437 死して屍拾うもの無し

 月刊誌『無限トランク』が「王国、小麦対策に全力!」という見出しの号外を出したのは、アンドリュース侯爵邸に訪問した翌日のこと。朝の鍛錬の時にリサが持ってきてくれたのだ。号外によると、宰相府が債権を発行して小麦対策費用の資金の調達を行い、既に陛下の裁可も下ったと書かれている。記事を読んでいるリサが言った。


「『無限トランク』が出し抜いたの」


 半ば呆れたように言うリサ。どういうことなのかと思ったら、他社が号外を出して報じるか報じないか悩んでいる間に『無限トランク』が、号外発行に踏み切ったというのである。昨日に『週刊トラニアス』、来週に『小箱の放置ホイポイカプセル』と『蝦蟇がま口財布』の発行が控えている中、間隙を縫って出したというのだ。


「どこも号外を出すか、悩んだと思うわ」


 『週刊トラニアス』は昨日出したばかりで、『小箱の放置ホイポイカプセル』と『蝦蟇がま口財布』は来週初めに発行するため、号外を出すタイミングから外れていたのである。対して『無限トランク』は二週間前に発行されており、号外を出せる素地が十分にあったということである。


「『翻訳蒟蒻こんにゃく』は?」


「再来週発行だから、二の足を踏んだのかもね」


 今号外を出して、約十日後に定期刊が発行される。そういうことで、号外を躊躇したのだろうか? ここの国の号外は、発行することによる広告収入で成立させている部分があり、広告主が確保できる自信がなければ、号外を出すのを躊躇するの当然だと言える。いずれにせよ、国債発行のネタに関しては、『無限トランク』が一番槍なのは間違いない。


 その『無限トランク』の号外記事を詳しく読むと、小麦の凶作に係る事態に適切なる対処を行うため資金を確保。以て小麦対策を行い、ドーベルウィン伯の統帥府軍監への起用と合わせ、王国は万全の体制で当たる方針であると纏められていた。小麦が不足しているとか、高額であるという具体的な文言は敢えて避けたのであろう。


 暴動を「紛擾ふんじょう」と伝えたりするのと同様で、お上である王国に憚りながら伝えなければならぬ空気がノルデンにはあるという事。この辺り、今の現実世界とは大きく異なる部分。昔はそんな感じだったのかもしれないから、この部分に関してはエレノ世界がおかしいとは言えないだろう。


「ねぇ、昨日のアンドリュース侯爵邸の訪問はどうだったの?」


「侯爵より、令嬢の留学のお許しが頂けたよ」


「良かったわね」


「ああ。大事おおごとが終わったよ」


 偽らざる心境だった。殿下やクリス達から訳も分からぬ状況から、いきなり頼まれた話なので、これが無事に出来たことで安心としたのは事実。しかし侯爵との会見が終わった後、カテリーナの母である侯爵夫人とピアノ談義になるなんて思いもしなかった。留学先のサルジニア公国でピアノに魅了された夫人は、卒業後も講師の指導を受けていたらしい。


「しかし講師の方がサルジニア公国に帰られてから、学園で音楽を教えられる方がいなくなりましたの」


 このピアノ講師。夫人が留学中から師事していた講師で、夫人の招きで来訪し、学園のピアノ講師となった。夫人は学園を卒業した後も学園に通ってピアノを続け、アンドリュース侯爵家に嫁いだ後も、屋敷に講師を招待して引き続きピアノを教授してもらっていたそうである。ところが、その講師が老齢に達したとして祖国に帰ってしまったという。


 人というのもの年には勝てないので、それは仕方がないのだが、そのピアノ講師には後継者がいなかった。その為、学園に音楽の授業がなくなってしまい、夫人の方も師事する講師がいなくなってしまったので、ピアノを弾く機会が減ってしまったというのである。夫人が事情を話し終わった後、カテリーナが言った。


「わらわは母上の演奏を見て、私には無理だと思ったのじゃ。だからピアノは弾けぬ」


「グレンは弾けるよな」


「ロタスティでの演奏が凄かったそうよね。『学園舞踊会』の演奏も上手でしたわ」


 カテリーナがピアノを弾けないと話していたのを聞いたディールが、何故か俺に振ってきた。それを受けてクラートも話し始める。話を聞いた侯爵夫人が「まぁ、今の学園に弾き手がおられますの」と目を輝かせた。いやいやいや、長年ピアノ講師に師事されていた夫人の方が、確実に腕は上だから。


「そうじゃ。殿下もアルフォードの演奏をお気に召しておられておられるのじゃな。わらわは聞く機会が無かったのじゃが、留学が決まったことを記念して一曲聞かせたもれ」


 カテリーナがせがんできた。そんなのいきなり振られても困るじゃないか。侯爵夫人も「急な話ですが、是非にも一曲を」と話されてた。急に弾けと言われても、中々そうはいかない事ぐらい分かっておられるではありませんか貴方、と言いたかったが、そんな事を言えるような空気ではない。俺は成り行きざまにピアノを弾かざる得なくなってしまった。


 弾いた曲は「隠密同心のテーマ」。大江戸捜査網という昔の時代劇のクライマックス、悪役達を斬りまくるシーンで使われる曲。侯爵邸に訪問する前に弾いてたのがこの曲なのだから仕方がない。実は『学園親睦会』でカテリーナがモーリスから婚約破棄を言い渡された後、レティやクリス、殿下らが登場してからずっと脳内で再生されていたのだ。


 あの時のレティを始めとする登場の仕方が、この大江戸捜査網の口上というか名乗りと似ていたので、この「隠密同心のテーマ」を弾いていたのである。これを弾きながらレティの声で「やいモーリス! お前の悪事も今日で年貢の納め時」とか、クリスの声で「逃げようったって、そうは問屋が卸さないよ!」なんて聞こえてくる。


「隠密同心 電閃でんせんレティ!」(カーン!)

