456 封鎖の意義

 王都に続く道路封鎖を行った事について、貴族達の反発が強いのではないかという問いかけに対するドーベルウィン伯の回答は、俺にとって意外過ぎるものだった。


「封鎖をした意義はあった」


 ドーベルウィン伯は魔装具越しに力強く断言した。しかしそのドーベルウィン伯、意外なことに暴動が発生した当初、道路封鎖など頭の片隅にもなかったらしい。ところが拘束者の中に逃げ出そうとした者がいたので、これはいけないと思い、封鎖を決断したというのである。


「封鎖を行わなければ、何も分からなかった」


 ドーベルウィン伯は言う。つまり王都を封鎖した事によって、自信を持って断言できるぐらいのものを掴んだというのか。俺はどうしようかと一瞬迷ったものの、思い切って聞いてみた。


「多くの貴族の反発や反感を買っても、価値のあるものだったのですか」


「あった。今回の一件は初めから意図されていたもの。ラトアンのような偶発的なものではない」


 なんと! トラニアス祭の暴動は、誰かが仕組んだものだというのか。しかし、俺は暴動が起こった瞬間を目撃している。屋根に鳳凰ほうおうならぬ、一角獣ユニコーンの飾りを頭に戴いた、尖塔の形をしている『水神トラニアス』の神輿。この奇妙な大きな神輿を聖衣クロスと呼ばれる防具を付けた担ぎ手達が担いでいた。


 聖衣クロスを付けながら、「ジャブ! ジャブ!」という謎の掛け声を上げる担ぎ手達。その担ぎ手達が、誰かが言い始めた「小麦! 小麦!」という掛け声に乗って「小麦! 小麦!」と連呼を始め、その声が大きくなっていく中で、神輿の担ぎ手達と共に群衆が暴れだしたのである。俺の眼前で起こったのだから間違いない事実。


「閣下。私はあの現場に立ち会っておりました。神輿の担ぎ手が煽られて「小麦! 小麦!」と連呼し始めたところを目撃しております」


 暗に意図されていたものではないのではないかと、遠回しに話す。するとドーベルウィン伯は断言した。


「君が見た光景。それ自体が仕組まれていたとすればどうなる?」


 えっ! ドーベルウィン伯の意外過ぎる言葉に聞き返す事もできなかった。ドーベルウィン伯が続ける。


「少なからぬ貴族が道路封鎖に反発しているのは知っている。私も言われておるし、宰相閣下や内府殿の方にもその声は届いておる」


 宰相閣下や内府、内大臣トーレンス候にも道路封鎖の苦情が届いているのか。しかしその上でも封鎖の決定を動かさなかったという事は、道路封鎖に相当な自信があったのだろう。


「次、暴動が起こる時には、今回のトラニアス祭の規模より大きなものになるだろう。その対策に万全を期すつもりだ」


 まるで暴動が起こるのが既定の事実と言わんばかりのドーベルウィン伯の話に、俺はたじろいだ。ドーベルウィン伯の元には、それを確信させるだけの情報が集まってきているのか? そうでなければ、ここまで踏み込んで言える筈がない。


「だからアルフォード殿。何らかの形で助力を頼むことがあるやも知れぬ。その時は宜しく頼むぞ!」


 ドーベルウィン伯の勢いに、了解しましたと返事をすると、そこで魔装具が切れた。トラニアス祭の暴動は意図的に起こされたものだというドーベルウィン伯の話。だとすれば、一体誰が誰が仕組んだのであろうか。その懐疑を聞けぬままに会話が終わってしまったので、ドーベルウィン伯が把握している情報を知ることができなかったのは残念だった。


 ――春休みが終わった途端、俺の元に色々な話が舞い込んでくる。『常在戦場』の団長グレックナーからの話もその一つだ。トラニアス祭の暴動を経て、入団希望者が増えたことで、更に部隊を編成する事になったらしい。その決定を行いたいので屯所の方に来て欲しいというのである。他にも近衛騎士団や王都警備隊への転出の話もしたいそうだ。


 グレックナーの話では、トラニアス祭の暴動を無血で抑えたことで、『常在戦場』は近衛騎士団と並ぶ程の名声を得たという。だから志願者が増えた。一方、比較的入団しやすい『常在戦場』に潜り込んで、近衛騎士団や王都警備隊に入りたいと考えている者もいるそうで、そうした者達の希望を叶える事で、入団希望者が増えるサイクルになっている。


 そのような説明を聞いて思ったのは、今や『常在戦場』は官途に就くための予備校的な要素を持っているということ。卒業すれば実技が免除される自動車教習所みたいなものだ。それを売りとして多くの入団希望者を集め、競争率を高めた上で欲しい人材を手に入れていく。そのようにして『常在戦場』はより大きな組織へと成長したのである。


 今や団の構成員は千五百人を超え、実働部隊も教育隊を含めれば千二百人近くいるという、ノルデン王国で圧倒的な人員を誇る『常在戦場』。その資金源は俺が『金融ギルド』に出資したカネの運用資金なのだが、それだけの人員を有してもなお、資金的な余裕は十分にある。ドーベルウィン伯の話を聞いていた俺は、『常在戦場』の拡大を受容した。


