第三十五章 潮目
454 新学年
新学年が始まり、俺達は二年生となった。新学年といっても、サルンアフィア学園は始業式どころかクラス替えや席替えすらないので、学年が変わったという感覚は全くない。だからいつものように教室に入り、代わり映えしないクラスメイトの顔を見て、自分の席に座った。座った俺が真っ先にやったのは、フレディとリディアに声を掛けたこと。
「リディア。大丈夫か?」
「うん」
「ホント、どうなるかと思ったからな」
俺とリディアの会話を聞いて心配そうな表情をするフレディに、トラニアス祭での暴動の瞬間にリディアと遭遇した話から、ガーベル邸に引き換えした話。身動きが出来ないので一泊させてもらった話に、後日見舞いに訪れた話までを簡単に話をした。フレディはリディアから詳細を聞いていなかったようで、大変だったんだな、と驚いている。
「フレディ、リディアの姉ちゃんと会ったぞ」
「えっ! どんな方だったんだ?」
「リディア似の綺麗な人だったぞ」
「わぁーーーーーーー!!!!!」
俺が話していると、いきなりリディアが遮ってきた。何をするんだ、リディア!
「フレディが知らなくてもいいの!」
「・・・・・ど、どうして・・・・・」
「だって知らなくてもいいんだもん! グレンも言っちゃダメ!」
「リディアの姉ちゃんだろ?」
「だって・・・・・ 苦手だもん・・・・・」
「姉ちゃんだけか?」
「お父さんも・・・・・ お兄ちゃんも・・・・・」
母親と二人のときに見るリディアはいつものハイテンションなのに、ガーベル卿や姉のロザリーと一緒の時には、内気な少女に変身する。おまけに兄のスタンやダニエルまでが苦手なのかよ。最初、ガーベル卿や兄姉がリディアに対して厳しいのかと思っていたのだが、この前見た感じでは全くそんな気配はなかった。
「どうして苦手なんだ?」
「・・・・・なんとなく」
どうやら食わず嫌い選手権のようである。しかし困ったもんだな。これじゃ、フレディにガーベル家の事を話すには、リディアがいない時じゃないと無理じゃないか。フレディの父、デビッドソン主教にはあれだけ懐いているのに、一体どうなっているんだ? フレディが俺に対して、「やれやれ」という視線を送ってくる。
「リディアのこれからの課題は、家族と普通に話すことだな」
「お母さんとはできるわよ!」
「ガーベル卿とは?」
「・・・・・」
リディアは轟沈した。文字通りの瞬殺。こんな簡単な瞬殺はない。俺に言い負かされたと思ったのだろう、リディアがプイと顔を横にしてヘソを曲げてしまった。困った表情をするフレディを見ると、ここは「頑張れよ」という声援を送りたいところである。丁度そのとき、クリスと二人の従者トーマスとシャロンが入ってきた。クリスと一瞬目が合う。
(御機嫌斜めだな)
見ただけですぐに分かった。公爵邸の軟禁生活が相当なストレスになっているようだ。屋敷にいるクリスが頻繁に外出するなど考えにくいが、おそらくは禁足という指示自体いに対して、精神的な圧迫感を感じだのだろう。トーマスとも目が合ったが、こちらの方は何かを訴えかける目だったので、もうお察しといった感じか。
そんなトーマスと話ができたのは、昼休みのこと。いつものように教室前の廊下にいたトーマスが、よっぽど溜まっていたのか、俺を見るなり窓側の方に引っ張ってきたのである。二人で窓のから外の風景を見るような形となったのだが、トーマスはゲンナリした顔で、俺に言ってきた。
「グレン。大変だったんだぞ・・・・・」
「クリスがか?」
トーマスが頷いた。言うまでもない話だろう。だってトーマスが言う話は、いつも
「グレンの封書が届いたときだよ」
あっ、そうか! 俺の送った封書が、軟禁生活のクリスにとって、唯一の変化だったのか。トーマスから話を聞いて、何かいい事をした気持ちになった。クリスの気分転換になったなら、俺にとってこれほど嬉しいことはない。今日から始動した学園生活が落ち着いたら、一緒に食事をしながら話そうと言って、トーマスと別れた。
新学年新学期となっても、何ら変化がないように見える学園生活。加えて俺の場合、授業を全て『仮眠』していて授業内容の変化なんてサッパリ分からないので、余計に変化を感じない。しかし変化は確実に起こっていた。例えば朝の鍛錬。立木が二本から五本に増えたのだ。理由はリシャールとカシーラ、そしてセバスティアンが打ち込みをする為である。
「アルフォードさん、よろしくお願いします」
朝一番、俺とリサに挨拶したリシャール達三人の商人出身新入生は、俺と同じく奇声を上げて打ち込みを始めたのである。彼らは俺の行動パターンを研究し、同じ時間に食事を摂り、同じ時間に鍛錬場に現れた。三人の打ち込み方を見ると堂に入ったもので、以前学園にやってきて俺が見てやった時とは比べ物にならないぐらい上達していた。
