467 清らかな交際

 立ち去ったディールと入れ替わるように、クリスの従者トーマスが声を掛けてきた。ディールに何かあったのかと珍しく他人の話を聞いてきたので、派閥パーティーに出席するらしいと答えると、「えっ、今の時期に?」と驚いている。予想外の話だったのだろう。なのでトーマスには、ディールが派閥パーティーに出ることになった経緯を話した。


「来週、アウストラリス公爵邸でやるらしい」


「そうなんだ・・・・・」


 クリスの従者を長らく務めているトーマスから見て、シーズンから外れたパーティーの開催は異様なものに感じたようだ。そこで話が止まったので、俺は昨日聞けなかった話、クリスの謁見について尋ねた。すると謁見の模様についてクリスからは何も聞かされてはいないという、思わぬ返事が返ってきたのである。


「俺は謁見に随伴できないし」


「そうだよな」


 一介の従者であるトーマスが、クリスと随行して国王陛下に謁見できる筈もない。トーマスが出来たことは、謁見の間に向かう宰相ノルト=クラウディス公とクリスを見送り、シャロンや宰相の従者であるレナード・フィーゼラー、メアリー・パートリッジと共に控室で待つのみだった。


 ただひたすら待つのが従者の務め。以前トーマスに従者というものについて聞くと、そう話していた。現実世界の感覚ではイマイチ理解し難い部分なのだが、こちらの世界ではそういうものであると理解しないと仕方がない。しかし従者だって、ただ待っているだけではない。物言わずとも主君の表情だけで、ある程度の事は察知できる能力がある。


「良かったんじゃないかなぁ」


「クリスの機嫌から見てか?」


「うん。それは分かるから」


「すぐに表に出るもんな」


 俺が言うと、トーマスが笑いだした。ストレート過ぎるよ、と俺の方を叩く。ホントの事じゃないかと答えると、トーマスが更に笑う。


「グ、グレン。も、もし聞かれでもしたら、大変だぞ」


「それは笑っているトーマスも同じだぞ。俺達は一蓮托生だ」


「そりゃそうだ」


 愉快そうに答えるトーマス。従者というもの職業柄か、中々感情を発露する機会がないようなので、俺との話が息抜きになったようだ。俺はクリスに直接聞こうと思い、直接話せるセッティングができないかとトーマスに持ちかけた。するとクリスが忙しいので難しいというのである。どうして忙しいのかと聞くと、それが分からないのだという。


「謁見を終えられてから、ずっと封書を書かれているんだ・・・・・」


 クリスが? 一体誰に書いているのだろうか? この数日、ずっと書いているということは複数、それも相当数にのぼるのではないか。トーマスにその辺りの事を聞いたのだが、よく分からないとの返事だった。授業が終わるとそのまま寮に戻って自室に籠もって一日が終わるのだという。ん? 夕食はどうしているのだ?


「給仕サービスを使われているのだよ」


「なんだそれは!」


「寮の中で配膳をなされるのだよ」


 トーマスによると、クリスは基本的に女子寮の中にある食堂で、シャロンと共に食べているのだという。女子寮の中には談話室という部屋があると聞いてはいたが、食堂まであるとは初耳だ。じゃあ、トーマスは何処で食べているのだ?


「俺はロタスティさ。女子寮の中には入る事が出来ないし」


 確かにそうだ。男は女子寮内に立ち入る事ができない。これまでトーマスはロタスティと、女子寮の中にある通称「武者溜まり」の間を往復する日々だったようである。この世界で、従者として主に仕えるのは本当に大変だ。クリスが忙しくて会えない事が分かったので、春休みの時のように封書を書いてクリスに質してみることにした。


 ――魔装具が光った。『常在戦場』の調査本部長トマールからの連絡である。トラニアス祭の暴動の重罪人で、歓楽街の顔役の一人、ダファーライについてだった。このダファーライ、元はレジドルナの商人階級の出身で、十年程前に王都トラニアスへと上京。歓楽街で『バビル三世』なる飲み屋を開いて、成功を収めた人物らしい。


 どうしてその飲み屋が成功したのかと聞いたら、全員際どい服を来ていたからですわと、トマールはサラリと答えた。暗に子供にはこれ以上は話せませんぜ、と言っているのを感じる。いやいや俺はお前より年上だからと思いつつも、女性経験は佳奈一人だけしかなく、店の営業内容が話の本筋ではないので、これ以上聞かないようにした。


 その代わりに俺は、今回の暴動とダファーライとの関係について訊ねた。トマールが言うには水神トラニアスの担ぎ手を自分の店である『バビル三世』に集めていたらしい。だだそれ自体は、去年も一昨年もやっていたものらしく、その動きを以てダファーライが暴動を手引したとは言い難いのではないかというのが、トマールの見解である。


 しかしそれでは、どうしてスピアリット子爵がダファーライの名前を出して反応したのか、説明が付かない。単なる重罪人であれば、反応は違うはず。あれは重罪人ではなく、首謀者の扱いだ。ということは、剣聖閣下の親友で軍監のドーベルウィン伯も同じように考えた方が合理性がある。端的に言えばドーベルウィン伯からの情報なのではないか。