 学園受付に行くとディールの母、ディール子爵夫人から封書が届いていた。何事かと思って開くと、アンドリュース侯の後援を得た事への礼状。アンドリュース候御自らがディール邸に赴き、ディール子爵夫人シモーネとクラート子爵夫人マーシャに対し、それぞれの家の采配権を得たジャマールとクラートの支援を行う事を約束したというのである。


 アンドリュース侯からは「娘の為に働いて貰った事のお礼」だとの説明があったそうで、俺からも要望もあり、微力ながら助力したいと話していたそうだ。またディールとクラートの婚約に関しても、アンドリュース侯が仲介人を引き受ける旨、申し出られたとの事で姉妹共々感謝していると書かれていた。


 貴族派第一派閥アウストラリス派の副領袖、アンドリュース侯が後ろ盾についたということであれば、ジャマールとクラートも安心だろう。アンドリュース侯は融通が利かない頑固な面はあるだろうが、義理は固そうだ。娘カテリーナに接する態度を見てそう思っていたのだが、自らディール邸に足を運ぶ辺りを見ると、それは間違っていなかったようだ。


 アンドリュース候もディール子爵家もクラート子爵家も全てアウストラリス派。別の派閥の家で助け合うのは、このエレノ世界では難しい話のようなので、三家とも同じアウストラリス派に属していたのは幸いだった。これでディールとクラートへの貸し、カテリーナのお世話に協力してもらうという貸しは、無事に返せた筈である。


 ――「暴漢に審判下る!」「ニベルーテル枢機卿、二百二十一人に断!」「重罪人は二十六人、引き続き審理」。『週刊トラニアス』は暴漢達に対する判決が出た事を伝えている。暴漢に対する判決を一任されたニベルーテル枢機卿は、マスリアス聖堂に収容されている暴動に参加した者二百二十一人に対して、判決を言い渡した。


「小麦百袋を教会に納入せよ」


 それがニベルーテル枢機卿の判決だった。判決が下された暴漢達に対し、メガネブタなどとは比べ物にならないくらい寛大な刑罰。暴漢達の納入した小麦は、貧しき者に配られるという、多くの人々に受け入れられる内容だった。しかし通常であれば軽い筈のこの刑。判決を受けた暴徒達にとっては、相当重くのしかかる筈。


 というのも現在、小麦価格は四〇〇〇ラントを越えているので、百袋用意するだけでも四〇万ラント以上かかるのだ。これは一般的なトラニアス平民の稼ぎ、二年分に相当する。普段なら七〇〇〇ラント、半月分程度の収入で済むはずのものが、二年分。祭りの興奮から勢い余って、火遊びに加わった代償は大きかったと言えよう。


 判決が言い渡された二百二十一人の暴漢達は、収監されていたマスリアス聖堂からその場で釈放され、それぞれの暮らしに戻っていったと記事は締めくくられていた。解放されたには解放されたが、解放された暴漢達は小麦納入で悪戦苦闘するのは間違いない。何しろ小麦を手に入れるのが、カネを積むだけでは手に入れられなくなりつつあるからである。


 小麦をアルフォードが間断なく輸入し、ジェドラとファーナスが間断なく売り捌いている筈なのに、市場に出ている量が更に減っているからだ。一体何処に消えていったのか、というくらい流通量が増えない。これは貴族が『貴族ファンド』のカネを借りて、小麦の「買い上がり」を行っているだけでは、ここまでにはならない。


 おそらくは目ざとい商人や、資金力のある平民地主などが買い漁って、更に高値で売ろうと小麦を蓄えているのだろう。カネにゆとりのある者や借りることができる者は好きなように不必要な小麦を買い集め、カネにゆとりのない者や借りることが難しい者は日々の暮らしに必要な小麦が買えない。この不条理が、民衆の不満を増大させている。


 宰相府と『金融ギルド』が近々行うであろう「小麦購入支援融資」。これがどこまで民衆の不満の解消に繋がるのか? 今は未知数である。しかし持つ者と持たざる者の断裂、歪みといったものが今後どのような形で露呈してくるのかについては、全く予想できない。緊迫しつつある情勢なのは理解できても、どう動くのかは分からないのだ。


 これはいかに情報を持っていようが、いかにカネを持っていようが、いかに力を持っていようが、それだけでは事を動かせない。現実世界にいたときには、それが分からなかったが、こちらに来てカネを握っている今なら分かる。自分の思い通りにしようと思えば思うほど、高いリスクが付きまとうという事実を。


 持てば持つほど、やろうと思えば思うほど、自分の足元は狭まり、薄氷を踏むような感覚になってくる。現実世界で体験したことがない感覚。おそらくは現実世界でもそのような人々は、今の俺と同じような感覚でいるのではないかと思う。だからもう小麦対策で打てる手立てが、限りなく少ない事を俺はひしひしと感じていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る