435 一発着火

 『学園親睦会』の場で、婚約者カテリーナに婚約破棄を宣言したモーリス。そのモーリスの実家ウェストウィック公爵家が、カテリーナの実家であるアンドリュース侯爵家へ、この件に対して何か説明をしたようである。だがカテリーナの兄で、アンドリュース侯爵家の嫡嗣アルツールの怒りを見るに、実際の話と全く違う事を説明したのではないか。


 まさかウェストウィック公爵家は、モーリスの言をそのまま飲み込んで伝えたのではないだろうな。だとすれば、あのモーリスのこと。己の不利になる話など絶対にしないのは確実。だとすればウェストウィック家は大恥を掻きかねない。というか、アルツールの反応を見るに、そのまさか・・・以外の理由が思い浮かばなかった。


「侯爵閣下、申し訳ございません。侯爵令嬢が係る事態に直面しておられる中、同じ派に属しているにも関わらず、何ら行動を起こせませんでしたことお詫び申し上げます」


 クラートはそう言うと、侯爵に向かって深く頭を下げた。クラートの突然の行動に、俺はどんな顔をすればいいのか分からず戸惑ってしまう。貴族にとって、それほど派閥の構成員というものは重いものなのか? クラートの言葉にディールも続く。


「本来ならばウェストウィック卿が派閥の子弟を呼び出した状況で、同派に属しておりまする私めも飛び出さねばならぬところ、私以下誰も行いませんでした。申し訳ございませぬ」


 この事態に、カテリーナも驚きの表情を浮かべている。まさか二人がそんな事を思っているとは思わなかった。それは俺もカテリーナも同様だろう。確かに相手が派閥貴族の子弟を動かしてきているのに、アウストラリス派の副領袖とも称されるアンドリュース侯の令嬢を守るため、同じアウストラリス派の貴族子弟が誰一人出てこなかったのは事実。


「何もそこまで・・・・・」


「侯爵閣下! 閥外のリッチェル子爵夫人が令嬢を守るべく、一人身を乗り出しているにも関わらず、私めはただそれを傍観するのみでございました。今改めて考えるに至り、恥じ入るばかりでございます」


 二人の言葉を受けて戸惑う侯爵に向かって、平身低頭しながらディールは言う。


「ディール殿、確かにリッチェル子爵夫人の助勢、心強かったのは事実です。ですがあの状況下、ディール殿やクラート殿が前に進み出られるような状況ではございませんでした」


 ディールとクラートの話を聞いたカテリーナが当時の事情を話し、ディールとクラートを擁護した。全くカテリーナの言う通りだし、本当に前に出られるような空気ではなかったのだから、出るのが難しいのは当たり前。しかしカテリーナ、思った以上に心配りが出来るようだ。俺にとっては、むしろそちらの方が驚きである。


「相手は公爵家の嫡嗣。容易に向かい合うことなぞ出来ぬだろう。そちのその言葉だけでもりょうとしようぞ」


 ディールの悔恨かいこんの念を侯爵は受け止めた。また侯爵はクラートに対しても「よくぞ申してくれた。その気持ち、ありがたく受け取るぞ」と声を掛け、ディールとクラートは深々と一礼をしたのである。それに対して収まらないのは、アンドリュース侯爵嫡嗣のアルツール。アルツールは憤懣やる方ないと、声を荒らげた。


「しかし、それにしても派閥の子弟を呼び寄せて回りを固めるとは、何たる卑劣ぶり! 父上、あの者はカテリーナに相応しくない男。あちらが出してきた文書を突き返し、こちらから破談を通告しましょうぞ」


「アルツール! これまでの話を聞くに、そちの言う通りじゃ。カテリーナに何ら落ち度がないこと、明らかではないか! 我が家は相手の話を受けず、こちらから破談すべきだろう」


「父上!」


 これまで押さえつけていた嫡嗣の言葉を侯爵はそのまま受け入れた。ディールとクラートの話を含め、モーリスの振る舞いは相当悪質だと判断したのだろう。しかしさっきから気になっていた話だが、ウェストウィック家は事情の説明を口頭ではなく、文書でアンドリュース家に通知したようである。


 しかし一体、どんな文書をアンドリュース家側に送ったのであろうか? アンドリュース侯爵と嫡嗣アルツールから感じる怒りから察するに、俺の予想通りモーリスの言葉をそのまま受けて書かれたものである可能性が濃厚だ。もし本当にそうだとすれば、収拾なんてつかないのではないか。


「アウストラリスからも何ら言葉もないからな。カテリーナに非がない以上、我が家の面子に賭けて、事を構えるしかあるまい」


 え! 派閥領袖のアウストラリス公を呼び捨てにしたぞ。侯爵の言葉に我が耳を疑った。同じ貴族派であり、かつ同じ派閥の領袖と副領袖である筈なのに、この関係はどういう事なのか? その辺りの事情について聞いてみたいが、今は聞けるような空気ではない。そもそも商人子弟の俺がディールら貴族子弟と共に、ここに立っている事すらあり得ない話。


