487 次なる一手

 クリスの次兄アルフォンス卿が俺達と協議を行う為、わざわざ黒屋根の屋敷に来訪されるという話を朝の鍛錬場でリサから聞いた。それはいつの話だと尋ねると、今日の夕方なのだという。昨日アルフォンス卿と会ったリサが直接打診され、その場で受けたとの事。アルフォード家からは当主ザルツに長男ロバート、リサが出席。


 当然、俺も出る事になる。後、クリスも参加する事が決まっているという話だった。俺が知らぬところで、どんどん話が動き、決まっていく。ゲーム知識を如何に持とうと、カネをいくら持っていようと、所詮モブ以下はモブ以下に過ぎないという現実を実感する。モブでさえないのだから、影響力を行使する事も無いという訳だ。


 だからといって腐ったりするような俺ではない。現実世界でも脇役街道まっしぐらの人生なので、そこらは十分に割り切ることができる。ただ、どうにもならなくなってから振ってこられても、それは困るというだけの話なのだ。今日のアルフォンス卿からの話、如何なるものであるのか? 持っている情報が少ない俺には、想像が出来る状態ではない。


 しかしアルフォンス卿が黒屋根の屋敷に来てまで話したい事とは一体何なのだろうか。どうにも落ち着かなかったので、俺は昼休みが終わった後、教室には戻らすに屋敷に入ってピアノ部屋に籠もった。落ち着かない時にはピアノを弾くのが一番だ。俺は練習曲で指を慣らした後、リチャードグレイダーマンの「渚のアデリーヌ」を弾いた。


 アルフォンス卿を乗せた馬車を待つため、ザルツやクリスらと共に黒屋根の屋敷の前に並んだ。クリスの従者トーマスとシャロンと共にアイリも並んでいる。アイリがクリスの「行儀見習い」という設定は、まだ健在のようだ。一方で「侍女」であるレティの姿はなかった。レティには天才魔道士ブラッドの話を聞きたいのだが、遭遇する機会が少ない。


 以前は普通に会えたのだが、今はまるで俺を避けているかのように、顔を合わせる事が減ってしまったのである。ただ入学早々、どうしてブラッドを学園図書館から追い出すような事をしたのか。この辺りの話について、レティとは一度会って質さなければならないと思う。そんな事を考えていると、五台の馬車が車列を組んでやってきた。


 馬車の数がいつもより多い。衛士達が四台の馬車から降りてきて、所定の位置に立つ。その後アルフォンス卿の従者グレゴール・フィーゼラーが降り、次いでノルト=クラウディス公爵家の執事長ベスパータルト子爵が降りてきた。意外な人物の登場に少し驚いたが、クリス主催の『明日の小麦問題を考える御苑の集い』を準備しているのが子爵。


 今日、御苑の準備についての話をするのであれば、子爵の来訪は十分にあり得る。そしてクリスの次兄、アルフォンス卿が降りてきた。久々に見るアルフォンス卿だが、その表情が少し硬いように見える。貴族会議という状況下で緊張状態にあるのかもしれない。アルフォンス卿とベスパータルト子爵を迎えた俺達は、ザルツの先導で会議室に入った。


 会合はアルフォード家の当主である、ザルツからの歓迎の挨拶から始まり、アルフォンス卿からはアルフォード家への労いの言葉がかけられた。その上で今回の来訪の趣旨について述べる。一つは宰相補佐官として、次なる小麦対策案に対する協力。もう一つは公爵の代理人として、クリスが御苑で開く集いの準備についてである。


 ただその前に、質しておかなければならない事があった。レジドルナの件である。『トラニアス祭』で起こった、暴動の容疑者達の少なからぬ者がレジドルナ出身者であった事実や、釈放されたダファーライらレジドルナ出身者が帰郷する馬車の手配をレジドルナの冒険者ギルドの者と思われるナシデルが行っていた事など、不審な部分が多すぎる。


 それにレジドルナ行政府の責任者である守護職のドファール子爵は、全く動く素振りがないというではないか。以前、アルフォンス卿が話していた際も手の施しようがないと言っていたが、今はどうなっているのだろうか? 俺はアルフォンス卿に再度確認すると、この前よりも酷い返事が返ってきた。


「全く無反応だ」


「レジドルナ行政府がですか?」


「そうだ。レジ側にある行政府まで連絡が届かぬという事で、こちらの使いが帰ってくる」


 話によれば早馬を飛ばしても、レジとドルナを結ぶ橋が封鎖されているので、橋を渡ってレジ側に入る事が出来ずに引き上げているのだという。全く信じがたい話である。地方行政府が宰相府を無視するなんて、一体何を考えているのか? 専制国家なのだからそんなもの、強権を発動して抑え込んでもいい筈だ。何故それをしない。


「行政府の守護職は勅任官。おいそれと触る訳にはいかぬのだ」


 勅任官? 聞き慣れない言葉に戸惑った。俺が困っているのを見たのか、クリスが説明してくれた。勅任官とは国王陛下が自ら任命する官職のこと。宰相や内大臣、侍従長や軍監がそうらしい。対して勅任官ではない官吏のことを判任官といい、こちらの方は勅任官が任命した官吏のこと。財務卿や内務卿がこれに当たるという事である。


