468 フラグが立たず

 食事をしながらたっぷりと話したアイリは本当に御機嫌だった。学園内のテーブルで食べるというのもなんとなく気が引けたので、食事をするなら外でと無意識ながらに思っていたのだが、こういうのも悪くないなと思う。上機嫌なアイリと別れた後、受付に向かった俺は、そこで一通の封書を受け取った。コルレッツからのものである。


 俺はすぐに寮の部屋へ駆け込み、急いで封書を開けた。そこにはコルレッツの書いた日本語の文字。文頭にはトラニアス祭の暴動の事が書かれていた。あの一件の後、繁華街も封鎖され、コルレッツの店も一週間営業ができなかったらしい。その後、店を開けることは出来たものの、客足は以前の半分にまで落ち込んでしまったという。


 また兄のジャックが盾の扱いの訓練を受けているという話を封書で知り、大変な事が起こっているのではないかと思っていると記されていた。あれほどの大事が起こったのだ。コルレッツの文面から見ても明らかなように、トラニアス市街に不安感が広がっているのは間違いないだろう。封書を読み進める中、俺は一つの単語に釘付けとなった。


『フラグが立っていない』


 アイリがスチュワート公の孫であることを公爵に伝えられない件について、コルレッツはそう分析していた。コルレッツの解釈によれば、様々なイベントをクリアされてからではないと、スチュワート公がアイリを自分の孫であるという事実を受け入れる心境にならないのではないかというのである。なるほど! その発想はなかった。


 コルレッツ曰くアイリの出自は最終ミッションなので、他のイベントがクリアされた後、初めてスチュワート公が現れるのではないかというのである。だからスチュワート公にアイリの存在を知らせる封書を届けても反応がなく、養父母のローラン夫妻に働きかけても芳しい結果とはならなかったということか。それならは理解ができる。


 よくよく考えれば、このエレノ世界。ゲーム世界だったな。このアイテムとあのアイテムが揃わないと、前に進まないのはゲームの基本中の基本。そんな肝心な事すらも忘れていたな。それを踏まえコルレッツは今思いついたものとして、イベント一覧表を送ってくれた。乙女ゲーム『エレノオーレ!』で起こる様々なイベントが羅列されている。


 これが起こっているかどうかをチェックしろということだな。俺は『収納』でペンを取り出し、チェックを始めた。すると殆どのイベントがクリアされている事が分かった。ただクリア出来ていないものが複数ある。例えば天才魔道士ブラッドが、自身のキャラクターアイテムである『詠唱の杖』を手に入れているかどうかが分からない。


 悪役令息リンゼイが、キャラクターアイテムの『グラディウス』を手に入れているのは、『園院対抗戦』の際にこの目で見たので確認したから大丈夫なのだが、ブラッドとは全く接点がないので分からないのだ。これは一度、本人に接触して聞かなければならない。だが問題は、あの神経質そうなヤツがまともに答えてくれるかどうか。


 そもそも学園図書館に常駐しているのは、本来ならばこのブラッド。ガリ勉野郎が、図書館に来たヒロインと出会う流れなのである。ところがどういう訳かブラッドは現れなかった。その代わり、図書館に常駐していた俺が、何故かヒロイン達と仲良くなってしまったのである。つまり、ブラッドが今の状況を作り出したと言ってもいい。


 しかもこのブラッド。ヒロインには見向きもせずに、リンゼイと共にコルレッツにうつつを抜かすような有様。ゲームから大きく道を外れてしまった動きをしているのである。その点、状況が激変しようが道を誤らない正嫡殿下やフリック、カインとは大違い。おそらくリンゼイやブラッドは、殿下達に比べて意志が弱いのだろう。


 色々考えたが、ブラッドがキャラクターアイテム『詠唱の杖』を手に入れているかどうかは、やはりブラッド本人に確認するしかない。気が進まないが、これはやむ得ないだろう。他の非クリアイベントの少なからぬものは魔術教官オルスワードに絡んだイベント。これは異世界、現実世界へと飛ばされてしまっているので確認しようがない。


 後、断罪イベントについてなのだが、これは本来ならば正嫡殿下とクリスの間で起こるはずだったもの。ところが二人が婚約せず、代わりにウェストウィック公の嫡嗣であるモーリスと、アンドリュース侯爵令嬢カテリーナが婚約した。同時にヒロインポジにポ息女ならぬポーランジェ男爵息女のエレーヌが座ったことで、断罪イベントが発生した。


 これはゲームキャラではないモーリスやエレーヌが役割を果たそうと、イベント事態が発生しているので、クリアしていると見るべきだろう。よくよく考えれば攻略対象者と一緒に探す筈だった、アイリの『癒やしの指輪』やレティの『守りの指輪』だって、モブ外である俺と一緒に探しに行って見つけたものだからな。


