489 クリスの苛立ち

 『明日の小麦問題を考える御苑の集い』の参加者について、アルフォンス卿に伝えるクリス。中間派の取り纏め役で学園長代行のボルトン伯や、マティルダ王妃の実弟でウェストウィック派の領袖ウェストウィック公、スチュアート派の代表幹事であるステッセン伯の名を上げた。アルフォンス卿が御苑の集いの主催者である実妹に尋ねる。


「他には?」


「エルベール公もご参加下さいます」


「ほうっ。それで他には?」


「ホルン=プシャール侯とアルヒデーゼ伯もご参加頂けます」


「それで!」


 少しアルフォンス卿は苛立っているようだ。もしかすると妹の受け答えが気に入らなかったのかもしれない。俺が聞いてもクリスの答え方が無愛想に感じるからである。ムッとした表情で、アルフォンス卿が問いかけた。


「いずれもエルベール派ではないか。他派の方はおらぬのか?」


 確かにそうだ。ホルン=プシャール侯もアルヒデーゼ伯もエルベール派の高位家。どうしてドナート侯やバーデット侯の話をしないのか。そう思ってみていると、クリスが兄であるアルフォンス卿をギロリと見ている。一体何が癇に障ったのだろうか?


「兄様。何もなされていないのに、そのような物言いをされますのは、如何なる御了見で?」


 クリスがそう言いながら、アルフォンス卿を睨みつける。対するアルフォンス卿は少し怯んでいるような感じだ。


「兄様。少し他力本願が過ぎまする!」


「いきなり、何を言うか」


「では、兄様。お聞きします。今日の話の中で、兄様のお力で何か為された事がございましたでしょうか?」


「うっ」


「兄様。今、家の存亡がかかっておりますのよ。それであるにも関わらず、頼み事ばかりなされる有様。何のために父上の元で補佐官をなされておられるのか。それでは補佐官の名が泣きまする!」


 クリスの厳しい指弾にアルフォンス卿が絶句している。これではアルフォンス卿の立つ瀬がない。


「グレンの協力のお陰でドナート侯とバーデット侯の御助力を頂き、派閥の方々を御招待することが出来ました。兄様は何をなさっていただけるのですか?」


「・・・・・」


 アルフォンス卿が沈黙してしまった。多分、自身の手で成した事を話せないのだろう。クリスは次兄の痛い所をズバリと突いたのだ。そもそも補佐官というものは、自分で何かをする業務ではなく、部署と部署を調整するのが仕事。実際のところ、宰相補佐官として目の前の調整を行うことに精一杯だというのが、本当のところではないのだろうか。


「兄様。私は御苑での集いに加勢をして欲しいとは申しておりませぬ。兄様には人に頼むだけではなく、自らの考えで何かを行って頂きたいのです」


 クリスの言わんとすることがよく分かる。責任ある立場である次兄アルフォンス卿こそが、家の危機に率先して動いて欲しい。それがクリスの望みであり、願いなのだ。しかし俺がアルフォンス卿の立場だったとして、それを素直に受け止める事が出来るかどうかは非常に怪しい。クリスの要望が重すぎるからである。場の空気は重苦しいものとなった。


「失礼致します。お茶をお持ち致しました」


 ピリピリしたムードの中、会議室の扉を開けてニーナが入ってきた。リサが直ぐに立ち上がってニーナに駆け寄る。


「初めてお目にかかります。アルフォードの妻のニーナでございます」


 ニーナはまずアルフォンス卿に次いでクリスに、そしてベスパータルト子爵に頭を下げた。そしてクリスにも頭を下げたのだが、突然のニーナ登場にクリスが目を丸くしている。またニーナは、アイリに無言で微笑んで会釈をした。アイリの方もにっこりした顔でニーナに頷いている。


 アイリとニーナ。二人が会ったのは俺がモンセルに帰って以来、久しぶりである。リサが紅茶を配膳するのを見て、シャロンとアイリが立ち上がり、三人でお茶出しをした。エレノ世界のこのお茶出し。現実世界のようにまずお茶出しをするという事が少なく、途中に出される事が殆どである。


 これは「お茶で待たせる」と言う、ノルデンのことわざによるところが大きいのかもしれない。「お茶で待たせる」というのは「時間稼ぎ」という意味で、最初にお茶を出すという行為は、客人をあまり迎えたくないという消極的な意思の表れとして、エレノ世界では忌み嫌われるのだ。


 しかし、最初から「お茶にします」と言って誘うのは失礼には当たらないというのだから、風習とか習慣というものは本当に難しい。緊張感が漂っていた会議室は、ニーナの登場で一転和やかなものになった。アルフォンス卿がホッとしたような表情をしているので、クリスの次兄にとって、ニーナの登場は僥倖ぎょうこうだったようである。


「いつ、王都へお越しに」


「つい一週間程前の事でございます。当主に誘われましてこちらに」


「アルフォード様から!」


「はい。モンセルで待ち続けさせるのもどうかと言われまして」


 クリスの質問に、にこやかに答えるニーナ。クリスの表情も先程までの厳しいものもの一転、柔和になった。一瞬どうなるかと思ったが、ニーナのお陰で場の空気が入れ替わったので、素直に良かったと思う。ニーナが会議室から出た後も、雰囲気はそのままで話し合いが行われ、特に波乱もなく静かに終わった。


