488 陣営構築

 クリス主催の『明日の小麦問題を考える御苑の集い』でその世話に携わるものが二千人に達する。ノルト=クラウディス公爵家の執事長で、御苑の集いの準備を統括しているベスパータルト子爵の説明を聞いて唖然とした。というのも、ロバート達が用意している配膳給仕の者を除いて、なお二千人以上だというのだから驚いたのである。


 子爵の話によると宰相派に属する貴族は、親族、直臣、陪臣と爵位に応じて、集いの世話を行う者を出すことになっており、その数およそ二千人に達するらしい。各家より出された者をノルト=クラウディス公爵家の陪臣ムステングルン子爵が編成を行い、役割分担を行っているとの事。


 宰相派の各貴族家より出された者に加え、ロバートやウィルゴットが受け持つ配膳給仕の者を合わせると、ゆうに五千人は超えるという。これほどの用意は行った事がないとベスパータルト子爵が話しているので、大規模な集まりなのは間違いない。また警備に関しては、近衛騎士団とノルト=クラウディス公爵家が共同で行う事になっているそうだ。


「警備の為、ノルト=クラウディス公爵領より選抜騎士団が送られてくる事になっております」


 公爵領にはノルト騎士団とクラウディス騎士団という二つの騎士団がある。ここから団員を選抜して上京してくるのだという。確か二百人かいる筈だが、その内何人が上京してくるのか。ふと、ノルト=クラウディス公爵領に行った際、護衛として付いてきたのに領地に残ってしまったアッカード卿ら衛士達の事を思い出し、一人で笑ってしまった。


「何かおかしいのですか?」


「いや、ノルト=クラウディス公爵領に向かったとき、同行していた衛士達が元気かなぁ、と思ってな」


「まぁ!」


 クリスが驚いた顔をする。あの時の事を思い出したようだ。クリスが公爵領に向かうからと護衛の為に付けられたアッカード卿と配下の衛士達は、ホームシックにかかってしまっていたので、全員を公爵領に残して王都に帰ったのである。その代わりに王都へやってきたのが、フィーゼラー親子やクリスの傅役だったメアリー・パートリッジだった。


 あの時の出来事を思い出したのか、アルフォンス卿の従者としてその後ろにいたグレゴール・フィーゼラーが、声を出さずに笑っている。あの時確か、アッカード卿達の処遇についてグレゴールも骨を折ったのだったな。


「なるほど。それでブレーマーが公爵領に戻されたのですな」


 合点がいったという感じで、ベスパータルト子爵が話した。公爵領に出発するクリスの護衛にアッカード卿ら衛士を選抜した王都警護衛士長のブレーマーは、クリスが帰ってから暫く経って、公爵領に配置転換を言い渡されていたのである。出発前に車上の護衛を巡ってクリスと衝突した上に、選抜した衛士がダメダメだったので仕方がないだろう。


「それで今、王都護衛衛士長はフィーゼラーが務めているのか」


 アルフォンス卿もその辺りの経緯を初めて知ったようだ。しかしグレゴールの父レナード・フィーゼラーは、宰相閣下の従者をしながらノルト=クラウディス家の王都護衛衛士長まで兼ねていたのか。それだけ閣下の信頼が厚いのは分かるが、従者だけでも時間が束縛されるのに、それに加えて衛士長なんて激務ではないのか? 


「フィーゼラー殿は日々職務に精励されておりますから、モノ言う衛士など誰もおりませぬ」


「適任という事なのだな」


 ベスパータルト子爵の説明に納得したように頷くアルフォンス卿。アルフォンス卿は宰相補佐官の仕事が主で、公爵家の方については嫡嗣でもない為、事情があまり分からないのかもしれない。家の話が出て少しリラックスしたのか、アルフォンス卿はアウストラリス公が建議した貴族会議に関連して、各派の動向について話し始めた。


「トーレンス派は貴族会議開催に与しない。スチュアート派もだ」


 国王派第二派閥トーレンス派と、第三派閥スチュアート派が態度を明らかにしたか。


「トーレンス派については内府閣下から内諾を得た。スチュアート派の方はステッセン伯が宰相府にお見えになって、伝えて来られた」


 話によると、内大臣のトーレンス侯はアウストラリス公が提出する建議を受け取る内大臣府の長であり、提出される建議に関与することはできない。よって貴族会議開催の是非に与することができないと、態度を明らかにしたのである。対してスチュアート派のステッセン伯の方は、宰相支持を明確に打ち出し、委任状を提出しない事を確約したとのこと。


「ウェストウィック派も与しない方向で意見集約に入った」


 派閥領袖のウェストウィック公がマティルダ王妃の実弟ということもあり、建議への関与は望ましくないとして、支持しない方向に傾いているという。これで国王派の三派が足並みを揃えた形となり、宰相派と合わせて貴族の半数近くが貴族会議の開催に与しないことになった。与しないとは、賛成書類を提出しない事であり、事実上の反対である。


「ドーベルウィン伯も与されない事を確約された。同時に中間派貴族らに働きかけられておられる」


 統帥府軍監であるドーベルウィン伯は自身が中間派、正確にはどの派閥にも属していない貴族であり、同じ境遇の貴族達に声を掛けているとのこと。このドーベルウィン伯の声掛けは、アウストラリス公の建議に賛同しないようにという働きかけであり、事実上の貴族会議開催反対という立場を明確にしたとも言えよう。


