449 クリスからの封書

 ドーベルウィン伯が決断した内廷警備と騎士団業務との分離。すなわち第一近衛騎士団を内廷警備専門の『紫宸ししん警衛団』として内廷に残し、近衛騎士団の所属を内廷から統帥府に移すという改革は、インパクトの大きなものだった。カネと権限が動くのだから、王宮内外の力関係に影響を及ぼすのは確実である。


「だから内廷がガーベル卿の子息を殿下に派しても、何も言わぬのか」


「今はそれどころではないだろうからな」


 愉快そうに話すスピアリット子爵とは対照的に、表情を崩さないドーベルウィン伯。しかし打った手立ての一撃は強烈だ。一発必中、その場で仕留めるだけの破壊力がある。現にバッテラーニ子爵は身動きが取れない状態。ドーベルウィン伯はこれが出来たのも、トラニアス祭の紛擾ふんじょうを速やかに抑え込めたからだと強調した。


「よくぞ、この短い間にやってのけたな」


「いや。宰相閣下も内府殿も、そして畏れ多くも陛下からも、御支援を賜ることが出来たからこそ実現できたこと」


 親友からの賛辞にも、謙虚に答えるドーベルウィン伯。確かに宰相や内大臣、そして国王の支持を取り付けた事で実現できた事ではあるが、それを引き出したのは、ドーベルウィン伯の指揮の力。もしドーベルウィン伯が軍監でなければ、今回の暴動も速やかに収拾をつけられなかった筈である。


「じゃが、このような情勢になった以上、中間派貴族も何らかの振る舞いを起こさねばならぬのかもな」


「閣下!」


「今はどのようにすれば良いのか、ワシには皆目ではあるが」


 ボルトン伯はいつものボルトン芸で、ドーベルウィン伯からの問いかけをけむに巻く※。全く分からないと言いながら、中間派の動きに方向性を付けるなんて表明をするものだから、まったくタヌキ芸である。乙女ゲーム『エレノオーレ!』では文字での出演だったが、宰相失脚に決定的な役割を果たしたのが、このボルトン伯。決して侮ってはならないのだ。


「閣下。閣下が如何なる判断をなされようとも、私は賛同しますぞ」


「それはそれは。有り難い言葉じゃ」


 剣聖閣下から言われて、フォフォフォっと笑うボルトン伯。中間派の実質的な取り纏め役とされるボルトン伯への信頼が伝わってくる。いくらボケ芸を磨こうが、取り纏め役と目されるところが凄い。ドーベルウィン伯から今後も協力を頂きたいと言われたので、俺は快諾した。これで暴動対策を乗り越えられるのであれば、俺は協力を惜しむ理由はない。


 ――再びクリスからの封書が届いた。学園の受付で受け取った俺は、急いで屋敷へと向かおうとしたところ、いきなりリサに呼び止められてビックリした。いつの間に戻ってきたのだリサ! と思って事情を聞くと、今ディール邸から戻ってきたばかりだという。そういえば馬車溜まりに馬車が一台泊まっていたな。あれで帰ってきたのか。


 リサによればディール城を出発して王都に入り、「母様」ディール子爵夫人ラヴィニアから預かった封書をディール子爵邸に届けて、今帰ってきたということである。馬車に乗って帰ってきたばかりだというのに、いつものニコニコ顔で疲れを全く感じさせないリサ。俺はリサから話を聞くため、二人で屋敷に向かった。


「クラート子爵は、その場でへたり込まれてしまわれたの」


 リサがディール城で見たクラート子爵病臥の経緯について話をしてくれた。ディール子爵を見舞う為、ディール城に到着したクラート子爵は、病み上がりの「母様」ラヴィニア夫人との会見に臨んだ。クラート子爵は病み上がりだと聞かされていたラヴィニア夫人が思っていたよりも元気だったことから、安堵の表情を浮かべたそうである。


 和やかな雰囲気の中で行われた会見だったが、夫人が小麦の件について話を始めると状況が一変した。これまでクラート子爵が行っていた小麦取引について、夫人が詳細に話し、子爵に詰問したからである。最初はなんとか取り繕っていた子爵だったが、夫人の追及が厳しくなるとしどろもどろになり、最終的にへたり込んでしまったというのだ。


「ヘルマン! 貴方には静養が必要だわ。暫くの間、このクラート城で休みなさい!」


「お、お伯母上・・・・・」


「貴方はクラート家を守立もりたてなければならぬ身の筈。それをこのようなものにうつつを抜かし、あろうことか簿外まで使って取引に入れ込むなど言語道断!」


 この穀潰しが! と伯母であるラヴィニア夫人に叱責されて蒼白となったクラート子爵ヘルマンは、そのまま執事達の手でどこぞに連れて行かれたという。しかし「母様」ラヴィニア夫人とクラート子爵が血縁関係だったとは! いくらなんでも、いんぐりもんぐりし過ぎだろう。ディール家の複雑な姻戚関係に頭を抱えてしまう。


