434 アンドリュース侯爵家

 王妃家であるウェストウィック公爵家の嫡嗣モーリスと、貴族派第一派閥アウストラリス派の重鎮、アンドリュース侯爵の令嬢カテリーナとの婚約話。その話に慎重であったアンドリュース候を説得したのが、他ならぬカテリーナであったというのだから皮肉なものである。


 カテリーナが言うには、昔のモーリスはあのような性格ではなかったらしい。話を要約すれば、元は優しい貴公子だったというのだから驚いた。それもあって婚約話を耳にして、両家の婚約はアンドリュース家にとっても自分にとってもプラスになると考え、積極的に話を進めたのだという。


「じゃが、結果は父上の危惧が正しかったのじゃ。わらわの見立てが甘かった。ここは潔くお詫びをして、この留学の話を父上に受け入れていただけるかどうかじゃ」


 淡々と語るカテリーナの話を聞いて、ある面クリスよりもしっかりしているなと思った。もしクリスがカテリーナの立場であれば、高ぶる感情を抑えきれず、荒ぶることが目に見えているからである。その辺りまさにゲーム上のクリスそのままなのだが、むしろカテリーナの方が大人であって、クリスの方が年頃の令嬢らしいのではないかと思う。


 カテリーナとの事前の話し合いで色々な事を知ることができた。その中の一つ、カテリーナの女従者が、シエーナ・ナーオミ・ブロンテットというアンドリュース侯爵家の陪臣男爵の息女であるという話。どうでもいいと言えばどうでもいい話なのだが、男女の従者のうち、女の家の方が男の家よりも序列が高いのは珍しい。


 それとこの話にはもう一つ意味があって、本日アンドリュース侯爵家から迎えに来る代表者が、このシエーナの父ブロンテット男爵だという部分。ブロンテット男爵はアンドリュース侯爵家の家宰かさいという地位にあり、王都の屋敷に当主が不在の際には代わりに屋敷一切を取り仕切る立ち位置にあるそうだ。


 丁寧に事情を説明してくれたカテリーナの話を聞くに、家宰という役。どうも執事長や家令などよりも権限が強そうである。アンドリュース侯爵家のそれは、アーサーのボルトン伯爵家やレティのリッチェル子爵家、クリスの実家ノルト=クラウディス公爵家とも家の仕組みが違うようだ。ノルデンの貴族家は家単位で、しきたりが異なる部分が多い。


 アンドリュース侯爵家から迎えの馬車がやってきたのだが、六台連ねてやってくるという、全く意味不明の車列を組んできた。カテリーナが「堅苦しい家」だと話した意味が、これだけで分かってしまうのだから、それはそれで凄い話である。この迎えを受け入れる為、わざわざ寮の部屋まで戻って待たなければいけないという、カテリーナも大変である。


 カテリーナを迎えに来たアンドリュース侯爵家の者達、家宰ブロンテット男爵、護衛騎士、衛士隊長と衛士十人が恭しく女子寮の前に到着すると、女従者シエーナが寮の玄関前で迎えの挨拶を受け、主人を呼びに行くという謎の「儀式」が展開されている。俺やディール、クラートは男従者シュラーと共に、一列に並んで風変わりなその光景を見ていた。


 シエーナを伴いロビーに降りてきたカテリーナの前を衛士が左右に並ぶ。その中を通ってカテリーナは外に出て、家宰ブロンテット男爵の挨拶を受ける。一行は馬車溜まりに向かい、順次馬車に乗った。一台目に四人の衛士が乗り込んだのはいいが、二台目にはなんとカテリーナと護衛騎士だけが乗車したのである。


 二人の従者はカテリーナと乗車せず、四台目の馬車にブロンテット男爵と衛士隊長と共に乗車。俺達は三台目の馬車に乗った。五台目には四人の衛士が乗ったのは言うまでもない話である。車列の位置から考えて、俺達は客として遇されているようだ。ディールとクラートが「破格の扱い」だと驚いている。全員が乗車すると、車列は侯爵邸へと向かった。


 アンドリュース侯爵邸は王宮近くに位置する、貴族達の屋敷が立ち並ぶ一角にあった。屋敷の大きさはノルト=クラウディス公爵邸よりも小さいが、俺が持つ黒屋根の屋敷よりかは大きい。黒屋根の屋敷は元々レグニアーレ侯が所有していた建物であり、家の格としてはレグニアーレ候よりも、アンドリュース侯の方が上なのだろう。


 というかノルト=クラウディス公爵家が別格なのだ。ノルトとクラウディスという二つの地方を中心に、国土の一割に相当する土地を領有しているのだから当然か。いずれにせよボルトン伯爵邸を見る限り、公爵家や公爵家の屋敷と伯爵家の屋敷では規模が違う。もっとも、現実世界の俺の家はリディアの実家ガーベル卿の家よりも小さいのだが・・・・・


 カテリーナが言うように、侯爵邸に到着してからも様々な「しきたり」が繰り出されていた。例えば執事達が横一列に並び、執事長が口上を述べるなんて、謎でしかないだろう。そのお陰で屋敷の主であるアンドリュース侯爵夫妻と嫡嗣の三人と顔を合わせるのに、三十分くらいかかってしまったのである。いやいや「恐るべし儀式」としか言いようがない。