「彼奴め! 婚約話を周旋しておきながら、このような事態に至ってそっぽを向くとは。それで派閥領袖とは聞いて呆れる!」


 全く予想外の回答だった。モーリスとカテリーナの婚約話をまとめたのがアウストラリス公だったとは。そのアウストラリス公は、風向きが悪いと考えたのか、どうやら見てみぬフリをしているようである。それでは同じ派閥、しかもナンバー二の副領袖と言われるアンドリュース侯からすれば、その振る舞いは許しがたいだろう。


「して、父上。どちらの側からお始めになりますか」


 嫡嗣のアルツールの言葉を聞くに、何故かやる気満々だ。貴族派筆頭と言ってもよいアウストラリス公爵家とマティルダ王妃の出身家であるウェストウィック公爵家。二つの権門相手に有力侯爵家とはいえ、一家のみでどう対峙しようというのか。外野から見ても無謀ではないかと思う。するとカテリーナが言葉を発した。


「父上、兄上。御自制下さいませ。私めは他の家と相争う我が家を見とうて、この場におるのではございませぬ。私の留学のお許しを頂きたく参上致しました」


 これには二人がギョッとしている。唯一夫人のみが表情を崩さず座したままだ。嫡嗣アルツールがカテリーナに言う。


「カテリーナよ。お前は留学で良いかも知れぬが、我は家は泥を塗られたようなもの。このまま黙って引き下がる事、相成らぬぞ!」


「私の留学をお許しいただき、それを以てこの話を終わりにすべきと申し上げます」


「カテリーナ!」


 アルツールが激昂した。本当に「直情径行が玉に瑕」だ。アンドリュース侯爵家の嫡嗣はすぐに火が付いてしまう。


「兄上。私めは家の事を思うて、モーリス様との婚約話を了と致しました。ですが、残念ながらこの有様。その上、この話を理由として他家と対峙するとあっては、我が家を危機に晒すようなもの。それは家の事を思うてやって参りました私にとっては痛恨の極み!」


 カテリーナの切実な訴えに、壇上の三人は感情を動かされたようだ。瞬間湯沸器のような嫡嗣アルツールは沈黙し、夫人はハンカチを手にとって目頭を押さえた。侯爵の溜息が聞こえた事から、娘から頑固者と評された侯爵も、娘の言葉に心を揺り動かされたようである。


「改めて申し上げます。今、私とモーリス様の婚約破棄を以て、ウェストウィック公やアウストラリス公と事をお構えになられるのは家の為になりませぬ。私を娘、妹とお思いなされるのでありましたら、私のサルジニア公国への留学を御了解頂き、それを以て鉾をお納め下され」


「・・・・・とは申してもカテリーナ。婚約とは家と家とが行うもの。それをお前に非がないにも関わらず、それを理由として破談を通告されたとあっては家の沽券に関わる。黙って見逃せと申しても、それは成らぬぞ!」


 全ては無かったことにすべきというカテリーナの説得を侯爵は払い除けた。ウェストウィック家はやはりモーリスの言葉を鵜呑みにした上で、婚約破棄を通告してきたようである。非のない娘を破談の名分にされたら侯爵も引けないわな。しかしカテリーナは後に引かない。


「当初父上はこのお話に難色を示されておられました。それを私めがお願いして婚約の話を進めて頂けたのです。それがこのような結果になりましたのは、全て私の不明の致す所。その上、この話で家が危うくなるとあっては、私は耐えられませぬ」


「ウェストウィック家やアウストラリス家と疎遠になるからといって、危うくなるような我が家ではない!」


「いいえ。仮にも王妃家と貴族派筆頭家。二つの権門を相手にできるほどの政治力を我が家が持っておるとは思えませぬ。ですので正面切って対峙するのは愚の骨頂と考えまする」


「愚の骨頂とは何事だ!」


 アルツールの怒りは収まらない。この嫡嗣、本当によく燃える。貴族界の一発着火ワンショットライターと呼んでも支障あるまい。しかし傍から聞いているとカテリーナの言が正しいと思えるのだが、貴族社会の真っ只中にいる嫡嗣からするとそうはいかないようである。二人のやり取りを聞いていた侯爵は言った。


「カテリーナよ。そちの言わんとする事、よく分かるぞ。が、こちらに非がない話をあたかもこちらに非があるかのような文言で通告してきた以上、唯々諾々と受け入れる訳にはいかぬのじゃ」


「では、唯々諾々でなければお引きいただけるのですな」


「カテリーナよ。それはどういう事だ」


 カテリーナの言葉に、侯爵は思わず身を乗り出した。


「この事実を天下に向かって白日のものとするのです」


 えっ! 俺はギョッとした。まさかこの話を雑誌に載せるとか言うんじゃないだろうなぁ。侯爵は戸惑いつつも、カテリーナに真意を訊ねる。


「雑誌でこの事実を広く知らしめるのです。そちらにおりまするアルフォード殿の事、我らも見習うべきでございます」


 皆の視線が一斉に俺へと注がれた。どうしていきなり俺の話が出てくるのだ、カテリーナ。部外者かつ貴族ですらない俺が、何故か話の真ん中へと引きずり出されてしまった。

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