第三十四章 トラニアス祭

442 本祭

 しかしランドレス伯の件といい、ウェストウィック公爵家の件といい、最近貴族家の動きがにわかに慌ただしくなってきたように感じる。まぁ、慌ただしさという点では、商人ギルドや『常在戦場』の方も変わりがない。更に言うならアルフォード家の家族もそれは同じで、近々ロバートが王都へとやってくるらしい。


 リサがディール子爵領へ旅立つ前、モンセルに帰ったザルツの代わりにロバートがやってくるという話を聞いていた。俺はロバートがどんな仕事をするために王都へ来るのかを聞いたのだが、ロバートが来ることしか知らないと話していたので、その部分については不明だったのだが、届いた封書を読んで大体の事は分かった。


 封書によるとロバートは王都に入り、ジェドラ商会の当主イルスムーラム・ジェドラとアルフォード商会の王都での拠点、王都商館の話をすることになっているとのこと。驚いたのは、このアルフォード商会王都商館の責任者はロバートがなるのだという。つまりアルフォード商会の王都での窓口業務をロバートが受け持つということ。


 俺は先日の商人会議で商館設置の話を聞いて、ザルツか番頭のトーレン、あるいはセシメルのジェラルド辺りに任せるものだとばかり思っていたからビックリした。代わりに次席番頭のナスラが一緒に上京してくるらしい。アルフォード商会では番頭が三人おり、筆頭がトーレンでナスラは二番手、その下に三番番頭のフンメルがいる。


 アルフォード商会は創業以来、基本的に三番頭制を維持しており、それは商いが拡大した現在でも変わりがない。この世界に来た時には既にトーレン、ナスラ、フンメルが今のポジションにおり、全く変わらぬその体制が我が商会を揺るぎ無きものをしている。昔を色々と思い出すと、何故かロバートやナスラと無性に会いたくなった俺だった。


 ――俺はリディアと一緒に街へと繰り出した。春休みに入る前、リディアと約束していた『トラニアス祭』を見物する為である。俺はリディアを呼びに行くに際して、『ムシャヒディン』のカステラを持ってガーベル邸へと赴いた。リサによると訪問する時、挨拶代わりに渡す贈答品の定番が『ムシャヒディン』のカステラらしい。


 どうして店の名前が『ムシャヒディン』などというヤバそうな名前なのかは分からないが、老舗というだけあって味には定評があるらしい。ミカエルの襲爵式の際、ジェドラ商会のウィルゴットが式典に出席する貴族に饗応を行うため、連れてきた店の中に『ムシャヒディン』があって、その時食べたので味の方は大丈夫なのは知っている。


 だがどうしてここのカステラが、人の家に訪問する際に持っていく贈答品の定番になったのかについては、俺は全く知らない。敢えて言うなら現実世界にある、謝罪をする際に持っていくという『虎屋の羊羹ようかん』みたいなものなのだろう。確か羊羹が「固まる」ので、そこから「話が固まる」事を願ってのものだと聞いた。


 俺は五本入りの箱を買って持っていったのだが、リディアの母ヘザーが大喜びしてくれたので、教えてくれたリサに感謝した。家に上がって話をする中、ガーベル家の長兄スタンが父エリックと共に出勤するようになったとリディアとヘザーの二人が話すのを聞き、ドーベルウィン伯が俺との約束を実行に移してくれた事を知ったのである。


 しかもスタンは近衛騎士団の黒服を着たまま勤務しているらしく、近衛騎士団に属している事を隠さずにウィリアム殿下の元へ出仕している事になる。何せ、いつもは冗談めかした事しか言わない、あのスピアリット子爵でさえ真剣な表情になるくらいだ。これは宮廷内、あるいは内廷において波紋を呼ぶ可能性があるだろう。


 リディアの母ヘザーは上機嫌だった。近々サルジニア公国より娘が帰ってくるので、それが楽しみなのだという。この娘とは留学するエルザ王女に随行した、ガーベル家の長女ロザリーの事。一年ぶりに帰ってくる長女と顔を合わせるのが初めてだと、嬉しそうに話す母ヘザーに対して、顔を曇らせる次女リディアとのコントラストが大きい。


 リディアは長女ロザリーの事を凄く恐れていたので、コンプレックスでもあるのかなと思っていたら、単にリディアの方が怖がりなだけであることが最近になって分かってきた。相手の事がよく分からないので、雰囲気などで恐れてしまっているようなのである。まぁ、それは食わず嫌い選手権みたいなもの。今日の話からもそれが窺い知れた。


 あまり喋っていたら祭りが見られないとリディアが言い出したので、俺達は話を切り上げてガーベル邸を後にした。一番喋っていたのがリディアなのに、と思いながらもそれは話さず、リディアの要望に唯々諾々と従う。こういうところ、妙に愛羅と重なって見えてしまい、リディアの話をそのまま受け入れてしまうのである。


「わぁ、今年もいっぱい人がいるわ」


 リディアが言うように、繁華街は祭りを見に来た人で溢れかえっていた。トラニアス祭はよい祭、本祭、後祭と三日間に渡って行われ、今日は本祭の日。宵祭が夕方から、後祭が午前中で終わるということで、一日中祭りが行われる本祭のときが最も人出が多いのだと、リディアの母ヘザーが教えてくれた。


