443 祭りのあと

 トラニアス祭がクライマックスへと向かう中、テンションが上がっていた神輿の担ぎ手と観客が、そのテンションのままに「小麦! 小麦!」と叫びだした。それまでの賑々しい雰囲気は一変し、刺々しい「小麦! 小麦!」の声に繁華街が支配されたのである。そして、人々の悲鳴が響き渡った。誰かが暴れまわっているのが見えた。


「キャァァァァァ!」


 その悲鳴と共に逃げていく人々。遠いところで起こっているので、詳細は分からないが、誰かが暴れまわっているようだ。それも一人じゃない。何人もだ。何か暴れまわっているのは、遠巻きながらも分かるぐらいだ。人はそれを避けるために逃げているようだ。これはマズイ!


「リ、リディア! こっちだ!」


 逃げる人々と同じ方向に走ろうとするリディアの手を掴むと、俺は人々とは違う方向へと走り出した。


「リディア。頑張れ!」


「う、うん」


 戸惑いながらも返事をするリディアの声を聞いて安心した。歓楽街から少し離れた位置まで逃げた俺は、急いで魔装具を取り出し、ディーキンに事の次第を伝える。


「至急、至急だ!」


「・・・・・わ、分かりました!」


 ラトアン広場の時はディーキンから連絡を受けて戸惑ったが、今日は俺の通報にディーキンの方が戸惑った形となっている。


「リディア。すぐに帰ろう」


「う、うん」


 小麦と叫ぶ怒声を遠くに聞きながら、突然の出来事に茫然とするリディアを連れて、俺は急ぎガーベル邸へと向かった。家に到着した俺達の姿を見たヘザーは、娘の表情を見て驚いたのだろう、家に入るように促してくる。俺達の話を聞いたヘザーは、俺にガーベル邸で泊まることを提案してくれたので、俺もそれを受け入れることにした。


 というのも馬車を手配する為、魔装具で呼び出したのだが連絡が取られなかったのだ。それで俺は身動きができないと悟ったのである。その点、俺達の話を聞いただけで、「今日は泊まっていきなさい」と言ってくれたヘザーの判断は的確だったと言えよう。これは人生経験ではなく、エレノ経験の差が出たのかもしれない。


 繁華街の状況については、魔装具を通じてディーキンから都度報告が入った。常在戦場は兵営所に駐留している警備団をはじめ屯所、営舎にいる全警備隊が出撃。繁華街に到着した近衛騎士団や王都警備隊と協力し、夜には暴動を抑え込むことに成功したようである。だがこの日、ガーベル卿とスタンが帰宅することはなかった。


 ――ディーキンからの連絡を聞く限り、暴動を抑え込むことに成功したといえよう。しかし暴動が、しかも『トラニアス祭』という祭りの中でそれが発生してしまったことに、俺は大きな衝撃を受けた。衝撃を受けたのは俺だけではない。恐らく多くの人が衝撃を受けたはず。そして暴動が起こった瞬間を目撃したリディアもその一人である事は間違いない。


「おはよう・・・・・」


 朝、リディアが元気なく挨拶をしてきた。折角の祭りの中、まさか暴動あんなことが起こるなんて思ってもいなかっただろう。俺を通じて暴動が抑え込まれた事を昨日の段階で知ってはいたものの、その情報だけでは、安堵できるような心境にならなかったようである。俺はリディアにトラニアス祭の後祭が中止になったことを告げた。


「そうなんだ・・・・・ そうよね」


 元気で賑やかないつもの調子とは程遠い、沈みきった返事をするリディア。それだけ暴動の衝撃が大きかったのだろう。リディアの母ヘザーからは街の被害状況について聞かれたが、それについては俺の耳に入っていないので分からないと答えるしかなかった。俺は馬車が手配できたのでヘザーが作ってくれた朝食を頂き、ガーベル邸を後にしたのである。


 俺が暴動の状況について大まかな状況を知ったのは夕方になってからの話。ガーベル邸から学園に戻った後の事である。ディーキンからの話を総合すると、俺からの一報を受けた後、すぐさま統帥府へ報告。まずはグレックナー率いる屯所のエンケラドゥス、カプリソ、プロメテウスの三隊が現場に到着した。


 これは繁華街からもっとも近かったのが屯所だったからで、この隊の中心であるエンケラドゥス、すなわちフォンデ・ルカナンス指揮の二番警備隊を中心として、先ずは暴徒と群衆の切り離しにかかった。その最中にフレミング率いる警備団が駆けつけ、更に軍監ドーベルウィン伯率いる近衛騎士団が到着した事で暴徒を追い詰める事に成功。


 後から到着した王都警備隊が、群衆達を誘導して散会させている間に、グレックナーの屯所団とフレミングの警備団、そしてドーベルウィン伯指揮の近衛騎士団という三つの集団が、お互いに連携して暴徒包囲網を完成させた。その最中にディオネ、ヘレネ、アトラスという営舎部隊三隊が現場に到着し、暴徒への圧迫を更に強めたのである。