「お前達、随分と打ち込んだな」
俺が聞くと皆、一日一万回を目標に打ち込んできたのだという。確かに一万回以上とは言ったが、ここまでキチンとやってくるとは思わなかった。リサも三人を見て驚く中、皆で鍛錬をしていたのだが、そこに別の新入生も顔を出す。リッチェル子爵であるミカエルだ。ミカエルもまた、他の生徒に混じって朝の鍛錬に勤しんでいる。
ミカエルに事情を聞くと、リッチェル城にいたときから朝練に取り組んでいたらしい。学園に入ってもそれを続けようと思ったとの事。しかし貴族の朝は弱いと言われているのに、よく起きて鍛錬しているな。アーサーもカインも朝は弱いからダメだと言っているのに。平民出身者のみしかいない朝の鍛錬。その中でミカエルの存在は異色そのもの。
しかもミカエルは嫡嗣ですらなく、リッチェル子爵家の当主なのだ。その当主が朝の鍛錬を行っている。この事だけでも、ニュースになるといっていいだろう。それぐらいノルデン貴族は朝が弱い。この一年見てきたらよく分かる。ミカエルの品行方正ぶりはレティと比べれば異次元レベル。君達ホントに姉弟なのかと聞きたいくらいだ。
リシャール、カシーラ、セバスティアンの商人子弟三人組と一緒に打ち込みするなんて、想像すらしていなかった。そもそも三人が学園に入ってくる事自体、考えてもいなかったので、想像どころの話ではないだろう。一方、レティの弟ミカエルと朝の鍛錬に顔を合わせるというのも想定外。
商人子弟三人組とミカエル。彼らの朝の鍛錬は、俺にとっては大きな変化だった。何か俺の周りが賑やかになった感覚になる。一方、俺とは違った意味だが、環境が大きく変わったのがドーベルウィン。父ドーベルウィン伯が軍監に就任したからか、コチコチなって歩いている。
「ジェムズ。叔父上の名に傷つけたら大変だって、ずっとあの調子なのだよ」
従兄弟のスクロードがそう教えてくれた。父上が責任ある立場にお就きになったのだから、品行方正に振る舞わなければと神経質になっているらしい。あのダメ貴族の典型だったドーベルウィンが、そこまで変わるなんて思ってもみなかった。変化といえば他にもある。学食の料金がいきなり五倍に跳ね上がったのだ。これにはアーサーが不満を漏らした。
「おい、いくらなんでも五倍なんてあるか?」
アーサーがそう言うのも無理はない。実は一週間前、いきなり値段が変わったのだ。そのときはまだ入学式前だったので、在校生達は学食の値段が上がったことを知らなかったという訳である。かくいう俺もいきなりの価格改正に驚き、厨房に事情を聞いたのだが、食材の値段が上がったというばかり。なので魔装具でウィルゴットに質した。
「予約注文が終わったんだよ」
聞くと、半年前に注文した価格での納品が先月末で終わったというのである。今の食材の納品価格は今年初めの価格ということで、半年前と三ヶ月前では食材の価格は当然ながら違う。だからいきなり跳ね上がったという訳か。今後三ヶ月は、この納品価格になるとのこと。
「もしかして、それは市中の店の方もか?」
「ああ、そういうことになる」
「だったら、飲食店の価格は・・・・・」
「当然値上がりするよな」
ウィルゴットは予想通りの回答をしてきた。予約注文によって価格が抑えられていた、街の飲食店の料金が一気に上がる。これはトラニアス祭で噴出した市民の不満が、更に高まること必定ではないか。
「小麦価が四〇〇〇ラントを越えたんだ。どうしようもないよ。むしろ予約注文のおかげでこの程度に収まっていると思ってくれ」
ウィルゴットが問い合わせた俺に気遣ってくれた。まぁ市場価格である以上、ウィルゴットが何もしている訳ではないのだからしょうがない。あれこれ言っても仕方がない話である。俺はアルフォード商会の王都商館と、ナスラが入居する家の礼を言って魔装具を切った。そんな次第で、ロタスティの学食価格はどうしようもない。
「親父に頼んで増やしてもらえるかどうか・・・・・」
アーサーが嘆いている。おそらく嘆いているのはアーサーだけではない。逆に言えばアーサーぐらいの名門家の嫡嗣でさえ嘆くくらいなのだから、多くの生徒にとっては痛手の筈。そのアーサーが妙な事を言い出した。
「今度のパーティーを手伝うから、それで上げてくれれば・・・・・」
「何だ、そのパーティーって?」
「いや、ドーベルウィン伯の軍監就任を祝う集いだよ」
また祝賀会をやるのか! 内心俺は呆れてしまった。が、アーサーから話を聞いて、それが間違いだったことに気付く。ボルトン伯が中間派貴族達を屋敷に招いて「軍監ドーベルウィン伯を支える集い」をするというのである。何か政治家のパーティーみたいな話だな。アーサーはその準備に駆り出されているらしい。それって大迷惑な話じゃないか。
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