436 偶然
ウェストウィック公爵嫡嗣モーリスがアンドリュース侯爵令嬢カテリーナに対して、一方的に宣言した婚約破棄。この後処理を巡って強い不満を持ったアンドリュース侯と嫡嗣アルツールは、ウェストウィック家と婚約話を仲介したアウストラリス公との対決を決意しつつあった。
それを抑えようとカテリーナは説得を試みるも、父も兄も中々その説得話を聞こうとはしない。そこでカテリーナは事実を世に知らしめようと、雑誌の活用を提言した上で、何故か俺を引き合いに出してきたのである。
「雑誌の伝搬力というもの、侮りがたいものがあります。民は事の美醜に敏感でございます。我らの家と相手の家、どちらの振る舞いが美しく、どちらの振る舞いが醜いのか、審判頂こうではありませぬか」
「・・・・・して、アルフォードよ。貴公はどう思う」
いきなり振られてしまったので、目が点になってしまった。もしかしてカテリーナが今、話をしている件。俺が考えていると思っているかも知れない。だが俺は全く知らない話なのだ。だから俺は、自分が知っている話。メガネブタと俺との戦いについて話をした。
「私めは『常在戦場』と悪巧みをしていると、根も葉もない話を書かれたのを訂正してもらいたい一心でございました。ところが相手にその気がない為、事実を世に訴えて知らしめるという方法を採りました。結果としては最後まで相手は非を認めませんでしたが、天と大衆が相手を断罪致しました」
「つまり貴公は事実を世に知らしめて戦ったと」
「はっ。ご存知のように『常在戦場』は宰相府に臣従儀礼を行っている身。憶測を事実として書き記し喧伝するなど以ての外でありまして、そのような方法で相手と対峙したのでございます」
「・・・・・では、我が正義は通るのであろうか?」
俺の話を聞き終えた侯爵は、改めて質してきた。だが、この質問。非常に難しい。というのも、己が正義であると思った事であっても、通らない方が圧倒的に多いからである。自らが考える正義とは相対的なものであって、絶対的なものではないのだから。俺はそれを念頭に置いて話す。
「それは断ずることはできませぬ。ですがこの婚約破棄の一件で、侯爵令嬢と侯爵家に一遍の非なし、と知らせる事は出来まする」
「うむ。我が家の主張を知らしむる事はできると申すのだな」
「だが、それだけではいかにも弱い」
頷く侯爵に対して、嫡嗣は不満足なようである。確かに華々しく宣言して対峙する事を考えれば、何とも地味な話。やる前から不完全燃焼になるのは目に見えている訳で、「直情径行が玉に瑕」というアルツールからしてみれば、自身の気質に合わぬやり方なのは明らかである。
「正嫡殿下のお言葉を以てしても弱いと申されますか?」
「で、殿下だと・・・・・」
「正嫡殿下は申されました。「ウェストウィック卿の独断で婚約破棄を宣言した事、『学園親睦会』に参加した全ての者が証人である」と。この事実を嘘偽りであると、誰が申すことができましょうか」
「まさか、それを・・・・・」
これにはアルツールが仰け反っている。まさか妹が殿下の発された御言葉の是非を巡って争わんと考えているなど、思ってもいなかったのだろう。しかしこの手口、いかにもクリス風味なような気がするのだが・・・・・
「殿下
「正嫡殿下が我が家の為、そこまでのお覚悟を示されておられたとは・・・・・ 勿体ない話じゃ」
話を聞いた侯爵は感涙している。確かにこれまで王室の者が、誰かに肩入れしたという話を聞いたことがない。相手の家から一方的な婚約破棄を突きつけられ、派閥領袖からも見捨てられるという、貴族としての立場がないアンドリュース侯爵家にとって、正嫡殿下アルフレッド王子の言葉とその使用の承諾は心強いものなのだろう。
「して、余はどうすればよいのじゃ」
「ウェストウィック公爵家より送られてきました婚約破棄の通告書面をお渡し下されば」
「うーむ」
娘からの提案に、侯爵は考え込んだ。おそらくは貴族間のやり取り、しかも婚約破棄というようなデリケートな書面を大っぴらに公開する行為について、侯爵は躊躇しているのであろう。家の面子的にも、娘の身を案ずる親としても、積極的に公開したいような文書ではないのは俺でも分かる。しかしカテリーナが公開を望んでいるならば・・・・・
「失礼ながら「さる消息筋」からの話として、このような話も洩れ伝わると・・・・・」
「「さる消息筋」だと?」
「はい。「さる消息筋の話によれば、公爵嫡嗣の話を鵜呑みとした公爵家が、その文言を侯爵家に送りつけたとされている。これが事実であるならば重大な誤認であり、王妃殿下を輩出した公爵家の権威に傷が付きかねないと、一部では囁かれている」とか」
「な、なんと!」
俺の話を聞いた侯爵は呆気に取られている。するとこれまで全く言葉を発していなかった侯爵夫人が聞いてきた。
「誰かが想像でモノを言ったのですね」
「そうですわ、母上。私達の知らぬ者が勝手に「公爵家が書面を送った」と、思ってしまいましたの」
