490 愛は勝つ

 昨日のアルフォンス卿との会合で、ザルツが引き受けた二つの案件。次なる小麦対策の立案と『貴族ファンド』の調査。前者は休日に会合を行う事になったのだが、後者の方は俺とリサとザルツの三人で手分けをして調べる事になった。具体的には、俺が『常在戦場』。リサが『週刊トラニアス』。そしてザルツが『金融ギルド』を頼りに調べる形。


 しかしどこまで調べられるかは分からないと、ザルツには魔装具越しに伝えた。笑いながら「確かにそうだ」というザルツだが、その真意が俺には全く分からない。大体、緊急融資支援の次の対策を考えるといったって、どんな案があるというのか。二つの案件とも見通しがあるようには見えないのに、どうして請け負ったのかが全く理解できなかった。


 そもそも俺が知るザルツは合理主義者。出来ないものを安直に受けるような人物ではない。それなのに、昨日に限っては安請け合いをしているように見えてしまった。まぁ、アルフォンス卿を屋敷にお迎えした会合という、これまでの常識ではあり得ない状況に舞い上がってしまった可能性はある。ザルツのテンションを狂わせてしまったようだ。


 リズムが狂ったといえば、昨日のピアノ部屋の話もそうだ。アイリがクリスを励ますつもりでピアノ部屋に誘ったのに、逆に号泣させてしまった一件。あれも今まではあり得ない事で、皆のリズムが狂ったと言えよう。最後の締めは、素直に「雨の御堂筋」にしておいた方が良かったのではないかと、気になっていたのである。


 そもそも「雨の御堂筋」はウチの母親が好きだった曲で、俺が弾くと何故か曲に合わせて元気に歌い始めていた。なので元気付けるという意味では「雨の御堂筋」の方が良いような気がするのである。その件について放課後の図書館でアイリの方から話があった。クリスから「乗り気じゃなかったけれども、部屋に行って良かった」と言われたらしい。


「クリスティーナがそう言ってくれて、本当に嬉しかったの」


 クリスは俺の演奏を聞いて元気が出たのだという。特に最後に弾いた「愛は勝つ」が効いたらしい。信じなきゃダメだ、諦めちゃダメだと思ったと一生懸命アイリに話していたそうなので、やはり追い詰められた心境になっていたようだ。クリスが泣き始めて、「雨の御堂筋」の方にすればと思ったが、結果的には「愛は勝つ」で良かったという事なのか。


「レティシア!」


 話していたアイリが突然立ち上がった。レティだ。もう来ないのかと思っていたので、内心ホッとした。レティがアイリに近づくなり、二人は抱き合う。ヒロインとヒロインの抱擁。何か昨日のアイリとクリスが抱き合っていた、その続きを見ているような感じだ。レティはアイリに促されて椅子に座り、久々に俺と面対した。


「元気だったか?」


「大変過ぎて、元気どころじゃないわよ」


 俺のありきたりな言葉に、レティは溜息で返してきた。どういう訳か分からないが、レティは本当に忙しいようである。しかしブラッドの件、一体どうやって切り出せばいいのか。事前にシミュレーションはしていたのだが、全く切り出す事ができない。脳裏にあの忌まわしい「プロポーズ大作戦」の失敗がよぎっているからである。


「レティシアは何をしていたの?」


「エルベール派の貴族を御苑の集いに誘っているのよ」


「えっ!」

「えっ!」


 俺とアイリがハモった。レティはエルダース伯爵夫人を通じて派閥の実力者で高位伯爵家ルボターナのアルヒデーゼ伯と面識を持ち、伯爵と共にエルベール派の貴族へ、片っ端から御苑の集いに参加するように働きかけているのだという。暫く顔を出さない間に、なんとレティはエルベール派内で切り崩し工作を行っていたのだ。


「招待状を送るだけなら簡単だけど、それだけでは動かないのよ。ウチの派閥!」


 レティはそう嘆いた。エルベール派はアルービオ朝成立以前からの貴族が多く、それ故に頑固というか、頑迷固陋ころうであるというのである。なのでアルヒデーゼ伯やエルダース伯のような、名の通った貴族と一緒に話さないと中々首を縦に振らないらしい。そうやって芳しくない返事をしている貴族をひっくり返しにかかっているというのである。


「しかしエルベール派は、そんなにバラバラなのか?」


「領袖が日和っているのが大きな原因なのよ。美味しいところしか取る気がないから」


 俺が聞くと、レティが呆れたように話す。エルベール派の領袖エルベール公をこれまで二回ほど見たが、確かに軽そうな人物だったな。ミカエルの襲爵式の際、挨拶に立ったエルベール公のスピーチがヒヤヒヤものだったのを覚えている。あれでは日和ったとしても不思議ではない。結局、領袖が美味しい所狙いで曖昧模糊だから、バラバラなのか?