「余程の事情がない限り難しい」


 アルフォンス卿は状況の悪さについて、そう話した。説明を受ける中で分かった事だが、勅任官を強権で指弾するとなれば、その者を任命した国王の権威に影響を及ぼしかねないという事のようである。だから手出しをするのが難しい。相手側も当然ながら分かっていてやっているのは言うまでもないだろう。しかしレジドルナは本当に厄介な問題だ。


 レジドルナの話はそれで終わってしまった。現段階で宰相府の側から、これ以上の進展は望めそうにもない。しかし本当に無法地帯だよな、レジドルナってのは。宰相府が動けないとなると、後はトマールの調査の方にかかってくる。結局は『常在戦場』頼りか。俺の思いとは関係なく、話は小麦の話に移っていった。


 現在、宰相府は急騰する小麦価格で苦しむ平民向けの施策として、小麦購入の資金を借りる際に利子補給を行い、実質的に無利子で借りることができる『緊急小麦融資支援』を行っている。こちらの方はかなり好評で、既に一〇〇〇億ラントが貸し付けられたという。ざっと計算して、一〇〇万世帯が融資を利用した形だ。


「しかし小麦価は上昇を続け、その価格は五〇〇〇ラントに迫っておる。この調子であるならば、融資策にも限界がある。そこで次なる策はないかと思案しておるのだが、もう我が方で考えうる策がない」


 深刻な表情で話すアルフォンス卿。最早、万策尽きたといった感じである。宰相府では様々な案が検討されたそうである。一案としては平価である七〇ラントで販売することを政令で義務付けるというもの。ところがこれを実行すると、高値で小麦を買った者が売らなくなるだろうとの意見が出て、お蔵入りとなったらしい。


 多くの策が立てられるも流れてしまったと、アルフォンス卿が言う。次兄の話を聞いているクリスの表情が強張っている。こういう時のクリスは思考停止状態。おそらくは何も考えられなくなっている。しかし、いきなり次の策をと言われたところで、おいそれと出てくるものではない。何故なら緊急小麦融資一つで、数千億ラントが動いているのだから。


「この話、一旦預からせては頂けませぬか」


 ザルツが口を開いた。何か策があるというのか。


「アルフォード殿。何か妙案でもあるのか」


 藁にも縋るような感じでザルツに聞くアルフォンス卿。それ程までに追い詰められていると言って良いのかもしれない。暫く見ぬ間に随分と余裕が無くなっている。


「三商会や『金融ギルド』の同志らと共に策を練りたいと考えております」


 ザルツからの返答に、言葉を詰まらせるアルフォンス卿。おそらくはもっと具体的な策を聞きたかったのだろう。


「アルフォード様。方策、宜しくお願いします」


 クリスがザルツに頭を下げた。家の存続を願う切実な思いが伝わってくる。そんなクリスの姿を見ると、本当に不憫だ。


「公爵令嬢。ご心配なさらずとも、愚息グレンがこの状況を打開する案を必ずやお示し致します」


 えええええ!!!!! 俺が考えるのか! ザルツの言葉を聞いて、思わず仰け反ってしまった。クリスを初め、トーマスもシャロンもこちらを見てくる。そしてアイリだけでなく、ベスパータルト子爵までもが見てきた。皆、期待に満ちた目を向けてきたので、どう反応すればいいのか分からない。そんな中で、ザルツが言葉を続ける。


「皆で知恵を出し合い、しっかりとした策と手立てをお伝えします」


「アルフォード殿。是非にもお願い申し上げる」


 アルフォンス卿までがザルツに頭を下げた。貴族、しかも宰相家の次男が自ら頭を下げようとは。これには陪臣のベスパータルト子爵も驚いている。恐らくベスパータルト子爵は、状況自体を把握していなかったのではないかと思う。執事長として王都内の屋敷を切り盛りするのが仕事なのだから、当然と言えば当然だろう。


「必ずや有効打をお持ち致します故、ご安心を」


 自信ありげに答えるザルツ。俺は案なんて無いぞ。大丈夫なのか? しかしザルツの表情には余裕があった。本当は何か策があるのかもしれない。ザルツはロバートに御苑で行われている、集いの準備の進捗状況について聞いた。


「はい。今日お越しの子爵閣下の御指導の元、ジェドラ商会の子息ウィルゴット殿と力を合わせ、食材設備、配膳給仕の者を含めて全て整ってございます」


「ジェドラ、アルフォード両商会のお力で、こちらの方は全く考える事もなく手筈を進めることが出来ております」


 ロバートの言葉を受けたベスパータルト子爵が、御苑で行われる『明日の小麦問題を考える御苑の集い』に関する用意一切について、詳細な説明を行った。それによると世話を行うものは二千人に達するとの事で、これだけを聞いても、『御苑の集い』の規模がエレノ世界では空前絶後のものなのを十分に物語っていた。

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