 宰相派と国王派三派、そしてドーベルウィン伯ら中間派貴族。宰相閣下としては、先ずは固められるところを固めたという形である。宰相側としては貴族会議開催を阻止するには、全貴族の三分の二が開催に賛同しないようにしなければならない。今後はアウストラリス派を除く、貴族派の四派閥の動向にかかってきた。


「実は妙な話が回ってきている」


 アルフォンス卿が神妙な顔になる。一体どんな話なのか。表情を見るに良からぬ話である事は間違いないだろうが・・・・・


「アウストラリス派の貴族が貴族会議招集支持の見返りとして、『貴族ファンド』の特別融資の斡旋を持ちかけているそうだ」


「何ですと!」


 俺が声を出す前にザルツが発した。リサの方をチラリと見ると、ニコニコ顔が消えている。確かに『貴族ファンド』のカネは、困窮する多くの貴族にとって魅力的に映る筈。貴族会議の開催を支持するかどうかで迷っている貴族は元より、貴族会議の開催に消極的な貴族を引き込み、反対する貴族を切り崩すには強力な武器となるだろう。ザルツが聞く。


「失礼を承知でお聞き致しますが、どのくらいの貴族の方に働きかけが行われているのですか?」


「そこまでは把握していない。あくまで伝聞。しかし、限りなく現実的な話だと感じておる」


「既に工作が行われていると考えるべきです」


 アルフォンス卿の話を聞いたリサが、そう断言した。その理由について問われると、伝聞が広められている時点で、工作が成功しているのだと言うのである。何故か? アウストラリス派の貴族に接触して『貴族ファンド』の特別融資、即ち小麦融資を受け取ろうする貴族が現れるからだと。要は宣伝工作だと、リサが話す。


「つまり噂の出処はアウストラリス派ということですね」


「間違いありません」


 クリスからの問いを肯定するリサ。クリスはこのような事態を想定してはいたようで、冷静ではあるものの、表情は非常に暗かった。そのクリスを心配そうに見るトーマスとシャロン、そしてアイリ。そんな中、ザルツはリサの見立ては合理的であり、ほぼ間違いないだろうと話している。俺も同意見だったので、異論は無かった。


 ノルト=クラウディス公爵家の陪臣で、王都の公爵邸で代々執事長を務めているベスパータルト子爵の顔がこわばっている。今日のような話は初めて聞いたような雰囲気である。普段、執事長として屋敷の中で務めを果たしている子爵にとっては、寝耳に水のような話であったかもしれない。アルフォンス卿が誰彼ともなく尋ねてくる。


「何か手立てがあろうか?」


「グレン、リサ。お前達『貴族ファンド』の事について調べられるか?」


「ん?」

「えっ!」


 ザルツからのいきなりの問いかけに、どう答えて良いのか分からなかった。リサを見ると俺と同じような感じのようだ。俺は『常在戦場』。リサは『週刊トラニアス』。それとは別に、ザルツを含めた共通のラインとして『金融ギルド』がある。しかし、そのどれもが貴族との関係について強いとは思えない。そもそも貴族じゃないのだから当然の話。


 確かに『貴族ファンド』はその中核がフェレット商会なので貴族ではない。しかし貴族相手に貸金業務を行っている訳で、貴族情報のパイプがなければ『貴族ファンド』の情報も手に入りくいのではないか。こちらにはグレックナーの妻室ハンナがいるが、一本のパイプしかない事を考えると、こちら側が貴族情報の収拾力が弱い事には変わりがない。


「敵を知らば百戦危うからずという。至急『貴族ファンド』の現在の状況について調べ、対処法を考えようではないか」


 ザルツの言葉に俺とリサは返事をせざる得なかった。しかし調べて対処法を考えるとは言っても、『貴族ファンド』は三〇〇〇億ラントのカネを積んでおり、貴族を通じて惜しみなく小麦相場に注ぎ込んでいる有様。『金融ギルド』よりも積立金が少ないといっても、元の額がエレノ世界においては天文学的な数字。そもそも死角などあるのだろうか?


「アルフォード殿。この件についてもお願いする」


「分かりました。早急に対処法を考えたいと思います」


 小麦対策の次の手に続いて、『貴族ファンド』の小麦融資対策までもが、こちら側の課題となってしまった。しかし、あれもこれも受けてしまって大丈夫なのかと不安になってくる。ザルツが一体何を考えているのかが、イマイチ分からない。一方、対照的なのがアルフォンス卿で、ザルツの言葉で気が楽になったのか、クリスに話しかけている。


「クリスティーナ。御苑の集いの状況。如何か?」


 アルフォンス卿が『明日の小麦問題を考える御苑の集い』について尋ねると、クリスはボルトン伯が参加すると答えた。他の者はとアルフォンス卿が聞くので、クリスがウェストウィック公と、スチュアート派の代表幹事ステッセン伯も参加頂けると答える。普通に話しているようにも思えるが、何故かクリスの話っぷりがいつもにも増して刺々しかった。

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