453 アイリの帰校
アイリが学園に戻ってきた。約束通り学園の新年度が始まる前に帰ってきたのだが、到着したのが学園が始まる二日前。休日初日の夜のだったので、予定より二日もズレてしまったと嘆いている。暴動で王都に入る道が封鎖されてしまった事が、モロに影響してしまったようである。しかし何れにせよ、アイリが約束通り戻ってきてくれたのは事実。
学園には生徒達が続々と帰ってきている。その中にはドーベルウィンやスクロードもいた。アイリと一緒にロタスティで遅い昼食を食べていたが、その間にも生徒達が帰って来ており、学園もようやくいつもの喧騒が戻ってきたといって良いだろう。学園内に生徒達が溢れてきたので、俺はアイリと一緒に黒屋根の屋敷に向かった。
「グレンが無事で良かった」
俺の執務室に入るなり、アイリは安堵の声を上げた。二人っきりになったので、気兼ねなく言えるようになったからだろう。王都で暴動が起こったことを知って、まず俺の事が気掛かりだったとアイリが話す。ただ暴動がすぐに鎮まり、犠牲者も出なかったというので大丈夫だとは思っていたが、実際に俺の顔を見てようやく安堵したというのだ。
「だって、グレン。危ないところにいることが多いし」
「おいおい、俺はそんなつもりじゃ」
「
アイリの言葉を否定することが出来なかった。言われてみれば、確かにそうかもしれない。トラニアス祭で起こった暴動の際も、暴動が起こるその瞬間に立ち会っているからな。あの時はリディアがいたので、咄嗟に逃げる判断が出来たけど、もしいなければもう少しあの場に留まっていた可能性もある。
「トラニアス祭の最中に起こったって書かれていたけれど、本当に大丈夫だったの?」
アイリが俺の顔を覗き込んできた。そして俺の事をじー、と見ている。過去に隠し事はするなと言われた手前、本当の事を話さざる得ない。ここは仕方がないよな。そう思いながら、俺はトラニアス祭の本祭当日の出来事を話すことにした。
「実は・・・・・ 暴動が起こった瞬間に立ち会ったんだよ」
「えっ!」
アイリから笑顔が消えた。真顔になったアイリが状況を問い詰めてくる。
「暴動を起こした連中から少し離れたところで見物していたから、大丈夫だったんだけど・・・・・」
リディアも一緒にいたので、すぐに連れて逃げて『常在戦場』に連絡した事を話すと、アイリがリディアの事を聞いてきた。
「それでガーベルさんは・・・・・」
「大丈夫だ。ただ、ショックが大きくて立ち直るのに時間がかかった」
「そうだったの・・・・・」
「この前、見舞いに行ったときには大分マシにはなっていたけど、平和な祭りが突然暴動の舞台になったのが堪えたんだろうなぁ」
「大変な事になってたのね」
「ああ、そうなんだ」
たまたま俺がそこにいて魔装具で連絡を取った事から、結果として暴動の早期沈静化に繋がった。暴動鎮圧の指揮を執ったドーベルウィン伯からそう言われたのを話す。するとアイリは、珍しく溜息をつきながら俺に言ってくる。
「グレンは色々な人と関わり過ぎよ。だからこんな事に巻き込まれてしまうの」
「アイリ」
「私は心配なの。グレンの身に何かが起こることが!」
「アイリ・・・・・」
それ以上の言葉が出なかった。アイリの肩がプルプルと震えていたからである。そうなのだ。危機を振り払おうとあれこれ動いてきたことで、より大きな危機を抱え込んでしまっているのではないかと感じる時があるのは事実。これは俺が現実世界にいた頃には体験したことがない感覚である。しかし、あれもそれもこれも自分を守るためにしていること。
それが結果として、自分自身を追い詰める事になっているとすれば、それはもう救いがないコントではないか。自分の為にやっている筈が、己の首を絞めている事になっているのと同じなのだから。そんな事を思いながら自嘲していると、どういう訳か笑えてきた。
「グ、グレン。どうしたの・・・・・」
「いや、アイリ。逃れる為にやっているのに、やればやるほど逃れられなくなっていく。そんな事を思ったら笑えてきて・・・・・」
「・・・・・グレン」
「あれもこれも、そのときの感覚でやっているだけなのにな。その気もないのに危機を招き入れているなんて」
「ごめんなさい、グレン」
俺の話を聞いて、アイリが謝ってくる。自分が俺を追い詰めたと思ったのだろう。だがアイリの指摘を受け、俺が回し車の中で懸命に走っているハムスターというイメージが描けた。いくら走っても同じところに居続けている。走っても走っても同じ位置。走り続けることで体力が消耗していくだけ。ラットレースと同じ。まさに社畜生活そのものである。