「偶然なんですよ、偶然。偶然、事実と一致してしまったのです」
カテリーナの言葉に俺が続いた。すると、侯爵がプルプルと肩を震わせている。
「偶然か・・・・・ 実に愉快な偶然だ!」
そう言うと侯爵が笑い始めた。続いて夫人やカテリーナも笑い出す。それに釣られてかディールやクラートも笑い始めてしまった。
「な、何がおかしいのですか?」
突如変わった空気感に、一人戸惑う嫡嗣アルツールは周囲をキョロキョロしている。直情型であるアルツールは、おそらく話が飲み込めていないのだろう。カテリーナが言った。
「お兄様。事実に基づかぬ話を信じ、相手に通告を出した事を知られて困るのはどなた様でしょうか?」
「誰かが想像したことが、全て事実だったとするならば、王家も巻き込む由々しき事態ですわ」
「アルツール。偶然にも事実だった。故に当家は何ら感知していない。一切関知していないのに、偶然にも全てが事実。愉快ではないか」
まるで伝言ゲームが如く、カテリーナ、夫人、侯爵と話を続ける。これには、鈍感なアルツールも気付いたようだ。
「な、なるほど! 誰かが想像した話が事実で、それが殿下のお墨付き。話が伝搬して困るのはウェストウィック家であって、我が家は無関係!」
「そして傷心の私めは、サルジニア公国へ留学する為に旅立ちました」
カテリーナがそう言うと、侯爵も夫人も嫡嗣も大いに笑った。
「カテリーナよ。お主の意図、相分かった。留学に行くが良い」
「父上!」
「一つ聞くが、本当にそれで良いのだな」
「はい。偶然にも母上の留学先へ私も赴く機会に恵まれたのは、天命だと思っております」
「よし、カテリーナ。全てはお前に任せよう。アルツール、公爵家よりの書面を渡すように」
「はい」
話が終わった侯爵と嫡嗣アルツールは、広間を後にした。残った夫人は立ち上がり、カテリーナに近づく。
「カテリーナ。貴方、サルジニア公国への留学はいつ赴くことになるのですか?」
「出来うる限り早く出立したいと思います。既に留学を終えられたエルザ殿下が、サルジニアを発たれたそうですので」
本来ならば留学期間を終えたエルザ王女と、新たに留学する生徒が「交代式」なるものを首府ジニアで行う習わしであるそうなのだが、留学予定者であったアマル=フラース伯爵嫡嗣ビンセンドが留学を辞退したことから「交代式」を行わず、王女は帰途に就いているのだという。故に急ぎサルジニアへと赴かなければならないそうだ。
「では、お前と顔を合わせるのも残り少ない時間だね」
娘にそう語りかける侯爵夫人は何処か寂しそうであった。エレノ世界であろうと、貴族であろうと、母親の情の深さが変わることはない。その夫人はディールやクラート、そして俺にも声を掛け、今日の会見への出席を労ってくれた。
「我が娘に助力頂いたこと、礼を申します」
「私からも改めてお礼申します」
侯爵夫人とカテリーナ。公爵家の母娘二人から礼を述べられて、俺だけではなく、ディールとクラートも少し困った感じになってしまった。が、そこは貴族子弟のディールとクラート。ディールが「我が身及ばずながら御助力致す事が出来、光栄至極」と答え、クラートが「お礼を頂きまして無量にございます」と優雅に返す。
対して俺は「ありがとうございます」という、在り来たりな言葉を述べて頭を下げるのみ。現実世界でもそんな感じでしか挨拶をしたことがないのだから、これはしょうがない。高い御身分の振る舞いなんて、俺にはサッパリな話なのである。ディールとクラートが侯爵夫人やカテリーナと言葉を交わす中、何故か話題はこの広間にあるピアノの話になった。
「あれは嫁入りの際、私めの為に閣下がお買いになりましたの」
ピアノの謂われを聞いたディールに、夫人が嬉しそうに話した。あの厳しい感じの侯爵が、結婚する夫人の為にグランドピアノを用意したとは! サルジニア公国で買い求めたというのだから、本気度が全く違う。話によるとピアノはノルデンでは作られておらず、全てサルジニアから輸入されているとのこと。
次々出てくる意外過ぎる話に驚いていると、夫人が更に話を続ける。サルジニア公国へ留学中にピアノと出会った夫人は、ピアノに熱中したらしい。そして留学を終え、帰国した後も学園の器楽室に籠もって練習を続けたことで、少しは曲が弾けるようになったそうである。
「ピアノの先生は・・・・・」
「サルジニア公国よりお招きしまして、学園の講師となられました」
なんと! アンドリュース侯爵夫人が講師を連れてきたのか! 当初、器楽室が無かったのだが作ってもらい、選択授業として音楽の授業も行われていたというのである。だから器楽室が充実していたのか。エレノ世界の謎がまた一つ解けた。まぁ、解けても何の役にも立たないのだが、この世界でのピアノの伝播ルートを知ることは出来た。
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