 だとするならば、ドーベルウィン伯ら統帥府の当局は、何を理由として首謀者だと考えているのだろうか? この部分については、トマールの話を聞いても全く分からない。しかし、あの明敏なスピアリット子爵が納得するだけのもの・・があったというのは間違いない。だからダファーライの名前を出したら、途端に厳しい表情になったのである。


  一方そういう世界に顔が広い筈のトマールが、誤った情報を持ってくるとは考えられないし、そこにトマールが探れない程の深い闇があるとも思えない。しかし何か決定的なピースが抜け落ちているのは間違いないだろう。統帥府とトマール、一体どちらの見解を信じれば良いものだろうか? その判断、正直悩むところではある。


 俺が何を考えているのかを察知したのか、トマールが引き続き調査を続けると話してくれたので、了解して魔装具を切った。ダファーライが今回の暴動の鍵を握る人物かどうかは定かではないが、調査を続けると言ったのは、トマールにも何か引っかかる部分があるからだろう。


 俺が今、マスリアス聖堂に収監されているダファーライの事を考えても仕方がない。ダファーライなる人物が俺に直接害を与えている人物ではないので、時間的に急かせる必要性は全く無かった。なので後はトマールに任せ、再び情報を待つことにしたのである。俺はアイリが待っている筈の学園図書館に向かった。


 アイリは黒屋根の屋敷にあるピアノ部屋で機嫌よく歌っていた。歌っている曲は「タカラヅカ行進曲」。どういう訳か、アイリはヅカ曲が大好きなのだ。色々曲を教えたのだが、やっぱりヅカ曲に戻ってしまう。まぁ、教えた曲が「ペガサス幻想ファンタジー」や「愛をとりもどせ!!」のような、男歌だったからダメだったのかもしれないが。


 レティが最近、図書館に寄り付かないので、アイリとこうやってピアノ部屋にいることが多くなったのだが、それでもアイリの音痴は治る気配を見せなかった。声質が綺麗なので、音程が取れたなら絶対に皆が聞き惚れる筈なのだが、俺に教える術がないのでどうしようもない。しかし、楽しそうに歌うアイリを見ると、無理に矯正しなくてもいいのではとも思う。


 天真爛漫なアイリ。アイリといると、本当に心が洗われる気持ちになる。ヒロイン属性とはいえ、本当に癒やし力があるのだ。だから人が勝手に女神様と言うのだろう。同じヒロインなのに、レティにはそういうものが全く感じられないのが実に不思議な話。ただ、時折見せる弱さから考えると、やはり基本は「守り」なのである。


 レティの守る力は、ミカエルに対して存分に発揮されているのは見るまでもなく明らかだ。それに先日あった『学園親睦会』でのカテリーナに対する、モーリスの断罪を防いだのも他ならぬレティである。ここでも守りの力は大いに働いた。ただ、レティの「守る力」よりも、アイリの「癒やす力」の方が実感しやすいというのはあるかもしれない。


 それにアイリといると、「清らかな交際」とはこういうものを言うのだなという事が実感できる。たまぁに修羅場みたいな事態が発生するが、それを含めてのアイリだと思うので、それも交際というものだと思う。というのも今まで佳奈としか付き合ったことがなく、佳奈との間にそういった修羅場みたいな事が発生したのは一度もないからだ。


 修羅場はないが、同時に「清らかな交際」みたいなものも無かった。何しろ俺が告白した初日にラブホへ直行みたいな話になったからである。しかも悪いことに俺のモノが屹立きつりつしなかったという悲劇が発生したのだ。俺は告白の成就という天国と、営みの失敗という地獄を一日で体験してしまったのである。


 まぁ、佳奈がそれで離れてしまうことがなかったので良かったが、あれは本当に悲劇だった。本来ならば黒歴史だが、次は佳奈の誘導で上手くいったから、トラウマにはならずに済んだのである。もしあれがアイリだったとしたら、収拾がつかないのではないか。しかしアイリは佳奈とは違って、激しく迫ってくる事もなさそうだから、安心といえば安心。


 よく考えれば佳奈は本当にガンガン迫ってきたな。だから子供も身籠もってしまい、できちゃった婚になってしまったのだが。佳奈とはそんな付き合いでそのままゴールしてしまったので、アイリとの「清らかな交際」は本当に新鮮である。本来、学生男女のお付き合いとは、こういうものなのだろう。こんな体験が出来ただけでもアイリに感謝だ。


 ピアノ部屋でたっぷりと演奏した後、ロタスティでアイリと一緒に夕食を食べた。相変わらず個室は満席だったのでテーブル席に座ったのだが、ロタスティの中でアイリと二人っきりで食べる機会がこれまで無く、よく考えたら二人で食べるのはいつも外。アイリもそれが分かっていたらしく、ピアノ部屋以上にテンションが高かった。

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