 俺達が通されたのは天井の高い広間だった。ファンタジー世界などで描かれる、謁見の間のような雰囲気の部屋。これまで貴族の邸宅を訪れて、このような間に通された事はなかった。強いて言えばリッチェル城の大広間ぐらいか。クラウディス城やボルトン城では応接間に通されたので、このような広間をエレノ世界で見たのは初めてである。


 だが、特徴的なのはそれだけではない。おそらくはアンドリュース侯爵家で行われる公式な儀礼で使われるであろうこの広間の中に、何故かピアノが置かれているのだ。広間に入って、すぐにピアノへ目が行ったので、これはもう性なのだろう。ただディールもピアノがあると思ったようで、一瞬目が合ってしまったので、思わず苦笑してしまった。


 正面中央、一段高い段に侯爵が鎮座し、右に夫人、左に嫡嗣アルツールが着座している。侯爵と面対してカテリーナが立ち、その後ろを二人の従者シュラーとシエーナが控えるという図式。俺達はカテリーナの右脇少し下がった所にディール、クラート、俺という順番で広間側壁を見るという立ち位置。もちろん椅子は用意されてはいない。


 会見は黄金の顎鬚あごひげを蓄えている、見るからに謹厳実直そうな侯爵がカテリーナに今回の事態について問い質すところから始まった。これを受けてカテリーナは起こった事態の概要を説明する。すなわち『学園親睦会』の最中、婚約者であるウェストウィック卿モーリスから婚約解消を告げられた件について、淡々と説明した。


「係る事態を引き起こすに至りましたこと、慚愧に堪えませぬ。私めの力量の不足により家名をけがす結果と相成りましたこと、お詫び申し上げます」


 カテリーナは静かに頭を下げ、後ろに控える二人の従者もそれに続いた。まだ十六と若いのに、なんとしっかりしている事だ。俺らの世界じゃまず考えられないなと思っていたら、正面真ん中に座るアンドリュース侯爵が、事態の詳細について詳しく述べよと返してきたので、カテリーナがディールに視線を送って、ディールが俺に向かって頷く。


 これは出発前にロタスティの個室で行われた、カテリーナとの打ち合わせの中で決まっていた段取り。事情を説明するのに貴族子弟のディールやクラートよりも、貴族社会内における利害関係のない平民の俺が話したほうが良いであろうという、カテリーナの判断からだった。俺は説明の諒承を侯爵に求めると、侯爵は黙って頷いた。


 俺は当日の状況からではなく、それ以前の出来事から話を始めた。つまり俺が目撃をしたこと、すなわちカテリーナがモーリスの行動を諌め、それをモーリスが聞き入れないという場面に度々遭遇した事を話したのである。それを聞いた夫人の顔色が曇った。俺はそこから『学園親睦会』の当日、俺が目撃した部分から話していく。


 突き倒された感じで地面にしゃがみ込むカテリーナ。そのカテリーナに向かって、モーリスがあらぬ嫌疑。モーリスお気に入りのポーランジェ男爵息女エレーヌに対する嫌がらせを婚約者カテリーナが行っていると指弾した後、モーリスが一方的に婚約破棄を宣した流れを話すと、最早我慢成らぬと嫡嗣アルツールが席を立った。


「何たる侮辱! 申し開きとはまるで違うではないか!」


「止めよ! 席に座るのだ!」


 怒りに任せて叫ぶ息子を侯爵が制した。指示を受けて黙って座るアルツール。だが「申し開き」というからには、ウェストウィック公爵家よりアンドリュース侯爵家に対し、何らかの伝達があったのだろう。問題はアルツールが怒っているように、その内容と俺の話が違うという部分。おそらくウェストウィック公爵家は、色々と取り繕ったのだろう。


 侯爵は俺に対し話を続けるように言ってきたので、モーリスが婚約破棄を宣言した後、リッチェル子爵夫人レティシアが二人の間を割って入ったところから話し始める。モーリスがレティと応酬を繰り広げる中で「公爵家に楯突くとは」と家格を持ち出したので、クリスがカテリーナの側に付いて「楯突いたとは言わせません」と迫った。


 これを受けて事に窮したモーリスは、自派の貴族子弟達を呼び出して実力行使に出ようとしたところ、モーリスの従兄弟で正嫡殿下アルフレッドが現れてその場を取りなした。居心地が悪くなってしまったモーリス達は黙ってその場を立ち去っていく。俺が事の顛末の全てを話し終わった後、広間は静まり返ってしまった。侯爵がカテリーナに問う。


「カテリーナよ。今の話は事実か?」


「はい。アルフォード殿の説明に相違ございません」


 淡々と答えるカテリーナ。侯爵も夫人もそれを黙って聞いている。だが、嫡嗣の方はそうはいかなかった。


「父上! カテリーナに全く非がございません。それをウェストウィック家め。戯言ざれごとを申しよって! この話、黙って引き下がられるおつもりですか!」


「アルツール! 控えよ。今はまだ話を聞いておるところじゃ!」


 侯爵は一段と声を低くして、嫡嗣をたしなめた。カテリーナが兄のことを「直情径行が玉に瑕」と言っていたが、まさにその通りだったな。しかしウェストウィック家はアンドリュース家にどんな説明をしたというのだろうか? 俺はそちらの方に興味があった。

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