「同じく 剣豪騎士カイン!」(カーン!)

「同じく 紅炎こうえんクリス!」(カーン!)

「同じく 正嫡従者フリック!」(カーン!)

「そして正嫡殿下、アルフレッドだ!」(カーン!)

「またの役は隠密支配じゃ!」(カーン!)

 

 五人揃ってゴレンジャー! じゃないが、そんなシーンが脳内で無駄に再生されていく。そんな曲をアンドリュース侯爵邸の広間で演奏するというのだから、違和感アリアリだった。だが演奏が終わると侯爵夫人もカテリーナも大喜びで、ディールやクラートも拍手で応えてくれ事から、無難に演奏できたのだとホッとしたのである。


 しかし侯爵夫人が俺の演奏について「先生よりも上手い」と評してくれたのは嬉しかった。お世辞でも「上手い」と言われれば、嬉しくない者はいないだろう。ただその後、おだてられて四曲も弾くハメとなってしまい、挙げ句の果てに、夫人がまさかの「エレノオーレ全曲集」のピースを持ち出してきたのは想定外だったが。


「良かったじゃない。ピアノが弾けて!」


 リサがニコニコ顔で言う。いやいやいや、俺のピアノは人に聴かせるものじゃないから。俺が弾きたいから弾いているだけの話で、他人に聴かせるものじゃない。そんなレベルになんて正直到達していないから。そう思っていたら、リサが話題を変えてきた。


「こっちもディール家の帳簿は調べ終わったわ」


「何かあったのか?」


 リサの表情を見て何かありそうだったので尋ねると、帳簿の中に書かれていない欠損がいくつもあったらしい。その額合わせて約三五〇〇万ラント。子爵家の歳入の六分の一を占める額ということで、侮れない数字である。話を聞くに、どうやら子爵が簿外で借財を作っていたようである。その中身は不明らしいが、言えぬ借財である事は間違いがない。


「もしかして、小麦取引の利益で帳消しに・・・・・」


「そうでしょうねぇ」


 いつものニコニコ顔で言うリサ。子爵が小麦に入れ込む動機としては、十分過ぎる理由だ。リサは子爵だけではなく、嫡嗣 の借財も含まれているのではないかと睨んでいるようである。


「シモーネ夫人もそうおっしゃっていましたわ。敢えて子爵や に問わずに、小麦相場の上昇で穴埋めしましょうという話になったわ」


「シモーネ夫人?」


 子爵夫人よとリサが言うので納得した。シモーネという名前だったのか。どうやら子爵夫人とは気脈を通じる仲になったようである。話によるとディール家には二人の子爵夫人がおり、一人はディールの母シモーネ、もう一人はそのシモーネが「母様」と呼ぶ、ディールの祖母ラヴィニア夫人。このラヴィニア夫人と会うために子爵領に赴くという。


「ディール家の陪臣、ラヴァン男爵家とトージア男爵家の帳簿を見てくるわ」


「いつから行くんだ?」


「今日からよ」


 急だな。思わず言うと、「お父さんだって、いつも急じゃない」とリサに返されてしまった。確かにそうだ。ザルツも三人で会食した翌日に「モンセルに戻る」と言って、さっさと発ってしまったのだから。王国の債権話にケリがついたから帰ると話をしたのをザルツは即、行動に移したのである。どうやら急に動くのはアルフォードの気質らしい。


「それに急がなきゃいけないのよ」


「何かあるのか?」


「クラート子爵が領地で倒れたディール子爵を見舞いに、子爵領へ向かったのよ」


「なにぃ!」


 リサの話によれば音信不通となってしまったディール子爵と話をしようと、見舞いに向かったのではないかとシモーネ夫人が見ているとのこと。その話とはおそらく小麦取引の話であるはず。ならば詳細を子爵領にいる「母様」ラヴィニア夫人に伝えなくてはと、リサが急遽向かうことになったというのである。


「高速馬車を走らせればこちらの方が先に着くわ」


 クラート子爵はディール子爵領へ家にある貴族客車で向かったらしい。貴族客車は普通馬車よりも装飾がなされており、重量があるので遅い。おまけに途中、知り合いの貴族家に寄るだろうから、到着するのはかなり遅くなるのではないかとシモーネ夫人が言っていたそうである。それなら高速馬車を飛ばせば、リサの方が先に着く。


「ラヴィニア夫人がどのようになされるか、楽しみだわ」


 ニコニコ笑うリサ。いやぁ、わざわざ「母様」ラヴィニア夫人の餌食になりにいくクラート子爵を見物だ! みたいなノリがヤバすぎる。リサに対するべき敵じゃなくて本当に良かったよ。邪悪に笑うリサを見て、心からそう思った。

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