 俺がチェックをしたイベント一覧が書かれた便箋と、オルスワード関連イベントについての疑問。また、これはイベントではないかと思ったものについて書いたものを纏め、封書に入れる。現実世界で手紙を書いたことなど皆無だったのに、まさかエレノ世界で日本語の手紙を書きまくるなんて正直、夢にも思わなかった。


「あっ、そうそう。あれも聞いておこう」


 ふとした閃きで追加したのは、現在マスリアス聖堂に収監されているレジドルナ出身の重罪人で、首謀者だと目されているダファーライの話。ダファーライが歓楽街の顔役であり、『バビル三世』なる店のオーナーなので、歓楽街で働くコルレッツが何か分かるのではないかと思ったのだ。俺は便箋を追加して、封書を出したのである。


 ――クリスからの待望の封書が届いたのは、俺がシアーズ達との会合を終えてからのこと。出る時には来ていなかったので、その間に男子寮へ届けられた事になる。本当に忙しいのか、封書は薄く便箋は一枚のみ。そこには国王陛下との謁見が無事に終わったことと、今多忙なので、俺とお話ができないのが申し訳ないと記されている。


 トーマスから聞いていたから驚きは無かったのだが、文面を見るに忙しいのは事実のようだ。また、謁見が無事に終わったということは、「ラトアンの紛擾ふんじょう」の件を国王に伝えることができたということなのだろう。何にせよ、無事に終わったのは本当に良かった。そして便箋の最後にはこう書かれていた。


「二人で話が出来ればいいですね」


 ありふれた、ごく普通の言葉。しかし身分の高いクリスには、中々叶わない願いである。カテリーナの世話をして分かった事があった。それはクリスの環境が、高位貴族の令嬢にしては簡素であるということ。簡素であってあの扱いなのだ。カテリーナなんか、屋敷に移動する際には必ず護衛騎士と複数の衛士が付くという。


 その点、クリスはそういった護衛が基本的に付いていない。クリスが嫌がるので、お付きは従者であるトーマスとシャロンのみなのだと、以前トーマスから聞いた。普通に受け入れているカテリーナであれ、嫌がっているクリスでさえも二人の従者が常時従っているのだ。三人の関係性はものすごくいいが、四六時中帯同していれば、一人にもなりたくなる。


 現にクリスと俺の二人だけで話した機会なんて二回しかない。夏休みにノルト=クラウディス公爵領へ赴いたときで、この時は屋敷にいるときと、シャダールの二重ダンジョンへ『炎の指輪』を取りに行ったときである。次は冬休み、クリスが屋敷を抜け出して俺の屋敷へ転がり込んだ時だ。これだけでも大騒動だった。


「クリスの願いを叶えてあげたいな」


 クリスの置かれた状況を見るに、不憫で仕方がなかった。俺が持っているような、ささやかな自由が全くないのだから。代わりに家の力を背景とした権力とかがあるかもしれない。だが、そんなものをクリスが欲しているとは思えない。しかし、俺と二人で話したいという、クリスのささやかな夢を俺が叶えてあげられる自信は俺にはなかった。


 今日行われたシアーズ達との会合。シアーズの側から呼ばれてのものだったが、会いにいったのは他でもない。宰相府が行う「小麦緊急特別融資支援」と、『金融ギルド』が行う貸金業者向けの「緊急特別融資」の話を聞くためである。このノルデン王国の中で、この融資話の全てを知っているのは、間違いなくシアーズ達だからである。


 『金融ギルド』の建物内で、シアーズと『投資ギルド』の責任者であるワロス、そして参事のピエスリキッドの三人から、内情を詳しく聞くことができた。大まかに言うならば宰相府とは以前より大筋として合意していたのだが、トラニアス祭のいわゆる紛擾ふんじょう、暴動を受けて実施が延び延びになったという。


 また執行するタイミングは宰相府に委ねられていたので、今の発表となったという次第。事前準備をしていたこともあって、融資の方は動きだしており、王都をはじめ、モンセルやセシメル、レジドルナでも融資が始まっているという。特に王都では貸出量が既に二百億ラントに達しているそうだ。ただ、問題は・・・・・


「レジドルナですなぁ」


 ピエスリキッドが溜息を付いた。レジドルナの貸金業者が『金融ギルド』に参加していない為、「緊急特別融資」の空白地帯となっているのだ。以前、ドルナ側の貸金業者から照会があったらしいが、レジ側の貸金業者が横槍を入れて潰したらしい。レジドルナは本当にどこまでいっても、トゥーリッド商会の牙城のようになっているな。


「宰相府からレジドルナ行政府へ指示を出しているようなんだが、無反応だそうだ。何でも最近、レジとドルナを結ぶ橋が封鎖されていて、街として機能していないらしい」


 シアーズが宰相府から聞いた事情を話してくれた。その話の中でも、貴族だけは橋を渡れるらしいというオチには笑ってしまったのだが、街の住民にとってはたまったものではないだろう。同じ封鎖でも貴族が通れなかった王都の封鎖は問題で、貴族は通ることができるレジドルナの封鎖は問題がないというのだから。

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