「大丈夫だ、アイリ」
申し訳なさそうな顔をするアイリに、俺は
「アイリ、ありがとう。気をつけるよ」
「グレン・・・・・」
心配そうなアイリ。俺は雰囲気を変えるため、アイリをピアノに誘った。アイリも気分を変えたいと思ったのだろう。頷いてくれたので、二人でフルコンが置かれているピアノ部屋へ入った。指を動かす為の練習曲をしっかり弾いた後、アイリが好きな「この愛よ永遠に」を弾く。アイリはヅカ曲が大好きだ。俺の演奏に合わせて、アイリが歌い始める。
アイリには色々と言ったのだが、俺の教え方が悪いのか、音痴は治らなかった。ソプラノの声質はいいのに、音程がヤバい。しかし歌うことが好きなアイリは、そんな事は気にならないようで、楽しそうに歌っている。俺のピアノを聞いたり、アイリが俺の演奏に合わせて歌ったり、話をしたり。ピアノを介しての方が、自然に振る舞えるのが不思議だ。
俺はピアノを弾きながら、カテリーナがサルジニアに留学した話や、ザルツがモンセルに帰って、代わりにロバートがやってきた事を話す。コルレッツから再び封書が届き、許してくれたアイリに改めて礼が書かれていた事も伝えた。するとアイリが「グレンの周りは、春休み中でも色々起こるのね」と、呆れながらも楽しそうに聞いている。
「レティシアはもう着いたのかしら・・・・・」
「入学式に出るミカエルと一緒に来ていたよ」
「もう会ったの?」
驚くアイリ。まさかレティがこんなに早く学園に来ていたとは、想像だにしていなかったのだろう。俺はミカエル命のレティが、弟の入学式に来ない筈がないじゃないかと力説した。あいつはブラコンの枯れ専だと。アイリは意味が分からないと首を
「レティシアが聞いたら怒るわよ」
「事実だからしょうがないじゃないか」
俺はそう言いながら、二人で改めて笑った。アイリが言うように、ここにレティがいなくて良かったな、と思いながら。
「クリスティーナはどうしているのかな」
「公爵邸で軟禁生活だ」
「えっ!」
アイリがギョっとした。どういうこと、とアイリが迫ってくる。
「暴動が起こった後、宰相閣下の意向で屋敷外から出ることを禁じられた」
「どうして?」
「ラトアンの時のように勝手に動かれたら困るからだろうなぁ」
俺の説明に、あっという表情をしたアイリ。おそらくは合点がいったのだろう。あの時クリスは『週刊トラニアス』や『
最終的には宰相閣下自ら学園にやってきて娘と話し合い、ようやく事態を収拾させたのだから。だから今回起こった暴動で、『ラトアンの
「どうして分かったの?」
「トラニアス祭で起こったことの詳細を伝える為に封書を送ったら、返書が来たんだよ。始業当日の朝まで出られないって」
「だったら、明日の朝なったら、御屋敷から出られるってこと?」
「そうなるよな」
俺が肯定すると、アイリはクリスティーナは大変ねと言った。まぁ、ノルデン屈指の名門貴族のお嬢様、公爵令嬢なのだから仕方がない。それに宰相閣下のクリス軟禁の動機が、父親としての束縛じゃなくて、宰相の立場から不確定要素の排除の為だからな。ある意味クリスのパワーを恐れているとも言えるのだが。
「でも明日にはクリスティーナが学園にやってくるのでしょう。だったら明日からは自由よね」
「ああ」
確かにアイリの言う通りだ。クリスにとっては学園の授業があるときが自由を得られるという事になる。楽しみね、というアイリの言葉に心から頷いた。クリスは自由を心から欲している。身分制度のない世界からやってきた俺なら分かるが、この世界で生まれ、この世界で生きてきたアイリが分かるというのは、ある意味奇跡である。
もしかするとクリスにとって、アイリは良き理解者になり得るのではないか。もしアイリの出自が明らかになれば、逆にクリスが助けてくれる事になる展開もありえるだろう。二人は気質も性格も方向性も全く違うが、真面目で勉強熱心、そして芯の強さという共通項。二人の関係がより深化すれば、かけがえのない親友となるのは間違いない。
俺はいずれこの世界を去る。去らねばならぬのだ。もし俺が去った後、アイリとクリスに何か残せるものがあるとすれば二人の縁なのかもしれない。ふと「大岡越前」が弾きたくなった。口笛も入れながら弾いたので、アイリが驚いた顔をしている。原曲も口笛が入っているので、その再現なのだ。明日から学園が始まる、そう思いながらピアノを弾いた。
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