「ほら、グレン。あれあれ」


「おっ、りんご飴か」


 エレノ世界で見たこともないくらい多くの人が行き交う繁華街に立ち並ぶ屋台。その一つをリディアが指さしたのがりんご飴だった。文字はノルデン語だが、文字通りりんご飴の屋台。串焼きや金魚すくいの屋台もある。いずれもノルデン語で「串焼き」や「金魚すくい」と書かれている以外は、全て現実世界の屋台そのもの。


 これはおそらくエレノ製作者によって行われた設定なのだろう。行き交う人々が浴衣姿ではないことや、幕が日本語でないことを除けば、本当に日本の屋台のままなのだから。リディアがりんご飴を欲しがったので、二つ買って俺とリディアでりんご飴を食べた。祭りの屋台なんかでモノを買うなんて何年ぶりなのだろうか?


「ねぇねぇグレン。フレディも居たら良かったのにね」


「だな。フレディは見たそうだったけど」


 正確にはリディアと居たかったのだろうが。止む無くリディアを俺に託したって感じだったし。りんご飴を食べながら話すリディアを見ながら、その時のフレディを思い出した。後ろ髪を引かれる思いというのは、あの時のフレディの事を言うのであろう。繁華街をウロウロしている中で、何やら騒がしい声が聞こえてきた。


「ジャブ! ジャブ! ジャブ!」


 ん? なんだと思って野太い声の方を見ると、その声は神輿を担ぐ声。振り向いた俺はそれを見て茫然となってしまい、手に持っていたりんご飴を落としてしまいそうになった。野郎臭い担ぎ手の男達を見てのことではない。「ジャブ! ジャブ!」と担ぎ手達が妙な掛け声を上げて担いでいる、その神輿を見て絶句してしまったのだ。


(そ、そんなバカな・・・・・)


 なんと神輿の形が西洋の城だったのである。それも精巧な西洋風の城。別の神輿に目をやると、イスラムの建物なんかで見る玉ねぎ形の屋根をした、モスクのような建物の形。そんな妙な形をした神輿を「ジャブ! ジャブ!」という聞いたこともないような掛け声で担ぐ、むさ苦しい男達。余りにも異様な光景に俺は言葉を失った。


「ジャブ! ジャブ! ジャブ!」


 そんな奇妙というよりかは、奇怪といった方がいい、その西洋風の神輿を野太い声を上げながら担ぐ担ぎ手。これが現実世界なら「ワッショイ! ワッショイ!」とか、「セイヤ! セイヤ!」なのだろうが、それがエレノ世界ではどういう訳か「ジャブ! ジャブ!」となっているようである。どうして「ジャブ!」なのかは、リディアに聞いても分からない。


「ジャブ! ジャブ! ジャブ!」


 何台かの屋台が威勢よく繁華街を練り歩いていると、その光景を見ていたギャラリーからも、担ぎ手達の声に合わせて「ジャブ! ジャブ!」と声が上がる。すると、担がれていた神輿は更に大きく揺れた。どうやらこのトラニアス祭の神輿は、観客とも一体となって盛り上がるのが、セオリーになっているようである。


「ジャブ! ジャブ! ジャブ!」


 これまでよりも大きい掛け声と共に繁華街へと入ってきたのは、尖塔の形をした神輿だった。他の神輿に比べて一回り大きいのが分かる。尖塔とはいっても高さがある訳ではない。神輿に合わせたずんぐりむっくりとした尖塔。その上には一角獣、ユニコーンの形をした飾りが付けられている。リディアによれば、あれが水神トラニアスの神輿らしい。


(なんだ、あれは・・・・・)


 神輿も異様ならば、担ぎ手の出で立ちも異様だった。担ぎ手達は皆、頭に角が生えたような、ヘッドギアのようなものを装着している。そして体や腕、足に防具のようなものを付け、水神トラニアスの神輿を「ジャブ! ジャブ!」の掛け声を上げながら担いでいるのだ。身体に付けている妙なものは一体なんだろう?


聖衣クロスって言うのよ」


 なにぃ!!!!! アカンやつやんか、それ! どうして掛け声が「ジャブ!」なのか、聞いた瞬間に理解できた。これはエレノ製作者のやらかしだ! 自分の趣味をゲームに持ち込んだ結果、尖塔に一角獣を付けた神輿という、あまりにも異様で意味不明なものが誕生したのである。ハッキリ言ってやり過ぎだ。だが、祭りはそんな俺を無視して進んでいく。


「ジャブ! ジャブ! ジャブ!」


 水神トラニアスの神輿が登場ということなのか、観客からの掛け声もひときわ大きくなった。「ジャブ! ジャブ!」の声が繁華街を包み込む。隣にいたリディアも「ジャブ! ジャブ!」と声を上げているので、これが本祭のクライマックスのようだ。担ぎ手と観客が一体となった「ジャブ! ジャブ!」の掛け声と共に、繁華街は熱気に包まれる。


「小麦! 小麦! 小麦!」


 は? 掛け声が突如変わったのである。そしてその掛け声はまたたく間に広がり、観客の声もあっという間に「小麦! 小麦!」の声へと変わっていく。繁華街の掛け声はあっという間に小麦一色となった。

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