 結果、これに観念した暴徒達は近衛騎士団に投降。全員捕縛された上で連行された。その数二百五十人以上ということで、統帥府近くにあるマスリアス聖堂に収容されたとのこと。どうしてマスリアス聖堂なのかについて疑問に思い事情を確認すると、この聖堂はかつて王都を守る砦として建設されたという経緯から、こうした収容に適しているらしい。


 捕縛された暴徒が脱出できないようにとの事からマスリアス聖堂に収容したという話。捕縛された暴徒を迅速に収容しているところを見ると、統帥府は暴動が起こることを予期し、事前に準備を進めていたのであろう。やはりドーベルウィン伯という人物、仕事に抜かりがない。手際よく事態を収拾できたのは、軍監閣下の手腕によるところが大である。


 その軍監ドーベルウィン伯は、拘束した暴徒の扱いについて「毅然たる姿勢で臨む」事を暴徒達に宣言したそうである。前回のラトアン広場での紛擾ふんじょうの際には、「罪には問わぬ」と寛大な姿勢で暴徒達に対したのとは大違いだ。これは無役で暴動に対する準備がなかった前回と、軍監で事前準備できていた今回との違いだろう。


 いずれにせよ、暴徒達がその罪に問われる事は間違いない。それが如何なる罪なのか、罰が厳しいものになるのかは分からないが、タダでは済まない事だけは確実だ。今回の暴動では鎮圧に当たった『常在戦場』や近衛騎士団、王都警備隊側に怪我人はなかった。ただその場から逃げる最中、転んでケガをした群衆が複数いるそうである。


 また店舗の破壊等の被害については軽微だったが、出ていた屋台が暴動による混乱の中、軒並みやられてしまったとディーキンが話した。つまりは店舗被害はラトアン広場に比べて少なかったが、屋台の被害は同じだったということなのか。持てる者と持たざる者、その立場の違いが、より鮮明に現れたと言えよう。いつも被害が大きいのは弱き者なのだ。


 俺はこれまで知った情報を急ぎ封書をしたため、ノルト=クラウディス公爵邸にいるクリス宛に早馬を飛ばした。この辺りの仕事はクリスが最も適している。多数の捕縛者まで出している中、民心の安定にはクリスの知名度と人気が今や不可欠。だから今起こっている状況について、一刻も早く知らせる必要があったのである。


 ――ロバートが王都に来ない。どうも王都への出入りが封鎖されてしまっているようなのだ。王都に入る道という道は全て規制され、何人も通れなくなってしまったらしい。理由はもちろん暴動対策だろう。誰も出入りできないようにすることで、暴動の影響が地方に波及しないようにする為だと思われる。そのお陰でサルンアフィア学園の入学式も延期されてしまった。


 そんな中、ディールからの封書が届いた。以前話のあったアンドリュース侯爵との会見についてである。カテリーナがサルジニア公国に出発した後、アンドリュース侯爵家の家宰ブロンテット男爵を通じ、改めて会見したいとの誘いがあった。そのセッティングをディールに任せていたので、その案内が来たのである。


 ディールによると明日の昼に会見を行う方向でブロンテット男爵とやり取りしていたのだが、暴動によって一旦白紙になってしまったらしい。詳細が決まれば再度連絡すると書かれていたので、俺はそれを待つしかないようである。しかし、暴動被害そのものは少なかったものの、その影響は相当広い範囲に及んでいるのだと実感ができた。


 一方、街の方はといえば、落ち着きを取り戻してきたらしい。グレックナーと話をしたのだが、初動が早かったので、想定以上に上手く暴動を封じ込めることができたようだ。また軍監ドーベルウィン伯は、統帥府と各近衛騎士団に魔装具を装備したので、迅速に指令を伝達できた事を挙げていたとの事である。


 現在『常在戦場』では各警備隊に魔装具が置かれ、様々な連絡に使われるようになっている。これによって上部が現場の情報を把握でき、下部に対して素早く指令を行うことができるようになった。事の始まりは俺が『常在戦場』に商人以外の者が使える魔装具を渡した事からなのだが、これは便利だという話になって、全隊装備が行われた。


 それを見たドーベルウィン伯は近衛騎士団に魔装具が必要だとの認識を持ったので、軍監に就任するとすぐに魔装具を導入したというのである。よく「情報を制する者は」と言うが、今回の一件はまさにそれだろう。逆に言えば、ドーベルウィン伯が軍監になっていなかったら、迅速に暴動を封じ込めることが難しかったかもしれない。


 いずれにせよラトアンでの事といい、トラニアス祭での暴動の事といい、『常在戦場』や『近衛騎士団』に怪我人が出なかった事は幸いである。改良型の『オリハルコンの大盾』が大量配備できていたことも、怪我人が出なかった大きな要因であろう。いずれにせよ、二度の暴動を払い除けることができたのは幸いだった。


 王都トラニアスの都市封鎖が解除されたのは、暴動が発生してから四日経った休日初日の話。行政府としては、休みに入るのを待っていたのかもしれない。これを受けて学園でも、来週末に入学式が行われる事になった。暴動という大事おおごとが発生したが、普通の暮らしに戻すべく、徐々に通常の営みに戻りつつあるようである。

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