのだ?
思わずレティに聞いた。
「見てもいいのか?」
「見てもらう為に出しているのよ」
確かに言う通りだな。では遠慮なくと中から便箋を取り出すと、レジドルナ情勢の事に関して書かれていた。ドラフィル商会の者が来ないので、一体どうなっているのかと使いの者を送ると、道が封鎖されていてドルナに入れないということで子爵領に戻ってきた。そこでダンチェアード男爵自らが赴き、封鎖された道を通してもらったと書かれている。
ムファスタギルドのホイスナーが伝えてきたように、やはりドルナに通じる道は全て封鎖されてしまっているようだ。しかしレジドルナの冒険者ギルド、いやその冒険者ギルドを飼っているトゥーリッド商会は、どうしてそこまでするのだろうか? その辺りの理由がサッパリ分からない。
便箋を読み進むと、ダンチェアード男爵は、無事にドルナの街へ入ったそうだ。街に入ったダンチェアード男爵はドラフィルと会い、ドルナの置かれた状況について詳しく聞いたとの事。それによると、レジ側が冒険者ギルドの者を使い、何も告げずにドルナへ通じる道を全て封鎖したのだという。
やはりレジ側、トゥーリッド商会側の意図は分からずか。封鎖されたドルナの街は幸いにも、現在の所平穏であると書かれている。その理由はドラフィルらドルナの商人達が、事前に小麦をはじめとする食料や生活必需品の在庫を抱えていたことや、自警団を結成して独自の住民自治が行われているからだと書かれている。
しかし自警団を結成して住民自治が行われているなんて、もう王国要らないじゃないかこれ。宰相府が手も足も出ないというのに、これでは王国の権威もあったもんじゃない。王国といえはレジドルナにも、レジドルナ行政府の守護職を務めているドファール子爵という人物がいるにはいるが、この状況下において全く機能していない。
いや。アウストラリス派に属する貴族であり、アウストラリス公の推挙によってレジドルナ行政府の守護職になったというドファール子爵が、意図的にこの状況を無視している可能性も考えられる。本当に疑心暗鬼に陥りそうだが、今のレジドルナにはあまりにも疑惑が多すぎるのだ。
レジドルナの西に広大な所領を持つアウストラリス公。その陪臣のモーガン伯、レジドルナに拠点を持つトゥーリッド商会。レジドルナの貸金業者の息子ダファーライ、そしてレジドルナの冒険者ギルド。そしてレジドルナ行政府の守護職ドファール子爵と、これ以上の役満はない。
そんな状況下、レジ側から大いに圧迫されているドルナだが、ドラフィルからはドルナの街と自分は大丈夫なので心配不要と言われたそうだ。街の状況については雰囲気こそ良いものの、人々が土嚢を積むなどして防備体制を強化していたということで、ドルナは最早決戦前夜の状態だと考えても差し支え無いだろう。
またダンチェアード男爵は、俺に「こちらの方は大丈夫だから安心してくれ」と伝えて欲しいと、ドラフィルから言付けされたとの事である。だからレティが俺にこの封書を渡してくれたのか。しかし俺とドラフィルとのやり取りが、トゥーリッド商会側に露見した事がきっかけでこの状況が生まれたとしたら、何だか申し訳ない気持ちになる。
ただホイスナーの知らせ以来、ずっと不明だったドラフィルの消息とドルナ情勢が分かったのは大きい。これで心配事が一つ解消されたともいえ、その辺りは前向きに考えなくてはならないだろう。またドルナ情勢に関連した話として、ドルナへ通じる道を封鎖する為、レジドルナの冒険者ギルドの連中がリッチェル子爵領を通っているとの事。
これはドルナの街に繋がる橋を封鎖してしまった為に、南側へ直接行けなくなったレジ側にいる冒険者ギルドの連中が、南北の行き来ができるリッチェル子爵領の道を迂回路として使っているからであろう。つまりレジから川を渡ってリッチェル子爵領に入り、南に抜けてムファスタや王都に続く道の封鎖を行っているのである。
この事態を重く見たダンチェアード男爵が、如何なる処置が必要か判断を仰ぎたい旨、書かれている。本来ならば当主であるミカエルに方に話が行くのだろうが、報告がレティに来ているのは、未だ子爵家の実権はレティにあるのだろう。しかし判断するとはいっても、他にやりようがないのではないか? 俺はその辺りの事について聞いてみる。
「無理よね。道の封鎖なんて」
レティが溜息をついた。レティが一言言えばラディーラの連中が動いてくれるのは間違いないけれど、領内に当主不在の中、諍いを抱え込めばダンチェアード男爵だけでは抱えきれない。それに今のリッチェル子爵家の当主ミカエルはまだ若く、経験不足。厄介事を抱え込んだら収拾がつかない。だから黙認するしかないとレティは話す。
「この話の為に来たのよ。ウチの家を含めて重要な話だから、直接話しておきたかったの。本当は今日も派閥の貴族と会って、話をする予定だったから」
昨日、アルヒデーゼ伯に話をして予定をずらしてもらうようにしたらしい。そこまでやっていたのか、レティ。何というバイタリティなのか。一人で第二派閥エルベール派の派論を反アウストラリスで纏めてしまいそうな勢いだ。明日からまた切り崩し工作をするから暫く図書館には顔を出せない。そう言ったレティの顔が少し寂しそうだった。
俺とアイリとレティ。学園図書館に三人揃っての久しぶりの会話は、やはり楽しい。よく考えたら一年以上変わらぬ関係で話しているのだから、安定しているし、安心して話せる。レティの方は少し疲れ気味だったようだが、アイリも楽しそうに話をしていた。その代わり、レティからはブラッドの話を聞けずじまいに終わったのである。
ブラッドの話は『明日の小麦問題を考える御苑の集い』が終わった後にでも、聞く機会があるだろう。そう思いながら受付に行くと、丁度コルレッツから分厚い封書が届いていた。正確に言うとジャック・コルレッツからの封書なのだが、ジャンヌ・コルレッツとは双子なので、どちらからでもコルレッツからの封書である事には変わりがない。
俺は直ぐに伝信室に入って封書を開けた。分厚い封書の中には便箋と封書が入っている。封書の方はジャンヌ・コルレッツからのもの。便箋はジャックが書いたものだ。ジャックの便箋を開くと、国立ノルデン学院で行われている大盾を用いた集団盾術の訓練について書かれていた。文章を読むに、相当数の学院生徒が大盾訓練を受けているようである。
学院を担当しているペシャール学徒団長のシゴキが厳しく、多くの生徒が悲鳴を上げており、非常に大変だと書かれている。学徒団長のペシャールは第四近衛騎士団騎士監から学院に派遣された青年将校。厳しいのは間違いがない。それに加えて、常駐する『常在戦場』の隊士達との模擬演習がかなりハードであるそうだ。
現在、学院にはファリオさんの指揮下にある第四警護隊の分遣隊二十名が常駐している。一方学園にいる警護隊員は三十名で、第四警護隊は合計五十名と以前に比べ、大きな規模になっていた。また学生差配役である剣聖スピアリット子爵も度々学院に来訪して、学院生徒に厳しい指導を行っているとの事である。
ジャックの手紙を見るに、スピアリット子爵は戦力補強に躍起となっているようだ。それだけ危機感が強いのだろうが、学園の生徒よりも鍛えている筈の学院生徒達が泣きを見ているというのは、余程のシゴキであることは間違いない。学園の指導が如何なるものなのか、一度アーサーに確認した方がいいのかもしれない。
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