444 二つの返書

 トラニアス祭での暴動で社会が騒然とする中、俺に意外な人物からの封書が届いた。ジャンヌ・コルレッツからである。ジャックを介しての封書だったのだが、まさか再び封書が来るなんて思いもしなかった。俺はその封書を玄関で受け取ると、急いで屋敷の執務室に入り、コルレッツの封書を開ける。そこには日本語で書かれた五枚の便箋が入っていた。


(トラニアス祭が始まる前に書いたのか・・・・・)


 文頭に「もうすぐトラニアス祭が始まりますね」とあるので、コルレッツがこの便箋をしたためたのは、トラニアス祭前なのは間違いない。コルレッツの兄であるジャックを介してこちらに届いているので、時間的なラグがあるのだろう。もしかするとトラニアス祭での暴動が影響して、俺の元に封書が届くのが遅れた可能性もある。


 そのコルレッツからの封書だが、文頭には謝罪の受け入れの感謝が書かれていた。俺から返事が返ってくるとは思わなかったので嬉しいとの事なので、俺と同じことを思っているのだと妙な連帯感を抱いてしまうところが面白い。アイリに謝罪を伝えたことについての謝意も書かれている。文面を見るに、コルレッツの気が楽になったようだ。


 興味深かったのは『園院対抗戦』についての文章。コルレッツがジャックの能力について説明をしてくれた。ジャックに剣撃が当たらないのは『思念』という能力で、相手の脳内に働きかけ、位置の認識をずらす事によるものだというのである。つまり相手に己の幻影を見せることで、実際の自分がいる場所とは違うところを攻撃させていたということか。


 逆に言えばその『思念』を払い除ければ、ジャックの位置を正確に認識できるとということ。コルレッツ曰く『心の交流』は、ジャックの『思念』を受け付けないバリアだというのである。ジャックの『思念』を受け付けない程の深い信頼関係を持つ二人が、同じ場所に存在するからこそ発動するという『心の交流』。


 しかし二人のヒロイン、アイリとコルレッツがいないのにどうして発動したのだろうか? それについてはコルレッツも分からないようであるが、正嫡殿下がゲーム上のヒロインと同じくらい心を寄せいている相手が会場にいたのではないかとの推論を見て、妙に納得してしまった。この辺り、男と女の見方の違いを感じてしまう。


 コルレッツの見立てによると、殿下が心を寄せている相手も同じくらい殿下に心を寄せていたことで『心の交流』が発動したのだろう、というのである。ヒロインとは殿下から見ての「ヒロイン」であって、乙女ゲーム『エレノオーレ!』のヒロインとは違うのではないかというコルレッツの読みが、俺の固定概念を打ち破った。


 その発想はなかった。コルレッツの考えはゲームエレノとリアルエレノは非なるものなので、その役割を演ずる人も自ずと変わるという見方。確かにゲーム上の殿下とクリスの役割はモーリスとカテリーナが担った。そこでのヒロインポジには「男爵」息女のエレーヌがいて、モーリスの側に付いて離れなかったのだし。


 対オルスワード戦の時にオルスワードがゲートを開けた話は、コルレッツにも衝撃的な話だったようだ。本当に太陽の塔が出現したのかと、文章からも驚きが伝わってくる。またケルメス宗派の創始者ジョゼッペ・ケルメスが転生者であることを知って、俺やコルレッツ以外にも転生者がいるかもしれないと記されていた。


「もしかすると、元いた世界に帰られるかもしれませんね」


 もし帰ることができれば、お父さんとお母さんに謝りたいと書かれているのを見て、涙が溢れてきた。コルレッツは裕介や愛羅と同じぐらいか、あるいはそれよりも年下なのだろう。謝りたいと書かれているだけなので、両親に何を謝りたいのかは分からないが、家族に会いたいという気持ちはひしひしと伝わってくる。


 俺は『収納』でペンと便箋を取り出して返書を書いた。自分がこの世界にやってきてからずっと、自分の世界に帰ることだけを考えて生きてきたことや、帰るためにサルンアフィア学園に入学したこと等、これまで誰にも話したことがない事を書き連ねた。その上で、ケルメス大聖堂の長老ニベルーテル枢機卿から聞いた話を書いた。


 曰く「達成されればゲートが開く」という話をである。俺は達成とはゲームエンドだと解釈しているが、どう思うかについてコルレッツに感想を求めることにしたのだ。俺よりずっと若い、いや本来であれば『エレノオーレ!』のターゲット層、ゲーム適用年齢であろうコルレッツであれば、この話をどう捉えるのかを聞いてみたかったのである。


 またアイリの件。スチュワート公に孫であるアイリの存在を知らせる封書を届けるも梨のつぶて・・・で、養父母のローラン夫妻公爵に申し出るよう説得するも叶わなかった一件についても書いた。事実を知らせているのに伝わらないもどかしさ。どうやったらスチュワート公に話を伝えることができるのか、コルレッツのアドバイスが欲しかった。