 静かに会合は終わったのだが、それですんなりと終わりという訳にはいかなかった。アルフォンス卿やザルツらが席を立って、俺達も会議室を出ようとしたところをアイリに引き止められたのである。アイリは俺やクリスにピアノ部屋に行こうとせがんできた。困った表情をするクリス。だが、アイリは行こう行こうと、全く引き下がる気配がない。


 結局、根負けしたクリスは俺や二人の従者トーマス、シャロンと共にピアノ部屋に入る事になった。皆と一緒に部屋に入る際、アイリは誰にも聞こえないような小声で「元気の出る曲を」と、リクエストしてきたのである。おそらくはクリスを少しでも励ましたかったのだろう。だからクリスに無理強いをして、半ば強引にピアノ部屋へ誘ったのだ。


 そうである以上、俺はアイリの期待に応えなければいけない。椅子に座って最初に弾いた曲は「救急戦隊ゴーゴーファイブ」。祐介が小さかった頃に見ていた戦隊モノのオープニングテーマなのだが、やたら暑くたい曲だ。次に弾いたのは「鋼鉄ジーグ」。俺が小さい頃に放送していたアニメで、主人公が頭になって、磁石で全身合体するロボット物。


 このロボットの玩具。胴体も腕も足も首も全部磁石でくっつく仕組みで、腕の所に足をくっつけたりして遊んだものだ。ただ砂場に持っていった時、砂場の砂鉄をくっつけまくってしまった為に、目も当てられない惨状になったのだけはハッキリと覚えている。ただアニメの中身については、小さかったので「邪魔大王国」以外全く覚えていない。


 その後に弾いたのは「桜咲く国」。ヅカと並ぶ歌劇団、OSKのテーマソングだ。この曲に合わせてパラソルを開いたり閉じたりするのだが、これが中々壮観なのである。ノリが良いので二回ループして演奏した。三曲とも今まで披露した事が無かったので、クリス達だけではく、アイリにとっても新鮮だったようだ。


 歌詞付きの曲ばかり弾いているので、何故か歌いたくなってきてしまった。アイリの前なので歌うのを控えていたのだが、我慢ならなくなったので、そのままKANの「愛は勝つ」を歌った。別に好きな曲ではないのだが覚え易く、昔カラオケのレパートリに入れておいたので、しっかりと曲が脳内に残っていたのである。


 意外な事に演奏を終えると、クリスがノルデン語で歌えないかと言ってきたので、ノルデン語の訳詞を弾きながら歌う。数字が記号であるように、歌詞も文字の羅列。日本語のノルデン語に変換するだけなら容易なのだが、いかんせん感性が乏しいのでニュアンスまでが訳せているかどうかは怪しい。怪しいがクリスのリクエストに応えた。


 すると演奏中、予期せぬ事が起こった。今まで我慢したものがあったのだろう、クリスが泣き始めたのである。励ますつもりで演奏したのに、クリスを泣かせてしまった。しかし俺の性格上、途中で演奏を止める訳にはいかない。すると、アイリがさっとクリスに寄り添って抱きしめた。演奏が終わって指を止めると、シャロンも泣いているではないか。


 クリスを抱きしめているアイリも泣いていた。ああ、これは選曲が悪かったか。どうやら皆、「愛は勝つ」の歌詞に感応してしまったようだ。ノリで曲を決めてしまったので、歌詞の内容を気にしていなかったが、歌があまり歌われないのエレノ世界では少し刺激が強すぎたのかもしれない。これだったら欧陽菲菲の「雨の御堂筋」の方が良かったか。


「今の曲。いい曲だったよ」


 皆が泣いている中、トーマスはシャロンの肩を引き寄せながらそう言った。トーマスとシャロンみたいな関係の二人には似合う曲なのだろう。二人の為に歌うのなら、問題ない選曲だったと思う。それを考えると心斎橋は分からないだろうが、ここは無難に「雨の御堂筋」の方が良かったのではないか。しゃくり上げているクリスを見て、少し後悔した。


「ありがとう。ありがとう」


 そう言うと、クリスは自分を抱きしめていたアイリを強く抱きしめた。アイリの方もクリスの名を呼びながら抱きしめ返している。クリスも今まで相当不安だったのだろう。この二人、ゲームでは敵手となっているが、本当のところ凄く相性がいいのだ。こういう場面を見るに、設定を考えたエレノ製作者の洞察力が不足しているのではないかと感じる。


 大体で、安直に設定を考えているからそうなる。もう一人のヒロインであるレティにしてもそうなのだが、悪役令嬢と水と油くらい合わないといった感じでは全く無いのだ。上辺の設定ばかりに走って、人の心理というか、深層なんて考えていないからこういう事になる。お互いに抱き合うアイリとクリスを見ながら、そんな事を思った。

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