「しかし、どうしてリサが今の話を知っているんだ?」


「だって立ち会っていたもの」


「どうやって?」


「ラヴィニア夫人のお付きとして」


 なんだそれは! ディール子爵夫人シモーネとその妹でクラート子爵夫人のマーシャから預かった、クラート家の小麦取引の書類をクラート城にいるラヴィニア夫人に見せ、詳しく説明した際に「貴方も立ち会って欲しい」と言われたことから、衣装を借りてお付きとして夫人の側に立っていた。だから全てを見ることができたという訳だ。


 リサはディール家に仕える二つの陪臣、ラヴァン男爵家とトージア男爵家の帳簿を見たリサは、滞在期間の間「母様」ラヴィニア夫人と歓談してディール城を後にした。途中、ディール子爵領に隣接するボーゲル村に立ち寄り、ボルトン伯の遠縁であるボルトン卿のところにお邪魔をしてから帰ってきたとのことである。


「突然訪問したのだけれど、ボーゲル様御夫妻が歓待してくれたのよ」


 領有する村の名前から、ボーゲル様と呼ばれるボルトン卿夫妻からの歓迎について、嬉しそうに話すリサ。どうやらアーサーの遠縁とリサは相性がいいようだ。王都に帰ってき次第、クラート家と陪臣のクロイツァー男爵家の帳簿を見ることになっているらしく、明日から早速取り掛かる予定らしい。ひとしきり自分の事を話したリサが聞いてきた。


「お兄ちゃんは?」


「ああ。数日前、ナスラと一緒に来たよ」


「ナスラと!」


 リサも誰が来るのかまでは知らなかったらしい。ナスラが来ている事を知って、俄然テンションが上がっている。


「モンセルから家族を呼ぶそうだ」


「そうなんだ。でも数日前って遅くない?」


「王都へ繋がる道が全て封鎖されたから、来るのが遅れたんだ」


「えっ! どうして? 何かあったの!」


 リサが事情を話せと迫ってきた。どうやらリサは暴動の一件を知らないようだ。俺はトラニアス祭の最中に起こった暴動以降の流れを説明した。するとリサの顔から笑顔が消え、表情がみるみる険しくなった。


「今はどうなっているの?」


「早期に収拾したので沈静化はしている。陛下も事態の憂慮を示されているそうだ」


「陛下も!」


 全く想定外の話だったのだろう。リサが驚いている。リサが離れて以降起こったトラニアスの出来事についてあれこれ話していると、執務室のドアが開いた。


「お兄ちゃん!」


 リサが立ち上がってロバートの元に駆け寄る。


「リサ、いつ帰ってきたんだ!」


「今よ。今帰ってきたところ」


「そうか、そうか」


 二人は立ったまま、あれこれ話を始めた。この二人、本当に仲が良い。ソファーに座っている俺を放置して話し込むぐらいに仲がいいのだ。あまりに二人で話をしているので、俺は立ち上がるとリサに言った。


「立って話すのもなんだから、リサの執務室で座って話したらいいよ」


「あ、そうね!」


 ハッとした表情になったリサ。俺を放置していた事に気付いたようだ。リサが「行こう」とロバートに言うと、二人連れ立ってリサの執務室の方に歩いていく。二人が部屋に入ったのを見届けると執務室のドアを閉め、すぐに先程受け取った封書を取り出した。とにかくクリスの字が見たかったのだ。封書を開けると、そこには二枚の便箋が入っている。


「陛下に謁見!」


 便箋に書かれていたクリスの文章を見て驚いた。クリスが国王フリッツ三世に謁見する事になったというのである。『ラトアンの紛擾ふんじょう』に際し、暴徒らに襲われて被害を受けた商店主や露店商らを支援したクリスの話を聞きたいと、クリスの父である宰相ノルト=クラウディス公にご所望なされたという。


 クリスは父である宰相閣下から話を聞き、陛下が暴動対策に関して、強く意識なされていると感じたようだ。便箋には宰相閣下と宮中に参内し、陛下にラトアンの状況について御報告申し上げようと考えている旨が記されている。ノルト=クラウディス公爵家は高位家だから、当然ながらクリスも陛下と面識があるはず。


 乙女ゲーム『エレノオーレ!』では正嫡殿下アルフレッドの婚約者となっているクリスだから、殿下の親である国王フリッツ三世とは面識もあれば挨拶をしたことも間違いなくある訳で、初めてお目通りが叶ったといった感じではない。しかしながら公爵令嬢が一つの案件で呼び出され、陛下と直接お話をするのは異例なのだろう。


 便箋の大半は陛下との謁見に関する話で埋められていたが、学園に登校する話も書かれていた。クリスの文章によれば家の監視が厳しい為、学園へ登校できるのは春休みが終わってから。授業が始まる当日の朝になるらしい。クリスの行動力に対する宰相閣下の警戒心が、以前にも増して強まっているのは間違いなさそうである。


「早くグレンに逢いたい。会ってお話がしたい」


(クリス・・・・・)


 最後の一文を見て、何か愛おしい気持ちになる。今すぐにでも公爵邸に飛び込んでクリスを連れ出し、抱きしめてあげたい。佳奈やアイリに対してとは異なる感覚に戸惑いながらも、素直にそう思えた。大きな身分差に遮られている筈なのに、それを感じない実に不思議な気分である。俺は『収納』でペンと便箋を取り出すと、近況をしたためた。

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