 書き始めればキリがないのでこの辺りで止めたが、それでも便箋五枚となった。コルレッツがどう返事をしてくるのかは分からない。分からないが、これまで一人で取り組んできたこの世界からの脱出法について、同じ転生者から生の声が聞けるというのは、非常に心強い。あれほど激しく戦ったコルレッツが頼もしく感じるのは実に不思議な気分である。


 ――クリスからの返書を受け取った。よくよく考えれば、クリスからの封書を直接受け取るのは初めての体験だ。いつもはトーマスを介した口伝だったので、封書の必要が皆無だったからである。クリスの字を見たのはノルト=クラウディス公爵領に行った時、『女神ヴェスタの指輪』の位置を示す地図に書かれていたのを見て以来だ。


 あのときのクリスのインパクトを思い浮かべて、笑ってしまった。あのとき、ノルデンの全国地図に大きく×マークが書かれている紙を「ここですわ」と、自信満々に見せてきたのだ。一体これでどう探すのかと、突っ込みたくなったところを侍女であるメアリーがやんわりとクリスに指摘して、ガッカリしてしまったんだったな。


 あの時の字もそうだったのだが、クリスの書く字は小さい。確かに小さいのは小さいのだが、ただ小さいだけではない。その小さい字が緻密に並べられているような感じに書かれているのだ。だから普段接しているクリスと違って、内面は意外と几帳面なのかもしれない。封書を受け取ったことで、新しいクリスを見つけたような気持ちになる。


 さて、その手紙だが「久方振りですが、お変わりありませんか」という一文から始まる辺り、育ちの良さというか貴族の娘なのだなというのがよく分かる。まず書かれていたのはアンドリュース侯爵令嬢、カテリーナの一件だ。クリスはカテリーナから事情を知らせてもらったようで、無事に留学できたことのお礼が書かれていた。


 「いきなり無理をお願いしたのに、聞いてくれてありがとう」といった平易な文体で礼を書いてきたのが以外な部分。クリスは普段、矜持というか、何があっても線引きから外れるような表現をしてくる事がなかったので正直意外だった。しかし、俺だけにはその境界線を取り払ってくれている気がして、なにか嬉しい気持ちになる。


 一方、俺が書き送ったトラニアス祭の暴動に関しては、話自体は知っていたものの、状況については宰相閣下や次兄アルフォンス卿、執事長のベスパータルト子爵からも全く教えてもらえなかったので、よく分かったと書かれている。その上で俺が送った封書の方が詳しく、全体的な状況や流れを把握することができたと感謝の言葉が綴られていた。


 屋敷には宰相府の官吏や、宰相派の派閥幹事キリヤート伯、親族であるクラウディス=ディオール伯等がひっきりなしに出入りしており、屋敷内は慌ただしい状況にある事が書かれている。またクリスの次兄で宰相補佐官であるアルフォンス卿からは、暴動後の動きについては直接聞いているそうなので、情報は十分に入ってきているようである。


 また父である宰相ノルト=クラウディス公から、内大臣トーレンス候や軍監ドーベルウィン伯と共に、国王フリッツ三世から「協力して事態の早期収拾に努めるように」との指示を受け、それに沿った対応策を講じていると説明があったとのこと。父と兄から色々話は聞いているということで、以前に比べ家族間の交流が増えているのは間違いない。


 ただ、暴動が起こったことで宰相閣下より「外出禁止令」が出され、屋敷の外に出ることが叶わぬ状態となってしまった事や、封書のやり取りについても事前に執事長のベスパータルト子爵に届けなければならない事になってしまい、ただでさえ窮屈なのに輪をかけて窮屈になったとクリスが嘆いているのをみると、情報と縛りがバーターなのだと思った。


 要は前回のラトアン広場の件の時のように、クリスが積極的に動かれては困るというのが、宰相閣下やアルフォンス卿の本音なのだろう。クリスは役職にすら付いていない学生であるにも関わらず、公爵令嬢をフルに活かすことによって、世の中に大きな影響を及ぼす力があることを示してしまったのだから、当然といえば当然の話。


 クリスがやったことはある面、自分達の知らぬところでノルト=クラウディス公爵家の名を使い、事を動かしているようなものなのだから、宰相閣下やアルフォンス卿に警戒するなという方が酷であろう。どうやら春休みが終わるまで、クリスは公爵邸への軟禁生活を強いられそうだ。そして便箋の最後にはこう記されていた。


「早くグレンと逢いたい」


 ・・・・・クリス。何か俺も無性に会いたくなった。なんなのだろうか、この気持ちは。クリスの方は何気ない気持ちで書いたのだろうが、こんなのを見ると会いたくなって仕方がなくなる。アイリどころか、佳奈にでさえこんな気持ちになったことはないのに、実に不思議だ。俺は居たたまれなくなって、ペンを取ってクリスへの返信を書いた。

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