「今、エルベール派は貴族派協調路線のシュミット伯と、反アウストラリス路線のアルヒデーゼ伯との間で綱引きが行われているの」


 つまり今のエルベール派はアウストラリス公に付くかどうかで、二分されているということなのか。レティによれば現在のところ、反アウストラリス派のアルヒデーゼ伯の陣営が優勢なのだという。アウストラリス派という貴族派第一派閥への対抗心から反アウストラリス路線を取っている貴族が多いからであるらしい。


「草刈場にはなりたくないって、心理も働いていると思うわ」


「草刈場?」


 レティが聞き慣れない言葉を使ってきたので、思わず聞いてしまった。レティが言うには、態度が決まっていない勢力が、明確に決まっている勢力に切り崩される事を言うらしい。


「自派の意思決定ができずに、他所の派閥の働きかけで貴族毎に態度が違っちゃったら、それはもう派閥の意味がないでしょ。だからそれを恐れて態度を決めるようとするのよ」


 なるほど。他派閥に翻弄されるのが嫌なので、自分達で態度を決めてしまおうという心理が働くのか。貴族も中々大変だ。今回の場合ならば、宰相派に付くかアウストラリス派に付くかの選択。自分達で態度が決められず両派の働きかけで、所属する貴族達が動いてしまえば派閥としての主体性を持てなくなってしまう。


 だから自分達で決めましょうとアルヒデーゼ伯が訴えているという感じか。その方が閥内でのウケがいいし、説明も通りやすいという事なのだろう。当初、俺が思い描いていた、貴族派第二派閥エルベール派と第五派閥ドナート派を切り崩せば貴族会議招集を阻止することができるという絵なぞ、如何に安直な発想なのかが理解できた。


 しかし協調路線か。即ちアウストラリス公と気脈を通じているという事。シュミット伯もアルヒデーゼ伯と同じ高位伯爵家ルボターナにして派閥の重鎮。共に高位家という立ち位置が影響しているのだろうが、とにかくソリが合わないそうである。例の『貴族ファンド』もエルベール派で音頭を取っていたのはシュミット伯。


 対してアルヒデーゼ伯の方はといえば、アウストラリス公を蛇蝎だかつの如く嫌っており、アウストラリス公肝いりの『貴族ファンド』の回状にもサインをしなかったという徹底した反アウストラリス派の人物。このアルヒデーゼ伯がサインをしなかった事で、『貴族ファンド』は高位家からの過半数の支持を得られなかったのである。


「そこでレティがアルヒデーゼ伯と結んだという訳か」


「結んだなんて・・・・・ そんな対等な関係じゃないわよ。アルヒデーゼ伯の傘下に入ったようなものだわ」


 レティがそう言って謙遜する。確かにアルヒデーゼ伯の方がずっと格上なのだろうが、十六歳の少女が切り崩し工作の先頭に立って斬り込むなんて、普通ならば考えられないだろう。アルヒデーゼ伯から見れば、レティがジャンヌ・ダルクのように見えるのではないか。レティが切り崩しに携わっている事で優勢になっているのではないかと思う。


「じゃあ、エルベール派はバラバラじゃなくて、二派がしのぎを削っているのだな」


「違うわ。最大派閥は傍観者よ。エルベール公も派閥ナンバー二のホルン=ブシャール候もここに属しているのよ!」


 最大派閥が傍観者。つまり旗幟鮮明なのが少数派で、日和っている人間が多数派ということか。そして少数派が二手に分かれて戦っていると。なんとまぁ、予想以上のバラバラぶり。これでは草刈場と言われても仕方がない。しかし昨日のクリスの話ではエルベール公もホルン=ブシャール候も、御苑の集いに参加する事になっているのではないのか?


「なっているわよ。でも協調路線を放棄した訳じゃないの」


 第二派閥エルベール派の根源的な問題は、軸を持っていない事だとレティは言う。本来、軸である筈の領袖エルベール公が軸にならないから、独楽こまが回らないというのである。ここでいう軸とは、第一派閥アウストラリス派と対抗するのか、同じ貴族派として歩調を合わせるのか、どちらの路線を取るかという事である。


 それをエルベール公はどちらの路線にも行けるようにすることで、派閥内の立ち位置を維持していた。だから対抗した方が得であるならばそちらを取り、一緒にやった方がいいのであれば連携する。バランスを取っていると説明すれば聞こえはいいが、その目的が自身の保身なのだから、健全であるとは言えないだろう。


「手札は持っている。そういう事なのか」


「正解よ。どちらに付いてもいいようにする為に出席するのよ!」


 レティは強調した。どうやら、美味しい所だけを狙おうという、その態度が気に食わないようである。しかし派閥内の実力者であり、影響力は大きいのだ。そんな彼らを靡かせる為には、更に味方を増やし、数の上で相手を圧倒する以外に方法はない。レティはその為に日々、派内の切り崩し工作を取り組んでいるという訳だ。


「パルフ=ジェイド伯、ノストーラ伯、トシア=ラルプ伯もこちら側に付いたわ。第一派閥への対抗心を煽って派論を傾かせるのよ」


 聞いたこともない貴族の名を出しながら、生き生きと話すレティ。その勢いに押されたアイリがポカーンとしている。エネルギッシュなレティに対して、呆れているのではなく、勢いに圧倒されているのだ。レティシア・エレノオーレ・リッチェルという人物。ヒロインとは言いながら、実はかなりの営業力、いや相当な政治力の持ち主なのは間違いない。

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